船内の病室

 ゾークを倒したその日の午後には、雨は弱まり、やがて空は晴れた。風だけは強く吹き続けていた。海賊達を捕虜にした後、船員達を掻き集め、その日は島に野営した。翌朝、座礁した船から、運び出せる限りの荷物を海賊船に積み替えて、午後には出航した。


「……大丈夫かい?」


 頭上から声が降ってくる。

 あの時、ゾークを倒してまもなく、俺は力尽きた。薬の副作用のせいだ。

 だが、そんなこととはわからないフリュミーには、何か重大な問題が起きたようにしか見えなかった。原因ならいくらでも思いつく。七歳の少年にとっては、あまりに過酷な状況だったのだ。


「もう平気ですよ。昨日は、ちょっと気分が悪くなっただけです」

「ならいいんだけどね」


 今は、船の甲板に二人して立っている。

 昨日までの嵐が嘘のように、空はきれいに晴れ渡っていた。


「それにしても、あれはなんだったんだい?」


 さて。どうやり過ごそうか。

 ピアシング・ハンドの使用は目撃されずに済んだ。しかし、身体操作魔術や剣術を活用して戦ったところは、見られてしまった。軽々と三人の大人を斬殺し、残る一人も捕虜にした。また、奇襲とはいえ、手強い頭目をあっさり斬り捨てた。

 子供にやれるようなことじゃない。薬剤師としての能力だけでも、並外れているのに。非常事態とはいえ、やりすぎた。


「あれ、というのは、なんですか?」

「説明したくないのかい? それとも自覚がないだけかな。それなら帰ってから、イフロースにありのままを伝えるだけさ。きっと君はご褒美にありつける」


 おっと。

 いったいどれだけお金をもらえるんだろう。でも、それじゃ割が合わない。


「……僕が、海賊とまともに戦えた件ですか?」

「他にあるかい? いや、あるな。でも、差し当たり、それが気になるね」


 仕方がない。

 考えておいた言い訳を口にした。


「僕もよくわからないんです。でも、これ……」


 そう言いながら、身体強化薬のついていた紐を差し出す。


「ピュリスに来る前に、他の奴隷が持っていたお守りを、譲ってもらって。いざという時に飲み込むと、元気が出るよって教えてもらったんです。だから今回、使ってみました」


 嘘ではない。確かに俺は、イリク・ウィッカーから身体強化薬をもらった。騙し取った挙句に、散々脅して説明をさせた結果ではあるが。

 但し、この元気の出る薬を利用するには、身体操作魔術に熟練していなければならない。それにこの『お守り』には、まだいくつか予備があるのだが。その辺については、黙っておく。


「あの時は、無我夢中でした。でも、僕は、戦うのが怖いんです」


 これも本音だ。力があるからといって、それを振るったこと、勝利できたことに喜びを感じたりなどしていない。むしろ、一歩間違えば死ぬ状況だった。

 シンには、本気で殺されかけた。崖から落ちた時、一瞬、思考が止まった。もしあと一秒、デスホークに変身するのが遅かったら、確実にやられていた。

 ゾークにしても、決して楽勝ではなかった。奇襲が失敗して、目の前で火薬の炸裂を見せつけられて。もちろん、ゾークからすれば、いきなり後ろから襲撃されたのだから、戸惑っていたはずなのだ。なのに、奴は迷わず手札を切って、素早く対応してきた。紙一重だったのだ。


「ねぇ、フリュミーさん」

「なんだい」

「今回の海賊退治ですけど、全部フリュミーさんがやったことにしませんか?」


 手柄を自分のものにすれば。奴隷からの解放も視野に入るだろう。

 今回、子爵家は六人の水夫を失った。それは確かに痛手だが、その程度で済んだともいえる。これでもし、商船隊が全滅していたら? 海上交易で利益を得る手段を、一時的にすべて失っていた。その影響は、たった金貨六千枚程度では、埋め合わせがきかない。

 それを思えば、俺を奴隷から解放するくらい、安いものだ。


「なぜかな」

「僕が戦えるって思われたら、また危険なところに送られるかもしれません。でも、ほら」


 俺は『お守り』のなくなった紐を見せる。

 もう薬はありません、とは言っていない。一応嘘は言っていない。ただ、こんな調子で使っていったら、いつかはなくなる。まだ自力でこの薬を作り出せない以上、それは困る。


「なるほどね」

「お願いします」


 フリュミーは真剣な面持ちを見せる。じっと考えているのだ。ややあって、口を開いた。


「君の説明で、小屋の中の海賊を倒したところとか、その後のことは理解できたよ。あの時、君はまず、お守りを探していたんだね」

「はい」

「じゃあ、これは教えてくれるかな。君はどうやって、あの凄腕の男……シンといったかな、あの男を倒したんだい?」


 そうだった。これはお守りのせいにできない。

 だが、理由はいくらでも捻り出せた。


「僕を追いかけているうちに、崖から落ちたんです」


 これも、ある意味、事実だ。大事なところを、いろいろ端折っているが。


「わかった」


 溜息をひとつつくと、フリュミーは言った。


「じゃあ、こうしよう。シンは、君を捕まえようとして崖から落ちた。それでも、フェイ君が一人で倒したことになるだろうけどね。それから、頭目については、僕と二人で退治した。そう伝えることにするよ」

「えっ」

「これなら一応、事実だろう?」


 そう言いながら、フリュミーは意味ありげにウィンクしてみせた。

 くそっ、そうか。

 俺が事実の一部分しか言わずにおくというのなら、彼もそうするというのだ。


 大きな手が、俺の肩に置かれる。


「あと二、三日もすれば、ピュリスに帰れる。のんびり過ごすといいよ」

「はい」

「……あ、そうだ」


 思い出したように、彼は言う。


「船の仕事は手伝わなくていい。でも、できたら、怪我人の世話は、お願いしていいかな。できる範囲でいいし、手持ちの薬もそんなにはないだろうから……役立つなら、必要な範囲で、積荷も自由に使ってくれていい。あとで報告してくれればね」

「わかりました」


 こうして、フリュミーによる事情聴取は終わった。


 扉を押す。

 狭い部屋の中は、真っ暗だった。鼻をつく薬品臭。船室の床には、毛布一枚の上に、男達が転がされていた。


 船員二十名、船長一名、他二名で出港した。それが今では、船員十二名、船長代理一名、他一名、負傷者三名だ。しかもそれだけではなくて、捕虜十名、重傷の捕虜一名、遺体八人分。

 負傷していないか、軽い怪我しかしていない海賊は、全員、船底に閉じ込めてある。全員縛り上げてあり、常に二名以上の船員が見張っている。彼らは今、トイレにも行けない。一応、足元に汚物用の容器を与えている。ロープを解くのは、危険すぎるからだ。なにしろ、彼らの運命はもう、決まっている。このままピュリス市に連行され、そこで当局に引き渡される。特に罪が重いものは処刑され、そうでなくても、ほぼ確実に犯罪奴隷だ。

 問題は、重傷者だ。生き残った三名の船員の他に、海賊の中で、一人だけ重傷を負った奴がいる。合計四人が、この部屋の中に転がされているのだ。


「包帯を取替えにきました」

「おお、フェイ」


 船員の一人が身を起こしかける。かなり回復してきたようだ。

 俺はランタンを脇に置き、彼を助けて引き起こす。古くなった包帯を引き剥がし、傷の状態を確認する。

 彼の傷は、大きく二つ。一つは、座礁時の打撲だ。特に背中を強く打っており、今でもその部分は腫れ上がっている。すぐには完治しないので、ピュリスについたら、早速静養すべきだろう。それともう一つ。こちらは、海賊の襲撃の際に、斬りつけられてできたものだ。肩口から胸にかけて。ただ、運がよかったのか、内臓に届くような傷ではなかった。


「傷は塞がってきていますね」

「ああ、助かるよ」


 俺が回復を宣言すると、彼は安心したように息を吐き出す。


「あの、さ」

「はい?」

「俺、もう、動けそうなのかな」

「まだ安静ですよ。どうしたんですか?」


 すると彼は、首を回しながら言った。


「ここ、空気がこもってて、気持ち悪くなってくるんだ」


 すると、横からも声がとんできた。


「あー、俺も」

「俺もだ」


 確かに、船倉の一つ上の部屋で、廊下のどん詰まりだ。外の光もほとんど入らないし、空気の流れもない。


「それに、背中が痛くてな」

「毛布一枚しかないから、俺なんかうつ伏せで寝てるんだぜ? 背中に傷があるもんだから、船が傾いたりとかするとキツいし」


 話を聞きながら、俺は少し考えた。

 本来は倉庫の一つだったここを病室にして、彼らを放り込んだのには、いくつか理由がある。


 まず、当初は傷の状態がもっと悪く、ハンモックで寝かせておくには不安があったこと。骨折している船員もいたので、なるべく動かないように固定しておきたかった。背中に傷がある人についても、まさかハンモックではうつ伏せにもなれないし、どうしても背中が圧迫されるから、よくないと考えた。

 また、一定のスペースも確保したかった。薬品の臭いもあるし、彼らをいつもの部屋に置いておくと、周囲に迷惑がかかるのでは、と思ったのだ。

 更にもう一つ。負傷者の中から、死者が出る可能性を想定したためだ。一般船員の横で、また人死にが出ると、雰囲気が一層悪くなる。


 しかし、彼ら三人は、順調に回復してきている。この分なら、もう船室に戻してもいいかもしれない。


「わかりました。一度、フリュミーさんにも相談してきてください」

「じゃ、ちょっとはここから出てもいいんだな?」


 ただそうなると、残る一人……重傷を負った海賊の始末をどうつけるかが問題となる。


 こいつは、俺が左足と右手を弾き飛ばした男だ。それだけなら、重傷には違いないものの、すぐに適切な処理がなされていれば、どうということはなかった。

 だが、あの時は余裕がなかった。フリュミーは最低限の止血を行ったが、傷口に薬を塗ってやったわけでもなかった。それより、この生き残った海賊が、まだ床に転がされている仲間達を殺したり、人質にしたりするほうが問題だったので、その体を拘束するのが優先だったのだ。

 そういうわけで、こいつは傷の痛みに悶えつつ、仲間の死体の横に転がされていた。だが、俺がゾークを倒し、森の中に散っていた船員達を小屋に向かわせると、途端に暴行が始まった。

 当たり前過ぎる展開だった。四人もの仲間を海賊に殺されているのだ。俺とフリュミーが割って入る頃には、あちこちに刺し傷や打撲ができていた。


 現在、回復がもっとも遅れているのが、この海賊だった。一応、生き長らえた場合には、こいつも当局に引き渡される。それには報奨金がつくので、生かしておく意味はあるわけだ。死んだ場合には、海に捨てることになるだろう。一方、ゾークやシンの遺体は運んでいる。賞金首かもしれないからだ。


「あー、でも、こいつの見張り、どうする?」

「いっそやっちまうか」

「ばっか、お前、弁償できんのかよ」


 こんな風に言い合えるくらい、船員達は回復してきている。仕事に復帰させるにはまだ早いが、部屋は移してもいいかもしれない。


「皆さん、元気ですね」

「お、おう、おかげでな」

「立って歩けますか?」


 そう言われて、三人は壁に寄りかかりながら、そろそろと腰を浮かす。問題なさそうだった。


「では、部屋に戻って……いえ、まずは甲板で新鮮な空気でも吸ってくるといいですよ。でも、何かあったら、僕かフリュミーさんに」

「わかった! ありがとな」

「おい、待てよ」


 部屋を出て行こうとしたところで、一人が声をあげた。


「フェイ一人にすんのか? 一応、危なくねぇか?」


 俺自身は、危険を感じていない。目の前の海賊はひどく負傷しているし、縛り上げられている。もし襲い掛かってきても、『行動阻害』の呪文でも唱えれば、一発で腰砕けになるだろう。これが刃物の一つでも持っていれば別だが、そういった器具は、ここに持ち込んでさえいない。


「まず大丈夫だと思います。でも、誰も近くにいないのはまずいので、後で誰かを寄越してください」

「わかった」


 そう言うと、彼らは部屋を出て行った。よっぽど外の空気が恋しかったのだろう。


 それから、俺は寝転んだままの海賊に視線を向ける。

 右手の人差し指と中指、親指がない。一応、薬を塗ってあるが、傷口は今も剥き出しだ。改めて見ると、グロテスクで、違和感がものすごくある。

 左足。膝のすぐ下から先がない。膝のすぐ上をきつく縛って、止血してある。犯罪奴隷として売り出されるとしても、これは厳しい。この世界、ろくな義足がない。失った手足を再生する魔法は存在するらしいが、一般人に手が届くような代物ではあるまい。彼はもう、二度と走れないだろう。

 今、彼を生死の縁に立たせているのは、これらの傷ではない。顔面は激しい殴打の結果、腫れ上がっている。上半身も同様で、痣だらけなのだが、決定的なのは、背中と腹部の刺し傷だ。

 血を流しすぎたのも無視できない。体力も大きく損なわれている。しかも……


 俺が手を伸ばすと、薄目をあけていた彼は、ビクッと身を震わせて、逃げようとした。だが、手足は縛られているし、動き回る体力も残っていない。


「安心してください。体調を確認するだけです」


 そう言われて、やっと動きを止める。だが、その目は、俺の手の動きを不安げに見つめる。

 彼の額に手を当てる。すごい熱だ。

 あちこちの傷口から、雑菌が侵入したのだろう。それを撃退できるだけの生命力が、今の彼にはない。薬剤で消毒はした。だが、それでどれだけ持たせられるか。


「……なんなんだよ」


 ボソリと男が言葉を漏らす。


「はい?」

「お前、いったいどうなってるんだ」


 そんな風に言われても、どう返せばいいかわからない。

 返事をせずに、包帯を捲り上げる。よくない。傷口がまだ、きれいに塞がっていない。


「薬を塗りますね」

「ウッ」


 一瞬、沁みたのだろう。彼は顔をしかめた。


「わけわかんねぇ」

「どうしたんですか」


 今度は、彼が沈黙する番だった。


「背中も見ますよ」


 そう言われると、彼は呻き声を漏らしながら、なんとか体を傾けた。それが精一杯なのだ。


「変だろ、絶対変だ」

「だから、何がです?」

「お前が」


 ……確かにそうなんだろうけれども。


「子供の癖に、戦ったり薬を扱ったりするからですか?」

「ちげぇよ」


 薬を塗り終わって、また彼は仰向けになる。彼は汗ばんだ顔を向けて、俺の問いに答えた。


「なんで俺に薬を塗るんだよ」

「怪我をしているからですよ」

「殺すのが、普通だろうが」

「生きたまま、犯罪奴隷にすれば、報奨金がもらえるそうじゃないですか。受け取るのは、僕じゃないですけどね」

「はっ」


 男は、訳がわからないというように、吐き捨てた。


「この足で、売れるわけねぇだろ? 縛り首さ、どうせ……」


 それも考えられる未来ではある。

 ランタンのか細い光に、男の暗い表情が浮かぶ。


「……お前、名前は?」


 ふと、彼は俺に名前を尋ねてきた。


「フェイですよ」

「あん? なんだ、奴隷か?」

「はい」

「けっ」


 うんざりした、と言わんばかりに、彼は床の上で、首を左右に振った。


「何から何までおかしいぜ」

「そうでしょうか」

「ああ、そうさ……」


 彼は忌々しそうに俺を睨んだ。だが、その表情にあるのは、憎しみだけではない。当然のように恐れもあり、どこか悲しんでいるようでもある。


「……この船は、ピュリスに行くんだろ?」

「はい」

「畜生」


 力なく悪態をつく。彼は目を閉じた。

 手当ては済んだが、まだ誰もここまで来てくれない。ということは、俺がこの部屋で、彼を見張り続けなければいけないのだ。


「ピュリスをご存知なんですか?」

「俺はそこの生まれさ」


 意外な答えに、俺は一瞬、注意を引き付けられた。


「もう、二十年も前に逃げ出してきたんだけどな」

「何か悪いことでもしたんですか?」

「ああ、もちろん」


 いつの間にか、彼の顔には、皮肉めいた笑みが浮かんでいた。


「盗んだ」

「それは、何を」

「薬だよ」


 ドスの利いた声を搾り出して、彼はそう言った。


「薬、ですか」


 薬は高価なもの。それが常識だ。

 だが、それを必要とするのは病人だけ。ということは……


「なんのために」

「おふくろが病気になったのさ」


 彼は、何もない暗闇に視線を向けた。無の空間に、彼自身の人生が浮かび上がる。


「貧乏だった。親父と兄貴は、俺を売り飛ばして薬を買おうと言った」

「それは、奴隷として?」

「ああ。だが、それをおふくろが止めた。だけど」


 ここで彼は、一度、声を詰まらせた。


「どんどんやつれていった。俺のせいだ……そう思った」


 世界は残酷だ。

 俺も自然と、過酷だった前世を思い出す。何をどう選択しても、救いがない。

 幼かった彼は、一人追い詰められて、きっと激しく葛藤したのだろう。


「だから、盗んでやったんだ……でも、家に着く前に、見つかって、追いかけられた。結局、家には持ち帰れなかった。俺は、下水の溝の中で、ずっと隠れてやり過ごした」


 彼は、指の欠けた右手を持ち上げ、見つめる。その手は、震えていた。


「やっと家に帰り着いた時には……おふくろは死んでた。馬鹿みてぇだろ? ちょうど棺桶が運び出されるところだった。でも、俺は近寄って泣くこともできなかった。泥棒だからな。すぐ見つかって、また街中追い回された」


 右手を下ろし、床をコツンと叩く。彼は脱力して、床に頭を預けた。


「結局、密輸をやってる連中に拾ってもらって、なんとか街を出たのさ。あとは……あちこちで悪い奴らにヘイコラして、今まで……ハハッ」


 言葉もない。

 彼の肉体年齢を覗き見た限りでは、ピュリスを逃げ出したのは十歳の頃だったのだろう。それから三十歳になる今まで、ずっと逃亡生活を続けていた。様々な犯罪に加担しながら。


 彼はそんな自分をどう思っていたのだろうか。こんなひどい世界、自分や母親を見殺しにした世の中なんか、どうなっても構わないと思ったのか。それとも、やはり良心の呵責に悩まされたのか。

 どうあれ、一度悪の道に堕ちた以上、既に選択肢などなかった。だが、では、どうするのが正解だったのだろう? 


 薬を盗まず、自分から奴隷として売られればよかった? それも一つの方法だが、そうして得た薬で、母親が救われた保証はない。もし、薬が効かなければ、彼の献身は無駄となる。彼の母としても、どうせ助かる見込みがないのなら、息子の人生を台無しにしたくなかったのだ。

 薬を盗まず、奴隷となるのも拒否する? そうした場合、母親の死に立ち会うことはできた。だが、彼は一生、親を見捨てた自分を責め続けることになっただろう。

 子供でもわかる。どちらを選んでもだめ。だから、盗んだ。ただ、運がなかった。


「……おかしいだろ?」


 泣き笑いのような顔を浮かべながら、彼は言う。


「薬が欲しかったのはあの頃なのに、今更になって。どう転んだって犯罪奴隷になるしかねぇのに。そんでもって、俺をぶちのめしたのがガキで奴隷。行き先はピュリス。なんだよ。なんなんだよ、これは」


 皮肉が利きすぎている。

 その場その場でやるしかないことをやってきた。その結果が、この惨めな最期だ。いっそ、途中で自ら命を絶っておけば……


「殺せよ」


 低い声で、彼は言う。


「こんな体じゃあ、どうせ俺なんざ、売れっこねぇんだからよ」

「そんな」

「あれだけバッサバッサ殺しておいて、もう一人くらい、どうってことねぇじゃねぇか」


 だが。

 俺の中で、言い訳が繰り返される。


 非常時だったんだ。やらなければ殺されるから殺しただけ。じゃあ、無抵抗で逃げ出したこの男を傷つけたのは? 同じだ。頭目に報告されたら厄介だったから。でも今は、その危険がない。なら、殺してはいけない。


「俺は海賊なんだ。死ぬくらい、どうってことねぇ」


 強がりだ。開き直りだ。でなければ、自暴自棄だ。

 あの時。後ろから追いすがって足を切り落とした際に、彼は散々、命乞いをした。


 背後で扉が開いた。


「待たせたな、フェイ」


 怪我を負っていない水夫が一人。俺と交替してくれるようだ。


「俺が見てるから、少し休んでくるといい。また後で頼むけど」

「……はい」


 俺はそっと海賊のほうを盗み見た。彼はもう、目を閉じてしまっていた。

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