紙一重の決着

 今を逃したら。俺はまた、斜面を駆け下りた。剣を手にしているので、鳥にはなれない。

 木々の途切れるあたりから、ログハウスを見下ろす。近くにまだ、人影はない。だが、いつ海賊達が引き返してくるか。もう、中にいるかもしれない。いや、考えている余裕はない。

 意を決して、俺は中に飛び込んだ。


「フェイ……君!?」


 中には、椅子に縛りつけられたまま、ぐったりしているメックと、膝立ちになっているフリュミー、それに床に転がる三人の船員達がいた。海賊の姿は、一人も見えない。


「何をしているんだ、早く逃げなさい」


 悪いが、話をする余裕はない。俺は、自分の背負い袋を見つけると、その場で床にぶちまけた。紙に包まれたビスケットが落ちる。真水に満たされた革の水筒が、床にバウンドして、転がる。ついで衣服が散らばる。

 あった。淡い緑色の粒。

 そこで、背にした入口に、影がかかる。


「おあっ!? なんだ、このガキ?」

「てめぇ……シンの兄貴はどうしたっ!」


 いつの間にか、出入り口に海賊達が戻ってきていた。

 だが、少しだけ遅かった。せめて、何も言わずに切りかかってくれば、まだ間に合ったかもしれないのに。

 俺はその間に、木片の先にある薬剤を飲み込んでいた。


「その剣……! ありゃあ、シンの兄貴のじゃねぇか!」

「マジかよ? このガキ……おい」


 俺の外見だけで、こいつらは油断した。シンの剣を持っているなら、俺が奴を倒したと想像できるはずだ。そして彼ら自身、シンの強さを知っているのだから、相手を子供と思って見くびってはならないと、すぐに悟るべきだった。

 俺は剣を手に、ふらりと立ち上がる。せめて服を着る時間くらいは欲しかったのだが。


 既に二人の海賊は、部屋の中に立ち入っている。顎全体が剛毛に覆われた横に広い男と、対照的に痩せぎすで、か細いチョビヒゲの男。どちらも剣を手にしていた。鎧といえそうなものは、身につけていない。普通のフォレス風の上下の服。

 隙だらけだ。


「やるつもりカ……ッ」


 踏み込み、体を捻りつつ、逆袈裟に斬り上げる。シンが散々見せた技だ。そういえば、アネロス・ククバンも同じ技を使ってきたっけ、と思い出す。

 胸骨が割れる感触。剣先はきれいに円を描いて、ヒゲモジャの男を斜めに切り裂いた。

 崩れ落ちるそいつを避けつつ、対応できずにいるもう一人に切りかかる。横薙ぎに胴を裂き、ついで喉元をかすめる。


「カハッ!」


 それだけだった。

 あっけなく、二人は木の床に突っ伏す。そこから、真っ赤な液体があふれ出る。まるでそこに血の泉が湧き出たかのごとくに。


「……フェイ君?」


 後ろから、フリュミーの震えた声が聞こえる。

 驚くのはわかる。でも、今は取り合っている場合ではない。

 入口の外側に、また泥を跳ね飛ばす足音。あと二人か。逃がすわけにはいかない。


「あ……ぶっ」


 ものを言う暇も与えない。一人は入り口で仰向けになった。


「ひっ! ひいい」


 突然の事態に、残った最後の一人、小柄な男が、背を向けて逃げ出そうとする。俺は地面を蹴って追いつき、そいつの左足を切断する。


「ぎゃあぁ!」


 泥の上に突っ伏すそいつの首根っこを捕まえ、剣を突きつける。


「剣を捨てろ」

「助けて」

「早くしろ」

「お願いだ、殺さないで」

「その手ごと切り落とす」

「死にたく、がっ」


 そいつの剣を乱暴に跳ね飛ばす。ついでに指が三本ほど飛んだが、気にしない。気にならない。俺の中の何かが、麻痺していた。

 そのまま、力ずくでログハウスまで引き摺っていく。

 床に転がる二つの死体を目にして、その男の表情は、更なる恐怖に染まるが、俺は構わず鳩尾を踏みつける。黙らせた。


「君はいったい」


 フリュミーが呆然としている。


「時間がありません」


 俺は彼に近寄り、ロープを切断する。


「この生き残りは、縛っておいてください。気が向いたら殺しても、治療してもいいです。僕は急いで、親玉を追いかけます」

「ま、待て」


 状況に頭が追いつかないのか、フリュミーは、やや焦りを感じさせる声を発した。それでも手は止めず、足を失った海賊のために、止血をしてやっている。腕は縛り、足もちゃんと縛っている。俺はその間に、服を着ていた。たかが布切れとはいえ、あるとないとでは大違いだ。羞恥心の問題ではない。防げるのが小さなかすり傷程度でも、この世界の衛生状態を考えたら、充分に意味がある。


「では、僕はもう行きます」

「待ってくれ、その前に、メックを」


 時間がない、と言いかけて、さすがにやめる。


 薬の効果が切れたら、本当に手遅れだ。もう予備はない。そうなったら俺は、鳥になってすべてを見捨てて逃げるしかなくなる。

 それでも。俺がわざわざ戦っているのは、彼ら船員を救うためなのだ。本気で助けたいのは、俺を庇ってくれたフリュミー一人なのだが、彼は自分を危険に曝しても、周囲に手を差し伸べるだろう。


「メック、もう大丈夫だ、しっかりしろ」


 フリュミーは、傷だらけのメックに駆け寄り、ロープを解いていった。しかし……

 拘束が緩むと、彼は斜めに倒れこんだ。


「メック! しっかり」


 叫びかけて、フリュミーは彼の手を取った。

 その体はまだ、かすかに生温かかった。だが、もう脈も呼吸も止まっていた。

 血を流しすぎたせいかもしれない。それに加えて、止むことなく繰り返された拷問が、彼の体力を削っていったのだ。


「……くそっ」


 彼の死を確認して、フリュミーは無念そうに吐き捨てた。


「フリュミーさん」

「……なんだ」

「怪我人の数が」

「ああ」


 うつむいたまま、彼は答えた。


「自力でまったく歩けなかった三人は、崖の下に捨てられたよ」


 最初の座礁で二人。ここに来るまでで三人。そして、メック。俺やフリュミーも含めて二十三名でムスタムを出航したのに。あれから四日で、こんなにも死んだ。


「わかりました」


 シンに加えて、新たに三人を斬殺したのに、俺の中には妙な落ち着きがあった。それでいて、なんだかそわそわしている。ゾークを殺すまで、これは止まらないに違いない。


「では、行ってきます」

「だから、待て!」


 フリュミーが声を荒げる。


「なんですか」

「危険だ」

「さっきのを見たでしょう。今なら、奴らを倒せます」

「なぜそんなことが」

「説明している時間がありません」


 俺は、はっきりとそう言い切った。

 こんな年齢で、強力な身体操作魔術を行使している。ピアシング・ハンドも秘密だが、この魔術についても、あまり知られたくない。いずれごまかしようがなくなるかもしれないが……


「わかった。私も行く」

「ですが」

「一人で行けば、万が一がないとも言えない」


 そうかもしれない。だが、足をくじいて、歩くのがやっとのフリュミーが、それほどの戦力になるだろうか。

 彼は、倒れた海賊の足元から、比較的きれいな剣を拾い上げた。


「君はこれを持て」

「自分で使えばいいじゃないですか。もう、ありますよ」

「それは私に貸すんだ」


 言われた通りに剣を渡す。


「よし、行こう。狙いは、海賊の首領か?」

「そうです」


 奴らは、座礁した船のほうに向かったはずだ。追いついて、殺す。


 森の中。まだ風は強かったが、心なしか、雨脚は弱まってきているようだった。

 ぬかるんだ足元の中、フリュミーは弱音も吐かずについてきた。身体強化の効果が切れる前に、ゾークを発見しなければならない。いざとなったら、彼を置いてでも、あちこち走って探し回らなければならない。

 目的地はわかっている。先は急ぐが、周囲の警戒は怠らない。ほどなく俺の耳が違和感を捉えた。


「止まって」


 フリュミーは、ものわかりよく、黙って止まった。

 雨の音。その中にかすかに混じる、風切り音。


「伏せて!」


 トスッ、と音がして、頭上の木に、矢が突き刺さる。ただ、狙いはいまいちだったようだ。俺は立っていても当たらなかっただろう。フリュミーにしても、命中したか怪しい。強風の中の射撃なのだから、射手の技量だけの問題ではないのだろうが。

 ただ、これで奴らの先制攻撃をしのげたことになる。できればこちらから奇襲を仕掛けたかった。


 周囲を見回す。

 昨夜の寝床から程近い、森の中の獣道。比較的見晴らしがよく、矢の射線が通る場所。だから、待ち伏せを仕掛けるには、悪くない。

 問題は、なぜ彼らが俺達の追跡に気付けたかだが……恐らく、別働隊がいたのだろう。


 木々の奥から、黒い影が近付いてくる。その後ろには、他に五人の男達もついてきている。ログハウスを出た時点では四人だったから、残り一人は、あとでゾークに合流したのだろう。俺達が歩きまわっているのを見つけて、先回りしたのだ。


「おぉ? なんでてめぇらがこんなところにいるんだ?」


 声が充分届くくらいの距離で、ゾークが言う。

 それをフリュミーは、鼻で笑った。


「見ればわかるだろう?」


 俺も前に出ようとしたが、折れた腕で俺をそっと押す。距離を取れ、と言いたいらしい。

 フリュミーは、手にした剣を掲げてみせた。その切っ先には、まだ血の痕が残っている。


「なっ……! そりゃあ、シンのじゃねぇか!」

「ほう。彼はシンという名前だったのか」


 自信満々、余裕綽々、といった様子で、フリュミーは笑ってみせる。その間に、俺は少しずつ、森の中へと後退りする。


「てめぇ! どうやって縄を抜けた? いや! シンを殺りやがったのか!」

「説明する必要があるのか?」


 フリュミーの狙いがわかった以上、俺はこの場から逃げるふりをするべきだ。背を向けて、獣道すらない森の中に飛び込む。


「ちっ……囲め!」


 ゾークは、部下達に号令を下した。緊張した面持ちの男達が、バラバラと左右に散開し、その後はフリュミーを遠巻きにした。彼らの中では、フリュミーは、シンを下した強敵ということになっている。ゾークも、武術の個人技ではシンには及ばない。それを自覚しているからこそ、こうして敵を袋叩きにすることにしたのだ。


「おいおい、怪我人相手に、随分じゃないか」


 フリュミーは、あえておどけてみせる。


「けっ。白々しい野郎だ」

「せめて、一対一で決着をつけないか?」

「ばぁか。付き合ってられるか」


 言葉でのやり取りをしているうちに、俺はなるべく静かに、ゾークの後ろへと回り込む。まだかなり距離が開いているが、今の身体能力なら、一気に詰め寄れる。


「そんな臆病さで、よく海賊の頭目が務まるな」

「はっ! お馬鹿なお前に教えてやるぜ。この世界はな、油断した奴から死ぬんだよ」

「まったくその通り」

「あ?」


 振り返りかけたゾーク。俺はもう、一足跳びに突っ込んで、剣を横薙ぎにするところだった。


「がはぁっ!?」


 横っ腹に剣を叩き込まれ、体をくの字に曲げるゾーク。だが、計算違いだ。これで倒しきるはずが、どうしたわけか、剣が食い込んでいかない。この剣が安物なのもあるのだろうが、なぜかコートの表面を切り裂けないのだ。


「このガキがぁ!」


 はっと我に返る。頭上から振り下ろされるサーベルを受け……流す。

 体を流されて、前につんのめる相手。コートに刃が通らないのなら、肌が見えているところを斬ればいい。剣を振りかぶって、首筋に切りかかろうとした、その瞬間。ゾークは、不意に左手を握り締めたまま、こちらに突き出した。

 バン! と音がして、一瞬の光が目を焼く。なんだ、これは? ゾークには、光魔術の心得なんかなかった……いや。


「びびらせやがって……死ねっ!」


 瞬間的に、視界が真っ白に塗り潰される。


 魔法なんかじゃなかった。相手のスキルだけで、どうしてその戦力を判断できると思い込んでしまったのか。

 鋭敏になった目と耳で、火薬の炸裂を間近に見てしまったのだ。これもゾークの引き出しの一つ。技術がなくても、道具を使えばいいのか。

 だが、俺にだって、他の引き出しがある。


「ぐふぁっ」


 短い詠唱でゾークの動きが止まる。『行動阻害』の呪文。いつもこの技に助けられる。

 俺は、奴の漏らした呻き声を頼りに、逆袈裟斬りを浴びせた。

 肉を絶つ手応え。


「おはっ」


 ようやく、少しずつだが、視力が回復してくる。

 コートに覆われていなかった胸の一部が切り裂かれ、血がとめどなくあふれ出ている。致命傷だ。

 ゾークは二、三歩、後ろに下がり、背中を木の幹にぶつけ、そこでしゃがみこむ。


「がはっ……ざまぁねぇな」


 死を悟った者の、昏い表情。だが、取り立てて悲壮感のようなものがあるわけではない。どちらかというと、漂っていたのはあっさりとした諦念だった。


「こんなガキに殺られるたぁ……俺もヤキがまわった……ぜ……」


 そのまま、彼は動かなくなった。

 フリュミーを取り囲む海賊達は、呆然とそのまま突っ立っていた。まさかこんなにあっさり、自分達の頭目がやられるとは、思ってもいなかったのだろう。それも、子供相手に。


「武器を捨てろ!」


 フリュミーが声を張り上げる。既に海賊達に、戦意はなかった。

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