お嬢様はとってもお聡い

 周辺を水場に囲まれた高殿。メッキだろうが、屋根にも壁にも、黄金色に輝くラインが描かれている。建物の内側は白地に金で、頭上には無数のシャンデリアが光を放っている。

 総督官邸でもっとも華やかな場所、睡蓮の広間だ。ここは、ちょっとしたイベントでは使用されない。それこそお客の数が何十人、という状況でなければ、広すぎるし、コストもかかりすぎる。

 ついでにいえば、ここは夏場には利用しないほうがいい。足元の池から、蚊がわいてくるのだ。無論、殺虫剤は放り込むのだが、それでも不快な湿気はなくならない。あちこち出入口があるせいで、水気も虫も、出入りし放題なのだ。そういうわけで、大規模なパーティーは主に、春と秋に設定されている。例外は、年末年初の祝賀だけだ。

 まだ夕方だが、既に数多くの客が会場に足を踏み入れている。あくまで子爵の私的なパーティーではあるが、政治的なお付き合いを兼ねてもいる。あちこちに挨拶したい人ほど、急いで駆けつけるわけだ。遠方からの客もいるため、基本的には、睡蓮の広間の左側にある建物に宿泊していただくことになる。

 で、そうなると、子爵家としては、猫の手も借りたいほど多忙になるのだ。


「出戻り」


 隣に立つナギアが、接客用の笑顔を浮かべて前を向いたまま、そうポツリと言う。このガキ、本当にブレない。一貫して俺のことを嫌いぬいているな。

 俺だってやりたくてやってるんじゃないんだから、今夜一晩くらい、我慢しろ。


「ヘーキティ男爵夫妻のお越しです」


 睡蓮の広間に足を踏み入れるお客様がまた一組。俺達は居住まいを正して、お迎えする。ただ立って笑ってるだけのお仕事、再びだ。キースあたりが見たら、どんな顔をするだろうか?


 子爵の今の仕事は、表と裏とで、二つある。

 表面的には、このピュリスの統治を引き受けている。王家の直轄領だが、彼はその代官として、赴任しているのだ。自分の領地は、これまた別の代官に押し付けて。だが、彼の本当の仕事は、また別にある。宮廷内の工作活動だ。


 現在、エスタ=フォレスティアの国王は、既に年老いており、病気がちでもある。政務を取り仕切っているのは大臣達だが、彼らの担ぐ神輿は、一つではない。

 一人は、第一王子だ。現国王の長男で、既に四十歳近く。世間の評価は、可もなく不可もなく。しかし、彼が王位を受け継ぐには、若干問題がある。正妃の息子ではないのだ。

 そこで、もう一人の候補の出番となる。第三王子だ。子爵より一つ年上で、学生時代には先輩と後輩の付き合いがあった。今、王位継承レースでトップを走っているのは、彼のほうだ。

 とはいえ、その地位も磐石とはいえない。各地の有力者のうち、第一王子に組するものも、第三王子につくものもそれなりにいるのだが、どちらにも関与しない態度を保っているのも、かなりいるのだ。選挙でいえば、どちらに投票してもおかしくない無党派層がたくさんいる、という感じか。例えば、うちのトヴィーティ子爵家とは親戚関係にあるフォンケーノ侯爵家は、いまだに中立を貫いている。

 王位の継承そのものは先代国王からの指名によるので、必ずしも貴族達の同意は必須ではない。ただ、王国が封建関係によって成り立っている関係上、各地の領主が新王を主君と認めないのは、大変困る。ゆえに普通は、より多くの貴族の支持を集めたほうが、この勝負に勝つ。


 だからサフィスは、なるべく多くの貴族を取り込むのに必死だ。このピュリス総督の地位だって、父の代からの宮廷工作が功を奏した結果なのだ。そして、この立場を生かして、更なる工作に励む。

 最初からこんな面倒なことをしなければいいのに? 俺ならそう思うのだが、彼らには耐え難いらしい。なにしろ、その場合、彼らは国土の北西部にある、猫の額のように狭いトヴィーティアに引き篭もって暮らすことになる。

 そこは山に囲まれた盆地で、それこそ隣国と戦争状態にでもなれば、重要な防衛拠点になり得るのだが、道路状況もあまりよくないので、平時にはまるで値打ちがない。農耕可能な土地も少なく、文化的にもド田舎。これといった特産物も資源もない。一応、材木くらいはあるのだが……

 そうなると、彼らは何かイベントがあるたびに、額を寄せ合って相談することになる。今度、王都で新王の即位に立ち会わなければいけないのだが、着ていける服がない、といった具合に。召使だって、今の一割も雇えないはずだ。

 本家筋に当たるフォンケーノ侯爵家が、その広大な領土と資金力で無関心を貫いているのとは対照的に、その飛び地をもらっただけのトヴィーティ子爵家は、積極的に政争に首を突っ込むことで、なんとか貴族としての地位と体面を保ってきたのだ。

 そう考えると、サフィスの態度や考え方も、あながち的外れではないと思われる。彼は下々に気をかけない。ピュリスの統治ですら、片手間だ。ただひたすら、上からの評価や他の貴族の目線ばかりを気にしている。だが、子爵家の維持と発展のためには、それが最も重要なのだから。


「出席者全員のご到着を確認しました」

「わかったわ。じゃあ、みんな、いったん休んで」


 カツカツとヒールの音が近付いてくる。黒っぽいドレスに身を包んだイーナ・カトゥグ女史だ。


「二人もお疲れ様。今回は長いから、いったん控え室で着替えて、軽食を食べておきなさい。お見送りは深夜になるわよ」

「はい」


 これだけの規模のパーティーとなると、部署がどうとかではなく、召使総出で対応することになる。ちなみに、イフロースやカーンといった騎士階級の人間は、中途半端に参加する立場にある。まだカーンは、挨拶周りをしていればいいのだが、イフロースはというと、舞台裏の管理もしながらの接客なので、本当に大変そうだ。

 広間の出入口に立っていた俺だが、一瞬だけ、会場内の光を目に収める。みんな大変そうだなぁ……これだけ富があって、贅沢ができる環境にあるのに。あんまり羨ましいとは思えない。

 カイ・セーン率いる厨房組の連中が拵えた料理の数々も、見た限りではほぼ手付かずだ。なら作らなくてもいいじゃないかと言いたくなるのだが、そこはそれ、見栄と世間体なのだろう。これでは、彼の料理から思いやりがなくなるのも、無理はない。


 ……どうせ死ぬのに、な。こんなに飾り立てても。こいつらは本当に無駄な生き方をしている。

 何の刺激もない死後の世界ならいざ知らず。俺は、誰もいない山奥で暮らすことになっても、特に苦痛がないなら、それでいい。その代わり、不老不死、これは譲れない。


「すごいわね」


 だが、隣を歩くナギアは、まったく別の感想を抱いたようだ。


「騎士身分の夫がいれば、庶民出身の女性でも、あそこに立てるのよ? やっぱり憧れちゃうわ」


 そんなものか。そうなのだろうな。

 前世でも、女性はとにかくこういうのが好きだった気がする。でも、現実にあそこにいったらいったで、きっと愚痴だらけだ。だいたい、騎士の妻って、あそこじゃ一番低い身分だぞ? 貴族出身の、また別の貴族の家に嫁いだ女性なんか見たら、それはそれで嫉妬するんじゃないか?


 俺達は、すっかり暗くなった中を、睡蓮の広間を灯りにして、なんとか西棟まで歩いた。二階の使用人用のスペースで、男女それぞれの更衣室に向かう。普段着に着替えて、ほっと一息。

 部屋の中には、いくつも照明があるので、そう暗くはない。一仕事を終えた召使が休めるよう、長椅子やテーブルが置かれている。

 更に、味でも栄養でも、以前より数段改善された軽食が、まとまって籠の中に収められている。肉と野菜を挟んだホットドッグのようなものが、布に包まれていた。まだほんのりと温かい。近くの水差しからコップに注ぐ。驚いた。色がついている。まさか紅茶が出てくるなんて。以前には思いもしなかった待遇だ。

 屋敷内の食事情が急速に改善されたのに、その直後に俺が外に出されるとか……


 微妙な気持ちながらも、俺はパンを一つ取り、お茶を飲みながら食べ始めた。


「相変わらず、食べ方が汚いわね」


 別に急いで詰め込んでいるつもりはないのだが、別の長椅子に腰掛けるナギアが悪態をぶつけてくる。まあ、背景音楽だと思えばいい。無視して食べきった。

 立ちっぱなしというのは、やっぱり疲れる。それに長時間だから、尚更。あれだ、店での仕事も時間がかかったりするし、調合中なんかは、下手すると何時間も休めないのだけど、あれは何かに意識を集中して、ずっと作業しているから、疲れはするものの、そこまでつらくもない。だけど、こっちは、ただただ我慢をするだけだから、どうにも。

 手足を伸ばして、伸びをする。全身、強張っていたようだ。でも、あと何時間かしたら、またあそこに立って、お客様をお見送りしないといけない。で、その後、真夜中に自宅まで帰る予定になっている。その際には、アイビィが迎えに来てくれる。

 ちなみに、今回のパーティーにも、グルービーは出席していない。その代わり、名代を派遣したようだ。アイビィも、通常のビジネスであれば、代理を務めることがあったようだが、さすがにこういう正式な場では、表の商会の番頭さんがやるらしい。


 さて、あと何時間あるだろう。着替えていいと言われているのは、お客様が急にお帰りになることがないからだ。のんびりできそうだけど、今日は本も持ってこなかった。

 熟睡しない程度に、リラックスして過ごすとするか。今夜は遅いのに、明日はいつも通りに店を開けないといけないし。忍者なら夜更かしくらいで体調を崩したりはしないが、俺は普通の子供なのだ。

 そう思って椅子に凭れかかった時、事件が起きた。


「おやめください……お帰りいただきませんと!」


 廊下の向こうで、切迫した感じの女性の囁き声が聞こえる。そして、小さな足音が短い間隔で、急に近付いてくる。

 開けっ放しのドアに、彼女は突然姿を見せた。お嬢様だ。


「フェイ!」


 うわ、どうしよう。

 この部屋、他に人がいるんだから。まず、部屋そのものの警備担当の男性が一人。向かい側の長椅子に座ったまま、目を丸くしているナギア。それと、お嬢様を追ってきた新任の侍女。

 ってか、何しに来たんだ、リリアーナは。


「遊ぼう!」


 ……ああ。

 ダメだって言ったろ? あとでぶたれるからいやだって。三ヶ月前に説明したじゃないか。鳥じゃあるまいし、もう忘れたのか。

 口をきいても罰せられるかもしれないが、黙っていても問題は解決しない。


「お嬢様、ここは召使の控え室でございます」

「うん」

「現在は休憩中ではありますが、この後、お帰りのお客様をお見送りする仕事を控えております」

「うん」

「大変申し訳ございませんが、下々の者共は、お嬢様の近くで気ままに過ごすわけには参りません。本日のところは、ご容赦いただけませんでしょうか」


 よし、言い切った。

 そう、今は勤務時間中、だから後日にしてね。理解できたよね?


「わかったけど、フェイ、いつも屋敷にいないもん、朝も見ないし」


 ぐっ。


「だから、今、遊ぼ!」


 ナギアの視線が痛い。どうする?


「で、では、そうですね……確かに、お父様もお母様も、今夜はお客様のお相手でお忙しいようですから、みんなでお嬢様のお部屋で遊びましょうか」


 みんなで、というのがミソだ。俺はそっとナギアに目で合図する。露骨に嫌そうな顔をされた。


「やだ!」


 うえっ。


「そしたら、フェイ、私の部屋に入れてもらえないでしょ?」


 鋭いな。それが狙いだ。

 奴隷の男を、昼間ならいざ知らず、夜中に令嬢の部屋に立ち入らせるなんて、まずあり得ない。だから、お嬢様のことはナギアに押し付けて、俺はこの部屋に戻って悠々と休憩をとる。完璧なプランだったのに。


「だから、ここで遊びたいの」

「う……そうですか」


 どうする? どうしたらいい?

 さすがに、全身ぶん殴られて、そのまま明日も店を開けるなんて、冗談じゃないぞ。薬屋の店長が、全身に傷薬を塗りましたとか、そんな商品アピールなんてしたくない。


「で、では、何をしましょうか」

「あのね」


 続いて彼女が口にした言葉が、俺を恐怖のどん底に突き落とした。


「お空を飛びたい!」


 髪の毛が逆立った。冷や汗が吹き出た。やめて。ホント、やめて。

 五歳児、怖い。後先考えないのが、特に。


「あー……あの? お嬢様、人間は空を飛べません」

「うん、だから鳥になりたいの」


 あ、やばい。

 さっき食べたばかりのパンが、胃の中で石みたいになってるのがわかる。胃潰瘍までいかなくても、糜爛くらいにはなっちゃってるかな、これ。胃薬、持ってくればよかった。


「鳥になんて、なれるわけがございません」

「うん」


 素直に頷いた彼女は、じっと俺を見ながら、小声で囁いた。


「あれから、どうしても鳥になれないの。どうして?」


 わざわざ声量を抑えた。ということは、これが周囲に聞かれてはまずい話だと理解している。


「お嬢様、何か夢でもご覧になられたのではないですか? 人間は鳥になどなれません」

「うん、わかった」


 相変わらず、俺の目を見据えたまま、彼女は続けた。


「じゃあ、このことは、じいやとか、お父様に相談してみるね」


 ま、待て! それは困る!

 ってか、その目。

 明らかにわかっててやってるよね? それ、脅迫だよね?


「あ、あまり突拍子もないことをおっしゃると、周りの者共が、余計な心配をするかと」


 喉がカラカラになったが、なんとかそこまでは言えた。

 だが、彼女は俺に追い討ちをかけたいらしい。


「あのね」

「はい」

「私、物覚えがいいの」

「それはもう、もちろんでございます、お嬢様は聡明な方ですから」

「耳、貸して」

「は?」

「耳」


 そう言いながら、彼女は俺の耳に口を近づけた。

 そして、小声で早口に言ってのけたのだ。


「ボケたことほざいてんじゃねぇこのクソビッチのマセたメスガキがテメェの金じゃなくて親の金だろが」

「うへぇっ!?」


 思わず悲鳴をあげてしまった。その顔を、ナギアにも、他の二人にも見られてしまった。

 お嬢様の、下品極まりない一言については、多分、まったく聞こえていない。


「……ね?」

「は、はい」


 ダメだ。

 バッチリ覚えてる。

 どうしよう?


「遊ぼ」

「う……あ、あの、普通の、普通の遊びにしましょう、ね、ねぇ、お嬢様?」


 俺は懇願するような目で彼女を見た。

 幸い、俺の願いを聞き届けてくれる気になったらしい。


「うん!」


 それから三十分ほど、お嬢様はこの部屋に留まって、俺やナギア相手にカードゲームに興じていた。だが、周りの目を気にする侍女が急き立てるのもあって、しばらくしたら、引き上げてくれた。

 ほっと一息ついた時、俺の目の前に影ができた。


「あなた、懐かれてたんじゃなくて、脅されてたのね?」


 俺を見下ろすナギアの高笑いは、終わることがなかった。

 全身、汗をかいたまま、うずくまる俺には、何かを言い返す気力すらなかった。


 その夜は、フラフラになりながら屋敷を出た。迎えに来たアイビィは「お屋敷のお仕事って、本当に大変なのねぇ」などと怪訝そうな顔をしていた。

 ……本当に、この件、どうしたらいいんだろう?

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