改めての乾杯

「ギルドを通せばいいのに」


 夜が明けて間もない時間。ピュリス郊外の草原を、俺達は歩いていた。前世では、早起きが苦手だったが、こちらの世界は、夜のうちにやることが少ない。案外、苦にならないものだ。

 ちょっと市外に出るだけなのに、ガッシュは完全に武装していた。まぁ、さすがに棍棒は背中に引っかけ、盾も肩から吊るして、楽をしていたが。見通しのいい場所なので、もし盗賊か何かが接近してきても、身構えるくらいの時間ならある。

 ドロルもハリも、ほぼ普段通りの格好だった。ただ、今回は当日のうちに市内に戻るので、寝袋やテントは運んでいない。代わりに、ハリの背中には、大きな背負い袋があった。まだ中身はスカスカだ。


 そして、一行の先頭を歩いているのが、ウィーだった。


「それだと、手数料がかかるだろ? 顔馴染みじゃねぇか。細けぇこと言うなよ」


 軽い口調で、ガッシュが返す。

 ハリも頷きながら付け足す。


「エンバイオ薬品店のものは、出来がいいですからね。潰れてもらっては困りますし」

「客のご機嫌取りしなきゃやってけねぇのは、俺達冒険者と変わらねぇってことだな」


 彼らのアメジスト昇格から数日後。今日は、週末に設定した休日だ。

 ウィーを除いた三人が、筋書きを用意してきた。エンバイオ薬品店は、立ち上げからまだ間もない。しかし、なかなかお客様が定着せず、実は収益を伸ばせないで困っている。そこで今回、ご馳走を用意し、お得意様を招いてホームパーティーを開催することにした。ついては、腕のある冒険者の皆様に、食材となる獲物を狩って欲しい……

 と言いながら、実は狩りの後、そのまま彼らを自宅に招き、改めて昇格祝賀パーティーを開催しつつ、ウィーの憂鬱を晴らそう、という計画だった。


 実のところ、ウィーのギルド内での状況は、かなりよくないらしい。基本的に人を寄せ付けないし、それでいてどんどん結果を出すから、毛嫌いする人も出てきている。そういえば、初めて彼女に会った際にも、近くのテーブルから声をかけてきた男がいた。ミルクがないなら酒を飲めとかなんとか。もしかしたら、彼女を嫌っている冒険者の一人だったのかもしれない。

 本人も居場所をなくしつつあるとわかっているのだが、それでも彼女は配慮などしない。ギルドの支部長も、彼女に実力があるだけに、なんとかできないか頭を抱えているのだとか。

 なお、ギルドにおける人間関係の悪化というのは、冒険者にとっては、かなりよろしくない。仕事の際に仲間が見つけられないとか、そういう問題だけではない。なにせ、彼らは武装しているのだ。本気で険悪な関係が生まれてしまったら、それこそ仕事帰りに闇討ちにあってもおかしくない。もちろん、そんな事件が起きたら、ギルドとしては信用にかかわる。


 いつも思いつめたような顔をしている彼女が、その程度のことで喜んでくれるかどうか、俺には甚だ疑問なのだが、彼らはやると決めたらしい。

 俺は、その予定に少しだけ変更を加えさせてもらった。パーティーは狩りの一週間後とさせてもらったのだ。解体を急ぐと、ジビエは固くなるし、風味も出ない。血抜きはその場で、うまくやらないといけないのだが……


「獲物がいる森まで、だいたい三十分くらいかかりそうだな」


 動物だけでなく、山菜も探す。秋もたけなわのこの季節、動物は冬篭りの準備のために肥えているし、植物もまた、実りの時期を迎えている。これを見逃す手はない。

 子供の俺がいる理由がそれだ。毒薬の素材になるようなキノコを間違って採集してきてもらっては困るのだ。ただ、俺としては、別の目論見もある。

 実戦経験豊富な冒険者達の動きを、間近で見たいのだ。この前のリリアーナ奪還作戦では、とにかく経験の浅さ、引き出しの少なさで、何度も危ない目に遭った。あの時はたまたま無事に生還できたが、次も運があるとは限らない。実例を目にすることで、少しでも学べるところがあればと思ったのだ。


「そうだね……ああ、フェイ」


 前を歩くウィーが、俺を見る。


「朝ごはんは、食べた?」

「え? いいえ?」


 森についてから、屋外で朝食を済ませるという話だったので、水だけ飲んで出てきた。


「そっか」


 もう、彼女は前を向いている。

 と、一瞬、ビーンという音がした。


「じゃ、ちょっと早いけど」


 バサッ、という大きな音が、すぐ近くに響いた。

 ウィーの手に、逆さ吊りになった野鳥が収まっていた。なんと、きれいに頭に矢が貫通していた。


 森につく頃には、人数分の獲物が籠の中に納まっていた。

 普段、仲間の食事を準備するのはハリの仕事らしいが、今回は俺もそれを手伝う。というか、俺がメインらしい。彼らの舌を楽しませなければ、いる意味がない。


「それにしても……」


 今、俺の目の前にある鳥や兎を見ながら、俺はなんとなく、ガッシュ達の「ウィムはいつも張り詰めている」という言動の意味がわかってきた気がした。

 頭を撃ち抜かれたのは、最初の鳥だけではなかった。次の鳥もそう。兎に至っては、ウィーが「左目」とか言いながら矢を放っていた。宣言通り、きれいに左目に矢が刺さっていた。ただしとめるだけでは、気が済まないのか。

 なんでそんなにきれいに当たるのか、と尋ねると、ドロルが説明してくれた。彼女はいつでも練習している。いつでも、というのは文字通りの意味だ。いついかなる時、どんな条件でも瞬時に弓を構え、その場で抜き撃ちできるようにしているのだ。実際に矢を放つ練習で、周囲に手伝ってもらえる時には、「的を投げる人」「当ててはいけないダミーの的を投げる人」「歩く方向を指示する人」「物を投げてくる人」といった具合に役割を振って、落ち着きようのない状況を作り、その場で的確に当てられるように励んでいるのだとか。

 実際、ついさっきも目にしたが、彼女の弓の手捌きは異常だ。通常、左腕で弓を支え、右手で矢を番えるのだが、彼女はこれを、いつでも左右反対に切り替えられる。立っていても、座っていても、寝そべっていても、いっそ転がりながらでも、的には当てる。これをより的確に、素早く、更に遠くへ、もっと強い威力で命中させられるようにする。

 この緊張感と集中力を、常に維持しようとしているのだ。いったい、何が彼女をそこまでさせるのだろう?


「おい、ウィム、ちったぁ休めよ」

「だって、じゃあ、そのハンマーで獲物をぶん殴るの? 食べるところがなくなるよ?」


 今日はウィーの気晴らしを、と思ってのことなのに、これでは結局、いつもと変わらない。そうは言っても、弓が一番、狩りに適しているのも事実。


「俺が罠を仕掛けてくる」


 そこへ、ドロルが割り込む。


「ガッシュ、お前は手伝え。ハリはキャンプの見張りを頼む。ウィムは、ちょっと休め」

「でも」

「お前ばっかり働かせたんじゃ、俺達の腕が鈍っちまうんだよ」

「うーん……じゃあ」


 それでやっと、彼女はおとなしくテントの中に引き下がった。俺とハリは、朝食の準備に取り掛かる。といっても、ほとんど彼頼みだ。料理の技量だけであれば、俺の方が圧倒的に高いのだが、彼にはここ数年の冒険者としての経験がある。限られた道具をいかに効率的に使うか。その制限の中で、俺はなるべくおいしいものを作らなければいけない。ジビエなんて、久しぶりに扱うから、少し戸惑ってしまった。本当なら、もう少し寝かせてから食べたいものなのだが。

 罠を仕掛け終わった二人が戻ってくるまでには、簡単な肉入りリゾットを用意できた。しかし、近くでハーブの類が見つかったとはいえ、どうにも生臭さが消えたとは言えず、あまり納得がいかない味になってしまった。彼らはいつもよりおいしいと言いながら食べてくれたが、これに甘えていてはいけない。


 一週間後。

 俺は準備万端整えて、自宅で待ち構えていた。


「母さん、感無量だわー」


 アイビィがわけのわからないことを言いながらウロウロしているが、無視する。

 ってかこいつ、本当になんなんだ? 初めて見た時にも、その次も、やたらとキレそうな雰囲気が漂っていたのに。一緒に暮らしてみて、見えてくる残念さ、という奴か。

 いや、これも作戦に違いない。俺は油断なんかしないぞ。


 ドンドン、と一階の扉を叩く音がする。いや、ガァン、ガァン、か。金属でできているので、割と音が響く。この叩き方は、ガッシュか。

 急いで階段を降りて、玄関を開ける。


「いらっしゃいませ」

「よぉ」


 そのまま、他の三人に背中を押されたウィーが、つんのめる。


「えっ? ちょ、ちょっと……忘れ物したって」


 匂いで気付いたらしい。呆然と斜め上を見つめた彼女が、我に返って俺に問う。


「もしかして、常連向けのパーティーって……」

「えっと、あの」


 言い澱む俺に代わって、ガッシュが叫んだ。


「っつーことで、改めて昇格祝い、やんぞ! おー!」

「今日は飲むぜぇ、へっへっへ……」


 ドロルの後ろで、ハリは静かに拍手している。この人、いっつも微笑を浮かべているけど、あんまり表情に変化がない。必要がなければ喋らないし、キャラがよくわからない。


「そんな、じゃあ」

「よーし、二階だったな? フェイ?」

「はい、準備はできています」

「おっしゃ! 邪魔するぞ!」

「わ、わ、ちょっと!」


 二階では、食堂のドアを開いて、アイビィが待っていた。


「ようこそおいでくださいました」


 あ、余所行きの顔だ。

 なんか、だんだんわかるようになってきた気がする。


「あっと、アイビィさんだったっけか」


 ドロルが、いつもの猫背のまま、やや下から彼女に声をかける。


「はい。いつもフェイがお世話になっております。ええと、どちらかでお会いしましたでしょうか」

「ああ、傷薬を前に買った時、店番してたのを覚えてたもんで」

「そうでしたか」


 こいつの本性も知らずに、鼻の下を伸ばしやがって。言っておかないが、明らかにアイビィはお前より、隠密としても、戦士としても危険なんだぞ?

 ……と思っていたら。


 背後で物が落ちる音がした。見れば、ハリの背負い袋が床に転がっている。そして、肝心の本人は、驚愕したかのような表情で、硬直している。その視線の先には、アイビィだ。

 なんだ? 知った顔か? だとしたら、まずいかもしれないな。何せ彼女はグルービーの隠密だ。裏でいろいろやらかしているかもしれないし。


「あ、あなたは」

「はい?」


 アイビィは、小首を傾げつつ、彼のほうを向いた。


「あなたは、どなたですか?」


 小刻みに震えながら、ハリは彼女に尋ねる。

 やっぱり、見覚えがあるのか。


「私ですか?」


 一方、アイビィのほうはというと、緊張感の欠片もない。それが演技なのか、素なのか、判断しかねるが。


「私は、フェイの母です」


 吹きそうになった。

 誰が母だ、誰が!

 キリッとした表情で、あたかもそれが事実であるかのように、そう言い切りやがった。


「……姉にしとけばよかった」


 小声でそう呟くのが聞こえた。アホか。


「それで、あなたは、どちら様でしょうか?」


 アイビィからの問いに、相変わらず震えの止まらないハリは、突如、後ろから俺の両肩に手を置いた。


「私は、フェイの父です」


 ぶええ!?

 し、知らない! 誰だ、お前? いっつもおとなしくて静かで真面目なのに、いきなりどうしてそんな一発ギャグを?

 ってか、本当に俺の実父……ないない。こいつ金髪だし。黒髪なら、まだわかるけど。


「あーあ、始まりやがった」


 ドロルが吐き捨てる。


「悪いな、フェイ。こいつ、病気なんだ」

「は? はぁ」

「いつもは真面目で紳士なんだが……ちょっと美人を見ると、もう急にトチ狂うんだ。まあ、ほっときゃそのうち治るんだけどな」

「そ、そうですか」


 それはまた、困った性癖だ。神殿では、この人格を矯正する努力はしなかったのか。ってかこれ、どう収拾つけるんだ?


「まあ、無視しときゃいいだろ。前にもこいつ、こともあろうか、ウィムにまで同じことしたからな」


 ウィーに? 見ると彼女は、鳥肌になりながら身をすくめている。


「その時も、時間が経てばおとなしくなったから、今回も大丈夫だろ」


 そんなものなのか。

 人は見かけによらない。一見してまともそうな人こそ、実は怖かったりする。逆に、見た目が突っ張ってる人は、真っ二つに分かれるな。一つは、本当にモラルもなくて、好き勝手にやってるだけのチンピラ。もう一つは、変な格好をする自由を得るためにも、あえて良識ある態度を保つ人。


「それより、フェイ、もう食えるのか?」

「あ、はい! 今回は、ジビエの本当のおいしさを楽しんでもらえると思いますよ!」


 と、鍋のほうを見たら、そこにアイビィが立っていた。


「じゃあ、私が調理の仕上げを……」

「わぁっ!」


 俺は、ハリの腕を振り切って、竈の前に突っ走った。


「な、なに?」

「アイビィは何もしないでお願いだからってか手を出されたら今までの準備が全部パァになるしいいから横にどいててあぁそうだみんなにお酌して」

「へはっ?」


 テンパった俺の早口に目を丸くしながらも、彼女は場所を譲った。

 危ないところだった。彼女にだけは、料理を任せてはいけない。共同生活初日以来、俺は何度となく、彼女に料理を仕込もうとしたが、まるでダメだった。なんでだろう。あれだけ多芸な人間なら、知性や感性だって、それなりに磨かれているはずなのに。今ではもう、半ば諦めている。

 一度深呼吸して、気持ちを落ち着けてから、みんなのほうに振り返って言った。既にそれぞれ、席についている。


「この前、とってもらった食材、いろんな感じに仕上げてみましたので、よかったら、ご意見くださいね」

「おう!」


 ガッシュが元気よく応える。その手には既に、コップが握られている。


「んじゃあ、まぁ改めて」


 いつも酒場で手にしているジョッキに比べれば小さなそれを掲げて、彼は叫んだ。


「俺達のアメジスト昇格もだが! ウィムのアメジスト昇格! ピュリス支部最年少記録を記念して!」

「えっ!?」


 ここに至って初めて、ウィーは全員の視線が自分に向けられているのに気付いた。


「乾杯!」

「カンパァイ!」

「女神よ、この出会いに感謝を!」


 なんか的外れな台詞も混ざってるけど、みんなそれぞれ、祝いの言葉を口にした。

 ウィーは、よろよろとコップを持つ手を掲げ、それをまた、よろよろと引き戻した。手元のハチミツ入りハーブティーに目を落としながら、まだ頭の整理がつかずにいるようだ。


 彼女は運がいい。俺はそう思う。

 それほど付き合いがあるわけでもないけど、酒場でのいつもの振る舞い、それにこの前の狩りに参加して、強く思った。彼女には周囲を気遣う余裕なんてない。自分の目的があって、他が一切、目に入らない。

 必ずしもそれが悪いわけではない。だからこそ彼女は、この若さでここまで強くなれた。さっき、アメジスト昇格最年少とか言っていたけど、実際には年齢を二つも偽っているから、彼女の記録はきっと、本当の意味ではこの先ずっと抜かれることはないだろう。まだ少女といえる年齢で、既に達人の領域に手をかけつつある。これはとんでもないことだ。

 でも。それには代償となるものがあったはず。きっと冒険者ギルドでも、好意的に接してくれる人なんて、そうはいなかったんじゃないか。妬みもあっただろう。そんな中、誰も信じないで、ずっと張り詰めてやってきた。

 ガッシュ達からすれば、ウィーは優秀で利用価値もあるけど、あえて積極的に関わる必要なんて、ない人間だったはずだ。でも、そうしなかった。一つには、彼女の才能を惜しんだから。もう一つには……


 ようやくウィーに周囲を見回す余裕ができた頃には、もうみんな次の動作に移っていた。


「これ、ソースも何もないけど、生臭くなってねぇか?」

「大丈夫ですよ、むしろ自信作です」

「よーし、じゃあ、いってみるか!」


 そこへ、いつもに増して、かわいらしい声が割り込んだ。


「あの」


 そこでみんな、動きを止める。


「今日は……ありがとう」


 縮こまりながら、そう言った彼女に、みんなが応える。


「おう!」

「食えよ、たぶんうまいぜ。まだ俺も食ってねぇけどよ」


 彼女は眦を下げ、泣きそうだか微笑んでいるのか、よくわからない表情を浮かべた。

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