初めての冒険者ギルド

 今朝も空は晴れ渡っていた。三階の窓、カーテンの合間から、朝日が差し込んでくる。

 この世界、都市部には思った以上にガラスが普及している。さすがに品質は高くなく、若干透明度に難があるのだが。俺のこの部屋もそうだし、向かいの建物にもガラス窓が使われている。こうなってみると、リンガ村がどれほど貧しかったかを改めて思い知る。

 窓を開ける。爽やかな空気が流れ込んでくる。一瞬、恵まれてるなぁ、と思ってしまった。屋敷に居残っていたら、今頃、まだあの子供部屋にいたはずなのだ。さぞかし窮屈な暮らしが続いたことだろう。今は個室で暮らしている。身分は奴隷でも、自由民同然だ。子爵家に恩義は感じないが、それでもできることを頑張らないと。

 と珍しく前向きな気分でいると、窓の下から、何かをこするような音が聞こえてきた。見下ろすと、アイビィが、箒とちりとりを持って、店の前を掃除している。なんとも勤勉な。子供の部下なんて、普通ならばかばかしくてやってられないだろうに、よく頑張るなぁ。よし。じゃあ、今朝はとびきりおいしいものを作ってやろう。

 そう思って階段を下りてキッチンに入り、包丁を手に取ると、そこで下から上がってきたアイビィがやってきた。


「おはよう」

「おはようございますぅ」


 見ると、顔が不満げだ。

 どうしたのだろうか。


「うん? 何か悪いこと、した?」

「あっ、いえいえ!」


 瞬時に表情を切り替えた彼女は、両手を突き出して首を振った。


「そうじゃなくってー、ですね」

「うん?」


 サクサクと手元の野菜を細切れにしながら、俺は話を聞こうと身を乗り出した。


「あー、食事の準備してる人に言うことじゃないですけどー」

「うん」

「あのー、毎朝、私、家の前、掃除してるじゃないですかー」

「うんうん」


 いつも彼女にやらせっ放しだったな。次からは俺がやろう。


「このところずっとですねー、家の前にですねー」

「うん」

「犬のフンが落ちてるんですよー」


 はぁ?

 マナーの悪い飼い主もいたものだ。


「それもー、特売日の朝には、絶対に落ちてるんですよねー」

「なるほど」


 俺は、一瞬手を止めた。


「嫌がらせされてる可能性があるってこと?」

「ある、じゃなくて、そうでしたー」


 なんと?

 もう確認済みか。


「早起きして、見張ってたら、ですねー……夜明け前に、犬を連れた男の人が、わーざわざ、ウチでさせてたんですよー」

「それはひどいね。一度、注意してやらないと」

「しらばっくれるんじゃないですかー?」

「そうかもしれないけど……どこの誰なんだろう」


 そこで、彼女は眼鏡に手を添えた。あっ、デキる女ポーズだ。


「既に調査済みです」


 声のトーンも一段階下がって、有能な秘書風のものに変わる。

 でもさ、どうやって調査したんだよ? 秘書の能力で、じゃないよね? 忍者スキルでだよね?


「ここから通りを一本挟んだ向こうにある薬局の店長、ケイン・ウダーマ、二十七歳。二年前まで、王国軍・岳峰兵団に所属する軍医でした。亡くなった父親の跡を継いで、薬剤師の仕事を始めましたが、腕があまりよくないのと、本人の生活態度の悪さもあって、周辺住民の感情は、あまりいいものではありません」

「生活態度っていうと?」

「夜中まで飲酒して騒いだりしているそうです。あとは、喧嘩っぱやいのか、何かあるとすぐ声を荒げるのだとか。店のほうも、ちゃんと開ける日もあれば、賭博に出かけて、ほったらかしにすることもあったようですね」


 ふむ。なるほど。

 つまりは、そういうことか。今まで真面目に仕事をしてこなかったのに、商売敵が現れたら、その邪魔はするわけだ。


「どうします?」

「どうするとは」

「こっそり殺してしまいましょうか」


 ぶげっ!?

 いや、やりすぎでしょ、それは。

 忍者、落ち着け。


「いやいや、それはいくらなんでも。捕まっちゃうよ、そんなことしたら」

「事故に見せかければ」

「ダメダメ、物騒すぎる」

「エサに毒薬を」

「だからダメって……エサ?」


 アイビィは、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「犬のほうですよ」

「それでもダメだよ。いや、尚更だ。犬は悪くないんだから。でも、どうして犬から片付けようと思ったの?」

「だって、そのほうが面白くなりませんか?」


 その笑みに、邪悪なものが混じる。


「同じことをしようと思ったら、今度は本人がやるしか……ププッ……じっくり観察してバカにしてやろうかと」


 ……趣味悪いな、おい。


「いや、しないから。さすがにないって」

「ダメですか」

「ダメです」


 まったく、こいつは……

 これから飯だというのに。


「もう少し様子を見よう。これが続くようなら、対策すればいいよ」

「……続けさせるんですか?」


 ちょっと不満げな顔だ。


「まだ、そこまで深刻じゃないでしょう?」

「じゃあー、私はー、毎朝、犬のフンのお掃除をするんですかー」


 あ、元に戻った。


「いや、僕がやるよ。だから、アイビィはもう、気にしなくても」

「うー、どこの世界に、ご主人様に掃除をさせるメイドがいるんですかー」


 メイドだったのか。

 というか、それ以前に、掃除はダメで、料理はいいのか。


「わかりましたー、もうちょっとだけ我慢しますー」

「ごめんね、僕らはまだ新参者だし、揉め事は避けていこう」


 スープも煮立ってきた。そろそろ食事にしよう。


「それと、今日は、僕はギルドに出かけてくるから」

「はい、午前中の店番ですね。問題ありませんよ」


 朝食を済ませた後、俺は三叉路の北側にある、冒険者ギルドに向かった。もちろん、仕事の一環で。

 今の時点では、とりあえずの業務に必要な薬草なら、一通り数量が揃っている。だが、商品が捌けるにつれて、だんだんと不足していくだろう。で、そうなるとどこから仕入れるか、という話になる。

 コラプトに連絡を取れば、格安の薬草が手に入るかもしれないが、それだと本当にグルービー商会の支店になってしまう。彼は最初に一定額の資本を投入したが、その先については、どんと腰を据えて結果を待てばいいのだ。

 というわけで、俺は地元の冒険者に、薬草の採取を任せようと思っている。どうせ、材料によっては、採取から日付が経つと、どうしても品質が損なわれるものもあるし、こうせざるを得ないのだ。

 目的地に着いた。石造りの、無骨で厳しい外装。俺は木の扉を押して、中に立ち入った。


「おはようございます。エンバイオ薬品店のものですが」


 たまたま目の合った受付のお姉さんにそう話しかけながら、中へと立ち入る。

 分厚い石造りの壁と床。余計な装飾は一切ない。中にはいくつもの丸テーブルと、壁沿いには掲示板が立ち並んでいた。朝早いせいか、あまり人気はない。テーブルに肘をついて立ったまま、依頼書に目を通す三人組がいるだけで、あとは職員だけだ。

 出入り口の向かい側に、焦げ茶色の分厚い木材が置かれたカウンターがある。そこに二人ほど、受付担当の女性が座っていた。


「おはようございます」


 ショートヘアのお姉さんが、子供相手にもかかわらず、頭を下げつつ、丁寧な言葉遣いを返してくる。


「以前、お手紙にてご連絡させていただいたのですが、本日、依頼書の件についてご相談させていただくことになっておりまして」

「少々お待ちください」


 彼女は席を外し、階段を登っていく。

 俺は向かいの椅子に座ったまま、ただ待つ。

 もう一人の受付嬢が、俺のほうに、驚きの視線を向けてきている。まあ、子供の話し方ではないからな。


「お待たせしました」


 戻ってきたのは、受付の女性だけだった。


「こちら、二階の応接室でお話しさせていただければということで」

「はい、わかりました」

「ご案内は」

「あ、大丈夫ですよ、この前のお部屋でしょうか」

「はい、手前のお部屋となります」

「ありがとうございます」


 俺が階段に足をかけると、後ろからヒソヒソ声が聞こえてくる。最初の受付さんは、どうも俺のことを知っていたらしい。最近話題の子供店長なんだとか。

 噂になるのは、多分、いいことだ。俺がしくじりさえしなければ、知名度は店の利益に繋がる。

 目的の扉の前で、俺はノックした。


「どうぞ」


 中から聞こえてきたのは、老人の声だった。


「失礼します」


 扉を開け、一礼する。あ、この人、えらい人だ。


 真っ白になった髪の毛。それが肩に届くくらいに伸びている。鼻の下の髭はフサフサで、左右に垂れ下がっている。顎鬚も長い。だが、顔にはたくさんの皺が刻まれていて、日焼けしている。

 そんな彼が身につけているのは、ピュリスでも珍しい、ハンファン風の衣服だ。これまた真っ白な長衣に、動きやすそうなズボン。わかりやすく表現するなら、前世で言うところのカンフー衣装っぽい。

 彼はソファにゆったりと身を預けて、俺を待っていた。


「どうぞ、お入りなさい」


 丁寧な言葉遣いだが、自分を卑下する要素のない言い回しだ。

 ハンファン人は、世界で一番プライドが高い人種と言われている。面子にこだわるがゆえに、彼らは一歩も引かない。そして、年長者であればあるほど、それに相応しい威厳ある態度を保とうとする。

 今だって、彼は「お入りなさい」と言った。「お入りください」ではない。ここでは彼が主人だ。だから、命令することはあっても、自ら腰を折ってまで、客を招いたりはしないのだ。

 だからといって、人をぞんざいに扱うというわけでもない。現に、子供相手だというのに、わざわざ支部長自ら相手をしてくれるのだから。もっともそれには、俺の背後にいる人達の権威というのも、関係しているに違いない。まあ、たまたま暇だっただけかもしれないが。


「失礼させていただきます」


 座る時に一声かける。


「うん」


 彼の顔に、笑みが浮かぶ。

 長幼の序を重んじる彼らは、とかく礼儀にうるさい。だから、親しくなるまでは態度に気をつけたほうがいい……これは、ウィーの忠告だった。


「本日は、ギルド側の査定結果をお知らせいただくのと、依頼書の掲載方法についてのご確認をさせていただきたく、お邪魔させていただきました」

「朝早くから、お疲れ様ですな……さて……」


 年老いてはいても、彼の言葉は明瞭で、声もしっかりしている。その眼光は鋭い。

 ギルドに採取依頼を出す場合、依頼主の信頼性が問われる。ちゃんと代金を支払えるのか、採取した品物を悪用したりはしないか、といった常識的な部分だ。まあ、この部分については、バックに子爵とグルービーがいる時点で、まず問題はない。一応、手続きだから、承認されるのを待っていただけだ。

 それから、ギルドの品物を購入したり、依頼書を掲載する際にも、一定のルールがある。どちらかというと、こちらを詳しく教えてもらうのが目的だ。


「……そういうわけじゃから、この通り、査定結果には問題ない。続いて、依頼書の書き方じゃな」

「はい」


 今でこそ、こんな事務方にまわっているが、彼も以前は高名な冒険者だったらしい。各地を流浪した末に、この地に居を定めた。

 実は彼は、東方大陸の出身ではない。あまり広く知られてはいないが、シュライ人の住む南方大陸の北東部には、ハンファン人の入植地が存在する。移住が始まった時期はかなり古く、早い集団では、二千年も前のことだったりする。だが、そんなに歴史があるのに、現地人との混血は、さほど進んでいない。本土とは微妙に違いはあるのだが、今でも彼らは、ハンファン風の文化を保っている。

 そして……俺は思わず彼を凝視してしまう。


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 マオ・フー (66)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、66歳)

・マテリアル 神通力・鋭敏感覚

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・超柔軟

 (ランク3)

・マテリアル 神通力・壁歩き

 (ランク2)

・マテリアル 神通力・縄抜け

 (ランク2)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク2)

・マテリアル 神通力・識別眼

 (ランク1)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル シュライ語  5レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル ハンファン語 5レベル

・スキル ワノノマ語  3レベル

・スキル 薬調合    4レベル

・スキル 医術     4レベル

・スキル 料理     2レベル

・スキル 裁縫     1レベル

・スキル 棒術     6レベル

・スキル 拳闘術    6レベル

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 軽業     5レベル

・スキル 水泳     3レベル


 空き(46)

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 ランクが低めとはいえ、なんて恵まれた人だろう。神通力を六つも身に備えている。しかも、やたらと多芸だ。本当にすごいのは拳闘術と棒術、それに軽業、隠密くらいだが。これ、もしかするとイフロースよりも強いんじゃないか? ただ、さすがに年をとりすぎているか。


 ちゃんと調査されたわけではないのだが、南方大陸出身の人間には、神通力を得た人が多いという。他、東方大陸の中央部の山岳地帯にも、一部、そういう人達の集団があるとか。実際にこうして能力者を目にするのは、これが初めてだ。

 神通力は魔法と違って、あまり練習の余地がない。才能に目覚めなければ一切使うことはできず、目覚めが訪れるのも突然という。たいていの場合、最初から行使できる力の総量には変化がなく、強い人は初めから強いのだとか。そして普通は、生涯、その超能力が失われることはない。ただ、そうはいっても、神通力に振り回される場合もあるので、やはり多少は慣れておかねばならないらしい。


 さて、今のところ、俺は彼に義理も何もないので、ここで神通力をいただいてしまっても、あまり心は痛まない。だが、スキル枠が足りない。それに何より、彼の保有能力のランクが、あまり高くない。今のところは、見逃してもいいのかもしれない。


「……以上が、基本的な注意じゃな。何か質問はあるかな?」

「いいえ、ありません」

「いいじゃろう」


 鷹揚に頷きながら、彼は言った。


「ならば、気をつけて帰るとよい。次は依頼書を持ってくるんじゃな」

「はい……あ」


 思い出した。


「どうした?」

「いえ、済みません。今の件とは関係ないのですが。こちらの支部では、タンドラの花粉や、ムーアスパイダーの体液は扱っていますか?」


 材料の名前を聞いて、彼は記憶を搾り出す。顎に手を置き、中空を見つめること数秒。やがて向き直る。


「いや、知らぬな。タンドラの花粉など、聞いたことがない。ムーアスパイダーは、セリパシアの西部にある、あのムーアンの素材かな?」

「はい。タンドラの花は、かなり北のほうにあるらしいのですが……材料が流れてきてるってことは」

「ないな。まったく記憶にない。この辺ではまず見かけない素材じゃが。何に使われるのかな?」

「あ、いえ。ちょっと薬学の勉強に、手に入ればと思いまして……それだけです」


 軽く冷や汗をかきながら、そうお茶を濁しておいた。

 俺の首にかかっている身体強化薬。ジュサ相手に試したのと、手紙を届けたのと、お嬢様を奪還したのと。もう三つも使ってしまった。可能なら、補充したいのだが、やはり難しいか。


「まあ、そんなに必要であれば、それも買取依頼を出すのじゃな」

「そうします」


 けど、今、訊かなくてもよかったな。しまった。この爺さん、薬学の知識もあって、識別眼とかいう物騒な神通力も持ってるじゃないか。そういえば、タンドラの花粉は猛毒だってイリクが言ってた。変な誤解を招いたら、いろいろ面倒だ。彼の個人情報を覗き見するのに夢中で、ちょっと注意が足りなかった。


「それでは、今日はこの辺で失礼させていただきます」


 そう言いながら席を立つ。彼も同じく立ち上がった。


「そうかね」


 彼は先に立って、扉を開けた。


「いつでもまた来なさい」

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