お引越しの日の朝

 雲ひとつない、すがすがしい空。秋晴れだ。

 黄玉の月。秋本番だ。南国のピュリスも、そろそろ暑さが落ち着いて、涼しい風が吹き込むようになってきた。今が一番、過ごしやすい時期かもしれない。

 そんな爽やかな日の朝、俺は荷物を背負って、東門に向けて歩き続けていた。


「おはよう」


 不意に横から、少女の声が聞こえた。

 ちっ。こいつ、どれだけ俺を嫌ってるんだ。


「おはようございます」

「気持ちのいい朝ね」

「そうですね」


 ナギアは喜色満面、俺が屋敷を出て行くのが、嬉しくてならないらしい。


「どう、気分は?」

「ええ、とっても爽やかです」

「そうじゃなくて、ついにお屋敷から叩き出されるのは、どんな気分、って訊いてるのよ」

「ですから、とっても爽やかです」


 俺も、あえて顔色一つ変えずに答えてやる。


「私、生まれてからずっとこのお屋敷にいるんだけど、ここに来て、半年しかもたなかった人なんて、初めて見るわ」


 あ、ちょっと傷ついた。

 だって、確かに俺、カーンから「屋敷内の秩序を乱す」って言われちゃってるしなぁ。


「新しいお仕事を任されただけですよ」

「ぷっ! 新しい仕事? 下請けの商人の、そのまた下働きにまわされただけじゃない!」


 まぁ、周囲の認識はそうなのか。まさか、俺が本当に店長で、アイビィが助手だなんて、誰も思わないだろうし。なにしろグルービー商会には、薬剤の製造や販売について、多くの実績がある。その点では、子爵家よりずっと勝っている。まだ六歳の俺が、実際に商品を製造したり、販売計画をたてたりするなんて、常識的には、冗談にしかなり得ない。

 でも、ムカついた。いつもいつも、こうやって絡んでくる。いい加減、黙らせてやりたい。


「……本当にそう思います?」

「な、なによ」

「なら、そう思っていればいいですよ」


 そう言いながら、俺は懐から金貨を三枚くらい取り出す。


「そうだ、これ」


 何のことかわからず、目を丸くする彼女に、無理やり握らせた。


「この前、あなたのお父様にはよくしていただきましたからね。年末までには一度お帰りの予定でしょう? 贈り物でも買って差し上げてください」

「なっ、こんなお金、どこからっ」

「それでは、人を待たせていますので、これで」


 この生意気なメスガキめ。覚えておけよ?

 こいつはムカつくけど、その親父さんはいい人だったからな。でも、これで貸し借りなしだ。

 あと十年後くらいに、不老不死の件が片付いたら、きっと戻ってきて、きっちり仕返ししてやるからな?

 我ながらガキ相手に心が狭いが、こんなもの、広くしたってしょうがない。


 やっと門前に辿り着いた。出入り口に面する道路に沿って、馬車が止められている。その脇には、背筋を伸ばして立つアイビィの姿があった。

 ここしばらく、ずっと俺は準備が整うのを待たされていた。やっと開店準備が終わったので、こうして彼女が迎えに来たのだ。

 今回の馬車は、前回と違って、四頭立てだ。その分、後ろの車の部分も、大きく作られており、荷物をたっぷり載せられるようになっている。


「おはようございます、フェイ様」

「おはようございます」


 俺の返事を耳にして、彼女は小首を傾げた。


「おはようございます、フェイ様」

「おはようござ」


 そこで息を飲み込む。


「……おはよう」


 この。あくまで俺に、尊大な態度を取らせようとする。敬語は勿論、丁寧語もダメ。

 それの何が問題かって? 言葉というのは、習慣だ。いつもいつも、ずーっとへりくだった態度で接してくる相手……それを当たり前と感じた時、俺は隙だらけになる。

 でも、だからって、ここで変に突っ張って土下座されたら、たまらない。


「お荷物は、それだけですか?」

「はい」


 一瞬、じっと見られる。「うん」と言わせたいのだろうが、まさかこれくらいで目くじら立てたりはしないよな?


「じゃ、行きましょうか」


 俺の荷物なんて、背負い袋一つ分だ。積み込みにかかる時間なんて、たったの二秒。あとは乗り込んで、そのまま出発。

 カポカポと、轡の音が鳴り響いた。


「早速だけど」


 俺とアイビィは、馬車の荷台の前方に座って、目の前に広がる緩やかな下り坂を見下ろす。左右には白いブロックのような家々が立ち並んでいる。


「準備のほうは」

「はい、滞りなく済ませておきましたよ」


 一応、俺も店を任される以上、どんな方針でいくか、ちゃんと考えたのだ。で、そのために必要な物品の購入その他を、アイビィに任せておいた。というか、開店資金が全部グルービーから出る以上、彼女がやるしかないのだ。

 ついでに、新居の家具なども一式、揃えてもらった。ただ、俺はこれについては、自宅についてから判断するつもりだ。あんまり上等なモノで固めていたら、全部返品させようと覚悟を決めている。


「でも、本当に、あんな方針でやるつもりなんですか?」


 そう尋ねてくるアイビィの声色には、本気で不安げだ。それはそうだろうとも。


「僕は、あれで利益をあげていくつもりですよ。効率的に、安定して、ね」


 彼女を含め、この世界の人々の常識としてあるのは、とにかく医者は高給取り、薬は高価、というものだ。ゆえに貧乏人は病院にはいかない。もし病気になったら、気合で治す。それができなければ死ぬだけだ。

 その前提となるのが「薬というのは、病気になってから服用するものだ」という考え方だ。例外もあるが、症状が悪化して、他に手のうちようがなくなったら薬を飲む。薬は切り札なのだから、高価なのが当たり前。

 だから薬品商は、ただでさえ高価なものに、更にプレミアム感を上乗せして売れる。買うか買わないかは、あなたの自由ですよ、と。その分、儲かるわけだ。


 だが、前世の先進国出身の俺は、それこそが病気の蔓延を招く発想だと理解している。

 文明水準の低い世界では、病気といえばまず感染症だ。そして、こういった病気は、患者の身分や財産など、頓着しない。召使はかかっても主人は無事、なんてことはないのだ。

 そうなると、病気になってから薬を服用しても、焼け石に水となる。飲んでも飲んでも、また隣から感染する。で、最終的に死んでしまえば、その人が生み出す富はゼロだ。要するに、重病患者の窮状につけこむ、というビジネスモデルは、短期的には金になっても、長期的には、社会全体を貧しくし、従って薬品商にとっても不利益になる。

 まあ、何事にも例外はある。例えば、前世でも、あえて完治させないことで富を生み出す病気ならあった。エイズのような慢性疾患は、患者が死亡するまで十年とか、非常に長い時間を要するので、根治薬を開発するより、延命薬を売るほうが儲かったりする。また、そのほうが技術的にも簡単だった。ただ、それと同じことをここでやると、きっと人がバタバタ死ぬし、歴史書などを読む限りでは、どうも実際にそうなっているっぽい。


 だから俺は、予防中心の医療で金を稼ぐ。

 コーナの実みたいな消毒薬。ああいう安価な薬をもっと普及させる。手洗い、うがいを奨励する。生活指導をして、ずっと健康な状態を維持させる。そのお手伝いで金をもらう。

 実はその方が、収入も安定はするのではないかと踏んでいる。だって、病気になってから薬を買うのでは、まずその人が患者になるまでこちらの利益はゼロだし、そうなってからも、こちらから薬を買ってくれなければ、やっぱり稼ぎにならない。それに比べて、病気の予防であれば、僅かずつながらも、お金が少しずつ、定期的に入ってくる。


「値下げ競争にならないか、心配ですが」

「大丈夫。狙いが違うから」


 まあ、そんな方針で商売をしよう、と考えたのには、根拠が二つある。


 一つは、所詮は俺が雇われ店長に過ぎないからだ。利益が出ようが出まいが、そんなのはさしたる問題ではない。損をするのはグルービーだ。そして、大きな利益を出しても、儲かるのは子爵。

 結果を出せば奴隷から解放? もう、あまり期待していない。自由になりたければ、それこそ子爵の肉体でも乗っ取って、俺を解放すれば済むし。子爵家の書庫? どうせ入れてもらえないなら、自分への給料を使って、少しずつでも欲しい本を買い求めればいい。極論だが、そういうことだ。

 要するに、俺には、絶対に成功しなければいけない、というほどのプレッシャーはかかっていない。夏にコラプトまで遠征した際にはまだ、どうにか結果を出してやろうと踏ん張っていたが、今はもう、そこまでの気力がない。

 ならばさっさと子爵を殺して出て行けばいいのだが、なるほど、子爵家は窮屈で、恩義などまったく感じていないのだが、だからといって、彼を殺害しなければいけないほどの恨みも、またない。そういうわけで、殺人と、サービス残業のどっちを選ぶか考えて、やむなく後者を取った次第だ。


 もう一つは、矛盾するようだが、ここが子爵家の、現総督の息のかかった店、という点による。

 果たして、この地の統治者が、自分の利益を最優先して、人の生き死にを盾に取り、がめつく金を稼ぐというのは、いかがなものだろうか。それが普通の薬屋のやり方だといえば、それまでなのだが。

 店の看板には、エンバイオ薬品店と書かれる。その店が、世間のために役立つことをする。これまた、長期的には、実は子爵家の利益になる。あのお坊ちゃんには理解できなくても、イフロースならば、そのうち意味を悟るだろう。

 ……まぁ、本当は、子爵家の名声より、俺の信用を高めたいだけなのだが。


「でも、安い薬ばかりで、しかも勤務時間も……」

「売れるか売れないかわからない薬を並べて、ずーっと座ってるだけ、それも時間の無駄だと思うからね」


 俺の店は、実は勤務時間が極端に短い。朝十時から十二時までと、十四時から十六時まで。開店するのは、たった四時間だ。

 この世界、労働時間は前世より短いのが普通だ。日照時間にあわせて夏は長い時間、冬は短い時間になる。それでも、だいたい一日六時間以上は、店を開けておくのが普通なのだ。


 じゃあ、時間を余らせて何をするのか?

 まず、薬の調合だ。商品は仕入れるだけじゃない。素材を買ってきて、俺が実際に薬品に作り変えなければいけない。その時間もコミだ。

 それから、俺自身の勉強時間、休憩時間も確保する。俺の想定では、勤務時間中は、きっと忙しくなるからだ。


「最初は、あえて利益は出さないよ」

「いいんですか?」

「それどころか、赤字でもいいかも。なるべく頻繁に、近所の主婦向けに特売やるから」


 俺の狙いは、行列を作るところにある。安価な香水を、消毒薬とセットで、激安で売ると告知。それならと主婦が列をなせば、思惑通りだ。こういうイベントを、最低でも毎週繰り返す。何か買うなら、あそこに行こうという習慣を作ってしまうのだ。

 人が集まるようになったら、どこか広い場所でも借りて、手洗いなどのトレーニングとか、それに使う洗剤の紹介でもしようと思う。


 じゃあ、利益はどこで出す?

 もちろん、作戦は練ってある。


「それより、例のお客様との会合はいつに」

「早速一件、今日のお昼に、お話できるよう、渡りをつけておきましたが」


 ……金は、あるところから引っ張るのがいい。

 個人が出せる金など、たかが知れている。となれば、大金が動くのは、まず公的な仕事。次が事業だ。

 飲食店、宿屋、他にもいろいろ。そういう場所に話を持ちかけて、清潔感を売りにできますよと説得する。宿泊客なんか、一回泊まったら二度と来ないんだからいいよ、という店は、おいていけばいい。常連客を相手に、自分も客も幸せになろうと考える店を仲間に引き込む。そのうち、ピュリスの飲食店や宿屋が、みんな清潔になる。それをしない店は、落ちぶれていく。

 そうなった時、第一人者は、この俺だ。しかも、他人のふんどしでチャレンジできる。


 それで頑張って、何かいいことあるのか?

 ある。

 なぜならここは、多くの商人や船乗りの集まる、港湾都市だからだ。


 重要なのは、俺の最終目標だ。

 そのうち俺は、ピュリスを出て行く。子爵家とはどんな関係になるかわからないが、とにかく自由に旅をする。不老不死を得るためだ。

 しかし、問題はその目的地だ。今のところ、二箇所にあたりをつけてある。ただ、そのうちの一方は、狙い通りにいっても「寿命で死ななくなる」というだけで、結果は実質自殺と変わらない。そもそもサハリア中央部の『人形の迷宮』は、世界でも最も危険な場所のひとつだ。できれば、ここで不死を目指すのは避けたい。


 となると、必然、もう一方の目的地を目指すしかなくなる。南方大陸の奥地、探し求めるは、その大森林の奥にあるという不老の果実。だが、そこもかなりの危険地帯だ。過酷なジャングル、急峻な地形、それに何より、世界最大級の魔物である緑竜が徘徊する。

 はっきりいって、半端な能力しか持たない状態で行っても、犬死するだけだ。いや、たとえアネロス・ククバン並みの戦闘力があっても、一人では厳しい。緑竜にしたって、普通は何十人という腕利きの戦士が集まって狩るようなものなのだ。


 つまりはそういうことだ。

 俺がセーン料理長の紹介したバイト先をあえて拒否しないのも、自分の稼ぎになるわけでもない薬品店を有名にしようとするのも。

 どうせ今は、能力を付け足す余地がない。それならば、少しでも信用を得て、情報を集め、仲間を増やす。グルービーは信用できないが、もしかしたら、もっとマシな奴が、俺を見込んで拾ってくれるかもしれないし。

 屋敷の中ではそれができなかったが、こうして市井に出て働けるなら、そのチャンスも出てくるかもしれない。


 自分がどれだけやれるか。どうせあとしばらく、能力の枠が増えるまでは、できることなどあまりないのだ。それなら、目先の仕事に挑んでみるのも、そう悪くはない。

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