男装の美少女

 重厚な木の扉を押して現れたのは、小柄な美少年だった。屋外で活動している割には、顔が日焼けしていない。年齢は、せいぜい十五歳くらいか? だが、その服装から判断すると、もう少し年上かもしれない。

 なぜなら、彼は矢筒を担いでいたからだ。それに小さめの革のバックパック。腰のベルトにはナイフ。服は緑色を基調としたチュニックにズボン。履き古された革のブーツ。ざっと見て、全身フォレス風の、いかにも動きやすそうな格好だ。そして、胸元を革の鎧が覆っている。更にその上から、これまた緑色のマントが身を包んでいた。

 見たところ、かなり若いが、きっと冒険者に違いない。となると、まだ初心者なのだろうか。俺はそっと、ピアシング・ハンドで能力を確認した。


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 ウィー・エナ・ワーラ (14)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、女性、14歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 弓術     6レベル

・スキル 格闘術    3レベル

・スキル 隠密     4レベル

・スキル 軽業     1レベル

・スキル 水泳     1レベル

・スキル 騎乗     1レベル

・スキル 医術     1レベル

・スキル 薬調合    1レベル


 空き(5)

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 これは……

 どう見ても、ワケありの人物だろう。


 まず、名前だ。

 この世界の名前は、名と姓でワンセット。ただ、奴隷には姓がない。逆に貴族には、姓の後に、封じられた土地に因んだ称号がつく。称号があるということは、この人物は貴族だ。もしくは、貴族出身だ。それがなぜか冒険者になり、こんな平民向けの宿をとっている。

 それと性別。髪の毛も女性としては短めに切ってあり、服装も男性のものだから、確かに少年に見える。だが、ピアシング・ハンドは、この人物を女性と判定した。正確には、その肉体をだが。

 余談ながら、彼女の肉体のランクは7もある。最近、トゥダとかキースとかお嬢様みたいに、肉体のランクが高いのばかり見ているから、あまり珍しく感じなくなっているが、実はこれ、かなりすごいことだ。わかりやすくいうと、このランクの数字は、偏差値のようなもののようで、4から6までは割と見つかるのだが、7以上となると、かなり珍しい。

 肉体のランクは、必ずしも外見の美しさだけを指すわけではない。鍛えたりして機能が高まれば、ランクアップも起こり得る。現に俺も、栄養失調だった頃は、ランク6だった。ランクの上では、それでも充分、丈夫で美しい体だったといえる。実際、ランク6のアイビィだって、世間の基準からすれば、立派に美人の範疇に入るのだ。

 要するに、このウィーという少女は、その身分と美貌だけで、充分幸せに生きていけそうに思われる。ところが、そのスキルが尋常ではない。

 なんといっても、弓術が6レベルに達している。これまた、今まで見てきた化け物のせいで、あまりインパクトがないのだが、よくよく考えると、異常だ。

 レベル1になるのに一年、そこからもう一段階、レベル2にするには、更に二年かかるのが目安だ。彼女は今、レベル6だから、単純計算で二十一年分以上の経験を積み重ねてきたことになる。実年齢が十四年しかないのに、だ。

 それで俺は、彼女の手に視線を向けた。


 薄暗いせいでよく見えないが、革の手袋をつけている。だが、指先は出ているタイプだ。その指。ぱっと見ただけでもわかる。皮膚が薄汚れた色に染まって、ゴワゴワに固くなっている。弓弦を引き絞り続けた結果に違いない。いったい、どれだけの猛練習を重ねれば、ああなるのだろうか。

 実はフォレスティアの国技は、弓だ。特に、南部地方を征服する前のフォレスティア人には質実剛健の気風があり、誰もが弓を扱えるのが当たり前でもあった。だから、古風な貴族の家に生まれたなら、弓術を仕込まれて育つ、なんてこともあり得るのだが……これは、そんな水準を遥かに超えている。

 とにかく、只者ではないのは、間違いない。


「……席、空いてる?」


 ウィーは、周囲を見回しながら言った。


「あいにく、相席になっちまうなぁ」


 店長が答える。途端に彼女は眉を寄せる。


「わかった。じゃあ、いったん部屋に戻るよ」

「あー、待て待て!」


 ちょうどそのタイミングで、窓際に座っていた客の集団が、ひらひらと手を振る。


「俺達、ちょうど食い終わって戻るところだからよ」


 そう言いながら、彼らは慌しく立ち上がり、小銭をカウンターに置いて、階段を登っていった。俺は、店長が金の回収を済ませるのを待って、後片付けを始める。その様子を、ウィーはずっと、入り口付近に立ったまま、見つめていた。


「片付けが済みました」

「悪いね」


 そう言うと、やっと彼女は歩き出し、席に腰掛けた。詰めれば四人座れるところだが、一人で悠々と陣取っている。


「ボヤボヤするな。さっさと持っていけ」


 店長に言われて、俺は自前の小皿料理と水を運んでいった。


「……これは?」


 ウィーは、料理を見て、すぐさま違和感を覚えたようだ。


「こちらはサービスとさせていただいております」


 けれども、怪訝そうな表情に変化はない。後ろから店長の声が飛んでくる。


「ウィム! そいつは俺が作ったんじゃない! そこのガキのもんだ!」


 ウィム? 名前が違う。ってことはやっぱり、この少女は、男のふりをしているのだ。となると、ついでに年齢もごまかしているに違いない。あまりに幼い子供は、確か冒険者ギルドが受け入れなかったはずだ。


「君が? これを?」

「あっ、はい。お口に合えば幸いです」


 添えられた小さなフォークで一口。一瞬、表情がほころぶ。


「……おいしい」

「ありがとうございます」


 評価してもらえるのは、純粋に嬉しい。俺は腰を折った。


「えっと、ご注文は」

「ボクはお酒は飲まないからね。マスターが知ってるよ。それと今日のディナーで」


 男のふりをしていても、声はかわいらしい。まだ少年で通るからいいが、そのうちごまかしきれなくなるんじゃないか。

 カウンターに戻って、そのまま伝えると、店長は頭を帽子越しにかきむしった。


「そいつぁ、困ったな。ちょうど今、牛乳を切らしちまった」


 なんでも彼女は、いつも酒を飲まず、ホットミルクを注文するそうだ。

 なるほど、理にかなっている。ここにいる連中は、好き勝手に酒をかっくらって、酔いに任せて眠るのだろう。だが、それでは安眠はできない。寝た気になっていても、疲労感は抜けないのだ。その点、ミルクは神経を落ち着かせ、休息の質を高めてくれる。

 だが、それがないとなると……


「困ったね。いつも寝る前には飲むようにしているんだけどな。代わりに何か、いいものはないかな?」


 俺も困った。そんなの、急に言われても。

 隣の席から、粗野な声が飛ぶ。


「酒でいいじゃねぇか」

「ボクはお酒は飲まない」

「なんでだよ、眠れるぜ」

「とにかく、飲まない」

「けっ」

「え、えっと」


 なんか軽く険悪な感じになっている。このウィーという少女、本気で酒が嫌いらしい。まあ、わからないでもない。この酒臭い空間自体、煩わしく感じているのだろう。それをあえて、我慢して座っているのだ。一方、酒でいいじゃないかと言ったほうも、ウィーの態度に多少、思うところがあるのだろう。相席は嫌がるし、酒も拒否する。空気に馴染まない奴だと、軽い不快感を覚えている。


「よく眠れるお茶なら、用意できるかもしれません、よ?」


 割って入ってしまった。ほうっておけばいいのに。


「そう?」


 ウィーは、ぱあっと顔を明るくする。


「じゃあ、食べながら待ってるよ。どうにも最近、よく眠れなくてね。多少、時間がかかってもいいからさ」


 それで、俺はカウンターに舞い戻る。


「どうすんだ、おめぇ、んなこと言っちまいやがって」

「どうしましょうね」

「うちぁ、酒場だ。茶ぁなんか、置いてねぇぞ」


 そうだろう。だが、それならそれで、俺には対策がある。


「店長、五分だけ抜けてもいいですか?」

「ああ? ……ああ、わかった。好きにしろ」


 了解をとって、俺は通りに飛び出す。そろそろ、市街地の店も閉じる頃だ。急がなければ。

 すぐ近所に小さな薬草屋があった。閉店直前のところに飛び込んで、俺はラベンダーに相当する薬草を購入する。にしても、なんでこんなに前世とそっくりな植物とか、存在しているんだろうか。一方で、モンスターのような、実在しないものまで見つかるのも不思議なのだが。

 しかし、似ているのは見た目だけ、なんてことはないだろうか。大丈夫かな……とは思うが、これについてはきっと大丈夫だ。一応、薬調合の知識とスキルからすると、この世界でも、ラベンダーには若干の薬効があるとされている。

 店にとって返す。花や茎などに湯を注ぎ、あまり濃くならないうちに取り出す。そこにハチミツを少しだけ加えた。


「お待たせしました」

「おかえり。早かったね……と、いい香りだ」


 ラベンダーの香りは、好みが分かれる。彼女には好ましく感じられたのだろう。


「なるほどね、ハーブティーか。おいしそうだね」

「いえ、それが。意外と苦味が強いので、ハチミツを少しだけ加えました」

「そうなんだ。へぇ、どれどれ」


 やはり貴族なのだろう。カップを手に取る仕草ひとつとっても、やたらと品がある。そっと一口だけ味わって、カップを置いた。


「うん、悪くない。ボクにはちょうどいいくらいだよ。また飲みたいね」

「それはよかったです。ただ……」

「ただ?」


 彼女の前髪が揺れる。自分であんまり気付いていないのだろう。少し注意を怠ると、微妙に女の子らしさが仕草に滲む。


「飲みすぎはよくありません。それと、妊娠中には控えてください」

「え、えっ!? に、妊娠って、ボ、ボクは!」


 おっと。うっかりしていた。


「ああ、ええ、男性には関係ないですよね、はい」


 やっぱり、女性であることは秘密なんだろう。

 と、そこへ後ろから声が飛んできた。店長だ。


「そいつぁ、子爵様のとこの召使だからよ、そういうのが得意なんだ」


 そう言われて、ふっと彼女は真顔になる。


「そうなんだ」


 声のトーンが一段低くなる。なんだ?


「なるほどね、納得だよ」


 気のせいか。彼女の表情は、元通りになっている。


「今日は二度もおいしいものをありがとう。君、名前は?」

「フェイ、と申します」

「フェイ? 家名は?」

「ございません」


 奴隷だ、と宣言したに等しい。

 その俺を、彼女はしばらく無言でじっと見つめる。


「そうか。君もいろいろ苦労してるんだね」


 その視線に、身分意識というか、差別的なものは、何もなかった。

 ただ、それにしても、俺は彼女の関心を引いたらしい。


「ボクはウィム。ウィム・エナだ。よろしく」

「今後ともご贔屓に願います」


 ややこしいな、子爵の長男と同じ名前を名乗ってるのか。

 それにしても、貴族の称号を名乗らなかった。

 本当にワケありらしい。最初、家出少女くらいに思っていたんだけど、姓は名乗ってるし、名のほうもひねりがないし。どういう背景なんだろう?


「それと、これ」


 彼女は、懐から銀貨を三枚ほど、取り出した。


「受け取っておいてよ。こんなもので申し訳ないけど、ボクの気持ちだ」

「えっ? そんな」


 ほとんど反射的に遠慮してしまう。チップという制度のない日本出身だからか。

 いや、でも、これは受け取らないほうがいいんじゃないか? ちょっと小皿作って、ちょっとハーブティー作っただけで、銀貨三枚? 多すぎないか?


「もらっておけ」


 後ろから店長の声。どうしよう。


「頼むよ。これからもいろいろ、世話になりそうだし、さ」


 うーん、と迷ったが、あくまで固辞するのも、角が立つし、不自然か。

 普通、こういうところで働かせてもらう少年奴隷は、これを買戻しの資金にするんだから、遠慮するほうがおかしい。


「では、今回はありがたくいただきます」

「うん、遠慮はしないでいいんだ」


 でも、ちょっと警戒しておいた方がいい。

 それこそ、この前のお嬢様付きの侍女達じゃないけれども。トヴィーティ子爵家は、身分もそこそこだし、広い領地もないけど、ピュリスの総督という顕職を抑えている。敵も少なくないし、利権に群がる連中も同じくらいいる。

 それも普通の人が、子爵家の召使と仲良くしておいて、先々何か見返りを期待するというのならわかるが、彼女は貴族で、冒険者だ。俺と付き合うメリットが見当たらない。何か裏があったら、あとで苦労することになる。


 カウンターに引き下がって、俺はそっと店長に尋ねた。


「あの、ウィムさんって、どういう方ですか?」

「ああ、あいつか」


 今、ここで食事中の客の情報だ。さすがに店長も声を潜める。


「わけぇのに、変わった奴だぜ。冒険者になって、たった一年で、もうアクアマリンだ。まだ十六歳だってのにな」

「そうなんですか」

「その代わり、気難しくってなぁ。相席もダメ、酒もダメ、相部屋も我慢ならんという奴だ。ま、お得意様だから、別にどうでもいいけどな、そんなのは」


 なるほど。わかった。

 店長は、彼女について、ほとんど何も知らないか、俺に伝える気がない。

 なら、俺も知らない顔をしていればいいだろう。


「よーし、そろそろ客も一段落だろ。フェイ、じゃあお前はこれから、洗い物を手伝え」

「はい」


 新たにテーブルに着く客は、そろそろ途切れる頃らしい。ここから先は、夜遅くまで酒を飲む連中が残る。さすがにそんな時間まで、ここで働くわけにはいかないので、適当なところで帰宅することになるだろう。

 俺は厨房に入って、今夜の後始末に手をつけた。

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