居酒屋でバイト

「お前さんがそうか」


 夕暮れ時の酒場。焦げ茶色の木材で飾られた店内。質朴という言葉が似合う、男性的な雰囲気の店。もうすぐ客がどっとやってくる。それに備えて、今、厨房は大忙しだ。そんな中、そこの店長が、わざわざ俺と話す時間をとっている。


「問題ないから、いきなり客に出せるものを作らせろ、とか手紙に書いてあったがな」


 男は、ふん、と鼻を鳴らす。頬骨の張った、目の細い、いかにも気難しそうな感じの顔つきだ。頭には、白くなりかかった髪の毛を覆うべく、真っ白な帽子をかぶっている。上着とズボンは、すすけた灰色。それに薄汚れた前掛けだ。


「今はクソ忙しいんだ。今から三十分やる。客に出す小皿料理を四十皿以上作れ。材料は好きなものを使っていい。おら、急げ!」


 怒鳴られて、俺は弾かれたように飛び上がる。

 この感覚、久しぶりだ。


 料理人というのは、ある意味、理不尽だらけの職業だ。クリスマスも正月も、夏休みなどのレジャーシーズンも。それから昼休みに夕食の時間。とにかく、みんなが休んでいる瞬間こそが稼ぎ時。だから、人並みの人生を送りたいなら、料理人なんかになるべきじゃない。

 子供時代からこの仕事を手伝わされ、学生時代には外の店を渡り歩き、ブラック企業のプログラマーになるまで……俺はずっとこの業界にいた。人様の健康と安全に関わる仕事だから気を抜けないし、それでいてサービス業だから気遣いも忘れてはいけない。職人の技は見て覚えるのが当たり前で、いちいち言葉で指示なんかもらえないのが普通。だから、口が開けば必ず怒声。なにもみんなが楽しそうにしている中、わざわざ自分ばかりつらい場所で仕事をしなくても、と子供ながらに思ったものだ。

 だから、大人になってからも、いまいちこの仕事が好きになれなかった。それで一度、人並みの人生を体験してみたくて、会社員になってみた。結論だけいうと、どっちにせよ、あんまり楽しめなかった。


 だが、今、こうして体を動かしてみると、また違った感触がある。

 世界は違えど、勝手知ったる厨房。居並ぶ食材。それを見分けて、お客様にどんな味を楽しんでもらおうかと目論む。裁量を与えられたのは、幸運だ。普通は、初めての現場でこんな自由なんてありはしない。無論、試験としての意味合いもあるのだろうが、なんといっても、これはお客様に出すものなのだ。何より料理長への信頼が響いているのだろう。


 さて、今は紫水晶の月。夏の終わり、そして秋の始まり。ならば、季節の野菜は……

 俺は、カボチャとニンニクを選び出した。それに、青唐辛子も。


「ふふん」


 店長が遠くで鼻を鳴らす。

 薄切りにして、ゴマ油でさっと炒め、料理酒に塩と胡椒で味をつける。昆布に相当するような海藻があったので、それも混ぜ込む。本当は醤油も欲しいのだが、さすがにピュリスにあるわけもない。だから自分としては納得できない点もあるのだが、それでも水準以上の味にはできたはずだ。

 まだ時間に猶予はある。彼はできあがった品に手を伸ばし、じっと見る。そして小さなフォークで口に運ぶ。ゆっくりと噛んでいる。


 俺がここで働くことになったのは、子爵家専属の料理人、カイ・セーンの紹介があったからだ。

 ある日突然呼び出され、どこそこへ行け、と一方的に言われた。何の用事かの説明すらなかった。だが、現地に着いてみれば、いきなりこの通り。どこの世界でも、職人というのは言葉を節約する。幸か不幸か、俺は会社員時代、むしろ言葉による正確な説明を要する仕事をやってきたから、こういうのをややこしいとも思うし、逆に理解もできてしまう。

 ちなみに、奴隷身分の子供に、こうやって外の仕事をさせるのは、ないことでもないらしい。そうでもなければ、彼らには小銭を稼ぎ、自分を買い戻す機会が得られないからだ。主人の立場としても、下僕が仕事を覚え、より役立つようになるというプラスの面があり、黙認されるのが一般的なのだとか。

 ただ、カイの目論見は、もちろんそんなところにはない。結局、彼の訴えは退けられ、俺が子爵家の厨房で働くことはなかった。だが彼は、俺がいずれ世界中に知られる料理人になれると思い込んでおり、そのための修行の機会を捻り出さねば、歴史的損失になると決めつけた。だから、知り合いのところに放り込んだのだろう。


 ちなみにこの店、実は結構前に、来たことがある。偶然だが、例の秘書課の手紙を届けた後、転がり込んだのがここだった。あの時俺は、ちょうど食べ始める前に薬の効果が切れて、その後はもう、スプーンを持ち上げることさえできなかった。冷め切った料理の味については、舌の感覚が戻ってなかったので、まったくわからなかった。


「お上品だな」


 皮肉っぽい声色で、彼はそう吐き捨てる。

 わからなくもない。俺はこの皿を、塩分控えめで仕上げた。もっと言うと、素材の味が死なないよう、カボチャの甘み、海藻の旨み、青唐辛子の辛味に、塩味が調和するようにと配慮した。これ単体で食べる分には、それなりにおいしく感じるに違いない。

 しかし、ここは酒場なのだ。酒をガブ飲みした客には、そんな味はわからない。彼らが欲するのは、強い塩味だ。酒の苦味という右フックに合わせる、塩辛さの左フックが欲しいのだ。

 更に言えば、ここには冒険者など、いわゆる肉体労働者もやってくる。一日動いて汗をかいた人間は、必然、塩味の濃いものを求める。そういう意味でも、お上品な料理に出番はない。

 だから、俺は皿の中にほんの少しだけ、塩の山を盛っておいた。塩味が足りなければ、これで補ってください、という意志表示だ。

 もっとも店長は、そういった俺の気遣いまでコミで、お上品だと言っているのだろう。


「で」


 咀嚼し終えた彼は、俺に尋ねる。


「なんでこんな料理にしたんだ?」

「一つには、季節の野菜だからです。カボチャ、ニンニク、青唐辛子、すべて今の時期が一番安価で、しかもおいしいと思われます。それと、今は秋口ですから、昼間は暑くても夜は冷えるようになってきました。風邪が流行り始める時期でもありますから、体力をつけ、体を温めるような一品をお出ししたいと考えました」


 そう。料理を前にするとき、俺はいつもこういう風に考える。前世の料理人生活は、つまるところ、客への思いやりがすべてだった。その時だけ、どんなにおいしく感じても、後々まで人を幸せにするのでなければ、会心の一皿とはいえないのだ。


「かーっ」


 店長は、笑っているとも呆れているとも取れるような、複雑な表情を浮かべた。


「とことんお上品だな!」


 食べ終えた皿をカウンターにコンと置く。


「まあいい。お手軽だしな。この皿、足りなくなったらどんどん作れ。あとそれ以外、今日は給仕だ。うちがどんなモン出すか、目で見て覚えろ」

「はい」


 彼が指示を終えたかと思うと、入り口のドアが開いた。ドカドカと足音が響き渡る。


「おっちゃーん、とりあえずエール」

「あいよ!」


 商売用の、ハリのある声が厨房の奥から飛んでくる。どうやら、仕事が始まるようだ。


 最初の客がやってきてからは、もう次から次へと団体様がやってくる。あっという間に席が埋まる。ランタンの橙色の光に照らされた店内は、喧騒に包まれた。

 俺の作った小皿料理は、すぐになくなった。早速作り直す。店長はあれを、客へのサービスとして、タダで出すことにしたらしい。理由は、やはり味だ。本格的に酒を飲み始める前に味わってもらわなければ、ただのパサパサの野菜でしかない。

 それともう一つ、目的があった。


「おお? おっちゃん、コレ、結構イケるよ! こんなの作れるたぁ、知らなかった!」

「ああ、それな」


 エールがなみなみ注がれた木のジョッキをドンと置きながら、彼は顎をしゃくってみせる。


「あのガキが作ったんだ。俺じゃあねぇ」

「へぇえ?! あんな子供が?」

「タダのガキじゃねぇよ。ほれ、子爵家の料理人の弟子っつうことでよ」

「へーっ!」


 視線に気付いて、俺は振り返り、静かに会釈する。


「こりゃまた小奇麗な子供だな! さすが貴族様の家来だ」

「おっちゃん、この子、なんつうの?」

「ああ、フェイっていうんだ」


 店長の視線も感じて、俺はそっと近付き、客に挨拶する。


「フェイと申します。これからこちらでお世話になります。なにとぞよろしくお願い致します」

「うぉーっ! お上品ー!」


 正直、そういう扱いには当惑してしまうのだが、ここで安易に彼らに染まるわけにもいくまい。俺は貴族の召使。ならば、主人のイメージを保つためにも、お上品なままでいいし、またそうでなければならないのだ。


「ねぇ、また来んの? ここ」


 その返事は、店長がした。


「ああ、これから忙しい時にゃあ、たまに手伝ってもらうことになりそうだ」

「へぇ、そいつは楽しみだ!」

「いいなぁ、子爵家の召使って、いっつもこんなモン食ってんのかよ」


 それは誤解だ。むしろ、ここのメシのが絶対うまかった。

 ……言わぬが花、か。


 要するに、ただのサービスというだけでなく、店で働く新人のお披露目を兼ねていたわけだ。ここの客は、結構長期滞在の人とか、そうでなくても常連が多い。ピュリスにやってきた船乗りなんかが、それこそ毎回、まとめてここに投宿したりする。なので、こうやって顔馴染みにさせておくのは、店としても意味がある。


 で、俺が子爵家の人間となると、当然、あの話題も出てくる。


「そういやさ、この前はひどかったよな」

「ああ、アレ。なんつったっけ、あのボケ老人」

「イ、イ、イフ、イハ……あれ?」

「イフロース。サウアーブ・イフロースだよ。な?」


 子爵令嬢の誘拐事件。これは、誘拐事件としては、処理されなかった。なにせ彼女が屋敷内で発見されたのだから。では、どう解決されたか。

 まず、イフロースはある程度のところまでは、真相究明を果たしたらしい。リリアーナも、どうやって戻ってきたかは説明しなかったようだが……或いは本当に記憶が混濁していて、自信をもって説明できなかっただけかもしれないのだが……とにかく、誘拐犯の手口は、明らかになった。


 事の発端は、なんと賭博だった。

 令嬢私室詰めの侍女達の間で、カード賭博が流行していたのだ。なにぶん、幼い少女を相手にするだけで、高めの俸給と、暇な時間が確保される立場だ。それでいて、勝手に出歩く自由は、あまりない。いつでもお嬢様の傍にいながらにして、日頃の欲求不満を解消しなければならない。だからその手の遊びが広まるのは、必然だった。

 賭け事なのだから、勝ち負けがある。そうして、いったん負け始めると、次で取り戻そうとして、どんどん無茶な勝負をするようになる。そんな風に負けが込んだ侍女の一人が、非番の日に、気晴らしに出かけた先で、美男子と出会ってしまった。

 彼は気前がよく、魅力的で、しかも彼女に一目惚れまでしたという。デートの約束を取り付けて、何度か会ううちに、この侍女は男から金を引っ張ろうと考え始めた。親の病気というありがちな嘘に、彼は大袈裟に反応した。いくらでも金を貸すといい、君も君の家族も、僕の身内同然だといい、いつ返してもいい、いっそ返さなくてもいいとまで言い切って、利息なしの借金を快く受け入れてくれた。

 さて、負けが込んだ侍女は、彼女一人ではなかった。負け分を返済義務なしの借金で完済し、しかも羽振りまでよくなった侍女を、周囲が羨まないはずがない。話を聞けば、なんと金持ちのイケメン商人を掴まえた、というではないか。彼女らは根掘り葉掘り聞き出すと、その侍女に詰め寄り、自分達にも会わせてくれ、さもなければ本人に、お前が嘘をついたとバラす、と脅迫した。

 その美男子は、恋人モドキが無数の「親戚」を連れてきても、嫌な顔一つしなかった。何かが欲しいといえば買ってやり、お金を貸してくれと言われれば借用書一枚で、無利子で貸し出した。何人かは、彼に迫って肉体関係にまで至ったらしい。こういっていいのかわからないが、ここまでは何もかもがうまく回っていた。

 それが一転したのは、事件の数日前。彼女らの秘密は、すべて彼の握るところとなった。大量の借用書もある。そろそろ完済してくれなければ、すべて表沙汰にする、と宣言してきたらしい。この男の巧妙なところは、そういう脅しを、絡め取った侍女達全員にではなく、特に扱いやすそうなのを選んで、一人ずつ言い聞かせた点にあった。互いに相談もできず、悪事に加担することを約束させられた彼女らは、お嬢様をそそのかすことにした。夜の海辺はたいそう美しゅうございますよ、と。

 彼女らの手引きで外に出たリリアーナは、あっという間に連れ去られた。


 俺は、その男が誰だったか知っている。なるほど、確かにトゥダは垢抜けた男だった。それに、腕利きの冒険者でもあった。その上、演技力まであったらしい。

 彼の罠に引っかかった侍女は、実に多かった。令嬢の部屋付き侍女のほとんどが彼から何らか金品の提供を受けており、三分の一は肉体関係まであった。その中には未婚の娘だけでなく、既婚者も含まれていた。彼に愛されているのは自分だけ、と思い込んでいた能天気なのもいたが、他と競い合っているという自覚のあるのもいた。驚きなのは、あの侍女達のまとめ役、俺がリリアーナに話しかけるのを邪魔してきた、嫌な目つきをした中年女まで、奴に抱かれていたという事実だ。あんな顔して、まだ枯れてなかったのか。ちなみに、カード賭博では勝ちまくってたらしい。

 そして、こうした侍女達のほとんどが、子爵家に代々仕えてきた家系の出身だった。イフロースは、彼女らに子爵家からの永久追放を言い渡した。ピュリスに留まるのも許さない。行き先はなんと、子爵の本拠地であるトヴィーティア地方だ。この世界、一般人の通行の自由は、基本的に制限される。国土の北西部、山中の盆地にあるド田舎のトヴィーティアといえども、街道には関門があり、いったん中に入れば、許可なしには出られない。そして彼女らには、生涯、通行許可は与えられないだろう。表向き、彼女らの退職理由は、病気療養のためということになった。

 一方、その家族には、見舞金を出している。これは言うまでもなく、口止め料だ。子爵家の不祥事を外に漏らすなど、決してあってはならない。


 問題なのは、ごまかしようもない失態……つまり、二日間に渡ってピュリス市を封鎖した事実だ。これはもう、隠す手段がない。となれば、誰かが泥をかぶる必要がある。

 その役目を買って出たのが、他ならぬイフロース自身だった。


 つまり、こういうシナリオだ。耳の遠くなったボケ老人である彼は、メイド長からの報告を聞き違えて、お嬢様が行方不明になったと思い込んだ。癇癪を起こした彼は政庁に乗り込み、子爵の家宰としての地位を振りかざして、市門の封鎖を声高に要求した。政庁の職員達は、その権勢を恐れたのと、彼の言うことが事実だったらと考えて、慌てて望む通りにしてしまった。

 あとで誤解があったとわかったが、子爵は困っているという。何しろイフロースは、先代の頃から仕えている重臣だ。過ちは過ちだが、安易にその地位から引き摺り下ろすのも気が引ける。だが、召使達の間では、もうあの老人は役立たずだというのが、常識だ……


 こういう噂を流すよう、召使達は指示されている。で、みんな結構ノリノリだ。なにせ、上司の悪口を好きなだけ、外で言えるのだから、いいガス抜きになる。あっという間に尾ひれがついて、今ではイフロースは、ピュリス一迷惑なボケ老人として有名になってしまった。


「どうなの? やっぱりボケてるの? あのジイさん」

「や、そ、それは僕の口からはなんとも」

「あー、ボケてんだー、やっぱりー」

「あ、あはは、そこは、その、まあ……いや、立派な方なんですよ?」

「いいっていいって、わかってるよ、坊主の立場はさ!」


 声高に彼の悪口を言ってもいいのだが、ここはあえて、そうしない。むしろ、口に出すのを遠慮したほうが、それっぽく見えるだろうし。

 実際には逆で、お坊ちゃんな子爵の世話に、日々、奮闘し続けているのに……今も、この事件の真相を明らかにするべく、努力を重ねているはずだ。まあ、俺としては、そこは失敗して欲しいところだが。なにせ、俺が実行犯に顔を見られているし、名前も名乗ってしまったし。

 ともあれ、忠義の人というのは、本当に大変だ。


 客と談笑しつつ、仕事が一段落したところで、また出入り口のドアが開く。外はもう真っ暗だ。

 姿を見せたのは、冒険者だった。珍しくもない……なんとなしに視線を向けたのだが、その際立った容姿に、一瞬、目を奪われてしまった。

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