新規出店命令

 料理対決から一週間ほど。俺はカーンに呼び出された。

 ただ、場所が少しおかしい。荷物の積み降ろしをする中庭でもなく、湾岸倉庫の一室でもない。


 この総督官邸、建物やら部屋やらが、必要以上にあるのだが、大きく分けると、六つに分類できる。

 一つは言うまでもなく、子爵とその家族が生活する領域。敷地の中央部に位置している。

 二つ目は、外からの客と面会するための場所だ。南の正門から、表の庭を挟んで、いくつかの華美な建物に繋がっている。

 三つ目の領域。敷地の南東部の広い面積を占めている。ここは家中の人間が頻繁に出入りする場所で、使用人の職場となっている。いくつも立ち並ぶ建物は、倉庫だったり、事務所だったりする。

 四つ目。多くの使用人が日中働く南東部に対して、家中のエリートが居座っているのが、北東部だ。敷地の形の関係上、あまり広くはない。秘書課の事務所もここにある。

 五つ目。敷地の北側に、使用人の領域がある。俺の起居する子供部屋もここにある。

 最後に、敷地の北西部がある。もともと、ピュリスの後宮があった場所で、当時の建築物も残存しているのだが、今、一番放置されているのがここだ。


「おお、フェイ。待っていたぞ」


 呼び出されたのは、敷地の南側。その東寄りにある、商談スペースだった。それも、上層階だ。

 頭上にはシャンデリアが輝いている。窓にかかるレースのカーテンも、品がいい。足元の絨毯も上等だ。ここは客を迎える場所であって、普段の仕事をする場所ではない。


「といっても、待たせたのはこちらのほうだったな。ほら、お前から預かった薬品の代金だ」


 テーブルの上には、きっちり六十枚の金貨が置かれていた。確かに、二週間もかかっている。夏ももう終わり、そろそろ初秋に差し掛かっているのに。


「全部、うちで捌ききった。その分の利益は、丸ごとお前のものだ」

「ありがとうございます……」


 日本の金銭感覚で言えば、およそ六十万円分か。ちょっと多すぎる気はする。だって、元の金貨十枚分は、差し引いているはずだから。想定以上だ。

 まあ、これはいい。利益が出たのだから、喜んでいい。この調子で頑張れば、貯金箱がすぐいっぱいになりそうだ。

 だが。


 ……部屋の隅に座っている人物が気になって、自然、返事も尻すぼみになってしまった。


「それでな」


 カーンも、その人物のほうを一瞬、振り返った。


 女だ。後ろで団子にされた濃い目の茶髪。いかにもデキそうな眼鏡に、秘書っぽい濃紺のタイトスカート。上着は白いシャツで、そこにやっぱり紺色の紐ネクタイ。

 一度見た人は忘れない、というほどの記憶力はないが、この女に関しては、忘れようとしても忘れられない。


「こちら、我が子爵家とも懇意にしているコラプトの商人、ラスプ・グルービー殿の部下。アイビィ・モルベリーさんだ」


 紹介を受けて、彼女は椅子から立ち上がり、かわいらしくお辞儀してみせる。キリッとした印象なのに、こんな顔もできたのか。一瞬ドキッとさせられる。

 黙っているわけにもいかない。まずは挨拶だ。


「はじめまして」


 自分が奴隷ということを忘れてはいけない。子爵家の下僕でもあるのだが、ここはへりくだっておくのが正解だろう。

 本当は初めてではない。顔を見るのは三度目なのだが、相手の名前を人から教えられたのはこれが初めてだから、こう挨拶しておこうと思ったのだ。それに……

 こいつからは、嫌な予感しかない。いったい何しにきたんだ。少しでも、心理的な距離を遠くしておきたい。


「モルベリーさん、こちらが通商部の見習い、フェイです」


 カーンの敬称のつけ方が微妙だが、これも身分ゆえだ。彼は騎士身分、それに対して彼女はおろか、主人のグルービーでさえ、庶民でしかない。だが、大事な商売相手でもあり、お客様でもある。おまけに、紹介する人物が奴隷ときては、少々やりにくいのだろう。

 彼女は、カーンに軽く会釈すると、愛嬌のある笑みを浮かべて、俺に手を差し出した。


「ふふっ、よろしくね」


 俺は、その手を握り返す。すべすべして、柔らかくて、不自然なほどきれいな肌。多分だが、かなり薬を使っているはずだ。

 普通、手には生活の形跡が出る。だから前世でも、きれいな女性は大勢いたし、アンチエイジングに努力もしていたりするのだが、それでも年齢を重ねれば、どうしたって手だけは荒れてきて、ごまかせなくなる。

 彼女、アイビィの本職は、隠密だ。手先が荒れるどころではないはずだ。といって、その生活の形跡が滲み出るようでは、任務を果たせまい。


「でも、はじめましてはないかなぁ」

「えっ、あ」

「カーン様」


 俺の手を取ったまま、彼女はカーンに振り返る。


「この子とは、前に会ったことがあるんですよ」

「そうなのですか」

「はい。以前、グルービーがご挨拶に伺った際、フェイ君が歓迎してくれたんです」

「それはそれは」


 カーンも笑みを作り、そして俺に振り返って、冗談めかして言う。


「こんな美人さんを覚えておけないようでは、商人失格だぞ?」

「申し訳ありません」


 そんな俺の手を取りながら、彼女は声をかけてくる。ふわっといい匂いがした。


「しょうがないよね。直接お話しなかったもんね」


 この馴れ馴れしさは、意図的なものだろう。なるほど、俺の外見が子供でなければ、こうも露骨にはやれまい。だが現に、カーンは彼女の振る舞いを見ても、苦笑するだけだ。俺を子供扱いするのも、アイビィなりの気遣いと解釈しているのだ。


「さて、それで、肝心のお話なのですが」


 そろそろ、と彼も割って入った。


「そうですね」


 さすがにスイッチを切り替えて、彼女も居住まいを正す。


「フェイ、今日お前をここに呼んだのはな」


 笑顔が完全に消えている。どうも重大な話らしい。


「このたび、グルービー商会と合弁で、薬品商の店を一つ、立ち上げることになった。お前はそこで、子爵家の代表として働け」


 そういうことか。グルービーめ、わざわざ俺を指名しやがったのか。

 ……ん? ちょっと待て。


「あの、代表……ですか?」


 おずおずと尋ね返すと、カーンは重苦しい表情で頷いた。


「お前が、店長なんだそうだ」


 そこへ、アイビィが笑顔で割って入る。


「で、私が助手なんですよ!」

「はあぁぁっ!?」


 嘘だろ!?


 ……カーンの説明によると、こういうことだ。

 俺の薬を見て、品質に問題がないと判断した彼は、イフロースにも許可を取った上で、市内の子爵家の店で、それを販売した。ところが、その時たまたま、アイビィが所用でピュリスにやってきていて、この薬を買い求めた。品質がよかったため、彼女は店舗の人間に、誰が作ったかを問い合わせたそうだ。店員は俺のことを知らなかったが、秘書課に連絡をとったところ、俺の名前が出てきた。

 急ぎ彼女は用事を切り上げて、コラプトに駆け戻った。そして、薬品のサンプルを見せて、グルービーに報告したそうだ。彼は即決した。

 命令を受けて、アイビィはピュリスに舞い戻った。彼女が子爵家側に提案したのは、以下のような取り決めだった。

 新規店舗の開店費用はすべてグルービーが負担。利益が出た場合は子爵家が七割、グルービーが三割の取り分。赤字を出した場合は、これまたグルービー側が全負担。ただ、事業の継続、撤退の判断については、両者の合意が必要。もちろん、事業展開において必要があれば、グルービー商会が全面的にバックアップする。

 そういう取り決めも帳簿をごまかしたら意味がないから、あらゆる権限を店長であるフェイに与える。そして、アイビィはその助手として、店長の業務活動、及び日常生活を全般的にサポートし、かついかなる命令にも服従すること。


「本当にそんな話があったんですか?」


 思わずそんな言葉が口をついて出る。


「この通り」


 カーンは溜息をつきながら、数枚の紙を寄越した。


「全部、本人の署名に、捺印まである。これで偽物だったら、モルベリーさんは牢屋行きだな」


 まぁ、そうだろうな。

 俺に金貨三万枚をつけたグルービーだ。これが嘘というのは、むしろあり得ないだろう。


 ただ、気に入らないのはこの経緯だ。

 子爵家の店で薬を売り出したら「たまたま、用事で」ピュリスにきていた彼女が薬を買った。製作者を調べたら、それが偶然「俺」だった。その品質を見て、グルービーが合弁事業を「即決」した。その条件は、「費用は全部負担、損失も全部負担、でも利益はほとんどあげます」というもの。おまけに、店長である俺の面倒をみるために、アイビィが店舗兼住居に「常駐」。

 完全にロックオンされている。


「で、その、これ、合意は取れているのですか?」

「ん?」

「ですから、家宰のイフロース様のご判断は……」


 そう言われて、カーンは一つ、咳払いをしてから、返事をした。


「もちろん、こんな好条件では、突っぱねるなど考えられんからな」


 マジか。イフロース、何を考えているんだ。

 グルービーが何を狙っているか。以前、俺を無理やり買い取ろうとしたのを覚えているだろうに。なぜだ。


「あの、僕みたいな子供が店長なんて、ちょっと無茶じゃないですか?」


 無理かな、と思いつつも、なんとか撤回させようと、意見してみる。だが……

 アイビィが、ずいと割り込んできた。


「そのために私がいるんですよ」


 カーンも、頭を振りながら、付け加えた。


「その通りだ。表向きは、グルービー商会の支店が、ピュリスに新規出店した、という形になる。何も言わなければ、みんな彼女を店長だと思うだろうな」


 なるほど、俺はお手伝いの小僧さんというわけか。だが、それなら別の点をついてやる。


「僕、奴隷ですよ? 屋敷の外で勝手に暮らすなんて」

「といっても、それが主人の命令だからな」

「奴隷だと、責任を取れないので、契約書にサインしたりとかできないし、いろいろ権利の制約があるはずですが」

「手続きは名目上、すべて彼女、モルベリーさんの名前でやることになっている」


 むむむ。

 手強いな。


「でも、住み込みになるわけですよね? 生活費は、どうするんですか? 奴隷は給料をもらえないのが普通ですよ?」

「今回は特例だ。普通の大人の店員並の給与は、経費として差っ引け。常識の範囲内なら文句は言わない。その中でやり繰りしろ」

「でも、女子供だけの店なんて、危なくないですか? もちろん、子爵家から、何人か男の方を寄越していただけるんですよね?」

「人が必要なら、お前が雇え。店の経費でな」

「えっ、そんな」

「だが、防犯目的なら、ほぼ必要ないだろう。このピュリス市で、総督とグルービー殿を敵にまわしたら、生きていけなくなる」


 言葉に詰まってしまう。それもそうか。特にグルービーは怖い。逆らったら女忍者が追いかけてくる。それで拉致されて、コラプトの屋敷に連れて行かれて、あのデブ野郎に洗脳されるんだ。

 そもそも、アイビィの能力からして、そこらの傭兵程度では太刀打ちできまい。この前、俺が戦った上級冒険者ならいい勝負にはなるだろうが、「倒しきる」となると、また格段に難易度が上がる。その場で仕留め損なうと、きっと後日、忍者の群れがそいつを襲うことだろう。


「あのう」


 アイビィが挙手する。


「人が足りなければ、グルービーに手配させますよ。男性でも女性でも、何人でも。お金は取りませんから」

「あ、いえ、だ、大丈夫です」


 冗談じゃない。

 そんなことをされたら、きっとその店は、忍者屋敷になる。


「ちなみに、僕に拒否権は」

「ない」

「やっぱり、ですか」

「一応、お前は奴隷だからな」


 逃げ場なし、か。


「大丈夫ですよ!」


 そこへ、笑顔のアイビィがダメ押ししてくる。


「この前のお薬をみました! あんなにいいものが作れれば、お客さんなんて、いくらでも見つかりますから! 不安なんてありません! 頑張っていいお店にしましょう!」


 カーンも、アイビィのほうに向き直って言う。


「では、そういうことで。モルベリーさん、長い時間、お疲れ様でした」

「いえいえ! 済みませんね、カーン様も、それにイフロース様にも、随分とお手間をとらせてしまったみたいで」

「そんな、お安い御用ですよ。いいお話をありがとうございます」

「そうおっしゃっていただけると、嬉しいです」


 もう、完全に商談成立ムードになっている。というか、とっくに成立しているのか。


「では、カーン様、名残惜しいのですが、私はこれで。早速ですが、店舗によさそうな場所がありまして、午後にも商談になりそうなので」

「そうですか。では、またお時間のある時、今度はただのお客様としていらしてください」


 互いに頭を下げあいながら、アイビィを見送った。俺はそれを、半ば呆然としながら見つめていた。


「フェイ」


 部屋の扉を見つめる俺に、横から声がかけられた。


「これは、やむを得ない判断だったんだ」

「はい?」

「あれを見ろ」


 カーンは指差しながら、室内のソファに腰掛けた。その指し示す先には、テーブルの上の金貨がある。


「お前がここに来て、まだ半年にもならない。なのにこれだ。お前は目立ち過ぎた」

「えっ?」


 眉根を寄せる俺に、彼は畳み掛ける。


「自覚がないのか?」


 彼は溜息混じりに続けた。


「譲渡奴隷のくせに、いきなり接遇部門に抜擢された。かと思えば、グルービーがお前を買い取りたいと、わざわざ訪ねてきた。噂は、私にまで聞こえてきたよ。金貨三万枚まで出すとかなんとか、な。で、今回、接遇を外れたかと思いきや、いきなりちゃんとした薬を作って売り始めた。挙句の果てにはカイ相手に料理勝負だ。おまけに、いつの間にかお嬢様のお気に入りになっている。いくらなんでも、滅茶苦茶だろう?」


 早く出世して、ここを出て行けるように……と焦りすぎた結果だ。でも、だからといって、おとなしくしていたら、いつまで経っても下働き。それは我慢ならない。


「この金貨六十枚の臨時収入だって、大方の召使には手の届かないものだ。それをお前は当たり前のように……これだけでも風当たりは強くなる。それはもちろん、お前が暴れてくれたおかげで、よくなったこともあるさ。食堂の料理だって、最近は改善されてきた。だがな、確実に嫉みをかっているぞ? このままでは、家中の秩序の安定を乱しかねん」

「そう……だったのですか」


 彼は頷いた。


「これは、イフロースともよく話し合って決めたことだ。お前を見捨てるわけじゃない。むしろ、大いに期待していればこそだ。だから、引き続き努力するんだ」


 そう言いながら、彼は立ち上がった。そして、憂うような、微笑むような、複雑な表情を浮かべつつ、俺の肩を叩いた。


「しばらくは、新しい店での計画でも、立てていろ。特に指示は出さない。お前の好きなようにやるといい」

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