飲むべきスープ

 屋敷の中庭。

 中庭といっても、ここにはいろんな中庭がある。それだけ規模が大きい邸宅なのだ。今回、会場が設営されたのは、その中でも奥まった場所だ。まだまだ残暑が厳しいこの季節、なるべく涼しげな場所を選ぼうということになった。

 左右を白亜の壁と渡り廊下に挟まれ、周囲には晩夏に咲く可憐な花々。そこに、なんだか大学の学園祭で使うような、簡易ステージが設置された。勿論、頭上には白い布を二重に渡してある。これだけでも、かなりの暑気除けになるものだ。

 その舞台の上に椅子と机が準備され、いまや三名の人物が腰掛けていた。中央には、子爵が不在の際には最高の地位を誇る人物、即ち奥方が。その右隣には、長女のリリアーナ。そして最後の椅子には、なぜか執事のイフロースが座っている。


「あの……」


 イフロースが困っている。なかなか見られない顔だ、これは。


「仮にも、私は使用人の立場でもありますし、同じところに座るのは」

「あら、いいじゃない」


 立場を明らかにして主人の威光を保とうとする彼と、それをただただ面白がる奥方。そんな珍しいシチュエーションを、ギャラリー達はニタニタしながら見つめている。

 そう、観客がいるのだ。それも大勢。屋敷の中にいる人間のほとんどが、この対決を見物にきている。誰かが意図的に噂を流したとしか思えない。奴隷のフェイが料理長に喧嘩を売った。それを奥方が聞きつけて、今日のイベント開催と相成った。

 娯楽の少ないこの世界だ。確かに、俺だって当事者でなければ、冷やかしにきただろう。


 そして、奥方の座るステージの対面に、俺と料理長のための簡易キッチンが据え付けられている。各々、他人の手を借りずに、自分の力だけで、これはという一品を作って出してみよ、ということだ。

 最初、料理長の部下どもは、上司の手伝いをしようと申し出たりしたそうだ。だが、彼はそれを全部撥ね退けている。ついでに、俺が当日に備えて厨房に出入りするのも、下っ端どもは邪魔したが、料理長は公然と許可を与えた。必要な食材があれば、自由に使用していいとも言ってくれた。気は短くとも、案外フェアな男なのかもしれない。


「制限時間は一時間。準備はよいか」


 イフロースの声が届く。

 さっきから腕組みをしたまま、俺を睨む料理長。この一週間で、彼の人となりは、なんとなくわかった。個人的には、そこまで嫌いではない。だが……

 お前は、料理というものを履き違えている。それを今から、俺が思い知らせてやる。


「はじめ!」


 合図と共に、俺と料理長は動き始める。俺は横目で、彼の俎板の上を見た。

 たくさんの真っ赤なエビ、上質なホタテ、いかにも旨そうな二枚貝。なるほど。港湾都市ピュリスに相応しい一品だ。料理長はエビの頭を次々ひねっては取り、それらを酒と調味料につけている。

 贅沢極まりない。あのエビの胴体部分は、このスープには使わないのだろう。彼が欲しかったのは、エビのミソ。カニミソが旨いのは、日本人なら大抵知っている。エビのミソは、もっと量が少ないが、味わいは濃厚だ。それを惜しげもなく大量に投入しようとしている。

 手際もいい。パッと見ただけでも、それがわかる。前世の俺と比べても、技量でいえば、一枚上手だろう。


 だが、この勝負、譲るつもりはない。俺は材料を載せる前に、改めて調理器具を確認した。汚れは一通り取り除いたが、念のためだ。食器用の洗剤をしみこませた布で一拭き。その上で、水で流してから、濡れた布でもう一拭き。最後に乾いた布で更に一拭き。

 これから作る料理は、まず清潔さが第一なのだ。


「ふん」


 俺の意図に気付かない料理長は、鼻を鳴らした。


「今更になって器具を洗っているのか。この半端者が」


 なんとでも言えばいい。それより、調理中は喋らないほうがいい。唾が飛ぶ。


 俺は食材を調理台の上に載せた。途端に、ギャラリーからは失望の声が上がった。それも無理はない。

 よく熟したトマトにニンニク、パン、タマネギにキュウリ……どれも生きのいい野菜であるのは間違いないが、高級食材が一つもない。隣で作業する料理長も、鼻で笑っている。


「がんばれー」


 そこへ、声援が飛んできた。でも、頼むからやめてくれ。お嬢様が俺を公然と贔屓にしている。それが一目瞭然だ。これにまた、ギャラリーはどよめきをあげる。


 俺は一切に構わず、作業に取り掛かる。トマトの皮を剥き、種を取り出し、裏ごしする。得られたトマト汁は、すぐに調理台の下に送り込む。清潔にしたすり鉢で、丁寧にニンニクやパンを磨り潰し、混ぜる。それにトマト汁を加えて、僅かな塩とレモン汁で味をつける。

 途中から、料理長は俺の作業を、怪訝そうに見るようになった。さっきから、火を使う気配がまったくない。それに、やけに大量のスープを作っている。それを急いで調理台の下にしまうと、あとはのんびりと野菜を細切れにしている。理解不能だろう。


「そろそろよいか」


 イフロースの声が響く。一時間までは、もうちょっと。だが、俺のほうは準備をとうに終えている。だが、たった今、料理長が作業を終えたようだ。


「ただいま。出来立てがおいしゅうございますが……」


 そう言いながら、彼は俺を見た。俺は料理長に頷いてみせる。

 そこで彼は、遠慮なく、出来上がったスープを器に注ぐ。見るからに旨そうだ。エビだけではない。ホタテも丁寧に酒と調味料で下味をつけられており、二枚貝も酒蒸しされている。長時間、煮続けて旨みを引き出して、そこにフォレスティアでは高級な砂糖まで少々。最後に、このスープの濃厚な旨みゆえのくどさをサッパリさせるために、香草を添えている。これでおいしくなければ、何を出せばいいのだろう。

 いよいよ実食だ。三人はそれぞれ、銀のスプーンを手に、一口すする。奥方が、料理長を見下ろして言葉をかける。


「いつもながら、よい仕事をしますね」

「ありがたきお言葉!」


 料理長は、大仰に頭を下げてみせる。

 それから三人は、目の前のスープを味わう。それをギャラリー達は、羨ましそうに見ている。だが、見るだけだ。材料の価格を考えても、料理長が余計な分まで作ったりするはずがない。

 他の二人は、まだ何も言わない。だが、俺の視線に気付くと、イフロースは頷いた。


「フェイも、準備ができたなら、お出しせよ」


 言いにくそうだ。自分が食べる側だから、なんか敬意のベクトルが変なところを向いてないか、戸惑うのだろう。いや、わしはオマケなんだ、気にするな、と顔に書いてある。

 ともあれ、俺は調理台の下から、スープの入った鍋を取り出す。少し冷たさが足りないか。でも、この世界には冷蔵庫なんかないし、氷だって手に入らないだろう。キース・マイアスがその気になれば、別だろうが。だから、朝一番に汲んだ地下水より冷たいものがなかった。

 俺は手早く浮き身となる細切れ野菜を加えると、トマトベースの赤いスープを器に盛った。


「なんじゃそれは!」


 料理長が、顔色を変えている。


「火を通しておらんではないか!」


 いちいち相手にせず、用意のできた皿から、侍女に渡す。そうして人数分、出し終えてから、鍋に蓋をする。そこでようやく、俺は口を開いた。


「これは冷製スープですので。冷たいうちに、お召し上がりください」

「ばかな!」


 だが、料理長は引き下がらなかった。


「火を通しておらんのだぞ! 夏場であれば尚更、熱したものでなければ食すべきではない。万一、食中りになったらいかがする! だいたいそうでなくても、安易に内臓を冷やせば、体力の衰えを招くのだぞ! そんな当たり前のことがわからんか!」

「まぁ、料理長」


 そこへ口を挟んだのは、奥方だった。


「でも、だからフェイは、丁寧に調理器具や食器を洗い直していたのですね」

「そっ、それはそうですが」

「見たところ、フェイはパンと野菜しか使っていません。野菜も新鮮なものばかりでしょうし、滅多なことにはならないでしょう」


 そのやり取りを見ていたイフロースは、あえて先を行くと決めたらしい。


「では、奥方様、私から」


 そう言いながら、彼は一口、俺のスープを口にした。安全確認も兼ねているのだろう。

 一瞬、彼の動きが止まる。だが、表情から、問題がないと察した奥方にお嬢様は、自分達も食べることにした。


 その様子を見ているだけの観客は、じりじりしていた。なにせ、昼の休みを放り出して見物にきているのだ。あとで腹が空くのは避けられないはずだ。

 で、俺はそれも見越していた。


「皆さんもどうですか」


 その一言に、ほぼ全員が振り向く。


「まだありますから……冷えてておいしいですよ?」


 そう言いながら、俺は清潔な皿とスプーンを出す。そして次々、スープを流し込んではテーブルの上に置いていく。はじめは遠くから見るばかりのギャラリー達も、一人、二人と歩み寄って、そっと皿を手にすると、ささっと後ろに引き下がる。気付けば、行列ができていた。


「な……」


 その様子を、料理長は、愕然としながら見ている。


「何をしとるんじゃ!」

「あ、料理長、一杯いかがですか」

「いらぬわ!」


 観客の多くに、俺のスープが行き渡る。そこここで、ほお、と溜息をつくのが聞こえてくる。どうやら、うまくいったようだ。

 そこへ、メイド長がおずおずと顔を出す。どうもイフロースは立場上、指示を出しにくそうだと察して、前に出てきたのだろう。


「では、そろそろ……勝ち負けを、その、審査を努める皆様方……」


 その、普段とは違ったか細い声に、周囲は静まり返る。注目は再び、舞台の上に集中した。


「あの、どなたか、判定を」

「フェイ!」


 いち早く判定を下したのは、やはりというか、お嬢様だった。というかこれ、最初から、俺が何を出しても、そう答えるつもりだったんじゃないのか?

 だが、この一勝に、ギャラリーは盛り上がる。


「えっと、では、次はイフロース殿」


 主人のいる場で「様」とは呼べない。メイド長もやりにくそうだ。


「うむ……」


 彼は少し考えるようにしながら、手元の皿に目を落とす。


「熟練の技を見せるカイ、新しい味を提案したフェイ……甲乙つけがたいが、ここはカイに軍配があがると思う」


 再びどよめきがあがる。これで一勝一敗。決着は、奥方の判断に委ねられた。

 その奥方は、結果を告げる前に、顔をあげて俺に尋ねた。


「フェイ。この料理は、なんというものですか?」

「はい、奥様。これは『ガスパチョ』と申します」


 聞き慣れない料理の名前に、その場の全員が首を傾げる。それもそうだ。俺の知る限り、この世界に、似たような料理はない。前世の経験の中で、俺が学んだものだ。

 それにしても、料理はないのに、食材はある。トマトもニンニクも、まるで前世そっくりだ。どうしてこういうことが起こり得るのだろう? その理由がわからない。


「トマトの酸味にパンの旨みを重ねまして、それを冷やして食べやすくしたものです。飲むような、食べるようなスープで、特に夏場の疲れを養生するための一品でございます」


 俺の意図はそこにあった。

 カイ……料理長の作るスープは、確かに旨い。貴族同士の会食に出すならば、文句の出ない一品だ。だが、言ってみればそれだけ。主人に恥をかかせないためだけの、贅沢と虚栄の料理だ。

 だが、それでは満たされないものがある。奥方にせよ、使用人にせよ、所詮は生身の人間でしかないのだ。そしてみんながみんな、例外なく、この夏の暑さにやられている。特に、連日連夜、貴族同士のお付き合いで、味ばかりの脂っこい料理を詰め込まれてきた奥方の胃は、いまや相当に疲れきっているはずなのだ。

 更に言えば、俺のこのガスパチョには、高価な材料など必要ない。肉も魚も使わない。だが、代わりに要求されるものがある。丁寧さだ。徹底的に清潔さを保たなければ、なにせ火を通さないのだから、あとで食中りの危険も出てきてしまう。

 食べる人への気遣い。そのための心配り。子爵家の厨房になかったのは、まさにそれだ。


「そうなのですか。面白い味でした」


 そう言いながら、奥方は自分の皿をちらちら見ながら、それを自分の肘で覆うような姿勢をとる。


「ですが、判定は……やはり、カイに」


 観客にとっては順当な結果。面白くなかったのか、溜息があちこちから聞こえる。だが、二階の渡り廊下から見下ろす一部の連中から、どよめきが広がる。

 さっきから俺は気付いていた。スプーンを行き来させた回数だ。

 料理長のスープは残したのに、俺のスープは最後まで飲みきった。なのにあえて、彼女はカイの勝利を告げたのだ。


 やはりというか、彼女は貴族なのだ。これからもカイには役割を果たしてもらわねばならない。今、彼の代わりになる人材はいないのだから。

 だが、料理長も、鈍感な男ではなかった。


「フェイ」


 彼はおずおずと尋ねた。


「まだ、スープはあるか」


 俺は無言でよそって渡した。彼はスプーンで一口を味わい、それですべてを理解したようだ。

 彼はよろよろと前に進み出て、奥方の前で膝を突いた。


「私の不明でした!」


 深く頭を垂れて、彼は言った。


「その上でお願い致します! ぜひ、厨房にフェイをくださいませ!」


 えっ。

 それ、困る。料理人のままじゃ、不老不死になる方法を探しに行けないじゃん。なんとか知識や技術を覚えて、ここを出て行くのが目標なのに。


「控えよ」


 イフロースが撥ね付ける。


「それを決めるのは、お前ではない」

「そうですねー……」


 のんびりした声ながら、奥方の目には、ただならぬ気配が漂っていた。


「ところで、今日の昼は、どんなものを出すのですか、カイ」

「はっ、それは」

「使用人向けの料理のことですよ」

「はっ?」


 思うに、このカイという男は、料理バカというか、仕事一徹人間なのだろう。だが、目の届く範囲が自分の作業ばかり。だから、部下の管理ができていない。


「それは、任せておりまして……」

「残り物でもいいので、誰か、もってきてくれますか」


 これに、厨房で働く下っ端どもは、顔を強張らせた。


「聞こえませんでしたか」


 まずい。

 使用人達は、奥方が滅多に怒り出さない人だと知っている。馴れ馴れしい態度をとっても許してくれるし、多少の失態や無礼も許容範囲内だ。だが、いったん厳しい顔を見せたら、決着がつくまで引き下がったりはしない。本当に甘いわけではないとわかっているのだ。

 その証拠に、主人の子爵には、側妾が一人もいない。愛人もだ。ルイン系貴族の血を引き、セリパス教徒に育てられた奥方は、ときに、普段からは想像もつかないほど、厳格で融通の利かないところをみせる。

 不安に駆られた一人が、厨房に走っていき、スープを取って戻ってきた。それを目にした奥方の表情に、その場の使用人達は皆、凍りついた。


「これの味見はしません。わかりますね?」


 そう言いながら、奥方は席を立った。


「カイ、まずは今いる料理人の育成に、力を注ぎましょう」

「ははっ!」


 それだけ言うと、奥方は舞台から降りて、廊下の向こうへと消えていく。お嬢様は、俺に手を一振りしてから、それについていく。イフロースも、後を追いかけていった。

 しばらくの沈黙。料理長は立ち上がり、観客達に向き直ると、腰を深く折り曲げてお辞儀した。そのまま、廊下に足を踏み入れて、去っていった。

 途端に、その場の使用人のほとんどが、歓声を上げた。


「これでメシがうまくなる!」

「フェイ、お前、すげぇな!」

「またスープ、作ってくれよ!」


 戸惑う俺の肩をバンバン叩きながら、使用人達が去っていく。

 どうやら……試合に負けて、勝負に勝ったようだ。

 前世で散々頑張った料理だが、こちらでも多少の役にはたったらしい。嬉しくないでもなかった。


 その喜びは、夜に自分の状態を確認した際に、雲散霧消した。


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 (自分自身) (7)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、6歳・アクティブ)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 商取引    5レベル

・スキル 薬調合    5レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 料理     6レベル


 空き(0)

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 嘘だろ……

 あれか。今まで、本格的に料理を作ったことがなかったから。二歳の頃に作ったゴキブリスープなんて、料理の腕とか関係ないもんな。

 それが今、本気で料理を作って、能力を活用したら、スキルのうちにカウントアップされてしまったわけだ。


 何やってるんだ。

 前より弱くなってどうするんだ……


 ともあれ、この日を境に、使用人向けの食事の内容は大幅に改善された。

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