戦鬼

 どこから姿を現したのかと思った。音もなく、気配もなく、影が揺れる。

 ランタンの光が照らし出したのは、一人の男だった。


 茶色の髪の毛は乱雑に伸びているが、何か変な形にトゲトゲしく固まっている。喩えるなら、前世の暴走族っぽい。リーゼントっぽい形にまとまっているが、側頭部と襟足のあたりで、激しく髪の毛が反り返っている。整髪料で固めたとも思えないので、余程の剛毛なのだろう。

 背は高めだ。一メートル八十センチくらいか。内側には皮の鎧を身につけているのだろうが、その上に白っぽい陣羽織のようなものをかぶっている。腰には剣を佩いているが、鞘の拵えからして、上等な品であるとわかる。

 そして、前髪に遮られた向こう側から、こちらを焼き尽くすような視線が向けられる。こんな鋭い眼光を、俺は今まで、一度も見たことがない。


「よぉ」


 ややあって、男は声を発した。

 表情には、かすかな笑みさえ浮かんでいる。


 だが、俺のほうは、顔面蒼白だった。冷や汗が止まらない。


「あっ……何者なん、ですか」


 喉がカラカラになる。

 こんなの、想定外だ。どうすればいいんだ。


「俺? 俺か? ケッツ・セプン。傭兵だ。よろしくな」


 男は軽いノリでそう返してくる。

 だが、俺はもう、こいつの正体を見抜いていた。


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 キース・マイアス (26)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、26歳)

・マテリアル マナ・コア・水の魔力

 (ランク3)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル ルイン語   3レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル 剣術     7レベル

・スキル 盾術     6レベル

・スキル 格闘術    6レベル

・スキル 水魔術    6レベル

・スキル 投擲術    5レベル

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 軽業     4レベル

・スキル 水泳     4レベル

・スキル 医術     3レベル

・スキル 魔獣使役   3レベル


 空き(12)

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 なんだ。

 なんなんだ。こいつは。おかしいだろ?

 化け物じゃないか。

 どこでどうやって育ったら、こんな風になる?

 なんでこんなところで、チンケな誘拐なんか、手伝ってるんだよ!


「お前は?」

「へっ?」

「名前だよ。こっちが名乗ったんだから、お前もそうしろよ」


 いや。

 落ち着け。ギムも言っていた。ケッツは信用ならないと。

 現に、こいつは名前を偽っていた。となると、必ずしも目的が、ギムやトゥダと同じとは限らない。

 状況次第では、共闘さえできるかもしれない。そうなったら、むしろこんなに心強い奴もいないだろう。


「フェイ、です」

「ふん、それで?」

「それで、とは」

「姓がねぇじゃねえか。あと、職業も言えよ」


 まだ、距離は開いている。

 このレベルの達人が相手だと、それも安心材料とは言えないが、それでも一撃を避けるくらいなら、できそうだ。


「姓はありません。トヴィーティ子爵の奴隷です」

「はぁ!?」


 男は眉を寄せて、顔を歪めた。いや、マジで怖いから、やめて欲しい。ただでさえ、目付きが怖いのに。


「何の冗談だよ? お前が? お前が奴隷?」

「本当ですよ」


 彼は絶句していた。口を半開きにしたまま。心底呆れ返っているかのような表情だ。


「嘘だろ……いや、そうか。わかった。お前、アレなんだよな。イフロースの子飼いの隠密とか」

「いえ」

「じゃ、何の仕事してんだよ?」

「ええと、最初は接遇担当をしていまして、ああ、といってもその、立ちっぱなしでお客様に笑顔を振りまくだけなんですが……今は通商部のお仕事をお手伝いさせていただいてます」


 この回答に、再び絶句だ。


「マジかよ……あそこも見る目ねぇなぁ」


 ケッツ、いや、キースは、俺の手にある棒を指差した。


「それ、トゥダのだろ」


 そうだった。戦いの流れで思わず奪ってしまった。こちらのほうが、金属で補強してある分、頑丈だし、頼りになる。捨てずに持ってきておいてよかった。


「一応、あいつもトパーズなんだぜ? それをやっちまう奴が、ただの奴隷扱いとはな」


 そうだったのか。

 手強かった。引き出しも、たくさんあった。変幻自在の技に、不意をつく石礫。ジュサより一回り上の力量があったと思う。なるほど、ジュサは背伸びしたと言っていたが、そういうことか。さっきのトゥダ、あれが本当の上級冒険者の腕前だったというわけだ。


「いやぁ」


 気付くと、またキースは、ニタニタと凄みのある笑みを浮かべていた。


「てっきりハズレの仕事になっちまったかと思ったんだけどよ……俺ってツイてるなぁ。な、お前もそう思うだろ?」

「何がですか」

「だって貴族の娘の誘拐だぜ? てっきり、俺はイフロースか、マオ・フーあたりとやりあえるんじゃないかって、期待してたんだがな」


 イフロースと?

 こいつ、何か恨みでも……違うな。

 ツイてるとか言っている。それに、マオ・フーって誰だったっけ? 要するに、イフロースじゃなくてもいいんだ。


「じゃ、そろそろやるか」


 そう言うと、キースは、全身を弛緩させた。

 ヤバい。これ、臨戦態勢だ。


「やるってなに」


 目の前で火花が散る。

 弾き飛ばされて、すぐさま起き上がる。


 一瞬だった。

 なんだこれは。あれだけ距離が開いていたのに、一瞬で詰め寄られた。反射的に棒を掲げて、なんとか一撃を受け切った。だが、もしこの棒が金属で補強されていなければ、きっと俺ごと真っ二つになっていたに違いない。


「おら、お嬢様を連れ帰るんだろ? 全力で来いよ」


 そう言いながら、奴は指をくいっと動かす。挑発しているのだ。

 なんとなくわかってきた。こいつ、いわゆるバトルジャンキーだ。もともと強くて、強くなることが好きでたまらない。

 じゃなければ、こいつの行動は説明できない。偽名を使って、犯罪にまで首を突っ込む。目的は、報酬ではない。イフロースという、名の知れた男と戦うチャンスが欲しかったのだ。


「戦う理由がありません」


 ダメだ。こいつとまともにやりあったら。

 ピアシング・ハンドで肉体を奪えば勝てるが、それは最後の手段だ。なにせ、ここにはお嬢様もいる。できれば能力を使うところを見られたくはない。


「……むしろ、手伝ってくれませんか?」

「あ?」

「子爵家に協力してください。報酬ならいくらでも出せます。なんなら、騎士の身分も。それに、お望みでしたら……家中のものとの試合も約束できます」


 俺の言い分を聞いて、キースは一瞬、ぼーっとしていたが、すぐに噴き出した。


「ぶはははは! お前、笑いの才能まであるのか?」

「真面目に言っています」

「お前な、奴隷がどうしてそんな約束、できるんだよ?」


 言われてみればそうだが、お嬢様を無事に奪還するためだ。多少のことは、イフロースだって聞き入れてくれるだろう。子爵本人はともかく、うちの執事は馬鹿ではない。


「それにな」


 笑いを収めたキースが言う。


「俺には戦う理由があるんだよ」

「子供なんか倒しても、自慢になりませんよ?」

「けど、ヤシルをやったの、お前だろ」


 そうだった。

 しまった。今、顔に出たか。


「あそこまでにするのに、四年もかかったんだぜ? どうしてくれるんだよ?」


 口先で恨み言を並べ立てながらも、彼はニタニタと笑みを浮かべている。


「そう思うなら、変な仕事に首を突っ込まなきゃよかったじゃないですか。戦うから、悲しい思いをするんですよ」


 どうする?

 会話が続いている今のうちに、策を練るんだ。


「ああ? 悲しい? 別にそんなこたぁねぇぜ?」

「いや、だって今、ヤシルの仇だって」

「誰だって生きてりゃ戦う。戦えば死ぬ。当たり前だろ?」


 ああ……

 こいつは、そういう価値観の中で生きてきたのか。

 命が軽い。他人のもそうだが、自分自身のも。殺すのも死ぬのも当たり前。だから刹那を生きる。

 これだけの能力がありながら。なるほど、金にも名誉にも興味がないわけだ。


 それにしても、この世界の達人というのは、みんなこんなのばっかりか?

 殺人狂のアネロス・ククバンといい、戦闘狂のこいつといい。


「それより、いいのか?」

「何がです?」

「……時間切れになって困るのは、お前のほうだろ?」


 はっとした。

 見抜かれている。

 身体強化魔術がなければ俺はただの子供だ。それどころか、副作用が始まったら病人同然になる。

 キースは戦闘狂だ。動けなくなった相手を斬るのは、本意ではないだろう。だが、弱っている敵にトドメを刺すのも、やはり戦いの本道。容赦はしてくれないとみた。


「ついでに、これはどうだ?」


 そう言うと、キースは剣を体に引き寄せ、口元で何かを呟き始めた。呪文の詠唱か?

 一瞬、霧吹きでもかけられたかのような湿気が、全身を覆う。自分の手足を見ると、うっすらと濡れている。傷も痛みもなかった。一見して、攻撃とは思えない。

 だが、体につく水滴は、白く濁っていた。


 ……まさか。


「お前の体の中の汚いモノを洗い流してやるよ」


 体内に残る、身体強化魔術。その触媒となる薬剤の効果を洗い流されたのだとしたら。いや、まだ効果は続いている。力が抜けてきたりはしていない。だが恐らく、何度もこれをされたら、完全に魔法が解けてしまう。


「くっ……!」


 苦し紛れに俺は、前に飛び出した。全力で打ちかかる。

 だが、一合、二合と俺の強烈な一撃を受け止めているのに、こいつは揺るぎもしない。

 ならば、これでどうだ。


 口の中で短く唱える。

 瞬間的な激痛に、キースは身悶え……しなかった。

 逆に、真上から、勢いよく剣を切り下ろしてきた。咄嗟に棒で受けるも、足元が滑って力が入らない。いつの間にか凍り付いている!

 結果、威力を殺しきれず、後方に跳ね飛ばされる。

 起き上がって愕然とした。大事な得物が、真ん中からきれいに切り落とされている。


「いってぇなぁ」


 痛い? 一応、効果はあったのか? でも、その程度か?

 キースは身体強化魔術について知っていた。だから『行動阻害』も想定内だったのだろうが。


「そろそろ本気出せよ、なぁ」


 彼にはまだまだ余裕がありそうだ。どうあっても全力を引き出し、それを叩き潰したいらしい。


「気に入らねぇんだよ。お前、まだまだ隠してるだろ」


 勘が鋭い。

 ここまでの強敵では、さすがに仕方がない。能力の一切が通用しない。ならば、ピアシング・ハンドだ。

 どれほどの達人だろうと、これは避けられない。防げない。


「出し惜しみなんかしてるから……ほら、見ろよ」


 つまらなさそうに、キースは溜息をつきつつ、後ろを指し示す。

 ここでまた、俺は愕然とした。


 いつの間にか、門の向こうに人影が見える。一人ではない。真ん中に立っているのは……はっきりとは見えないが、ギムだろう。

 なんてことだ。


 どうする?

 他に邪魔が入らないなら、話は簡単だった。キースの肉体を奪えば、あとは逃げるだけ。

 だが今、それをすると、俺はギム率いる傭兵どもの相手をしなければいけない。今の俺の能力では、ギム一人だけでも倒すのは難しい。まして、手持ちの武器もこんな状態だ。

 ならば、キースから肉体ではなく、能力を奪うか? 剣術とか?

 だが、手元に剣はない。こんな棒のきれっぱしで剣術の真似事をするのか? それに、剣術だけ奪っても、こいつにはまだ、他の技が山ほどある。水魔術も使えるし、素手でも飛び道具でも戦える。だいたい、後ろに控える連中も、今は中の様子を警戒して立ち止まっているが、すぐに援軍として入ってこないとも限らない。やっぱり勝てる未来が見えてこない。


 ならば、自分一人だけでも。

 いや。

 まだクズルがいる。

 俺がヤシルの体で逃げても、キースが追跡を命じたら、そこで終わる。


 詰んだ。

 もう、手がない。


「諦めたってんなら、それでいいんだぜ」


 キースは、そう言いながら詰め寄ってくる。

 手にした白刃を振り上げ、彼は、笑みを浮かべたまま、言った。


「あばよ、フェイ」

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