敵中突破

「そうですね、ランタンを持っていてください」

「いいの?」


 ここから脱出する。もしギムが砦の外にいるのなら。あとは雑魚どもと、トゥダだけ。

 隠れるより、短時間で倒しきったほうがいい。第一、ギムが徹夜で歩き回っているのと同じように、砦に残った連中も、外からの襲撃には備えているはずだ。仮眠を取りながらも、異変にはある程度、対応できるように準備しているだろう。

 だからこそ、彼らの気の緩む夜明け前を狙った。ギムの帰還と、彼らの起床時刻の間の、絶妙な時間。


「隠れようがありませんから」


 それで彼女は、ランタンを左手で吊り下げ、右手で油の瓶も抱えた。それはなくてもいいと思うのだが……まあ、好きにさせればいいか。


 扉を押す。開かない。

 つっかえ棒があるのか。これ、コーザがもし、トイレに行きたがったりしたら、どうするつもりだったんだろう。

 だが、今の俺には無意味だ。


 棒を壁に立てかけると、俺は扉の付け根に手をかけ、力をこめる。なかなか苦労させられたが、あるところで扉の木材が耐え切れず、裂けた。と同時に、向こう側のつっかえ棒が折れたらしい。派手に音を響かせて、扉が廊下の向こう側の壁に、倒れ掛かる。


「急ぎますよ!」


 棒を取り直して、俺は廊下に出る。リリアーナも遅れまいと、後についてくる。


 やはり音をたてれば、反応はある。さっき俺が囲まれたあたり、廊下で二人の男と鉢合わせた。


「あっ!」


 彼らは驚きの表情を浮かべる。だが、なにせこちらは子供だ。侮りがある。と同時に、密室からの脱出の原因に思い至らず、当惑する。必然、反応がワンテンポ遅れる。


「はっ!」


 踏み込み、鋭く突く。

 無防備な眉間に棒の先端が激しく叩き込まれる。それだけで、先頭の男は白目を剥いて倒れこんだ。


「なっ?」


 もう一人、後ろにいる男がサーベルらしきものを構えようとするが、振るう時間など与えない。同じように眉間に棒を向け、意識が上にいったところで、素早く切り返して、がら空きの股間に痛烈な一撃を見舞う。


「ごっばあっ」


 男として、思わず痛みに共感してしまう。だが、戦いにおいては急所を狙うのが鉄則。そして、トドメもだ。

 俺は、うずくまる男の首元に、棒を振るう。その一撃で、気絶したようだ。


 足元に転がるサーベルと斧。思わず拾うが、これをお嬢様が使えるはずもない。かといって、自分が持っていても……結局、俺は部屋の向こうの窓に向かって、それらを投げ捨てる。

 内心で、何をやっているんだと咎める声がする。向こうはこっちを殺しにきているのに。リンガ村を忘れたのか。

 忘れていないからこそ、なのかもしれない。俺は死を目の当たりにして、なお一層、自他問わずそれを恐れるようになった。


「行きますよ」


 内心の葛藤を押さえ込むように、そう言う。心なしか、声が低くなる。

 リリアーナは、そんな俺を、不安そうに見つめる。


 だが、見つめあう時間などなかった。割り込んできたのは、女の声。


「あっ! お前ら?」


 およそ女性らしさというものを感じさせない、粗暴な口調だ。手にしていたのは剣。片手で扱える長さのものだが、盾はない。

 ならばと、同じように間合いを詰める。眉間への一撃に、彼女は剣を打ち合わせて、棒の先端を逸らそうとする。無駄だった。

 威力と速度において、俺の一撃は相手を圧倒している。優れた技量でもあって、きれいに受け流せるのならいざ知らず、ただ普通の攻撃を防ぐのと同じつもりで武器を打ち合わせたのでは、何の役にも立たない。

 一撃で、この女も昏倒した。


 こうしてみると、ジュサは、あれはあれで、それなりに強かったのだろう。剣と盾をきっちり使えて、しかも古傷もなければ。こいつらは、どいつもこいつも、武器のレベルが2か3だが、たいてい一撃で勝負がついている。


 階段を見下ろす。さっき捕まった時、下からギムがやってきた場所だ。お嬢様がついてきているのを確認して、俺は階段に足をかける。そこで、下から駆け上がってくる男と目が合う。

 先手必勝! 一瞬で相手は崩れ落ちた。手にした槍を構える時間もなかったようだ。

 高所の有利もあるのだろうが、他にも要因はあるのだろう。後ろでリリアーナがランタンを持っていた。目にその光が入って、まぶしそうに目を細めていたのだ。


 階段を下りたところは、広間だった。例によって、何もない殺風景な場所だ。そして、また一人。両手に剣を構えている。ヒゲの生えた長髪の、暑苦しい男だ。

 これは少しだけ、相性が悪いと悟る。前世に学んだ知識だ。両手剣は、その重量と大きさゆえに、通常の戦闘ではあまり有用ではない。だが歴史的には、世界のあちこちで作られてきている。これらの用途は、直接、敵を殺害するところにない。長槍などの柄を叩き折るために生み出された武器なのだ。

 男は状況を見て取ると、剣を斜め上に構える。俺の動きに対応して、棒を短くしてやろう、というわけだ。

 どうする? 時間はかけたくない。


 対処法は、すぐには思いつかない。

 これも知識と経験の欠如か。前世の俺は、武器で戦った経験なんて、ほとんどない。せいぜい、学校で剣道の授業を受けた程度だ。

 あとは、人間は、振り回されるより、ピンポイントで突きを繰り出されるほうがやりにくい、とか。

 ……それなら。


 俺は一歩踏み出して、突きを繰り出す。

 これはフェイントだ。よく見て、相手が剣を振ったら、すぐに棒を逃がす。

 そのつもりだったのだが、相手は顔色を変えて、後ろに飛びずさった。


 しまった。

 当たり前か。相手は、取り回しの悪い武器を使っているという自覚がある。ならば振り回すタイミングを見計らって、選んでいるわけだ。それでこちらの出方を待っていたところ、想定以上に鋭い突きがきた。これで距離をとられてしまった。しかも、フェイントのつもりだというのも、バレてしまったかもしれない。

 ええい、それなら、いっそ力押しで……


 そう考えかけたところで、頭がすっと冷える。

 もう一回だ。


 踏み込んで、一閃。

 それに合わせて、今度こそ剣が振られる。二度も同じフェイントはないと思ったのか。だが、棒の軌道は突然右に逸れる。俺は、フィギュアスケーターみたいに背中を見せつつ、飛び跳ねた。そのまま一回転して、棒の先端は男の顔面を打った。首から上が撥ね上がり、姿勢が崩される。

 着地して、即座に追撃を見舞う。これで完全に男は沈黙した。


 これで下っ端の掃除は終わった。だが……


 廊下の向こうに、かすかなランタンの光。俺の戦いぶりを、じっと見ていたのだ。

 トゥダは、その場に灯りを置くと、静かに歩み寄ってきた。


「驚いたな」


 まずい。

 この強敵は、できれば不意打ちで倒したかった。

 こちらを子供と侮っているうちに。


「オブリは、これでも一応、アクアマリンの冒険者なんだがな」


 今、倒した男のことだ。

 アクアマリンなら、中級冒険者の仲間入りだ。一番下がペリドット、次がジャスパー、ガーネット。この上がアクアマリンだったはず。


「どうやって縄を抜けた? 扉も封鎖しておいたはずだ」


 どうする? 俺の目的は、こいつに勝つことじゃない。お嬢様を連れ帰ること。

 窓なら、数メートル離れたところにある。ここは砦の二階部分にあたる。だが、普通のビルと比べれば……当たり前だが、高さはかなりある。それを、俺一人ではなく、お嬢様の体重を支えつつ、見えない足場に向かって落下する。

 ダメだ。これはこれでリスキーだ。周りに敵がいない状況なら試してもいい。だが、相手に発見されている状況で足に深刻なダメージを負ったら、それですべてが終わってしまう。


 ならば、ピアシング・ハンドを使うか?

 いや。それもまずい。今はいないが、ギムがここに姿を現したら。本当に、完全に後がなくなる。


「さあ……脆くなってたんじゃないですか?」


 そう言いながらも、俺は棒を構え直す。


「手下どもを五人とも、あっさり片付けるとはねぇ……なるほど、まさか、本当に一人で来たということか」


 トゥダも、得物を持ち直す。

 そう。俺は力で彼を倒しきるしかない。

 ギムが戻ってくる前に、手持ちの能力だけで勝利を得られれば、もう脱出に成功したも同然だ。逆にピアシング・ハンドに頼るなら、もう、お嬢様を救うのは無理かもしれない。


 俺は改めて、トゥダの能力を確認した。


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 トゥダ・オーム (25)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、25歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル 棒術     5レベル

・スキル 格闘術    4レベル

・スキル 投擲術    4レベル

・スキル 隠密     4レベル

・スキル 水泳     3レベル

・スキル 医術     3レベル

・スキル 房中術    4レベル


 空き(15)

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 まいったな。

 こいつ、苦手な距離というものがない。

 棒では、体のサイズの分、向こうの間合いのが広い。かといって近付きすぎれば、格闘術の餌食だ。下手に下がれば、今度は飛び道具。今はまだ、棒も触れ合わない距離だが、奴にとってはもう、間合いの中なのかもしれない。


「どうした? 逃げるんだろ? こないのか?」


 考えがまとまらない。

 思い切りの良さも、実戦経験の有無で違ってくるのだろう。俺には、それが圧倒的に欠けている。


「……なら、こっちからいくぜ!」


 速い!

 雑魚どもとは比べ物にならない、鋭い踏み込み。

 棒の先端が、見る間に迫ってくる。やっとの思いで首をひねって、一撃を避ける。

 今度はこっちが。

 そう思った矢先、足元に風切り音。反射的に一歩下がると、鼻先を棒がかすめた。


 そうだ。これは槍じゃない。棒だ。

 トゥダは器用に立ち回り、その両端を巧みに攻撃に生かしている。

 残念ながら、単純な技量では、向こうのが上だ。


 だからといって、やられっぱなしではいられない。身体能力では、こちらが有利なのだ。

 攻撃の合間に、突きを捻じ込んだ。

 その瞬間、体が泳ぐ。流される。この感覚は。


 ぐっと足を踏みしめ、こらえる。いや、ダメだ。あえて逆に、更に踏み込んで、体ごとあたっていく。その先に、トゥダはいなかった。

 無様に石の床を、ごろごろと転がる。だが、おかげで距離が取れた。急いで立ち上がり、構え直す。


 ジュサとの対戦経験が、今になって生きた。

 そうなのだ。一定のレベルに達した戦士は、攻撃を受け止めるのではなく、受け流す。

 さっきの女みたいに、小手先で一撃を逸らそうとはしない。ちゃんと足の位置を動かし、俺の力の向きを少しだけ変える。そうやって隙を作り出すのだ。

 相手にそれだけの技量があるとわかっていればこそ、対応できた。


 だが。

 まずい。トゥダに気付かれつつある。

 確かに、俺の一撃は鋭い。運動能力も並外れている。しかし、実戦経験に乏しく、応用が利かない。ちゃんとした武術の訓練も受けていないから、技の引き出しも少ない。奪っただけのスキルで暴れているに過ぎないから当然なのだが、それが今、明らかな弱点となっている。


 落ち着け。

 身体能力だけなら、今の俺は、人間離れしている。トゥダだって、まさかビルからビルへと飛び移るほどの体力はあるまい。ならば、その優位を生かすべきだ。


「うおあああ!」


 気合と共に、俺は前に出た。

 全力で一撃を叩き込む。といっても、手先だけだ。あまり腰が入っていない。

 それをトゥダは受けた。受けてしまった。


「うっ!?」


 それでも、非常識なほどの重さ。しかも、これは連続攻撃だ。息継ぎもなしに、俺はあらゆる方向から、トゥダを狙う。

 最初の受け方が悪かった。距離をとるか、うまく受け流せばよかったが、こうなってはもう、足を使えない。ベタ足のまま、休みなく打ち込まれる棒を受け続けなければいけない。

 とはいえ、敵も棒術の上級者だ。ここまでしても、まだまともに攻撃を当てられないでいる。


「うっ、お」


 そこへ、振り上げられた俺の棒に、トゥダの左手が弾かれる。攻撃の勢いゆえに、棒を手放してしまったのだ。

 今だ!


 踏み込みかけたところで、視界に白い粒が浮かぶ。

 不自然に体をよじった。同時に頭上から、片手で振り下ろされる棒が襲い掛かる。それをも避けようと、更に足に力をこめた。トゥダの棒が、俺の左腕をかすめる。自分の踏み込みのせいで、盛大に吹っ飛び、壁際で仰向けになる。そこへ、追撃の棒が振り下ろされる。

 間一髪のところで俺は、それを棒で受けることができた。


「ちっ」


 トゥダは、余裕のない表情で、一歩飛びのいた。

 危なかった。今のは。

 奴が左手を離したのは、誘いだったのだ。そうして俺が勢い込んで踏み込んだところに、隠し持っていた石礫が顔面を狙ってきた。

 ピアシング・ハンドで能力を盗み見ていなければ。どこかで飛び道具がくると想定していなければ。あれは絶対に避けられなかった。


 息が上がる。

 気がつけば、汗が止まらない。

 おかしい。まだ時間はあるはずなのに。


 そうか。

 これは体のせいじゃない。

 まだ薬の効果は続いている。けれども先に、俺の精神が消耗しているのだ。


 その隙を見逃すトゥダではなかった。

 距離を詰め、逆に俺に連打を浴びせる。


「わっ」


 乱雑な攻撃の合間に、ぬるりと滑り込ませた棒を撥ね上げると、俺は簡単に棒を手放してしまった。恐るべき巧妙さだ。

 気付けば抱きつけそうなほど、密着した距離。トドメとばかり、トゥダは、短く構えた棒を振り下ろす。


「ぐふぉあっ!?」


 だが、悲鳴をあげたのは、彼のほうだった。

 俺の手が、彼の棒を掴む。それに抗うように、慌てて彼も棒を引き寄せる。しかし。


「あぐぁっ!」


 その手が、電気ショックでも受けたように、激しく痙攣する。片手だけでは、俺の腕力には抗えない。俺は無理やり、彼の棒をもぎ取った。


 トゥダは諦めない。後ろに飛びのき、体勢を整えようとする。

 そこへ俺は、短く三度目の詠唱を浴びせた。


「くっ!?」


 左足があらぬ方向に捻じ曲がり、彼は無防備な姿を曝してしまう。

 そこへ、俺の棒が肩口を打った。

 その一撃で、事足りた。


 ぎりぎりだった。

 イリクから訊きだした『行動阻害』の呪文がなければ、あのまま敗れていたのは、自分だった。

 何より、トゥダがその存在を知らなかったのが大きい。魔法といっても、所詮はただの痛みだ。くるかも、とわかっていれば、耐え切るのも容易だろう。今、勝利を手にできたのは、予想外の痛みで彼が混乱しているうちに、一気に畳み掛けたからだ。


 だが、これでもう、俺を妨げるものはない。

 やっと我に返って、視線を周囲に向ける。不安げなリリアーナの姿が目に付いた。

 勝ったのに、なぜ?


 ああ、そうか。

 俺は、微笑んで親指を立ててみせた。

 途端に、彼女も微笑んだ。


 よし。

 あとはすぐそこにある階段を下りて、門から抜けていくだけだ。

 がらんどうの窓の向こう、空は灰色になりつつある。そろそろギムも戻ってくる。急がなければ。

 俺が目配せすると、リリアーナは駆け寄ってきた。


 広間の横の階段を駆け下りる。門の合間から、外のかすかな光が漏れている。

 あとちょっとだ。


 だが、そこに影が差した。

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