サマーキャンプ

 耳を聾するセミの声。夏といえば、やっぱりこれだ。季節を感じる。

 サマーキャンプも二日目。緑豊かな涼しい森の中、今日の予定は……昼寝、だった。俺は地面の上に、うつ伏せになったまま、横たわっている。


 元はといえば、昨日の夕方、殺されかけたのがまずかった。なんとか怪鳥を倒したのはよかったが、おかげで切り札を使うはめになった。その分、高速で移動する手段も得たのだが、それはせっかくの犬の肉体を失うのと引き換えだった。

 命を拾って、腰痛に苦しんで、俺はその場で、いくつもの問題を抱えていると気付いた。


 俺は今、誘拐犯の支配下にあった魔獣を片付けてしまった。これに相手は、いつ気付くだろうか? もし気付いたら、そうでなくても、帰ってくるはずの時間に姿が見えなかったら、どうするか? 見回りにくるだろう。

 無論、鳥の死骸は残っていない。だが、犬の死体ならある。その傷が、例の鳥による攻撃でついたともわかる。つまり、ここで戦闘を繰り広げたことがわかってしまうのだ。

 だから、俺はまず、大急ぎで掃除を始めた。リュックを拾い上げ、夕暮れ時の、薄暗い中ではありつつも、必死で荷物を拾い上げた。銀貨や銅貨も、全部だ。それと、犬の死体は……これが一番、困った。遠くに捨てに行く余裕はない。無駄かもしれないが、すぐ脇まで引っ張っていって、そこに簡単な穴を掘り、埋めた。流れた血の跡は、完全には消せない。上から土をかぶせたが、注意深く観察すれば、素人でもその真新しさに気付く。


 次だ。

 いろいろ後始末をしたが、この付近にいては危険だ。なにせ、怪鳥が見張っていた道の近くなのだ。となれば、移動するしかない。だが、人間の体ではダメだ。足跡が残ってしまう。

 そこで、俺は奪ったばかりの鳥の姿に成り代わる。足でリュックを掴む。なんと、犬より運搬能力で勝るらしい。軽々と体が浮き上がった。

 森の木々の上に出て、あまり高くは飛ばないようにしようと思い直す。低空飛行は危険で難しいが、砦にいる飼い主に発見されるリスクを冒したくない。俺は、砦の南側から、回り込むように東側へと飛んだ。街道はここより西側だから、犯人どもの警戒しない方角に向かったのだ。


 さて、本来なら、夜が明ける前に砦に突っ込みたかった。

 なんといっても、見張りの鳥を倒してしまったのだ。その事実を知れば、奴らは警戒態勢をとるだろう。それに時間が経てば、街道から誘拐犯の仲間がやってくるだろうし、またこいつらが移動を開始する可能性もある。お嬢様の消耗も気がかりだ。

 だが、それは無理なのだ。とっておきの切り札は使ってしまった。おまけに、腰痛に疲労で、体調は最悪だ。とてもではないが、この状態で戦いを挑む気にはなれない。


 着地してから、俺はいったん荷物を降ろす。かなり暗くなってきた。この鳥、人間よりは全般的に視覚に優れてはいる。それに、子供の俺よりずっと強そうだ。だから、しばらくこの肉体で行動する。だが、このまま寝るわけにはいかない。

 なんといっても時間経過によって知力が低下するのは避けられない。特に、気を抜いた瞬間がまずい。眠ろうものなら、あっという間に、俺は鳥そのものになってしまう。この格好で、木の上で眠れば、それはもう、安全には違いないが、それでは翌朝、元に戻れない危険があるのだ。

 まぁ、目覚めたら人間に戻る、という条件付けをして寝てもいいのだが……それでは、別の課題が残る。


 俺は周囲の安全を確認した。近くには、これといった肉食獣はいない。これは恐らく、砦を拠点にした連中が何かしたからだろう。だが、念には念を入れなければいけない。俺は、湾岸倉庫で読みふけった薬草の知識を総動員する。

 飛び回ることしばらく、まず、クテイヤ草を見つけた。足の爪で引っこ抜く。あまり乱暴には扱いたくない。これは、磨り潰すと特有の匂いを発するようになる。これが、獣除け、虫除けになるのだ。なお、水洗いすればきれいに落ちるので、使いやすい。

 続いて見つけたのが、エレバン木の樹皮だ。これは、表面を剥いで水に漬けておくと、柔らかくなってくる。血行促進の効果を持つ外用薬なのだ。本当は、沸騰しないくらいの湯に通して、抽出した成分だけを膏薬にして使うのが正しいのだが、ここで火を使うのは無理だ。今の俺は、一週間の馬車の旅の後なので、結構、情けない状態になっている。少しでも体調を改善しておかないと、いざという時、危ない。

 近くに小さな泉も見つけた。だが、水を汲んだらすぐ遠ざかるべきだろう。いくら虫除けがあっても、蚊の群れの中で寝そべるべきではない。その他、ちょっとした食料になりそうな野草や、血止めに使えそうな薬草なども持ち帰る。


 準備が整ってから、俺は人間に戻った。薬を磨り潰し、また水に漬け、それから簡単な食事を済ませる。落ち葉を集めて寝床として、そこにうつ伏せになる。背中には、湿布代わりの樹皮を滑り込ませる。こんな場所で眠るのに不安はあるが、休まないわけにはいかない。


 そして今、翌朝を迎えた。

 体の節々が、微妙に痛い。だが、腰だけは少しよくなった。これなら普通に動けるだろう。


 こうして騒々しいセミの声に囲まれながら、俺は改めて手荷物の確認を始めたわけだ。

 手持ちの非常食。干し肉とパン、この辺で調達した山菜だが、ほんのひとかけらしかない。ちびちび食べても、今日一日が限度。もっとここに滞在するのなら、追加で食料が必要だ。

 着替えはない。今、着用している、ボロボロの上下がすべてだ。ちなみに、サンダルもある。寝床の上にかぶせたのは、大きなタオルだ。これがあるとないとでは、大違いだった。

 銀貨三枚に銅貨七枚。これらには、さしあたり、使い道はない。追跡がもっと長引いた場合には、役立っただろうが。

 そして最後に、肝心要の切り札、身体強化薬。もちろん、落としたまま忘れてきた……なんてことはない。とはいえ、ほとんどは屋敷に置いてきた。必要な材料のうち、ツマラーカの樹皮だけはピュリスにもあるのだが、他が入手できないのだ。そういうわけで、一粒だけ、紐に引っかけて持ってきた。


 さて。では、改めてどうするかを考えよう。

 今の時点で、俺には大きく分けて、二つの選択肢がある。一つは、このまま砦に突入して、お嬢様を救い出すことだ。これをやるには多少の問題がある。なんといっても敵の情報が少なすぎるのだ。


 潜伏している相手が二、三人程度で、その実力もジュサ程度であれば、身体強化薬を用いた俺にとって、さほどの危険にはならない。その場合には、敵を全滅させて、ゆっくりとお嬢様を連れ帰ることができる。

 もう少し手ごわい相手がいたら? その場合は、直接の戦闘は極力避ける。こっそりとお嬢様を連れ出すわけだが、うまくいったとしても逃げ込む場所がない。とはいえ、うまく人里に出られれば、そこでもう目的は達成だ。身分の証明ができれば話は簡単だが、そうでなくても手持ちの銀貨が仕事をしてくれるだろう。


 しかし、いずれにしても、ある程度の危険と直面することになる。だから、今の俺にとって一番安全な選択肢は……このままピュリスに戻ることだ。誘拐犯の居場所を特定しただけでも大手柄。怪鳥の体で戻れば、一時間とかからない。だが、問題はその後だ。


 敵は、いつまで経っても帰ってこないペットに、異変を感じているはずだ。加えて、見晴らしのいい砦の上から街道を見張っている。この辺の細い街道に、それこそギラつく槍を構えた騎兵隊が殺到してきたら、すぐに気付いてしまうだろう。まあ、取り逃がしても、俺の手柄そのものには違いないのだが……あの子爵家だからな。まかり間違って、令嬢に傷でもつこうものなら、なぜか「お前のせい」にされかねない。

 何より、問題なのは移動手段だ。子供が徒歩で、どうしてこんな遠くまで、お嬢様のあとを追ってこられたのか? 常識的に、往復するには最低でも馬が必要だろう。質問された時、どうごまかすか? ただでさえ、カーンには、ブルカンの塩を格安で仕入れた件で、疑念を抱かれているようだし、下手な真似はできない。

 それと身分の問題もある。俺はまだ奴隷だ。それが主人の許可もなく、門番にも知らせず、勝手に市街に出た。これでお嬢様の救出に成功でもすれば、その辺はうやむやにできるかもしれないが、万一捜索隊がしくじったら。連中が先に逃げ切ってしまったら、残るのは脱走の事実だけだ。


 理想を言えば、やはり、中に突入していってお嬢様を取り戻し、屋敷へはゆっくりと戻ることだ。そうすれば、日数についての多少のごまかしもできる。だが、このままではどうあれ、絵に描いた餅だ。

 仕方がない。俺は意を決して、もう一度、空を飛ぶことにした。


 いきなり砦に近付くのは避けた。飼い主に発見されるのが怖かったのだ。その代わり、お嬢様を連れ出した際の逃走経路を調べた。

 まず、ここに至るまでの街道に戻った場合、北方向におよそ十五キロほど進まないと、集落はない。この路線では、ここが最初の人家で、一番近い。ピュリスに引き返すとなると、三十キロ以上は移動しないといけないから、逃げ込むならやはり、そこだろう。

 身体強化魔術を使って走って逃げるとしても、あまり遠くでは困る。暴れまわってお嬢様を見つけるのに三十分、彼女を抱えて走るのにもう三十分と考えても、あの村落に行き着くのが限度だ。

 よし、逃げる先は決まった。なら、次は砦のほうだ。


 まず、なるべく遠くから観察する。濃い緑の木々に囲まれた、小高い岩山の中に、まるで埋まるかのような感じで建っているのが、この山塞だ。

 砦の下のほうは、完全に人工物だ。いつの時代のものかはわからないが、金属製の城門がある。但し、かなりガタがきているらしい。片方しか開けられないようで、それも錆びついているのか、半開きの状態だ。おかげで、出入り口に一人、男が張り付いている。皮の鎧を着て、頼りなさげな槍を持っている。年齢は二十代前半くらいか。

 実力を測ってみよう。


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 コーザ・モーブ (21)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、21歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル 槍術     2レベル

・スキル 医術     2レベル


 空き(18)

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 強敵とはいえない。見張りの仕事にも熱心ではない。さっきから、槍を杖代わりにしてもたれかかりながら、退屈そうに溜息ばかりついている。これなら簡単に打ち倒せるだろう。

 だが、こいつ一人を基準に、敵の戦力を判断すべきではない。他に指揮者がいるはずだからだ。


 門の上には、当たり前のように城壁がある。ただ、この城砦は岩山をくりぬいて作ったもののようで、城壁の後ろにあるのは平らな地面ではなく、石の壁だ。規模こそ大きくないものの、堅固な要塞に見える。

 そんな感じで、人工物と自然の岩が交じり合ったフロアが三階分ほど続いて、その上はもう、岩山に覆われている。この巨岩、左右はすっぱりと切り落とされているので、俺みたいに空を飛べるのでなければ、簡単にはこの城の天辺に立つことはできない。

 近付いてよく見ると、その岩山の片隅に、小さな出入り口がある。どうやら、城の内部から繋がっているようだ。とはいえ、こんなところから出られたって、ありがたみなんかあるのだろうか。砦のすぐ上あたりだが、それを含めた岩山の天辺はもう少し上で、でこぼこしている。足場が悪いのと、遮蔽物があまりないのもあって、陣取っても戦いを有利にはできないだろう。


 では、もう少し接近して観察しよう。敵の人数を把握したい。

 高度を落として、砦の窓を覗き込む。だがその時、耳元に風切音が届いた。

 斜め上に視線を向けた一瞬、自分の破滅を感じた。

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