下見の方法

 昼下がりの宿屋のベッドの上。俺は、手元の金色をぼんやりと見つめていた。


 ピュリスから持ち込んだ塩は、金貨二十枚に化けた。自力では運べなかったので、カーンが若手の男を一人、俺につけてくれた。仲買人相手に頑張って交渉したのだが、思ったほどの値段にはならなかった。仕方がない。これから市が立つ。食料品も、割安で大量に捌かれる。そんな時期に買取をこちらからお願いするのだから、足元も見られる。

 とはいえ、十枚の金貨が倍になった。これだけでも成果ではあるが、本当の勝負はこの先だ。

 今は、明日から始まる市に備えて、各自がそれぞれ情報収集に動いている。カーンは、本部に使うこの宿に腰を据えている。彼には自身の大きな商いが予定されており、またその身分もあって、たいていの客は向こうから顔を出す。逆に、こちらから挨拶する必要のある相手は、昨夜のうちに片付けておいたそうだ。


 それにしても、俺はちょっと、この世界での旅行というものを、少し舐めていたようだ。到着は昨日なのに、まだ腰が痛い。馬車のせいだ。

 こちらの馬車は、日本の自動車とはわけが違う。サスペンションもないし、クッションもない。ゴムのタイヤもないし、整備されていても、道路には細かな凹凸がある。

 もちろん、馬車での移動が初めてというわけではない。収容所の遠足も、競売も、全部馬車に頼った。でも、その時の移動距離はせいぜいが一日分。いや、最初にティンティナブリアからエキセー地方まで運ばれた際には、もっと時間がかかっているはずだが、この時はもう、前半は意識自体なかった上に、栄養失調でろくに動けず、おまけに痺れ薬が効いていて、ずっと寝込んでいたから、それどころではなかったのだ。ちなみに、奴隷オークションの会場からピュリスまでの道程はというと、実はほとんど船だったりする。

 要するに、今回みたいに一週間ぶっ通しで馬車に揺られたのは、初めてだった。おかげで腰の痛いことときたら。今でも動きたくないくらいだ。


 だが、外に出なければいけない。せっかく手にした二十枚の金貨も、このままでは死に金だ。更にここで、もう一段階稼ぐ。そのチャンスが眼前に広がっているのに、何もしないわけには。

 無論、金が欲しいというだけではない。目標はブレていない。ここで大きな結果を示す。高い能力を持つとわかれば、彼らも俺を育てざるを得ない。


 俺の最終目的は、不老不死の獲得だ。だが、それは誰もが求め、得られずにいる究極の夢。そんな大目標に挑むのだから、少しでも高い能力を得ておく必要がある。

 幸い、俺にはピアシング・ハンドという圧倒的な力がある。だから、修行に必要な時間は劇的に短縮できる。しかしながら、経験だけ奪い取っても、思ったほどの能力は発揮できない。知識が伴っていないからだ。

 知識を得るにはどうすれば? 良質の教材と、優れた教師をつけてもらうのだ。俺が奴隷の身分のまま、子爵家に来たのは、ただただそれだけのため。


 もしかすると、自由民になりたかったなら、ミルークに頼めば手早かったかもしれない。それに、俺の可能性を知る彼なら、ある程度の教師も見つけてくれるだろう。だが、あそこは環境が悪い。お手本はいても、経験を奪う相手に困る。頼み込んで街中で生活させてもらう? 彼は俺が異世界人の生まれ変わりであるという証拠を手にしてはいるが、ピアシング・ハンドの能力を理解してはいない。もし、他人から人生の一部を横取りするために、大都市で生活したいんだ、などといったら、きっと手伝ってはくれないだろう。

 何より、彼の傍で生きるのは危険すぎる。数年前のトック男爵領襲撃事件の関係者で、しかも報復攻撃の対象を匿っている。事実が明るみに出たら……ただの奴隷の子供達はともかく、大人達の命はないだろう。事情を知りつつ一緒にいたとなれば、俺も容赦はされまい。


 というわけで、子爵家のコネとツテを生かして、有用な人物として育成されるべく、今、結果を出したいのだ。そのためには、腰の痛みなど我慢しなければならない。


 俺は、のろのろと起き上がる。数歩、老人のような歩き方をして、部屋の出入口で振り返る。

 古びた窓の木枠に、煤けたガラスが嵌っている。そこから差し込む日光に、舞い散る埃が見える。こげ茶色の床に、空色のシーツ、味のある漆喰の壁。そこそこ清潔感のある、快適といえる部屋だ。前世でも、田舎に旅行すれば、こんな感じの宿に泊まったかもしれない。

 ここまで野宿することもあったし、集落の空き家を提供してもらったこともあったが、おおむね寝泊りに不自由することはなかった。こうしてちゃんとした街に着けば、それなりの宿にも泊めてもらえる。恵まれた環境にあるといえるだろう。

 大丈夫。俺の人生は、だんだんとよくなってきている。最初は、貧しい農奴の私生児だった。それが奴隷として育てられ、今では貴族の屋敷に仕える立場。でもだからこそ、ここに安住せずに、先に進まなくては。


 仲買商の通りを踏み越えて、街の北東部に向かう。それまで密に建造物が立ち並んでいたところに、ぽっかりと空間が広がる。北部通商路に繋がる広場であり、また、東側に広がる倉庫区画の入り口でもある。

 柵の向こう、東側に立ち並ぶ倉庫はどれも木造だ。実は、あまりしっかりした作りではなく、気密性もそんなにない。一応、雨ざらしではない、といった程度だ。それで困らない。ここの倉庫は、商品の長期保存を目的とはしていない。明日から始まる市のために、各地から運ばれた荷物を置いておくために、とりあえずで用意されたに過ぎないのだ。

 普段から人通りも多くはない区画。だからなのか、野良犬の集団が居座っている。近寄らなければ襲ってこないらしい。近寄っても、大人の男であれば、犬の方が逃げる。だが、子供が相手となると、わからない。

 俺は、離れた場所から倉庫を眺めつつ、思案した。


 コラプトの市は、毎年七月、つまり紅玉月に開催される。平地よりは若干涼しい場所というのもあり、一週間ほどの間に、多くの商人が詰め掛ける。ちょっとしたお祭りというわけだ。当然、様々な品物が取引されるわけだが、ここで少し、気をつけなければいけない点がある。このイベントに参加する商人達の目的だ。

 当然それは、立場によって大きく異なる。例えばカーンのように、身分の高い人物の場合は、そもそも直接の利益を狙っていないことが多い。むしろ、付き合いや顔繋ぎが主要な目的となる。中堅どころの、ようやく芽が出てきたくらいの商人であれば、自社製品のアピールをしたがる。そのため、良質な品物を数多く安く放出する。そして、駆け出しの商人は、そういう掘り出し物を頑張って買い漁る、というわけだ。俺もそういう連中に混ざろうとしている。

 問題は、それに便乗する悪質な山師どもだ。こういう場では、特に未熟な者が、有利な取引をする機会を逃すまいと、買い急ぐ。そういう連中相手に、品質の落ちた、倉庫の肥やしを上手に押し付ける……毎年、この手の落とし穴にはまって、大きな損失を蒙る商人が、後を絶たない。

 特に、薬問屋は危ないのだ。これが例えば、貴金属製品とかであれば、贋物の判別は容易であるし、そもそも黄金だといって鉛を売りつけたと知れれば、これは立派な詐欺行為だ。コラプト市からも制裁を受けるし、商人達にも噂が広まってしまう。だが、劣化した薬品は?

 それがツマラーカの樹皮なのは間違いないだろう? 劣化しているというが、販売時点で品質が低かったという証拠は? その後の管理が悪かったんじゃないのか? ……こう言われてしまうのだ。

 だからカーンも、品質の判別が重要だと、俺に繰り返し言ったのだ。ダメになった薬を、そうと見抜けず仕入れたのなら、それは買ったほうが悪い。少なくとも、商人として、薬剤師としては、恥にしかならない。


 そして、そういう危ない市場であるにもかかわらず、明日からの薬の販売は、オークション形式で行われるという。当然、近寄って匂いを確かめたりなどできない。品数も多いので、取引はスピーディーでなければならないのだ。じゃあ、どうやって見抜くのか? 事前情報と、商人の顔だ。

 どんな品目をどれだけ、誰が出品するのか。それについては、コラプト市の関係者が資料を配布している。これを見て、経験豊富な商人は、どこで買いを入れるかを決める。彼らには情報網があり、今、俺がこうして突っ立っている間にも、街の中の喫茶店や酒屋、はたまたグルービーの風俗店の中などで、互いの知識を交換し合っている。

 彼らは、異様なほど物覚えがいい。どの参加者が、何年前から何を出品していたか、それはどれくらいの金額で出品され、落札されたか。その辺をかなり正確に記憶している。当然、新参者より、昔からの参加者のが信用できると判断するのだが、毎回首を突っ込む悪徳商人もいるわけで、それを区別するのに役立つのが、過去の出品情報なのだ。彼らにとっては、毎年の市況や薬の相場は常識に等しい。そして、どの薬がいつダブついたか、その古くなったものを売ろうとしていたのではないか、といったところを、上手に見抜く。

 だから、俺もその情報交換に参加できればよかったのだが……大人の話し合いに、誰が六歳児を招いてくれるだろう? カーンは? 今も宿で、来客の相手をしたり、明日以降の取引の計画を再確認したりと忙しい。今回、俺については完全に後回しだ。

 というわけで、俺は俺で、独自の手段と努力によって情報を集めなければいけない。運がよければ、適当に品物を選んでも、ゴミを掴まされたりせずに済むかもしれないが……しくじったら、せっかくの金貨がパァだ。


 倉庫の近くには、数人の警備員が散らばって歩いている。一応、それなりの金額になるものが置かれているので、泥棒でもやってきたら大変なのだ。だから、人間の接近には敏感だ。子供なら、と思って少し近付いてみたのだが、遠くからでも警備員は俺を厳しい目で睨んだ。それもそうか。この世界、子供の泥棒だっている。

 そんな警備員の横を、のろのろと歩いているのが、野良犬どもだ。さて……


 俺は、自分の状態を再確認する。


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 (自分自身) (7)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、6歳・アクティブ)

・マテリアル バード・フォーム

 (ランク6、オス、8歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 商取引    4レベル

・スキル 薬調合    4レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 棒術     4レベル


 空き(0)

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 残念ながら、空きはまだない。

 削るとすれば、やはり、バード・フォームだろうか?


 長年愛用した鳥の肉体は、それは便利ではあったが、ここコラプトの上空を舞う鳥達に比べると、少し見劣りするようだ。何より、毛並みのいい動物なら、出会えさえすれば一発で肉体を奪取できるが、スキルのほうは、そうはいかない。

 ここらで一度、鳥以外の動物にもなってみようか?


 俺は、じっと犬の集団を見つめる。犬の見た目は様々だ。あからさまに体が小さく、毛並みもよくないのがいる一方で、どこにそんなに餌があったのかと問い詰めたくなるほど立派な体格なのもいる。白っぽい色合いのシベリアンハスキーみたいなやつだ。犬達の態度を見る限り、あれがこの辺のボスらしい。


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 <イヌ> (27)


・マテリアル ビースト・フォーム

 (ランク7、オス、3歳)

・スキル 爪牙戦闘 4レベル

・スキル 芸    3レベル


 空き(25)

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 爪牙戦闘というのは、多分だが、犬の体を駆使して戦う能力のことだろう。なるほど、力で集団のボスに成り上がったわけだ。

 芸、というのは……あれか? お手とか、伏せとか、ハウスとか。ということは、捨て犬なのか。なかなか不憫な人生、いや、犬生だったらしい。

 おっと。同情するのもこの辺までにしておこう。これから俺は、こいつを殺すのだから。といっても、苦痛も恐怖も自覚もない。


 ……成仏しろよ。


 周囲の見張りが、俺や通行人に気を取られている間に、一匹の犬が、静かに天に召された。心の中で、何かどこかが痛むような気がしたが、俺はそれを噛み殺す。

 頭上を見上げる。まだ明るいが、あまりのんびりしていられない。犬の視覚は暗くても機能するが、視力自体がよくないのだ。


 宿に戻り、人気があまりないのを確認する。カーンの私室からは時折、大きな笑い声が聞こえる。来客がいるのだろう。好都合だ。

 俺はいつものように服を脱ぐ。そして、前回コラプトに旅した際に使ったボロボロの服を、緩く縛って用意する。これは宿屋の近くの物陰に放置しておく。戻ってきた時、宿の中に人間が大勢いた場合、犬の姿では自室まで戻れないからだ。その場合は、外で裸の人間に戻り、服を羽織る。

 準備ができた。深呼吸して、意識を集中する。


 視界が急に霞んだ。色合いに鮮明さがない。なぜだろう?

 理由がわかった。赤い色がちゃんと見分けられないのだ。だから、空色のシーツはなんとか元に近い色で見えるが、足元の木の板などは、こげ茶色というより、濃い灰色だ。それに、全体的に視力が低く、頑張って見ないと、遠くが霞んでしまう。鳥の時には、ちゃんと三色見分けられたし、視力もよかったのだが。

 意識を保つのはできそうだ。条件は……自分が誰だかわからなくなったら、名前を思い出せなくなったら、元に戻ること。リスクはあるが、これは仕方ない。気がついたら野良犬としての生涯をまっとうしました、ではお話にならない。

 さて、こんな宿屋の中に、野良犬が紛れ込んでいるとなると、大事になる。俺は手早く、非常用の着替えを咥えると、そそくさと部屋の扉をすり抜けた。


 毛並みのいい大型犬の姿に気付くと、犬達ははっと振り向いた。いきなりいなくなった親分が、遠くから戻ってきたのだ。匂いでそれと察して、頭を低くする。うん、なんだかわからないけど、ちょっと嬉しい。きっとあれだ、俺はこちらに生まれ変わってから、ずっと低い身分のまま暮らしてきたが、今はこいつらの王様だからだろう。

 でも、俺の目的は別にある。俺が通り過ぎても、警備員は気にも留めない。狙い通りだ。そうして、粗末な木造の倉庫群を見渡す。

 倉庫にはどれも、名札がついている。これは、どれが誰の荷物か、簡単に区別するためだが、俺にとっても好都合だ。明日の薬品オークションの出品者の名前なら、ある程度覚えてきている。お目当ての薬はもう、ピュリスにいる時から、絞り込んであるのだ。


 俺は、腰の痛みなどない、しなやかな犬の体で音もなく歩き回った。視界こそ色褪せているものの、空間には音と臭いが充満している。おかげで、どこの区画に目当ての薬がありそうか、いちいち探し回るまでもなく、すぐ判別できた。

 一番強い臭いを発していたのが、この、奥のほうにある倉庫だ。察するに、かなり早い段階でコラプトに到着したのだろう。名札を見ると「イハイク・イショール」とある。俺がここで購入する予定の原材料を、明日オークションにかける男だ。しかし、これは……

 薬の保存の基本は、密封だ。外気に触れたり、日光に曝されたり、湿気を帯びたりすると、劣化する場合がほとんどなのだ。そうして変質した薬剤は、それぞれ種類に応じて、何らかの臭いを発するようになる。

 この臭いから判断するに、こいつの薬はどうもダメそうだ。まだ断言はできないが、微妙にカビ臭いし、目当ての薬以外についても、とにかく臭いがダダ漏れだ。ということは、薬品の管理が甘いといえる。


 果たして、別の倉庫に近寄ると、そこまでの臭いはしない。もちろん、多少の臭いはある。だが、さっきのようなひどいものではない。この商人の品物になら、金を払ってもよさそうだ。俺は首をあげて名札を見る。


『ガッシュ・ヨコーナー』


 えっと、なんだったっけ? なんとなく記憶にあるような。誰だったっけ? ……あ。

 あいつだ。


 タマリアの弟のデーテル。内気な性格が災いして、結局、オークションでは買い手がつかなかった。それでミルークは、商人見習いとして引き取ってくれる相手を探した。その時に手をあげたのがこいつ、ヨコーナーだ。

 ところが彼は、こともあろうに、デーテルを貴族に売り飛ばした。それも、よりにもよって、変態貴族のスード伯・ゴーファトにだ。結果、デーテルは虐待の末に死んだ。タマリアにとっては、仇の一人だ。

 だから、ミルークはもう、こいつとは絶交した。それで済ますしかなかった。腹に据えかねたに違いないが、奴隷が一人死んだというだけで、まさか報復攻撃をするわけにもいかない。何しろ、既にデーテルの所有権はヨコーナーのものだったのだ。第一、ここはフォレスティアであってサハリアではないので、そんな真似をすれば、ただの犯罪者だ。それに今の彼の立場では、下手に動けない。彼は先代族長の息子だが、今はただの一私人なのだ。


 そうか。こんなところにいたのか。

 まあ、俺の目当ては薬だ。購入できれば、それで充分だ。ただ、できれば一目、お会いしてご挨拶申し上げたくはある。


 しばらく歩き回って、だいたいの目星をつけた。購入しても問題なさそうな相手と、そうでない商人。さすがは犬の嗅覚だ。

 柵で覆われた倉庫群の内側、その出入り口の脇に、相変わらず野良犬どもが屯していた。俺が近寄ると、みんな恭しく目を伏せる。うん、やっぱりいい気分だ。こら、俺の鼻先を舐めるな。くくっ、かわいい奴らだ。

 さて。俺は腰を落ち着けた。夕方近くなって、少し気温も下がってきている。身を寄せてくる犬達の体温が心地よい。とりあえずは、今日、ここで寝て……明日は……明日?

 明日って、なんだったっけ? あれ?

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