鈍重なる来訪者

 今日の掃除は、ちょっと大変だった。久々に総督閣下本人の面会予定だったからだ。


 夫人の面会でも、それなりの部屋を用意するし、掃除も手を抜けないのだが、本人となると、たいていの場合、公的な会談となる。出てくる相手の身分も高いことが多い。それだけに、部屋の規模も大きくなるし、準備も仰々しくなる。

 今回の部屋は「芍薬」だ。小規模な集まりという条件で、かつ総督より身分の低い相手と会見する際には、ここが一番、上等な部屋となる。

 対するに、客はたった一人。ピュリスの衛星都市コラプトの、商会の会頭なのだそうだ。

 貴族ではない。騎士でもないし、公人ですらない。ただの商人の代表でしかない。それも、その他大勢の大商人を引き連れて会議を催すというのならいざ知らず、一人で来るのに、だ。

 カトゥグ女史の、ごく簡単なブリーフィングによると、この会頭、二十年ほど前から頭角を現し、十五年前からはもう、現在の地位にあったのだという。つまり、子爵の父がここに赴任する前から、既に顔役だった。後任者となってから、まだ二年しか経っていない現総督としては、少々気を引き締める必要がある。最上級の部屋で迎えることによって、相手を尊重する意志を示すと同時に、この地の支配者としての威厳を見せ付けたくもあるのだ。彼がここにやってくるのは、子爵の就任祝いの時以来というから、ほぼ二年ぶりとなる。

 そんな背景あっての会談だ。当然、この広い部屋の清掃も、俺一人では片付かない。今回はメイド長も立ち会っての大騒ぎだった。おかげで、却って時間的余裕が多少生まれた。


 着替えてから、部屋の中を見回した。


 芍薬の名前の通り、部屋は円形だ。贅沢に、色大理石をふんだんに使って、内壁を飾り立てている。頭上には豪華なシャンデリアが輝いている。部屋の北側に主の席があり、その辺りは赤い石が使われている。また、黄金の柱や装飾がその脇を固めている。対するに、向かいの壁は緑色だ。

 部屋の中央には、大きなテーブルがある。これは着脱可能で、必要がなければ、分解されて収納される。部屋が丸いのだから、これも丸くすればいいのに、わざわざ八角形だ。これも重厚感のある黄土色の大理石でできている。足元は白。来客用の椅子が配置されているのは、その八角形の左右と底辺側の、合計五つの辺だけだ。つまり、あとは主人の席があり、その左右には、席がない。だが、予備の空間があるところを見ると、そこには配下の者達が立ち並ぶのだろう。

 これらテーブルと席は、いわば白い大理石の台の上にある。来客は、短い階段を登らないと、自分の席に辿り着けない。主人側の足場は更に一段高いところにあるが、それ以外の場所は、一段低くなっている。何れにせよ、それは僅かな段差でしかない。


 窓の作りも、なかなかよく考えられている。いくつかの高さに分けて、自在に開閉可能な小窓があり、そこには光の量や色合いをコントロールするための色つきガラスが何種類か切り替えられるように作られている。これらは舞台裏の装置によって操作が可能だ。だからいつでも、望んだ形で外の日差しを取り込める。季節と時刻をちゃんと計算すれば、主人の背後に日光を当て続ける、といった演出もできるのだ。


 また、自分が清掃を担当したわけではないので、直接見てはいないのだが、この主人席の裏の壁の向こうには、更に冷房装置まであるらしい。といっても、魔法を使うわけではない。地下水を汲み上げて、壁の裏側や床の下を循環させるのだ。なるほど、部屋の温度が上がるのは、日光が壁面を熱するからなので、そこを冷やしてやれば、多少は過ごしやすくなるというわけだ。逆に冬場には、お湯を流し込むらしい。ちなみに動力は馬だ。

 今の王城には、魔法を使った冷暖房装置もあるらしいので、それに比べると貧相に思われるかもしれない。だが、築造された時期を考えれば、無理もない。七百年前に勃発した諸国戦争でワノノマ以外の六大国は壊滅した。以後百年ほどの暗黒時代を経て、ピュリス王国は産声をあげた。その頃、魔法技術の多くは失われており、現代のようには、復元作業が行われていなかったのだ。まぁ、だいたいからして、今の王城の冷暖房にしても、統一時代の遺跡から発掘したものを、修復して流用しているだけに過ぎない。


 かつてのピュリス王の謁見室だっただけはある。立派なものだ。だが、ここがエスタ=フォレスティアの支配都市のひとつに落ち着いてからは、新たに王家の使者を迎えるための「牡丹」の部屋が増築され、そちらが最上級の客を迎える場となった。ここより豪勢な部屋となると、あとは公式行事に用いられる「睡蓮の広間」くらいしかない。

 そう考えれば、感慨深い。ここも歴史の舞台だったのだ。エスタ=フォレスティア軍に包囲されても、ピュリス市はびくともしなかった。だが、まさにこの部屋で、重臣達を相手にしていた高齢の王が、突然急病に倒れると、状況は一変した。次の王冠をかぶるのは誰か? 団結を欠いたピュリスから、王女が逃げ出すはめになったのだ。

 以後、ここの玉座に腰掛けた人間はいなかった。というのも、当時の豪華な玉座は、ここを占領したフォレスティア軍によって、撤去されてしまったからだ。今は総督のために、かつてより簡素なものが……といっても充分立派な椅子なのだが……置かれているだけだ。


 既に花瓶も据えられて、お香も焚かれている。なんとも華やかな雰囲気だ。少なくとも、この光景を客観的に見渡す限りにおいては。


「なぁに? 名残惜しくなったの?」


 そんな俺の鑑賞を妨げるものが二つ。一つは言わずと知れた、ナギアの存在だ。

 彼女は、今日という日を、首を長くして待っていた。


「もう、こんなところに出入りできる身分じゃなくなるんだから、じっくり楽しみなさいな」


 上機嫌なこと、この上ないようだ。それもそのはず、俺は今日をもって、接遇担当から外れる。たまにヘルプで入ることはあるだろうが、もう正規メンバーではなくなるのだ。


「一応、言っておきますが……配置換えは、僕自身の希望です。仕事をしくじって外されるわけじゃない」


 その気になればいつでも戻ってこられるのだ、という意志表示。だが、ナギアの調子は変わらない。


「だったら、尚更、間が抜けてるわ」


 小躍りしながら、彼女は続けた。


「知らないの? 接遇担当を数年務めた先。男性なら、その先は秘書課よ? ま、優秀な人しか、なれないんだけど。で、秘書課で一番優秀な人が、執事になるの。私のお父様だって、一時期はちゃんと秘書課にいたし、今のイフロース様も秘書課から入って、そうなったんだから」

「だから?」

「言わなきゃわかんない?」


 鼻息も荒く、半ばはしゃぎながら、彼女は俺の耳元に口を寄せた。


「あんたはもう、脱落したの。落ちこぼれたの。まあ、そうなって当然だったんだけど」


 接遇担当とは、つまり、下働きの身分でありながら、主人の交際相手を目の当たりにする、特殊な立場だ。来客の顔と名前を覚え、上流階級の立ち居振る舞いや考え方を、現場で学習する。そうして身につけた素養を元に、より重要な任務に割り振られていく。なるほど、有望な子供でなければ、そもそもここに配置されさえしない。そこから自分で立ち去るというのだから、常識的に考える人からは、バカな選択をしたと見られるわけだ。

 だが。


 ……無防備な女だ。


 この一言を聞いての感想は、何よりまず、これだった。

 こんな態度を繰り返して、俺の怒りを招いたら、どうなると思っているのだろう? 暴力沙汰なんか起こしたら屋敷にいられなくなる、それが抑止力になる……傲慢に過ぎる考えだ。

 その屋敷の中での出世レースから落ちこぼれたのなら、誰がそこのルールに執着するだろう? こいつは子爵家という社会の中心近くにいるから、その外れのほうに放り出される連中のことなど、想像もできないのだ。

 たとえ怒らせても、せいぜい殴られるだけだと思っているのだとしたら、それも甘すぎる。俺はもう、それ以上を経験した。なんなら、この場でこいつの眼球をくりぬいてやってもいい。俺はここを追い出され、犯罪奴隷に身を落とすだろうが、こいつも片目を失っては、今までのような暮らしはできまい。接遇担当からも外れるだろう。

 俺の殺気を浴びて、一瞬、真顔になった彼女だったが、すぐにまた、いやらしい笑みを浮かべた。


「なによ、すごんだって全然怖くないんだから。ねえ、ちゃんと歩けるようになったの?」


 ちょっと距離をとれば、もう怖くないと言わんばかりだ。

 そう、俺の気分を憂鬱にしているのが、この痛みだ。先日の理不尽な懲罰で、全身に傷を負った。数日間は腫れがひどく、普通の作業もこなせなくなった。今日になってようやく、なんとか日常業務に復帰したのだ。おかげで、今日の清掃でも、しゃがんで隙間の埃を掻き出す時なんか、あちこち痛くてならなかった。


 もういい。ナギアもリストに加えておいた。俺はいつでもここを出て行ける。そうなったら、こいつも地獄に突き落としてやろう。そうだな、その肉体はなかなかきれいだから、奪い取ってやる。だが、中身はいらない。とはいえ、そのまま魂だけにしたのでは、死ぬ時に苦痛も恐怖もまったくないから……虫けらとか、植物とかに、魂を移し変えてやろう。

 だがまず、とりあえずは、こいつの遊びに付き合うのをやめることだ。


「時間だから呼びに来たんでしょう? さっさと行きましょう」


 俺のそっけない態度に、彼女はいつもの仏頂面に戻った。


 俺とナギアは、芍薬の部屋の外に立った。周囲はこじゃれた中庭となっている。すぐ脇には、控えの間がある。来客は、そこで一休みしてから、いよいよこちらに足を向ける。

 これまたカトゥグ女史の情報によると、コラプト商会の会頭は、道草を食わない人らしい。貴族でないにせよ富裕層ならば、花を愛で、草木を眺めてから家主の顔を見に行くものなのだが、今回の人に限っては、そういう常識は通用しないのだとか。ということは、まもなくここまでやってくる。

 離れたところから、物音が聞こえてくる。来客が控えの間に到着したのだ。さすがに、ここで一服する。今は真昼間、かなりの暑さだ。それに、彼の到着を受けて、裏から子爵が芍薬の部屋に入る。それを待つのだ。

 一応、直射日光を浴びない場所に立っているのだが、蒸し暑さがたまらない。いつものように、黒いスーツを着用して、花々の中に埋もれているのだが、この時ばかりは、芳しい花も、むず痒く感じる。蚊などの害虫は、徹底駆除されているが、それでもまったくいないとは限らないのだ。

 まもなくして、控えの間から、また物音が聞こえてきた。どうやら、もうやってくるらしい。いや、やっと、か。一応、汗が目立たないようにと顔には化粧を施してあるのだが、完全に汗だくになってしまっては、意味がない。早く来てくれる分には、大歓迎だ。


 少し離れたところで、扉が開き、そこから大きな人影が姿を現す。ここからだと、植わっている木々が邪魔で、よく見えない。随分とゆっくりした歩みだ。それにぎこちない。足を悪くしているのだろうか?

 今、その足元が見えた。杖を突いている。それに、サハリア風の貫頭衣だ。ひどく太っているらしい。歩くのにも難儀するとは、随分な体型だ。こっちは暑いというのに、まったくじれったい。

 その、足の遅い客人が、角を曲がって、こちらに振り向いた。


 うそ……だろ……?


 思わず目を見開いた。きっとナギアもそうしたに違いない。但し、その理由は、俺とは異なるだろうが。

 この世界に来て、外見的にもっとも醜い、不潔感あふれる人物。ランキングをつけるとすれば、今のところ、ぶっちぎりで彼がトップだ。

 ラスプ・グルービー。まさか、こんなところに来るなんて。くそっ、イーナさんから、ちゃんと名前を聞いておけばよかった。


「お……おお、おお……」


 目が合ってしまった。そしてグルービーは、俺を見つけて、あからさまに嬉しそうな顔をしている。

 困った。今の俺はオブジェだ。お客様と会話することは想定されていない。別に話をしたいわけではないが、声をかけられたら、どうすればいいのか。

 グルービーの後ろには、オークションの時に見かけた女がいた。足の遅い主人をせきたてるでもなく、黙って後ろに立っていた。


 グルービーは、俺を見つめたまま、動こうとしない。その表情は、最初の、あの気色悪い笑顔から、すぐに無表情なものに変わった。そうして彼は、今度は左右を見回す。一瞬、彼はナギアを見た。俺も目だけでチラリと盗み見する。さすがに彼女も、表情こそ崩してはいない。だが、体は正直だ。鳥肌が立っている。

 動かないグルービーに、案内役を務めるイフロースも、戸惑い気味だ。歩けないのなら、手を貸すべきかどうか……だが、そこでようやく、グルービーは動き出した。


「いや、失礼」


 ぎこちなく、重い体を引きずりながら、彼は詫びた。


「少しは健康に気を遣わねばなりませんなぁ……」


 この前、オークションで対決した者同士だが、今回、その関係性には微妙なものがある。イフロースにとって、グルービーは主人のお客様だ。だから、へりくだるべき相手なのだが、グルービーにとっても、それは同じなのだ。なにせ彼自身は富裕な商人とはいえ、庶民の立場。対するイフロースは騎士階級に属している。そして、内心では嫌悪しあっているように思われる。少なくとも、グルービーが、この前のことを根に持っていないとは思われない。

 たった数十メートルを、息を切らしながら歩くグルービーが、ようやく俺の横に立った。なんだろう、一メートル以上離れているのに、なんか体臭が漂ってくる気がする。それも、ただの肥満した中年男の加齢臭だけじゃなく、それを打ち消そうとしたのか、かなり不自然な花の香りみたいなのがこびりついていて……却って不潔感が際立っていた。

 そこで、グルービーは、こちらに振り向いた。


「やあ、ぐふっ、ノール君」


 やっぱり話しかけてきたか。どうする? オブジェの分際で、お客様と口なんかきいていいのか? 咄嗟にイフロースの顔色を窺う。非常識な相手の非常識な行動に、彼は止むなしとの判断を下した。お客様を無視するほうが、ずっと失礼にあたるからだ。


「お久しぶりでございます、グルービー様」


 そう挨拶して、深々とお辞儀した。

 正直、どう言葉を返せばいいか、悩んだのだが。なにせ、俺は彼に顔を知られてはいるが、何か言葉を交わしたとか、そういう具体的な関係があったわけではないからだ。


「こんなところで、ごふっ、会えるとは、ぐひっ、思わなかったよ」


 意外なほど、フランクな話し方をする。ただ、声は低いし、しゃがれている。それに太りすぎたせいか、一言発するごとに、苦しそうな息継ぎが聞こえる。というか、まるでゲップのようだ。

 しかし、会えるとは思わなかった、とは、これはまた。俺は子爵の奴隷なのだから、そこのイフロースに落札されたのだから、ここにいるに決まっているのに。

 だが、そんな俺の心を先読みするかのように、彼は言った。


「もっと、違う……ぶひゅう……仕事を、していると……はぁはぁ……思っていたからねぇ」

「まずは礼儀作法からと、このお役目を仰せつかりました。まだまだ至らぬ身ではございますが」


 俺が精一杯の丁寧さでそう言うと、彼の目の奥に、形容しがたい何かが蠢いて見えた。


「ふ……ごふっ……まあ、いい……また、後で話そう、ノール君」


 その言葉に、俺は深くお辞儀を返す。これで会話は終わりだ。

 グルービーは、また重い体を引きずりながら、奥へと進んでいく。その後ろを、イフロースとお供の女がついていく。

 この女、なかなか美しい容姿をしている。濃い目の茶髪を後ろで団子にしている。キリッとした眼鏡に、いかにも秘書っぽいタイトスカートがよく似合う。しかし……

 俺はそっと確認した。


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 アイビィ・モルベリー (24)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、女性、24歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル 商取引    2レベル

・スキル 薬調合    3レベル

・スキル 格闘術    5レベル

・スキル 投擲術    5レベル

・スキル 隠密     5レベル

・スキル 軽業     5レベル

・スキル 水泳     4レベル

・スキル 房中術    5レベル

・スキル 精神操作魔術 3レベル


 空き(12)

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 ……やっぱり。

 まるっきり忍者じゃないか。それも、一人前のだ。なんでこんなの、連れ歩いてるんだ。

 正面から戦ったら、とてもイフロースには勝てないだろうが……いや、でも、すぐ横には足手纏いのご主人様もいるわけで、どうせ迂闊なことなんてできないか。うん、子爵は安全だ。心配してやる理由もないが。


 俺の後ろで、重い扉の閉じる音がした。

 とりあえず、オブジェのお仕事からは、いったん解放される。

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