執事との問答
一時間後、無言のまま、俺は屋敷の敷地内にある、埃っぽい倉庫の一室に投げ込まれた。見る間に縛り上げられ、天井から吊り下げられる。そこへ何人かの若い男がやってきた。手には棒を持っている。
おい、マジか。なんでだよ? 確かに俺は、お嬢様には触れた。触れたさ? だけど、ああでもしなきゃ、お嬢様は馬車に轢かれていたんだぞ?
ああ、そうか。そもそも、周囲の侍女に連絡も取らず、お嬢様を追い掛け回したから。うまくやれば、あんな風に逃げられることもなかった。だけど、それも状況次第だ。あんな怪しげな男が、今、まさにお嬢様を毒牙にかけようとしていたのに、街中に散らばる召使を探しにいけたか?
くそっ。雰囲気に呑まれて、抵抗しなかったのが悔やまれる。なんでこうなるんだ。
いや、諦めずに弁明しよう。その上で罰があるというなら、それは仕方がない。
「あの」
声がかすれて、うまく話せない。そりゃ、これからリンチにかけられますって状況だ。一度くらい、死線を越えたからって、こんなの慣れるものじゃない。
「先ほどは止むを得ませんでした。お嬢様は、怪しげな男に」
風切り音がしたかと思うと、俺の足の裏に激痛が走った。呻き声さえ、あげられない。
「襲われるところだったんですよ、それを」
二度目の痛みが走る。
畜生。何か言えば、打つってわけか。
いや。そうではなかった。さっきのはたまたまで、どうあれ、これから懲罰の時間が始まる予定だったのだ。ほどなく、無数の棒が、俺の体中を打ち据えた。
夕暮れ時。
俺は一人、いつもの子供部屋で、横たわっていた。
どんな姿勢でいても、つらくてならない。足の裏を打たれたから、立っているのは無理だ。背中も打たれたので、仰向けにはなれない。それでうつ伏せになるのだが、そうなると今度は、呼吸のたびにシャツが擦れて、背中が痛い。
一応、商品価値は意識したらしく、顔や腹は打たれていない。だが、この痛みの中では、それも大した慰めにはならなかった。
俺は、激昂していた。
お嬢様を屋敷から逃がしたのは俺ではない。もし、彼女が屋敷を抜け出したのが、俺の持ち込んだ貯金箱を欲しがったためだったとしても、俺が彼女に脱走を勧めたわけではない。
確かに、お嬢様を確保する時、危険に曝す結果とはなった。だが、悠長に助けを求めていたら、どうなっていたか。やるしかないことをして、ああなった。
よくわかった。ここで頑張っても報われない。却ってひどい目に遭うだけだ。それならば。
俺がほぼ、決心を固めたところで、背後の扉が静かに開いた。
誰かと思って、体を少しずらして入り口のほうを盗み見る。
厳しい表情をしたイフロースだった。いや、彼はいつも、こういう顔をしている。
相変わらず無口で、また迂闊な発言を許さないプレッシャーのようなものが漂っていた。
何しに来たのだろうか。
用件があるなら、言えばいい。クビか? 大いに結構だ。返品? それはちょっと嬉しくない。ミルークに見せられる格好じゃない。他の子供達も貴族の家に買われていったのに、一番優秀といわれた俺が……子供でもこなせる仕事をしているはずなのに……かっこ悪すぎる。
だが、イフロースは、何も言わない。俺が何か言い出すのを待っているのか? 多分、そうだろう。口をついて出てくるのが、泣き言か、恨み言か。それによって対応を決めようとしているのだ。
その手には乗ってやらない。用事があるなら、そちらから切り出せばいいのだ。俺はそのまま、突っ伏した。
「挨拶もなしか、フェイ」
ちっ。
「見ればわかるでしょう? 声を出すのもつらいんです」
「ふむ」
足元の椅子を引きずって、イフロースはその上に腰掛けた。
「どうしてこうなったか、わかるか」
「わかりません」
「お前は利発な子供だと聞いていたのだがな」
その言い方にカチンときた。
俺はのろのろと身を起こし、痛む尻を下にして、向き直った。
「お嬢様に触れたからですか? そうしなきゃ、今頃死んでたんですよ? お嬢様を追い掛け回したからですか? 驚かせたからですか? それとも助けを呼ばなかったからですか? あそこですぐにでもあの変態親父をぶちのめしてなかったら、今頃、とっくに餌食になっていましたよ! じゃあ、お嬢様を見つけたからですか? それが悪いっていうなら、まあ納得です」
「ふむ」
イフロースの表情が、少し緩んだ。
「どうやら、お前は相当、不満を感じているようだな」
「ええ」
「だが、お前は奴隷の身。まだまだ自由にはなれん」
そうでもないぞ。俺はイフロースの目を睨み返す。今なら、お前も恐ろしくはない。今日にでも、この屋敷から抜け出してやろう。お嬢様一人、見張れなかったこの屋敷だ。まさか飛ぶ鳥を捕らえるなど、できっこない。
「ほう?」
俺の視線に意志を汲み取ったのか、イフロースは面白そうな声をあげる。
「お嬢様のように、うまく外に出るつもりか? だが、そうしたところで、何になる? 子供一人、生きていける場所などない。それに、奴隷の立場で勝手に逃げ出せば、この国にいる間中、追われる身となる。捕まれば今度は、犯罪奴隷だぞ?」
そんなものが脅しになるか。
鼻で笑ってやった。
「ほほう、逃げ切る自信があるのか」
だが、俺は極力興奮を抑えて、なんとか言った。できればちゃんと身分を確保した上で自由になりたい。だからこそ今の身分に甘んじてきたのだから。
「一ヶ月ください」
「ふむ」
「自由に動いてよければ、それで自分を買い戻します。これなら文句はないでしょう」
この言葉に、イフロースは、笑みを消した。
「なに?」
「お金を作ってくるから、それで自由にしてくださいと言っているんです」
「お前は、自分の落札額を忘れたのか?」
「金貨六千枚でしたっけ」
それくらい、本気になれば、どうということはない。金を持っている奴の肉体を奪って、俺自身を購入すればいいのだ。もしそれだけの財力のある人間がいなかったとしても、子爵自身になってしまえば、簡単だ。イフロースあたりは異変に気付くだろうが、何しろ証拠がない。なんならいっそ、目障りな奴は、全員消し去ってやろうか。
その上で、俺自身の買戻しは、法的手続きに則って済ませるとしよう。全部うやむやにして逃げ出してやってもいいのだが、後から罰を科せられたりするのはごめんだから。
「どうやるつもりだ」
「教える理由がありません」
自信ありげな俺の様子に、彼は目を細めた。
「なら、どうしてお前は奴隷でいた? 売られてくる前に、自分を買い戻せばよかったではないか」
至極もっともな疑問だ。だが、そこにはちゃんと理由がある。教えてやる義理はないし、言いたくもないのだが、あえて一部だけ、本質はぼかして伝えてやろう。
「学ぶものがあるかと思ったからです」
「なに?」
俺がここに来て、周囲の人間の経験を、いまだに盗まずにいる理由。収容所では、慎重にやっていたつもりが、ドナにもタマリアにも、ミルークにも、半ばバレてしまっていた。彼らはみんな、俺の味方になってくれたからいいが、ここでそんなドジは踏みたくない。
それに、まだこの屋敷における最大の宝を、俺は一切、目にしていない。
「分家とはいえ、歴史ある貴族の血筋。貴重な蔵書もあるだろうし……優秀な指導者も揃っているかと」
スキルだけ奪っても、どうにもならない。知識を学ぶ機会がなければ。ここになら、それが潤沢にあると思っていたのは、本音だ。
この言葉に、イフロースは眉を顰めた。さすがに怒りだしたりはしない。だが、俺の発言は、ほとんど挑発だ。立派な貴族の家だと思って仕えてみたのに、ろくな人材もいないし、つまらなかったと言われたのだ。そしてその、つまらない貴族の家を切り盛りしているのは、他ならぬイフロース自身だ。
「まず」
自分自身を落ち着かせようとしているのか、彼は座り直しながら、あえて柔らかい声色で話した。
「人材不足については……家宰たる私の無能と怠慢によるものだな。だが、それはこのトヴィーティ子爵家そのものの名誉を損なうものではない」
優等生のような回答だ。ふん。
「蔵書については……ここ子爵家にも、それなりのものがあるとも。だが、物事には段階というものがある。主家への忠誠心と実績が認められてこそ、知識への扉も開かれるというものだ」
「本気でそう……思っているんですか?」
一応、丁寧語で話すことにした。本当は、バカじゃないのか、と言いそうになったのだが。
それでも、言葉の丁寧さとは裏腹に、俺がまったく異なる意見を有しているのに気付いて、彼は仕草で続きを言うよう、促してきた。
「まず、学ぶ機会を与える。伸びる人間は伸びる。そっちが先じゃないんですか?」
「伸ばしたはいいが、それで主人に忠実でなければ、何の意味もなかろう」
「逆です。自分を伸ばしてくれる主人になら、より仕える値打ちがある。そこから零れ落ちていくのは、その損得もわからない、値打ちの低い人材だけです」
「ふむ」
「だいたい、それなら、ここの屋敷の召使達は、そんなに忠実なんですか? みんな、いつも責任逃ればかり考えているのに。大人も子供も、みんなそうだ」
「わかった、いいだろう」
イフロースは、椅子から立ち上がった。
「お前に一ヶ月の時間を与えて、本当に身請け金を用意できるのか、見てみたくはあるが……」
彼の顔に、うっすらと、ごくうっすらとだが、笑みが浮かんだ気がした。
「残念ながら、そんな休暇を与えるわけにはいかんな」
自然、俺の視線も厳しくなる。別に、休みなんかいらない。黙って出て行くだけだ。ただ、その前に……イフロースからも、いくつか経験を譲ってもらうことになるが。
そんな俺に構わず、彼は言葉を継いだ。
「とはいえ……我が子爵家に、学ぶところなど何もないと言われては、黙ってはおれんな。いいだろう」
何を言われようと、知ったことなど……いいだろう?
じゃあ、子爵家の蔵書を見せてくれるのか? とりわけ、魔術書があれば、なんとしても目を通したい。
だが、彼はそんな俺の気持ちを見透かすように言った。
「配置換えを検討させておこう。まずはそこで結果を出すのだな。それで、お前が今、口にしただけの能力があると証明できたなら……私から、主人に口添えしよう。何れにせよ、まずは自力で奴隷の身分を抜け出してみせるがいい」
軽い落胆を感じながらも、納得はしていた。
だいたい、今の会話、俺としては大失敗だった。感情のままに話すと、ろくなことがない。何がいけなかったのか? 言うまでもない。子爵家への忠誠心がまるでないこと、そしていつでも去っていけるのだと宣言したこと。
こんなことを言われて、秘蔵の書物を見せてくれるだろうか? あるわけがない。
俺の能力は、相手の経験は盗めるが、知識までは無理なのだ。だから、俺の棒術はいまだに我流だし、魔術も、イリクから聞き出したもの以外は、まるで使えない。子爵家の蔵書を無理やり盗み出すくらいならできるかもしれないが、魔術文字の読み書きといった専門技能の基礎については、一度は教わる必要がある。そう思えばこそ、子爵家でのし上がろうとしていたのだ。なのに。
まぁ、教師を他で探すとすれば、細かいことは全部無視して、今すぐ奪えるだけのものを奪って逃げてもいいのだが……
「それと……私がここに来たのは、これを渡すためだ」
彼の手には、例の特製貯金箱と……あろうことか、俺の首飾りが握られていた。そう、さっきの折檻で、紐が千切れてしまったのだ。床に落ちたまま、回収できずにいたのだが、それをイフロースが拾ったらしい。
「変わった首飾りだな」
まずい。
イフロースには、薬学に関するスキルがある。この樹脂の塊が、ただの装飾でないと気付いた可能性がある。
「もらいものですよ。安物だそうです」
そうだとしても、しらばっくれるしかない。最悪、こちらの秘密がバレても、イフロースにはピアシング・ハンドを避ける手立てはない。いつでも口封じできる以上、まだこちらに余裕がある。
だが、彼はそれ以上、首飾りには関心を示さなかった。
「それから、この指輪だが」
そちらは、ミルークからもらったものだ。銀でできた、無骨な一品だ。
「これは、どこから手に入れた?」
「もらったものです」
「ふむ、誰から?」
材質が銀だから、値打ち物だと思ったのだろうか。盗んだとでも?
「僕を売った、奴隷商です」
「なに?」
一瞬、イフロースの目に、力がこもる。
「ミルーク・ネッキャメルが、自分でお前に渡した……確かだな?」
「はい。なんでしたら、確認をとってもいいですよ」
その時のイフロースの表情は、形容しがたいものだった。なんというか、憮然としているというか……
少し間をおいてから、彼はやっと言った。
「その時、彼はお前になんと言った」
「えっ?」
「何を言われたのか、覚えていないのか」
覚えてならいる。確か、ミルークの過去の秘密について、話を聞いたのだ。だが当然、それをここで話すわけにはいかない。
「いつかネッキャメルの族長を務める、弟のティズに会いにいけ、と」
これなら、言っても差し支えないだろう。嘘でもないし。
俺の言葉を聞いて、しばらくイフロースは立ち尽くしていた。様々な考えが、彼の中で行き交っているようだった。
「なるほどな」
そう声に出した時点では、既に落ち着きを取り戻していたが。
「これは返しておく」
苦しげにうずくまる俺の横に、彼はそっと首飾りと指輪を置いた。
「そうだ、それと」
背を向け、部屋を出て行こうとして、思い出したようにこちらを向いた。
「お嬢様を庇ってくれたことには、礼を言っておく。取り返しのつかないところだった」
いつの間にか、彼はいつもの無表情に戻っていた。こうなると、もう何を考えているのか、想像もつかない。
「……我が子爵家にも、見るべきものはあるぞ、フェイ。そのうちにわかる」
それだけ言うと、彼は扉を閉じて、去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます