子爵家の令嬢

「フェイ、ちょっとこちらへ」


 今日も暑い。ここピュリスは海が近いせいもあってか、空気に湿気が多い。じとじとした日本の夏を連想させられる。

 そんな中、けだるいながらもモップを手に、僅かに外からの風の吹き込む渡り廊下で、日課の掃除に勤しんでいたのだが……

 急に後ろから声をかけられた。振り返ると、あまり見覚えのない侍女が一人。少しきつそうな目付きの、のっぺりした顔のメイドさんだ。


「用件を話しながら歩きます……尋ねますが、あなた、数日前に何か、外で買い物をしましたか?」

「はい」

「外からあなた宛に届いた荷物があります。何を注文しました?」


 ああ、そういうことか。


「それは貯金箱ですね。ちょっと変わった形をしているのですが」


 俺がそう説明すると、彼女の表情から、少しだけ険しさがとれたような気がした。


「では、間違いなくあなたのものですね?」

「見ないと何とも言えませんが、そうです」


 なるほど。まず、彼女はトラブルを嫌ったわけだ。誰かのところに届いた荷物が、他の人に横取りされたら? そういう事件が屋敷内で起きるのは、好ましくない。官邸に詰めている人数は、かなりのものになる。数えたことはないが、召使の家族まで含めれば、百人を軽く超えるのではないか。だから、秩序の綻びが見えただけでも、即座に対処を必要とする。


「実は」


 ところが、話はそれだけではないらしい。


「少し面倒なことになっていて……」

「それはどういうことでしょう?」

「別のところに渡ってしまったのです」

「えっ……じゃあ、確認して、取り返していただけましたら」


 俺がそう言うと、彼女は首を横に振った。


「見ればわかります。あなたは、何を要求されても、はいとだけお言いなさい」


 なんと。

 じゃあ、例えば俺のあの特注の貯金箱を寄越せといわれたら、譲らなきゃいけないのか? まあ、もともとあれは、乳母の旦那さんのお金で買ったものなんだし、大声で自分のものだと主張するつもりはないのだが。それでも、横取りを許すのは、精神衛生上、あまりよろしくない。


「お待たせしました」


 侍女の声は、俺にではなく、目の前の扉に向けられていた。いつの間にか到着したようだ。

 気がつけば、絨毯の質も変わっているし、廊下も目に見えて立派になっている。ということは……


「お入りなさい」


 厳しさのある、中年女性の声がした。


「失礼致します」


 内側から扉が開くと、俺の隣の侍女は、深々と頭を下げた。俺もそれに倣って、慌てて身をかがめた。


 部屋の中は、まるで別の世界だった。主人の部屋らしく、上等な椅子やテーブル、調度品が並んでいるのは、別におかしくない。だが、それらの椅子の上には、既に先客がいた。人ではない。動物でもない。大きなぬいぐるみ達だ。カーテンの色合いやデザインも、いかにも少女趣味といった感じで、かわいらしく華やかなものになっている。

 そんな空間の真ん中で、大きなソファの上にちょこんと座っている女の子。黄金色の髪に、白磁のような肌。整った顔立ちは、人形を思わせる。その彼女の膝元に、およそ似つかわしくない無骨な鉄の塊が抱えられていた。

 すぐ脇には、二人の若いメイドが腰掛けている。中年に差し掛かったメイドがもう一人、背筋をきれいに伸ばして、立ったまま脇に控えていた。扉を開けたのは、部屋の隅のほうで待機していたメイド見習いだ。

 恐らくこの場では、主人を除けば、一番身分の高いであろう中年のメイドが、口を開いた。


「フェイですね」

「はい」


 感情を窺わせない、動きのない表情のまま、彼女は、やや高圧的な口調で続けた。


「こちらの金属の箱に、このような小さな宛名書きが添えられていたのですが、これは確かにあなたのものですか?」


 あの職人、間抜けをやらかしたか。誰に宛てた品物か、表面の包紙に書いておかなかったのか。


「実物を見るのは初めてですが、貯金箱の製作を依頼したのは事実です」


 貯金箱、と言われて、その場のメイド達は顔を見合わせた。馴染みがない形だからだろう。


「ですが、鍵も鍵穴もありませんが」

「はい、それは……」


 説明しかけたところで、やめた。視線に気付いたからだ。

 俺の貯金箱を抱え込んでいる少女。この屋敷における最高権力者の一人。毎朝のように見上げているから、顔を知らないはずがない。

 リリアーナ・エンバイオ・トヴィーティ。子爵家の長女だ。今、空間的に俺と彼女を隔てるものは何もないが、そこには厳然として、身分の壁が存在する。彼女は貴族なのだ。対する俺は、騎士でもなく、庶民でもない。奴隷だ。

 だが、その壁など意識することなく、彼女はじっと俺を見つめていた。


「番号を合わせることで、開けられるようになっているのです。まず、箱を固定する鎖のほうですが」


 俺はなるべく、温かみのある笑顔を浮かべて、優しい口調で説明するよう、心がけた。そんな俺を見つめるリリアーナの目も、少し輝いているように見えた。

 ところがだ。


「フェイ」


 冷水を浴びせるような声が、横から飛んできた。


「質問は、お嬢様から私達になさいます。勝手な発言は控えなさい」


 はぁ?

 いや、だって、お前がこの箱の仕組みがわからないって言うから。でも、この貯金箱に興味があるのって、お嬢様だろ? だったら、説明して何が悪いんだよ?


「それで、危険なものではないのですね? 誤って手を傷つけたりするようなことも、ないのですね?」


 中年メイドは、カチンときた俺の気持ちに頓着せず、質問を重ねてきた。


「それはないかと思います」


 俺の回答に、中年メイドは横を向いた。顎で合図すると、お嬢様の横に侍っている二人のメイドも、頷く。

 見ると、二人が小声でそっとお嬢様に話しかけているようだ。で、お嬢様も、ここからでは聞き取れないようなか細い声でたどたどしく話し、それを聞き取って、周囲に伝えているらしい。

 なんともまどろっこしい真似を。

 ややあって、若いメイドの一人が口を開いた。


「お嬢様は、この箱の開け方を尋ねておいでです」

「はい」


 最初から、それを知りたいのはわかっているから。面倒な。


「箱を開けるには、番号を指定する必要があります。そのためにはまず」

「フェイ」


 中年メイドが、また睨みつけてきている。なんなんだ?

 ふと、俺の袖を引く手に気付いた。俺に同伴して、この部屋に立ち入った侍女だ。


「いけません」


 切迫感のある囁き声だった。


「お嬢様にではなく、あくまで質問したメイドに向かって話してください」


 うっわ。

 一瞬、目玉をひん剥いてしまった。

 ああ、そうか、これが身分の壁というやつか。そりゃそうか。この世界の常識に照らせば、そっちのほうが、むしろ普通なんだよな。


「失礼しました。まず、箱の真ん中あたりにあるプレート、それを横にずらしてください。……そう、それです。そしたら今度はそれを、下のほうに。はい、これで番号が見えましたね」


 隠されていた場所には、六桁のダイヤルがある。あとはそれを、指定された数字に合わせて、スイッチを押しながら開けばいい。ただ、そのスイッチは、少しわかりにくい場所に配置してある……だが、それを説明する前に、せっかちなお嬢様は、なんとかあけようとして、ガチャガチャと箱をいじくりまわしている。二人のメイドは、慌てて顔を寄せ、何事か話し合っている。


「開けて見せていただけますか?」


 しばらくして言われたのが、そんな一言。


「承知致しました」


 俺の返答と同時に、中年メイドはすっと間に入り、箱を手にして、そのまますぐに俺に手渡した。これ以上、お嬢様との距離を詰めるのも、まかりならんというわけだ。

 もう、こいつらの考えなど、どうでもいい。俺は、初期設定の数字である111111を指定して、脇にあるボタンを押しながら、すっと箱を開けた。うん、あの職人、初めて作ると言いながら、思った以上にいい仕上がりじゃないか。

 俺が箱を開けると同時に、中年メイドはそれを引っ手繰った。それはそのまま、お嬢様の手に渡る。

 お嬢様は一瞬目を見開いたが、すぐにおどおどしているかのような表情になった。

 二人のメイドがあれこれ話しかけ、それが俺への質問に置き換えられる。


「この箱は、どこで買いましたか」

「この街の東側の職人街で注文しました」

「そこでは、他にもこういう箱があるのですか」

「いいえ、僕がこういう風に作って欲しいと相談しました」

「どれくらい、お金がかかりましたか」

「銀貨六枚でした」


 次はなんて言われるんだろうか。お嬢様がご所望である、とかなんとかか? 勝手にしろ。

 ところが、お嬢様の表情は、いつの間にか曇っていた。あくまで微妙な変化だが、どちらかというと、泣き出しそうなというか、落ち込んでいるかのような雰囲気だった。

 そんな彼女に、二人のメイドは、しきりと話しかけている。ややあって、中年メイドがそれを取り上げ、俺の目前に差し出した。


「ご苦労でした。これはあなたのものですね。明日にでも届けさせます」


 俺は一礼して、部屋から下がった。立ち去る時、お嬢様の暗い表情が目に映った。

 事件が起きたのは、その翌日だった。

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