巣立ち
「ご成約、おめでとうございます」
「お疲れ様です。今日の分については、また」
「はい、それでは」
俺をテントに送り返すと、初老の男は去っていった。
この後、どうなるのだろう? 多分、まもなく俺達は、新たな主人の下に引き取られていく。指示を求めて、子供達がミルークを見つめる。
だが、当のミルークはというと、瞑目したまま、椅子から動かない。
「お前達」
ややあって、やっと彼は声を発した。
「今日まで、長いようで短い付き合いだったな」
目を閉じたままだ。
いつもは話し出せば饒舌で、台詞に困ることのない彼が、今は、一つずつ言葉を探しながら話しているかのようだった。
「お前達は……今、不幸と幸福を、併せ持っている」
俺は、なんとなく察した。
さっきまでのミルークは、奴隷商だ。だが、今、子供達は彼の手を離れた。今回は、全員が売却済みとなった。だから、誰もテントから出さずに、こうして話を切り出している。今、ここにいるのは、一人の人間としてのミルークなのだ。
「お前達を実家から引き離したのは、私だ。これも、不運と幸運のなせる業だ。住み慣れた村から、家族から引き離されるのは、不幸なことだ。だが、そうでなければ、お前達はどうなっていた? 餓死していたはずの者もいる。そうでなくても、親から虐待され続けていただろう者も。そして、貧しい農村から抜け出すこともできない」
子供達も、神妙な様子で話を聞いている。その表情は様々だ。
ディーなどは、険しい顔をしている。今の話を理解できないわけではない。当の奴隷商のくせに、そんなことを言うな、という気持ちだ。
「これからもそうだ。お前達は、富と権力の隣で生きる。にもかかわらず、お前達の今の身分は、奴隷だ。もしかしたら、一生、その境遇から抜け出せないかもしれない」
「何が言いたいのです?」
ディーがたまりかねて、尋ねた。
ミルークは、これまでに見たこともないほど、穏やかな表情を向けた。
「私は、お前達に奴隷としての相応しい振る舞いを教え込んだ。服従は、この世界では必要とされる美徳だ。だが……最後の最後では、それを捨て去って欲しい。自分自身のために」
「そんなこと、どうして今更言うんですか!」
ディーは、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。彼女の目に、今まで見たこともないような怒りが宿っている。
俺は覚えている。彼女がしばしば、夜中に収容所の廊下に彷徨い出て、故郷を懐かしんで泣く姿を。
「今しかないからな」
燃え上がるディーとは対照的に、ミルークはぬるま湯のようだった。
「もう、お前達は私の手を離れた。そして、買い手が引き取りに来るまでは、お前達を縛るものはいない。……恨みがあるなら、今のうちだぞ?」
そう言いながら、彼は自分の頬を、指で突いてみせた。殴りたければ殴っていい。そういう意味だ。
「っ……それなら、それなら! 私を、村に」
「それは言うな」
「どうしてですか!」
表情こそ穏やかなままだったが、言葉に情け容赦はなかった。
「ディー、お前を売ったのは、お前の両親だ」
「違う! 大金で、私の親を引っかけて、騙したに決まって」
「そうだとしても、私は、ちゃんと約束通りの金を払った」
ディーにとって、一番認めたくない現実が突きつけられる。
「私は悪人だぞ、ディー。子供を買い取っては売り飛ばす、外道だ。だから、そんなに憎ければ、外にいるジルから剣を借りて、私の胸を刺すがいい。なに、心配しなくても、お前の罪にはしない」
あまりの物言いに、ディーも、他の子供達も、身動ぎもできない。
「そして、私が悪いのと同じくらい、お前の両親も」
「違う!」
「違わない。現実を受け入れろ」
それきり、ディーは下を向き、拳を握り締めるばかりで、何も言えなくなった。
そこへ、さっきまで沈黙していたウィストが、顔をあげた。
「俺はわかるぜ」
勢いをつけて、椅子から跳び上がりながら立ち上がった。そして、ミルークに詰め寄る。
「俺だって売り飛ばされたんだしな。最初っから納得してるよ、そこは。でも、いちいちそれ、ディーに押し付けなくたっていいじゃねぇか」
「残酷なのはわかっている。だが、これは必要なのだ、ウィスト。今やらなければ、誰もやってはくれない」
「やる必要があるのかよ?」
「ある」
真顔になったミルークは、まずウィストに、それからディーに向き直った。
「お前達を引き取った先は、何れも貴族や大商人だ。彼らがお前達を買うのは、役に立つからではない。まだ子供のうちから面倒を見て、自分の忠実な家来に仕立て上げたいからだ。そして、奴隷の身分のままでは、任せられない仕事もたくさんある。だから、お前達が正しく努力を重ねれば、いつかは必ず、自由民の身分に戻れる」
はっきり宣言された希望に、ディーも、他の子供達も、はっと振り向く。だが、続いてミルークは言った。
「肝心なのはその時だ。お前達はそこで初めて、自由を手にする。それだけじゃない、富もだ……富裕な人間に仕えるというのは、いい商売なのだ。お前達はやっと、自分の感情に従って生きられる。だが、そこでお前達の周りに、かつての家族とか、友人が群がってきたら、どうする?」
質問を向けられて、ディーは困ったような顔をする。
「手を差し伸べてはならない」
「どうしてです」
ディーは涙声で尋ねた。
「人生は有限だ。そして、私達の富も、愛情も同じなのだ。だから、そういう大切なものは、本当にお前達を大事にしてくれる人のために、取っておくのだ。相手は家族だけじゃない。見せ掛けだけの愛情で、幸せを掠め取ろうとする人間は、山ほどいる。そして背負った傷が大きければ大きいほど、お前達の中の大事な部分は、無防備になる」
ミルークは懐から、小さな袋を取り出した。
「これは、私からの贈り物だ」
彼は、中の一つを、指でつまみあげる。それは、銀のブローチだった。装飾の少ない、丸い小さなもので、真ん中に水色の宝石が嵌めこまれている。アクアマリンだ。ミルークの財産からすれば、たいした出費になるようなものではない。恐らく……俺の直感では、これはせいぜい、金貨二、三枚程度の品だ。自由民ならば、庶民でも普通に手に入る程度のものだろう。
「コヴォル」
不意に声をかけられて、彼は目を泳がせた。
「藍玉の意味は、わかるかな?」
そう尋ねるミルークには、悪戯めいた笑みが浮かんでいた。
「あっ……そ、それは……」
少しだけ頭を抱えて、必死で考えた末に、コヴォルはやっと意味を口にし始める。
「十月の石で……商人、旅人の象徴、で……」
なおも思い出して、言葉にし続ける。
「決意、孤独、探求、その道に深入りする……それと……」
そこで、はっとした表情を浮かべる。
「甘えを、断ち切る」
「そうだ」
ミルークは、満足げに頷いた。
「みんなに用意してある。ぜひ、受け取ってくれ。お前達は、体は子供で、心もまだ育ちきっていないが、今日から大人になる。きっとこれからの人生は、寒々しいものになるだろう。温もりに憧れるのも、一度や二度ではあるまい。だからこそ、じっと耐えるのだ。それこそ売り時を待つ商人のように、辛抱強く」
彼は立ち上がり、全員に一つずつ、ブローチを手渡した。
「さあ。そろそろ時間だ。みんな、外に出よう」
テントの中に比べると、外は明るかったが、そろそろ太陽の光がオレンジ色に染まり始めていた。
外に出てきた俺達を見て、ジュサとジルが振り返る。
「話は終わったみたいだな」
ジュサは、目を細めて言った。
これまで一緒に暮らした子供達が、また一気にいなくなる。その後、また出会うのは、貧しさから売り飛ばされる、哀れな子供達だ。それがやっと笑顔を浮かべられるくらいに成長すると、また別れなければいけない。
では、ジルは? 俺は、いつもの鉄面皮が見られるものと思って、彼女を見上げた。
なんと、珍しく微笑んでいた。まさか? と驚く間もなく、彼女の手が、そっと俺の頭に添えられた。
びっくりして何も言えないでいた。結局のところ、俺にはジルのことは、ほとんどわからないままだった。最後の最後でも、言葉を口にはしないし、そういうところは実に彼女らしいのだけれども。
俺の頭を撫で終わると、他の子供達にも同じようにしていた。彼女の中にある感情は、どんなものなのだろう? ミルークとの関係は? 果たして、彼を愛しているのか、憎んでいるのか? それを知ることはないだろうが、少なくとも彼女は、今、俺達に優しく触れることを選んだ。
「ノール」
後ろから声をかけられる。ウィストだ。
「決まったら決まったで、居場所がねぇなぁ」
「そうだね」
「ったく、これからどーなるんだかね。まぁ、なるようになるか」
ガリガリと頭をかきながら、ウィストも、彼なりに気持ちを整理しようとしているようだった。
「おい、ノール」
そこへ、コヴォルが話しかけてきた。
「俺は負けないぞ」
「うん? 何が?」
「あんなに強いのに、隠してやがって」
ああ、ジュサとの試合か。
別に隠してたわけじゃない。あの日、突然、俺が強くなったのであって。
「俺は騎士になるからな。そうなったら、一度、勝負しろよ」
確かにコヴォルは、今の時点で既に、人並み外れた怪力の才能をみせつつある。だが、今時、騎士なんて、修行の末になるようなものじゃない。実際には、大多数が貴族の次男坊で占められている。そいつらは遍歴の旅なんかに出かけたりせず、気ままに楽しい学園生活を送ってから、適当に叙任されて就職している。はてさて、彼の夢が壊れるのは、いつになるのだろうか?
「コヴォルが騎士になるのがずっと先でも、私は明日から、お城のメイドになるのです」
そこへディーも加わった。
「ノールも、みんなも、お城まで訪ねてきたら……裏口から残飯くらいは恵んであげるのです」
「そいつはご馳走だな」
ウィストが笑って締めくくる。
けど、どうも違和感がある。何かが足りないような……
「さて、と……ありゃ、どうやら俺のお迎えらしいな。じゃあ、もう行くかな。ま、運がよければまた会えるだろ。じゃあな!」
荷物を背負って、彼は振り返らず、歩き去っていく。
「お、俺のも来たな。ノール、腕比べしろよ? 絶対だからな!」
コヴォルも、力強く歩き去っていく。
「では、ノール、またなのです」
ディーも、いつものお澄まし顔で、すっと前を向き、そのまま歩き去っていった。
そして、そこでやっと、俺は違和感の正体に気付いた。
「……ドナ?」
俺の隣には、ドナが立っていた。
さっきから一言も話さない。ただ、顔色を真っ青にして、小刻みに震えている。風邪を引いたと言われても信じるくらいだ。
「ドナ」
「……大丈夫、私は、大丈夫……」
余程、あのデブに落札されたのがショックだったのか。それはそうだろう。あの見た目。そして房中術のレベルの高さ。名前には、封じられた土地に由来する称号がなかったから、大商人なのだろうが……いずれにせよ、自分で奴隷のオークションに出てくるくらいの品のなさ。
現実は残酷だ。ドナが清い体を保てるのは、いつまでだろう? 十年後までか、五年後までか、それとも、今夜までなのか。
「大丈夫そうに見えないけど」
せめて、ディーみたいにメイドとして買われたなら、まだよかったのだろうに。だが、これも運命だ。それに、これが最悪とも限らない。なにせあのメタボ体型だ。ポックリ死んでくれれば、遺産だけもらって若いうちに再婚できるかもしれないし。
「あのね」
やっとドナは話し始めた。
「私……ノールも見たでしょ、会場の左の奥に座ってた、太った人に買われたの」
「うん」
「金貨二万枚も出してきて」
それは凄い。プロ野球選手顔負けだ。どれだけドナが欲しかったんだろう。
……そのせいで、俺を落札するための小遣いが不足したのに違いない。
「ピュリスの近くの……コラプトって街で、商人をしてるんだって」
「そうなんだ」
「職業は……女性専門の奴隷商人で、それに……娼館も、いくつも経営してるって」
ああ……
将来の夢が「お嫁さん」のドナにとっては、最悪の相手かもしれない。
「あのおじさん……進行役の人が、後で教えてくれたの。あのグルービーって人、結婚もしてないんだって。次々きれいな女の子を集めて、屋敷で働かせて……飽きたら、お店にまわすって、そう言ってた」
うわぁ……
「ドナは大丈夫」
あえて俺はそう言った。
「飽きたら捨てるんだから。ドナくらいの美人は、二度と手に入らないから、捨てられないよ」
「ううん、今すぐ捨てて欲しい」
おいおい。それは無理だ。いくらなんでも。
金貨二万枚って、二億円だぞ? 何もしないうちにポイとはいかないだろう。
「だってあの人……目が、凄く気持ち悪かった……」
泣きそうな声でドナがそう言う。
かわいそうにと同情しながらも、俺の中の冷静な部分が叫ぶ。気持ち悪いのは目だけか?
だが、ドナの泣き言も、そこまでだった。物陰から、身動きにさぞ不自由しているだろう巨体が、揺れながら姿をみせる。それが少しずつ、本当に少しずつ、覚束ない足取りで近付いてくる。左右に気弱そうな男と、キリッとした女がついていて、彼のよろめく体を時折、支えていた。
恐怖と嫌悪そのものが近付いてくるのを目にして、ドナは息を呑んだ。だが、彼女は俺の手を固く握る。
「大丈夫。大丈夫。私は大丈夫」
震える声を、無理やり押さえ込むかのような口調で、彼女は呟いた。
「だって、私のきれいな部分はもう、ノールにあげたから、だからもう、大丈夫」
声だけでなく、俺を掴む手も、小刻みに震え続けていた。
「だから、だから私」
強張った表情のまま、それでも彼女は俺を見つめ、精一杯の思いを告げる。
「絶対に、絶対にノールのところに戻ってくる」
そう宣言して、やっと彼女は指の力を緩めた。
ちょうど、グルービーがミルークの傍までやってきたところだった。
ドナは、俺にぎこちない笑みを浮かべてみせた。
「じゃあね、またね」
「ドナ」
だが、彼女はもう、振り返らなかった。
グルービーのお供の、女性のほうに手を引かれて、遠ざかっていく。
……これでよかったのだろうか?
まだ子供だとしても。一方的な思いだとしても。こうまで俺を信じ、傍にいようとする人を、守ろうとしなかったのは。
この世界に俺が生まれなければ。死後の世界で転生する道を選ばなければ。それでも、ドナはヌガ村に生まれ、やがて奴隷として売り飛ばされた。買い取るのも、きっとグルービーだ。その運命は変わらない。ゆえに、俺の責任でこうなるわけではない。彼女の人生は、彼女自身で生きるべきだ。
何より、俺には俺の目的がある。そこへは、足手纏いを連れてはいけない。
その理屈は、多分、間違っていない。
だが……
「……ドナ!」
俺の声は、背中に届いただろうか?
何れにせよ、彼女はやはり、振り返らなかった。まっすぐ、ただまっすぐ、手を引かれて歩き去っていった。
「後はお前一人だ、ノール」
いつの間にか、傍にミルークがいた。
「迎えも来たぞ」
少し離れたところで、さっきのイフロースと呼ばれていた男が、立っていた。彼は、ミルークと視線が重なると、洗練された仕草で一礼した。
「お前に改めて言うことはない。好きに生きろ」
そう言いながら、ミルークは俺の肩を叩いた。それで俺も、一歩を踏み出した。
イフロースは、俺がおとなしくついてくるのを目にして、改めてミルークに一礼した。俺は、何も言わない彼の後を、ただ黙ってついていった。
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