オークションの朝

 起こされたわけでもないのに、自然と目が開く。ここの石の床が冷たすぎるのだ。

 目を開けると、薄暗い部屋の中、茣蓙があちこちに敷かれていて、そこに数人の奴隷が横たわっている。俺のような子供もいれば、大人も含まれている。ただ、全員が男だ。部屋の出入口には、錆びかけた鉄格子がある。通路の向かい側も、同じような牢獄になっていて、そこでも何人かが寝ている。

 なんとも寒々しい風景だ。最初、ミルークの収容所を目にした時には、なんとも殺風景な場所だと思ったものだが、今ならそうでもないと言える。本来、奴隷に対する待遇とは、このようなものなのだ。

 遠くから足音が響いてくる。そして、鉄格子が開けられる時の、あのキィィと軋む音がする。話に聞いていた、朝食と入浴の時間だ。実質、三十分もない中で、着替えと入浴、食事を済ませなければいけない。


「ミルーク・ネッキャメルの奴隷、ノール」


 支給されたボロ布で、濡れた髪を拭いている最中だった。担当者の感情のない声を聞いて、俺は振り返る。一晩、運営によって管理された奴隷が、また一度、主人の下に引き渡されるのだ。奴隷商にもよるが、なにせ奴隷は彼らの商品なのだから、オークションの際には自分でアピールしたい人もいる。まあ、ミルークはやらないらしいが。

 ここで、俺は他の子供達と合流した。みんな、あまり眠れていないようだ。挨拶する時間も与えられず、すぐ移動するよう急き立てられた。


「来たか」


 散乱する木箱の上に腰掛けて、ミルークは俺達を待っていた。既に犯罪奴隷は到着していたらしく、後ろでジュサが目を光らせている。

 もっとも、今の彼らには、最初の頃の元気はない。時折、モータスとニトゥラが、目に暗い光を浮かべる。これでもう、自分達に助かる見込みはないのだとわかったからだ。なぜイリクは、動き出そうとしなかったのか。彼らは責め立てたい気持ちでいっぱいなのだ。

 そのイリクはというと、この期に及んでも、落ち込んだ弱気な男という演技を崩さない。彼とて、大勢の人の目の前では、たとえ身体操作魔術の助けがあっても、脱出など難しいとわかっている。だから、脱出は今夜か、その次の夜くらいだと考えているのだろう。だが、その時点でやっと気付くのだ……魔術が使えなくなっているという事実に。


「会場に行く。今日は午前中からだ」


 ミルークが先に立って歩く。俺を含む子供達は、鎖のついていない手枷しかされていないにもかかわらず、誰も逆らわずについていく。俺達の後ろには、一応、ジルが監視役という名目で立っているのだが、彼女が俺達を見張る必要など、まずない。それよりむしろ、一番最後で犯罪奴隷を歩かせるジュサの手伝いに追われている。

 俺達はまだいいが、周囲の雰囲気は、もっと殺伐としている。この時点で、感情的になって喚きたてたり、逃げ出そうと暴れる奴隷もいるからだ。そこかしこで叫び声、泣き声が聞こえ、場所によっては木の棒で人を打つ音まで響いてくる。そんな中、足元の砂利を踏みしめる音だけが、やけに耳に残った。

 やがて俺達は、舞台の裏の日陰に到着した。客から商品がよく見えるよう、舞台は南向きに作られていて、背面には大きな仕切りがあるから、必然、出番を控える俺達は、寒々しい場所で待たなければいけない。

 そこでようやく、隣でドナが安心したように溜息をついた。無理もない。ここに来るまで、みんな無言だった。もちろん、遠慮なくおしゃべりに夢中になるのも、これから売られる奴隷としては望ましくないのだが、それはそれとして、とにかく雰囲気が重苦しいのだ。


「ミルーク様」


 横から声がかかる。三十代くらいの、顔に特徴のない、腰の低そうな男だ。


「本日の競売ですが、午前中の犯罪奴隷につきましては」

「いつもの通りにします。運営にお任せしますので」

「承知致しました」


 回答を得て、男は引き下がった。

 競売の際の宣伝を、ミルーク自身でやるのかどうかの確認だ。だが、高級な少年奴隷を商う彼が、犯罪奴隷の紹介など、やるはずもない。いくらでもいいから、さっさと片付けてしまいたいだけだろう。

 しかし俺は、時間の経過が待ち遠しかった。たぶん、もう少しでいける。


「お待たせしました」


 さっきの男が戻ってきた。脇には屈強な男が二人、ついてきている。犯罪奴隷を引き取ろうというのだ。

 それは困る。まだ迷っているのに。だが、もう考えている時間はなさそうだ。俺は心の中で、そっと念じて……


「ほら、歩くんだ」


 さっきの腰の低い男が、犯罪奴隷に対しては、まるで人が変わったような声色を出す。促されて、三人は歩き出した。

 そして……彼らが舞台の脇の階段に足をかけるところで、俺はやっと成功を確認した。


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 (自分自身) (7)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、6歳・アクティブ)

・マテリアル バード・フォーム

 (ランク6、オス、8歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 商取引    4レベル

・スキル 薬調合    4レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 棒術     4レベル


 空き(0)

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 いろいろ考えたが、これ以上、他人の能力を奪うとなると、既存の何かを削らなければいけなくなる。

 巨大なカラスの肉体を捨てて、イリクからルイン語を奪うことも考えたのだが、あえて踏みとどまった。ああいう巨大な鳥が、街中でいつでも手に入るとは限らない。小鳥ならばいくらでもいるだろうが、それではダメだ。生態系の頂点に位置するような、力の強い種類でないと、もっと強い動物から狙われてしまう。

 それに、モータスとイリクには「仕返し」をしたが、ニトゥラにはまだだ。俺の手の甲をグリグリと踏みにじってくれたお礼をしなければならない。俺は彼女の唯一の言語、フォレス語のスキルを丸ごと奪い取った。まだ気付いてはいないようだが、今後、彼女は言葉の聞き取りも読み取りも、スムーズにできなくなるだろう。まともに話せるようになるまで、何ヶ月、いや何年かかるだろうか?

 一方、俺は、これで流暢にフォレス語が話せるようになる。今のレベルでも不自由はなかったのだが、やはりまだ、発音その他に外国人のような訛りが残っていたはずだ。しかし今からは、それこそ本当のネイティブのように、自由自在に言葉を操れるようになるだろう。


 俺が、言葉を奪われたニトゥラのその後の反応を見たくて、遠くを見ようとキョロキョロしているのを、ミルークが見咎めた。


「どうした、ノール」

「あ、いえ、なんでも」


 一瞬、彼は首を傾げたが、続けて尋ねた。


「……舞台を見たいのか?」

「はい」


 そうだな。

 大勢の前でステージの上に立つのだ。今のうちにイメージを掴んでおきたい。


「わかった。横から見るといい」


 そういって、彼は先に立って歩き出す。急いで後についていった。


 ここの奴隷市場の競りは、安価な商品から行われることとなっている。安価、といっても、競りにかけるのだから、定価があるわけではない。安くなる要因の多い奴隷から、売り出されるという意味だ。

 従って、早い段階で犯罪奴隷が並ぶ。それも年限のない、事実上の死刑判決を受けた連中だ。今回、ミルークが預かった三人も、これに該当する。一方、俺達の出番はずっと後だ。どうしてこうなるのか? 身分だ。

 朝一番の競りに間に合わせるためには、参加者は夜明け前から移動を開始しなければならない。一方、午後の競りに出向くなら、少し遅めに出発しても間に合う。つらい早起きを偉い人にさせるわけにはいかない。

 そういうわけで、俺が目を走らせた先に座っているのは、見た目、粗野な印象を与える男達ばかりだった。どこかの工事現場の監督みたいな雰囲気が漂っている。彼らは、使い潰せる奴隷を求めているのだ。


「舞台の上でやることなんて、ほとんどない。見ろ」


 犯罪奴隷が一人、両足を繋ぐ鎖を引きずりながら、舞台の中央に立つ。すると、既に舞台の上に立っていた進行役が、声を張り上げる。


「続きましてはこちらぁ! 十六番! こいつも、この前の盗賊討伐で捕まった一人だぁ! 犯罪奴隷、年限はなし! 年齢は三十二歳とちょっといってるが、この通り」


 立たされている男の上着を、進行役は遠慮もなく剥ぎ取った。


「これといった傷もない! まぁ、少し痩せ気味だが、そこそこは持ちそうだ! 事前の質問はないから、このまま競りを始めますぜ!」


 この進行役も、買い手と同じく、荒っぽい感じだ。

 俺の感じたことに気付いたのだろう。ミルークは横から言った。


「犯罪奴隷の部が終わったら、進行役は交代する。ついでに、会場の掃除もする。お前達の出番には、もう少しマシな雰囲気になる予定だ」


 なるほど。まあ確かに、工事現場のおっちゃん相手に、貴族の執事みたいなのが司会を務めても、しっくりこないか。


「次は、十七番! こいつも、さっきのと同じ、元盗賊だぁ! 犯罪奴隷で年限なし! ただ、こいつは若いぜぇ! なんとまだ、二十三歳!」


 ミルークが預けた、モータスのことだ。彼の表情には、何か信じられないものを見てしまったとでもいうような、絶望の色が浮かんでいた。最初はただ、真面目に暮らす気になれず、やんちゃをしていただけだった。それがいつの間にか、悪いほうへ悪いほうへと導かれて、気付けば人生の終着点。だが、これは自業自得だ。

 一方、彼を見つめる参加者達の視線には、熱がこもった。これなら、使い潰すにもってこいだ。


「体格もいいし、もちろん、怪我も病気もない! 事前の質問は……捕まる前の仕事だな? もちろん、盗賊だったんだが、その前は……こいつは体がデカいから、女をエサに男を引っ掛けて、後から乗り込んでいって、棒切れもって脅して金を取っていたそうだ。いわゆる美人局だが、逃げようとした男に大怪我を負わせたらしいな。それで街から逃げ出して、盗賊の仲間になった。いわゆる冒険者崩れの乱暴者ってわけだ」


 なるほど。ということは、ニトゥラと組んで、あちこちで男達を騙してきていたわけだ。

 で、あれこれやりすぎて、ついに街にいられなくなって、盗賊どもの仲間入り、と。


「さあ、じゃあ、金貨五百枚で開始!」


 だが、声を上げる参加者はいない。これだけ体格がよくても、犯罪奴隷は買い叩かれる。


 舞台の下、向かい側に、小さな鐘のようなものが設置されている。それが一度、打ち鳴らされて、甲高い音が響く。


「四百九十!」


 競り下げが始まった。競り上げがチキンレースなら、競り下げは早い者勝ちだ。まぁ、決着が一発でつくので、安物を素早く処分するには、悪くない方式だ。


「三百五十!」

「買った!」


 参加者のうち、最前列に座っていた、体格のいい男が、さっと手旗を振り上げた。それで決まりだ。


「はい、決まり! それじゃ、割符を渡しますぜ!」


 進行役に背中を押されて、モータスはのっそりと歩いていった。


「次! 十八番! こいつは盗賊どもの女房役だ! 犯罪奴隷で、こいつも年限なし! 女だぞ!」


 ニトゥラの出番だ。

 彼女は、目を丸くしている。ひどく動揺しているようだ。


「二十六歳! ちっと年がいってるが、まだまだ使い道はある! 事前質問は……っと。今朝、飛び込みで一件……ルイン語は話せるか、だが」


 答えようとして、進行役は、手元の資料をひっくり返す。だが、どちらを見ても、彼女にルイン語の知識があるかどうかなど、書いてなかった。


「多分、無理だと思いやすが……じゃあ、答えさせるんで……おい、十八番、今の話、聞こえてたな?」


 きた。

 普通は、舞台の上で話す必要などないから、語学のスキルを奪われた反応など、はっきりとは確認できないかと思っていたのだが。今回はツイていた。


「お前、ルイン語は話せるか?」


 だが、そう詰め寄られたニトゥラは、顔を青ざめさせて、一歩、下がるだけだ。うん、明らかに質問の意味を把握できていない。

 ピアシング・ハンドが奪い取るのは経験であって、知識ではない。だから、ニトゥラはこれまで通り、フォレス語そのものは理解できているはずだ。しかし、文字とか単語とかを知っているからといって、実際に会話ができるかというと、そうではない。


 前世の話だが、なけなしの貯金を使って、イギリス旅行に出かけたことがある。俺はロンドンの地下鉄の、ヴィクトリア駅で毎回流れるアナウンスが、まるで理解できなかった。何度聞いても「ボウイングベギャ」としか聞こえなかったのだ。

 あとで現地在住の日本人に尋ねたところ、あれは「マインド・ザ・ギャップ」、つまり段差にご注意ください、という意味だった。俺でも理解できる、実に簡単な英語だったのだ。


 だから、今のニトゥラにも、進行役の言葉が同じように聞こえているはずだ。もしかすると、もっとひどい状態かもしれない。


「答えろ。話せるか?」


 ルイン語どころか、いまやフォレス語さえ話せないだろう彼女には、その質問は難しすぎた。

 さすがに、参加者の前で暴力を振るうわけにはいかないが、進行役としては、殴ってでも聞き出したいのだろう。その表情には、怒りが見て取れる。

 だがそれ以上に、ニトゥラの表情には、激しい恐怖の色が浮かんでいた。


「申し訳ありやせん!」


 進行役は、切り替えることにした。


「こんな状態なので、どうも聞きだせそうにないんで! あー、ただ! 資料によると、十八番はもともと娼館で働く奴隷だったそうで、そっちの方面で使う分には、言葉なんか問題ないですぜ! ……じゃあ、金貨五百枚で開始!」


 しばらくして、ニトゥラは、金貨二百四十枚で落札された。購入したのは、これまた工事現場のボスみたいな男だった。

 購入目的は、部下の慰安のためだろう。過酷な肉体労働をこなすのは、何も犯罪奴隷ばかりではない。だが、結果的に死なせてもいい犯罪奴隷以外については、それなりの待遇も必要となる。衣食住はもちろんのこと、娯楽もだ。といって、人里離れた場所で木を切ったり、鉱山の中で石を砕いたりしているところへ、普通の娼婦を呼びつけるのは、かなり高くつく。その点、犯罪奴隷の、そこそこきれいどころの女なら、彼ら労働者のストレス発散にはちょうどいい。

 ニトゥラは、ずっとおどおどしっぱなしだった。ようやく進行役の身振りを察して、ふらつく足取りで舞台を去った。


「……もういいのか?」


 ミルークの声に振り返る。


「はい」


 彼は、溜息をつき、首を振った。


「お前の時には、もう少し上品な取引になるから、心配するな」


 なるほど。

 ミルークがやりたがらないわけだ。

 これが普通の奴隷の世界。人を物として扱うというのは、こういうことなのだ。


「次、十九番! こいつも犯罪奴隷だが、見ての通り、ルイン人だ! ただ、体格がこれだから……」


 遠ざかる進行役の怒鳴り声をぼんやりと聞きながら、俺は舞台を背にした。

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