策略と脅迫と嘘
翌朝、ジュサの同伴で、懲罰房に向かった。
反応は、三者三様だった。
「おはようございます、お食事をお持ちしました」
朝の光を背負ってやってきた俺に、モータスはガバッと顔をあげた。
「でも、あんまりおいしいものじゃないですし、いりませんよね?」
「よこせ!」
昨夜とは打って変わって、血相を変えて、ただの乾いたパンと水にむしゃぶりついた。
ニトゥラはというと、恐ろしく不機嫌だった。やつれたように見えるのは、気のせいだろうか?
食事を持ってきた、といっても、無反応だった。横を向いたまま、ブスッとしていた。
最後に、イリクの部屋に入った。
「おはようございます!」
「う……ああ、おは、おはよう」
そばかすだらけの貧相な顔に、無理やり笑みを浮かべて、彼は応えた。だが、見た限りでも、寝不足なのが窺えた。
「あれ? あんまり眠れなかったんですか?」
「ああ、ちょっと、ね」
「座ったままですもんね」
「ああ、そう、そうなんだよ、うん」
その時、ふと、俺は彼の首元が気になった。
「あれ、それ……」
灰色の粗末な服の襟から覗く、緑色。細い紐に、いくつもの小さな……石? 違う。なにかこう、樹脂を練り固めたようなものが、ぶらさがっている。
「面白い形のネックレスですね」
俺が手を伸ばすと、イリクは激しく身をよじった。
「触るな!」
甲高い声だ。
だが、鬼の形相をしたのも一瞬、俺の隣で身構えたジュサに気付いたのだろう……すぐに表情を緩め、頼りなさげな、あのいつもの笑顔に戻る。
「あ、ああ、ほら、その、これ……ええと、だから、つまり、母の形見なんだ」
「そうなんですか。セリパシアには、変わったネックレスがあるんですね」
「あ、ああ、そう、そうなんだよ、安物だけどね、だけど大事なんだ、そう、そう」
エヘヘと笑いながら、彼はそれで説明を切り上げた。
だが、そんな会話をかわしつつも、俺はちゃんと仕事に取り掛かっていた。こういうのは順序が大事だ。
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イリク・ウィッカー (28)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク3、男性、28歳)
・スキル フォレス語 3レベル
・スキル ルイン語 5レベル
・スキル 薬調合 4レベル
・スキル 格闘術 2レベル
空き(24)
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身体操作魔術に続いて、商取引も奪い取った。欲しいのは、薬調合か、高レベルのルイン語だが、それはまだ、我慢だ。焦る気持ちはあるが、ここは耐えるところだ。ジュサもまだ、犯罪奴隷達に対して、警戒する気持ちが抜けていない。俺が一人でここに出入りできないと、勝負をかけられない。
翌日。
ほぼ、同じような展開だった。モータスは一転して、食事をおとなしく受け取るようになったし、この日はニトゥラも、パンを貪るように食べていた。臭気にも、だんだん慣れてきたのだろう。そしてイリクは、ますます憔悴していった。
時間が残り少なくなる中、次に俺が奪ったのは、モータスの商取引スキルだった。
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モータス・エトゥート (23)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク4、男性、23歳)
・スキル フォレス語 4レベル
・スキル 棒術 4レベル
・スキル 農業 3レベル
空き(20)
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これで俺の商取引スキルは、やっと4レベルに達した。熟練者の仲間入りだ。そう、昆虫相手にも試していたから知ってはいたが、どうやらスキルの経験は、加算されていくようなのだ。ただ、それにしては、成長の度合いが小さい気がする。
今までの経験からすると、このスキルのレベルというものは、大雑把には経験年数と比例するものらしい。だいたい一年で1レベル。だが、2レベルに達するには、そこから二年程度の経験を要する。だから、普通に計算すると、4レベルに達するには、そこまでのレベルの総和の年数、つまり十年程度の修行が必要という計算だ。
だが実際には、それより短い年数で高いレベルに達しているケースもある。ジルなどがいい例だ。あの若さで、いくつもの武器を使いこなせるのだから。ただそれは、もともとのマテリアル、つまり肉体の素質が優れているとか、限られた時間の中で密度の高い訓練を積んだとか、いい教師が近くにいるといった要因があって、やっと成り立つものだ。
では逆に、必要な年数だけ経験を積めば、誰でも高レベルになれるのか? いいや。
語学スキルを見れば、その辺の問題がハッキリしてくる。今まで、7レベルに達した言語スキルの持ち主を見たことがない。これはどういうことか。
恐らくだが、レベルが高まるほど、経験の質も重要になる。ただの日常会話がいくらできても、それで素晴らしい文芸作品を書けるようにはならない。剣術などでもそうだろう。基礎訓練は、それこそ初心者にとっても、達人にとっても重要極まりないが、達人が更なる成長を遂げるためには、よりハードな練習が必要となるはずだ。
ということは、低レベルのスキルをたくさん奪っても、なかなか高レベルには達し得ない。しかもスキルには知識がついてこないから、訓練や学習なしでは、たいした成果は出せないだろう。
とはいえ、これで少しは「取引」が上手になったはずだ。そう思いたい。
勝負の三日目がきた。
俺はジュサに頼み込んだ。
「明日の朝には、ここを出るんですよね? だったら、犯罪奴隷に話を聞けるのも今日が最後ですし、特にイリクはいろいろお話してくれるので、一人で少し、のんびりしてきてもいいですか?」
他の二人が相手であれば、ジュサも了承しなかっただろう。だが、イリクは最初を除いて、一貫しておとなしく、友好的だった。ジュサは改めて、下手に近寄るなと注意をしてから、俺一人で行くのを許可してくれた。
「おはようございます」
今日の狙いはイリクだ。しかも、重要なのはスキルではなく、情報だ。
「よく眠れましたか?」
だが、彼は強張った表情のまま、返事をしなかった。
「お疲れのようですね」
「あ、あ、あのさ」
イリクは、微妙な表情のまま、話しかけてきた。
「す、すごく体調がよくないんだ、わかるだろ?」
「そうなんですか?」
「そ、そう、そうなんだ、それで、ジュサって言ったっけ? 彼に伝えて欲しいんだ」
おっと。
追い詰められているな。
「僕は悪いことをしたからここにいる、それはわかっているけど、たまには日の光を浴びたいんだ、そうじゃないと、きっと死んじゃうからって」
はて、本当に日光を浴びたいだけなのか。
いや、まさか。
彼は異変に気付いている。なぜか身体操作魔術が使えない。最初の夜も、昨夜も。まさか俺にスキルを奪われたから、とは思うまい。なにせ、魔術についての知識も記憶も、なくしてはいないのだから。
となると、別の原因を考える。もしかして、この場所に問題があるのでは……
「それは難しいと思いますよ。でも、明日になったら、外に出られます。馬車でオークション会場に向かいますから」
「いやだ! 待てない!」
甲高い声が、俺の言葉を遮った。
だがすぐに、彼は正気に戻る。
「わ、悪かった、大きな声を出して」
「いいえ」
「お願いだよ、外の空気を吸いたいんだ、伝えてくれるだけでいいんだ。半刻でいい、いや、もうほんのちょっとでいいから」
……どうやら、いちかばちかの勝負を仕掛ける時がきたようだ。
「しょうがないですね、いいですよ」
「ほ、本当に!? ありがとう!」
「でも、それなら僕もお願いがあるんです」
「な、なんだい?」
俺は、彼の首飾りを指差した。
「その首飾りなんですが」
すると、彼の表情から、すっと笑みが消えた。
「こ、これはダメだ! ダメだよ?」
そうだろう。
二日目の朝のあの反応、忘れるわけもない。だから、疑わしいと思っていたんだ。
「別に、くださいって言ってるわけじゃないですよ。ちゃんと見せて欲しいなってだけです」
「だ、だめ! だめ!」
「ダメなんですか? 見るだけなのに?」
彼はあからさまに警戒していた。見せるだけ。これは嫌な条件だ。くれ、と言われれば、あげられない、と言える。でも、見るだけなら? 見せたからって、何か減るわけじゃない。だから、見せない理由はない。見せたくないと思っていることも知られたくない。
ややあって、彼は口を開いた。
「……見るだけ?」
「はい、見るだけです」
しぶしぶながら、彼は頷いた。
「なら、いいよ」
「ありがとうございます!」
俺は笑みを浮かべて、彼に近寄った。一方の彼は、ものすごく嫌そうだ。作り笑いさえ浮かべられない。
手を伸ばして、そっと首飾りをつまんだ。
それは、まったく質素な品だった。まず、首にかかっている紐。色合いは普通の枯れた雑草と同じで、肌触りだってよくない。装飾品というには、あまりにお粗末だった。
その紐に、いくつもの小さな木片がぶら下がっている。一方に穴を開けられていて、反対側に特徴的な形の突起がある。ちょうど船の碇のような形状だ。
そこに引っかかっている緑色の欠片。何かの樹脂のようなものだ。木片にへばりついているので、ちょっとやそっとでは落ちたりしないようにできている。
よく見ると、その緑色の樹脂の内側に、更にまた、小さな石のようなものがある。一定の形に削られていて、底面には、何か記号のようなものが彫りこまれている。
ところで、すべての木片に、緑色の樹脂がくっついているわけではない。いくつかには、何もぶら下がってはいなかった。これは恐らく……
「もういいだろ?」
イリクは、うんざりしたようにそう言った。
「そうだね」
俺はそっと指の力を緩めた。
「じゃあ、早くジュサを……」
「どこで買ったの?」
割り込んできた質問に、彼は苛立ちを見せた。
「……母さんの手作りだから、どこにも売ってないよ。それより」
今だ!
俺は指先に力を込め、一気に後ろへと飛びのいた。枯れ草のような紐は、あっさりと千切れた。
指の間に隠し持っておいたのは、執務室で使っているレターカッターだ。現代日本のそれとは違い、これは本当に味気ない形状をしている。ほぼ長方形で、どちらかというと、カミソリの刃みたいな印象だ。
「あっ……か、返せ!」
イリクは喚きたてた。だが、幸か不幸か、懲罰房の鉄の扉には、悲鳴を遮断する役目もあるのだ。もう、彼の手は俺には届かない。
「……これ?」
俺は、わざとじらすように、彼が首飾りと呼ぶものを、左右に振ってみせた。
「そうだ! 返せ! 僕のだぞ!」
もうこっちのものだ。でも、油断はしない。うまく追い詰めないと。
「もちろん、返すよ。調べてからね」
この一言に、彼は硬直する。
「な、なに……? しら、調べる? 調べるって言った?」
どうやらビンゴだ。
「そう、調べる。魔術の専門家あたりに見てもらおうと思うんだ」
「な! なんで」
俺を子供だと思って甘く見た。まさか、これが魔術の触媒だとは、見抜かれないと思っていたのだろう。
「イリク・ウィッカー……か。実家はどこだったっけ? 結構、お金持ちじゃなかった? いやー、それがこんな犯罪者なんかにねぇ」
「お、お前! なんで僕の家名まで知ってるんだ!?」
ピアシング・ハンドで見ただけ。だがこれで、イリクは俺が、何かを知っていると思い込む。
犯罪奴隷は、譲渡奴隷と違って、名前を変えないのが普通だ。理由は簡単。あれがあの犯罪者かと、すぐわかるほうが、都合がいいためだ。だがそれでも、奴隷になれば姓を失うというのは、大原則として変わらない。そもそも犯罪奴隷になるなんて、実家にとっても不名誉なことだから、姓をなくしてくれたほうが、ありがたくもある。だからこそ、聖林兵団の担当官が犯罪奴隷の名前を読み上げた際にも、家名は省いたのだ。
さて、彼にとって、俺はどういう存在に見えるだろうか?
少なくともここに来てからは、誰にも教えられていないはずの家名を、なぜか知っていた。見抜かれないだろうと思っていた……そして実際、ここまでの護送中にも知られずに済んだ触媒の存在に気付いた。混乱の最中にあるはずだ。この機を逃してはならない。
「残念だけど、ここでは魔術は使えないよ?」
「なっ……!?」
慌てて口を噤む。魔術が使えないことに動揺するなんて。もう、自白したも同然だ。
スキルを奪ったことは説明できないし、しない。代わりにちょっとした嘘をついてみる。
「詳しくは聞いてないけど、なんでも結界が張ってあるとか……それよりさ、この触媒、どうやって使うの?」
いくつか、樹脂のついていない木片がある。そして、顔に近い位置にぶら下げてある。何より、イリクには、薬学に関するスキルがある。ということは。
「やっぱり、飲み込むのかな?」
「そっ、それは……」
息を呑む音がした。
「は、母の、形見で……」
「そっか。わかった」
俺はさっと背を向ける。
「なら、これは調べてから、ちゃんと返すよ。ごめんね」
「あ、ま、待って!」
「大丈夫、すぐわかるから。またね、イリク」
「や、やめて! やめてくれ!」
にんまりと笑みを浮かべて振り返る。俺はここで、完全に子供の皮を脱ぎ捨てた。正直、こういうやり方は得意でもないし、好きでもないのだが、ここは心を鬼にして、やり通す。
「正直に言えばいいんだ」
「な、なにを?」
「時間を無駄にするつもりなら、僕はもう、出て行くよ? だけど」
俺はもう一度、首飾りを見せ付ける。
「そうだな……これの使い方と、作り方を教えてくれれば、返してあげてもいい」
イリクは、ピタッと動きを止めた。唇が震えている。多少の迷いはある。だが、選択肢などない。
「……お、お前は、なんでそんなこと、知りたがる? いったい、何者」
「はい、さよなら」
「ま、待て!」
唇を噛みながら、イリクはやっと言った。
「わ、わかった。言う。……そうだ、それが触媒だ。お前が考えた通り、噛まずに飲み込めば、す、すぐに二つの魔術が効果を現す。呪文も動作も必要ない」
「ふんふん、それで?」
「一つは、い、一時的にものすごい力が出る。素早く動けるようにもなる。たっ……ただ、慣れないとどうせうまく動けない」
なるほど。やっぱりこいつが、ゼルコバの言っていた怪力男か。
この見た目では、さすがに疑われもしないわけだ。
「もう一つは?」
「感覚が鋭くなる。物音がよく聞こえるようになるし、鼻も利くようになる。暗いところでも、細かいところまでよく見えるし、それに……素早く動くものも、ゆっくり見える」
「それはすごい!」
さすが5レベルの身体操作魔術だ。戦闘技術とうまく組み合わせれば、かなりの強敵とも渡り合えそうだ。残念ながら、イリクには2レベルの格闘術しかないのだが。
だが、俺の感嘆の声を聞いて、彼は眉を顰めた。
「ど、どうせ使えないぞ」
「どうして?」
「魔術の、そ、それもこの分野の魔術を練習して、体の中に魔力の流れが通るようになっていないと、効果は出ない。だけど、副作用は出る」
「副作用?」
そんなものがあるのか。聞けてよかった。
なにせ、俺は彼を脅して情報を聞き出しているのだ。あえて不完全な情報しか寄越してくれない可能性だってある。
だからこそ、こうしてあえて嫌な奴になりきって、畳みかけるようにプレッシャーをかけ続けているのだ。彼が心理的に持ち直して、駆け引きをしようと考え始めたら、いろいろと厄介なことになる。
「魔術の効果は半刻だ。その後、全身がだるくなる。こっ……これも半刻は続く。歩くくらいならできるが、まず使い物にならなくなる」
「副作用をなくすには? 何かないの?」
「ない。い、一応、この系統の魔術には、体に活力を与えて、疲れや眠気に強くなる術もあるけど、この副作用には、効き目がない」
「なるほどね……で、作り方は?」
彼は首を振った。
「無理だ、無理だよ」
「じゃあ、持ち帰って調べてもらうしかないかな」
「そ、そうじゃない!」
彼は声を荒げた。
「お前、魔法を使いたいのか。でも、そんなに簡単じゃない。十年は練習しないと、その魔法、使えない」
「わかってるよ。それより、これの作り方は?」
苛立っているようだ。いいぞ。変な計算をされるより、そっちのほうがずっといい。
「わ、わかった! どうせ作れないから、教えてやる。材料は全部セリパシアのものだ。まず、外側の樹脂、これは北東部森林地帯のツマラーカの若木の皮を剥いで集める。火にかけると溶けるから、それで中のものを包む。中身は、北西部のリント平原に咲くタンドラの花の花粉を、南西部の湿地帯にいるムーアスパイダーの体液で練り固めたもの。よく乾かしたら、六角形の柱の形に切り出して、上と下に、それぞれ魔術文字を刻んで、そこに金箔を貼る」
「ふむふむ……うん、メモを取った。わかった。その材料なら、ここにもあるから、今、作ってくるよ。うまく作れたら、このネックレスのじゃなくて、出来上がった新品をイリクにあげるから」
もちろん、これも嘘だ。こうでも言わないと、一部の工程をごまかされるかもしれない。彼だって、出来損ないの触媒を受け取りたくはないだろうから。
「バ、バカ! 猛毒だぞ!」
ほら。
気をつけないと。
「あれぇ? なんでそれ、先に言わないの?」
「そ、そんなの、常識だ! タンドラの花なんか、花粉を吸い込みすぎると、それだけで意識がなくなるんだぞ! ムーアスパイダーの体液も、取り込めば体が痺れたり、苦しくなったりする。毒抜きしないと、使えないんだ。こ、これも経験がない奴にできることなんかじゃないんだ!」
うーん、これは、質問形式だと漏れが出そうだ。
「じゃあさ、これに書いてよ。手順と必要な注意事項を全部。僕、これでも収容所の中では顔が利くんだ。一応奴隷だけど、主人のお気に入りだから、実はみんな、僕には逆らえないんだ。そういうわけで、薬剤師の先生に作らせるから、詳しい指示をお願いね。使うのはイリク自身だから、くれぐれも気をつけて」
「ア、アホ! そんなことしたら、全部バレる! それなら、こっそり道具と材料を持ってこい! 目の前で作ってやる!」
おっと。
「やだよ。そっちのほうが危ないもん。薬剤師の先生なら、弱みを握ってるから大丈夫。それより、言う通りにしないと……」
「くそっ、この……!」
よしよし、いい感じに熱くなって書いてくれている。まあ、それでも全面的に信用はできないが、ないよりはマシだろう。
「よ、よし、書いたぞ。さあ、早く……」
「ああ、それと追加で。あのさ、簡単な呪文とかない?」
「はぁ?」
搾り取れるだけ搾り取らないと。今しかチャンスがないんだから。
「さっき、活力が得られる術があるとか言ってたよね。あれなんか、どう?」
「……それは簡単な呪文じゃない。一番簡単で、すぐ使えるのは、行動阻害の呪文だ」
「行動阻害? なんかそれ、便利そうだけど? どういう効果があるの?」
「相手に一瞬、痛みを与える。それ自体で怪我をしたりはしない。だが、転んだり、持ってるものを落としたりする」
「へぇ!」
それはそれで、なかなかに有用だ。ぜひ教えてもらおう。
「いいね! じゃあ、こっちの紙に、行動阻害と……活力だっけ? 両方の呪文を書いてよ」
「くっ……」
書き上げたのを見てみると、なんだか読めない文字が書いてあった。
「なにこれ?」
「魔術文字」
「読めないよ。ちゃんとフォレス語で書いてよ」
「無理。発音も違うし、表現できない」
それなら仕方ないか。正確な情報であれば、それでも値打ちはあるのだし、よしとするか。
だが、それならここで、彼の誠実さを試してみるべきかもしれない。
「じゃあ……この簡単なほう。行動阻害ってやつ? 呪文を実際に唱えてよ」
彼は歯軋りしていた。もうやけっぱちなのだろう。言われるがままに呪文を詠唱してみせた。もちろん、何も起こらない。彼はそれが、この牢獄に設置された結界のせいだと思っている。
「じゃあ、僕もやってみようかな」
「すぐにできるわけがない。一年は基礎訓練をしないと、それに僕くらい慣れれば別だけど、最初は触媒……うぐはっ!?」
二言、三言、口の中で呟くだけで、イリクは腰砕けになった。うん、演技ではなさそうだ。他の情報まで正しいとは限らないけど、とりあえずはこれでいい。
「よし、こんなもんかな」
「お、お前」
「ん?」
「……なんで、お前は、魔術を使えるんだ」
あ、しまった。
「そりゃ、結界が張ってあるのは、そのすぐ足元だけだからだよ。当たり前だろ?」
そう言いながら俺は、首飾りから木片を一枚抜きとって、イリクに投げ渡した。
「薬剤師の先生には、あとで作ってもらうよ。とりあえずはこれ」
怪力の丸薬をキャッチしたイリクは、さっきまでとは打って変わって、喜色満面だった。
「おっおお……こ、これさえあれば……!」
「あー、一応、言っておくけど、ここで暴れるのはなしでね?」
俺がそう言うと、彼は怪訝そうな顔をした。
「なに?」
「だってそうじゃん。僕がそれをあげたこともバレちゃうし」
すると、今までの鬱憤ゆえか、イリクはいやらしい笑みを浮かべた。
「そ、それは好都合だな。お前こそ、バラされたくなければ」
「ミルークに撃ち殺してもらうしかなくなるね」
交渉なんてさせない。いつでもこっちが命令する側だ。それだけは絶対だ。
「この……どこまで……!」
「いいじゃん、ここ離れてさ、オークションが終わってから、逃げ出せば」
「と、隣の仲間はどうなる」
「そんなに大事な人なの?」
そう言われて、イリクは少しの間、そのまま立ち尽くしていた。だがすぐに、下卑た笑みを浮かべる。
「へっ……言われてみれば、ど、どうでもいいな」
「でしょ?」
俺は、今回得たメモなどを手元でまとめると、今度こそ部屋を出ることにした。
「じゃあね。まあ、頑張ってよ」
「ふん……」
扉を閉じて、憤然としたイリクとお別れした。懲罰房の悪臭とも、これでおさらばだ。
そして。
「……ありがたや」
俺はそう呟いた。
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(自分自身) (7)
・アルティメットアビリティ
ピアシング・ハンド
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク7、男性、5歳・アクティブ)
・マテリアル バード・フォーム
(ランク6、オス、8歳)
・スキル フォレス語 3レベル
・スキル 商取引 4レベル
・スキル 薬調合 4レベル
・スキル 身体操作魔術 5レベル
空き(1)
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