懲罰房巡り

 一人、部屋に戻って、俺は考えをまとめていた。

 さっきからいろいろ試しているが、体がムキムキになる気配はない。そこで以前、ジュサが説明してくれたことを思い出した。


 魔術は、今から一千年ほど前、チーレム島に降り注いだ石版に書かれていた技術である。だがその多くが、後の諸国戦争の最中に失われた。ゆえに、正しく記述された魔術書は、非常に高価である。

 しかも実際に魔法を使うとなると、人間にはほとんど魔力がないため、様々な工夫が必要となる。それこそよっぽど熟練するか、人数を集めるか、時間をかけて儀式を執り行うか、道具、薬品といった触媒の力を借りるかしないといけない。呪文一つで簡単に、というわけにはいかないのだ。


 そうだ。

 俺は今さっき、身体操作魔術のスキルを奪い取りはした。だが、そこに記憶はついてこなかった。

 よくよく考えれば当たり前だったのだが、これは誤算だった。スキルだけ奪えば、すぐに使えるかと思っていたが、そんなはずはない。わかりやすく言うと、どんなに料理の腕があっても、食べたこともない食材を、レシピもなしにおいしく調理するなんて、まず無理だ。今まで昆虫相手に実験ばかりしていたから、その辺の事情が問題にならなかったのだ。

 要するに、今の俺は非常に奇妙な状態にある。身体操作魔術の経験だけがあって、知識がない。では、どうすべきだろう? せっかく奪ったこのスキルは、無意味なのか?

 いや、そうではない。つまり、知識があれば、練習抜きにスムーズに使えるのだ。同じ呪文を唱えるにしても、普通の人が何百回も練習してやっと少しうまくいくところを、俺は一発で大成功する。だから、俺がすべきなのは、知識の獲得だ。

 ということは、イリクに教えを乞うのが解答となる。問題外だ。彼には、俺に魔術の知識を教える理由がない。

 他の方法は? 大金を出して魔術書を買い漁る? それもいいが、正しい方法が記述されたものに出会えるかどうかは、運次第だ。だからやはり、イリクの口を割るのがいい。


 ……口を割る?


 そうか。

 俺としては、教えてもらえるなら、なんでもいい。相手に理由があろうがなんだろうが、とにかくこちらの要求をかなえてもらえばいい。

 これは最後の手段になるが、俺には相手を脅迫できるだけの武器がある。ピアシング・ハンドの力で、動物を一匹、目の前で消し去ってやろうか。お前にも同じことができる、だから何もかも白状しろ、とか。

 ただ、これには問題もある。イリクにピアシング・ハンドの秘密を知られてしまう。それをあちこちで口にされると……なら、ここで殺せばいいのか。聞き出すだけ聞き出しておいて、肉体を奪取、即廃棄。プノスの時のように、俺の魂から切り捨てれば、死体はその場に転がる。


 ……いや、ダメだ。


 イリクの立場を考えてみる。彼は犯罪奴隷だ。


 犯罪奴隷というのは、考え得る限りで最悪の立場だ。今すぐ使える技術をその場でだけ求められる職能奴隷の人生も、決して明るいものとはいえないのだが、まだ彼らには、自分で自分を買い戻すチャンスもあるし、主人に気に入られる可能性だってある。だが、犯罪奴隷となると、そうした機会が一切ない。そればかりか、たとえ技能を有していても、なんといっても社会的信用が皆無なので、そもそも重要な仕事に割り当てられたりもしない。

 では、どこへいくかというと、男ならまず鉱山だ。或いは山奥で、ずっと材木を切り続けるか。誰にでもできて、誰にとっても苦しい、過酷な肉体労働に投入される。大切にもされないので、数ヶ月で死んでいくのだが、それは問題とはならない。女なら、あまり使い道はないが、若ければ、使い捨ての売春婦に仕立てられる。或いは、変態的な性癖を持つ貴族などに買い取られ、苛め殺される。主人は、所有する犯罪奴隷を、いつどこで殺してもいい。


 彼は今、そんな身分なのだ。だから、殺してやると言われたところで、脅しになどなりはしない。まして、彼の秘密であろう身体操作魔術の知識だ。衛兵の腕をねじ切り、盗賊どもを逃がした犯人と知られれば、奴隷になるだけでは済まない。

 そうか。どうせもうすぐ、そんな死に方をするしかないから、あんな態度だったのか。いきなり俺を蹴飛ばしたり……はて?


 変だぞ?

 あいつら三人が三人とも、やけに余裕たっぷりだったような気がする。確かに、自分の売却を請け負った奴隷商人の機嫌なんか取ったって、意味はないから……暴れたくなったら、好きにしてもおかしくない。でもだからって、ああまで開き直れるか? 思い切りが良過ぎだろう? そんなに潔く犯罪奴隷としての余生を過ごせるくらいの器量があるなら、初めから盗賊なんかになるか?

 違う、そういうことじゃないんだ。そうか……これでパズルのピースが合ったような気がする。


 あいつら三人は、身体操作魔術の力で拘束を振り解き、逃げ出すつもりだ。

 もちろん、スキルを確認した際に、イリクに逃亡の可能性があるのは察していた。だが、隣に立っていた二人も、彼の特技を知っていたのだ。


 ということは、これが交渉材料になる。お前達、逃げ出すつもりだったんだろう? バラされたくなければ、魔術のコツを教えろ……

 いや、でも。魔法というのは、呪文一つで何とかなるものじゃない。イリクは確かに、魔術の訓練を重ねてきたのだろうし、知識だって持っているのだろうが、それだけでは、あの鉄の鎖は引き千切れないのではないか。たくさんの人数を集めて儀式をするか、魔法の道具を使うか。

 前者はあり得ない。だが、後者は? 魔術でここから逃げる自信があるなら、当然、そのための触媒を所持しているはずだ。


 ……よし、考えはまとまった。

 オークションまで、今日を入れても、あと五日しかない。だから、もしかしたら必要としている知識は手に入らないかもしれないが、それでも、挑んでみる値打ちはある。

 ただ、そうなると、クリアしなければならない課題が……


 バンと音を立てて、部屋の扉が開く。


「おう、ノール。大丈夫か? 飯だぞ?」


 ウィストだ。大丈夫かと尋ねるわりに、あまり心配しているようには見えない。まぁ、この前のミルークの暴力のほうが、何倍もきつかった。あんな爪先だけの蹴りなんて、たいして痛くもない。


「飯、か……」

「ん? そうだぞ? 飯だぞ?」

「飯……そうか」

「どうかしたのか?」


 強引だが、これしかない。


「あ、ああ、どうもしないよ。飯だよね、飯。食べよう」


 そして夕食の後。

 暗くなった中庭で、ジュサは俺の提案を却下した。


「そんなことは、お前がしなくてもいい。また蹴飛ばされたらどうするんだ」


 三人の犯罪奴隷の世話をさせて欲しい、まずは食事を届けにいきたいと申し出たのだが、やっぱりというか、断られてしまった。

 オークションを控えた少年奴隷の立場では、難しいか。これで奴らが突発的に暴力を振るって、俺の顔に傷でもついたら。それもいつか治るものならいいが、ずっと痕になって残るような結果になったら、それこそ目も当てられない。もちろん、そんなヘマは、今度こそしないつもりではあるが。


「それに、まさかそんなことはしないと思うが……やられたことの仕返しをしたいのだとしたら、それもダメだ。あいつらは確かにクズどもだが、国から販売を委託された犯罪奴隷なんだ。脱走したのならともかく、お前が勝手に傷をつけたり、間違って殺したりしたら、弁償しなければいけなくなる。ミルークも信用をなくすんだぞ」


 いちいち当然過ぎる。どうしよう。ジュサは俺のために、言ってくれている。立場もあるが、まずは俺を心配してくれているのだ。

 これを説得するには、何がいい材料になるだろう?


「そういうことじゃないんです」


 声のトーンを一段落として、俯いてみせた。


「その……不安で」

「不安?」


 ジュサは、片方の眉を吊り上げて、俺に続きを話せと促す。


「ほら、僕、ずっとこの中にいたわけで。つい最近、外には出たけど、それだってただのピクニックだったから……本当に、ちゃんと外で、人の相手ができるのかなって、実は怖くて」


 か弱い子供を演じてみたのだが、ジュサは椅子の背凭れに体を預けて笑い出した。


「ハッ! お前が? これだけ大人じみてるのが、五歳で商人の手伝いを立派にこなす奴が、ここを出たら、途端にタダのガキになるってか? 面白い冗談だな?」


 ぐっ。

 でも、ここで負けてはいけない。


「そう思うのもわかりますけど、でも、それはほら、ここではみんな、大抵いい人ばかりだったからで。外の世界には、仲良くしてくれない人だって、怖い人だっているわけで。それに僕は、ここでは恵まれた仕事ばかりしてたじゃないですか……だから、そういう場合でも、ちゃんと話ができるように、練習したいんです」

「そんなの、大人でもできねぇよ。ヤな奴ぁ、どこまでいってもヤな奴だからな、ろくに話にもなりやしねぇ。それが普通だろ」

「そうかもしれませんけど……」


 やっぱり、理由としては弱すぎるか。

 だが、退かない。


「ふーん……まぁ、お前の考えることは、俺にはサッパリだ。あんまり頭がいいのも考えもんだな? あれこれ心配しすぎで、早死にするんじゃねぇか?」


 椅子から立ち上がりながら、ジュサはにこやかに言った。


「だが、そんなに言うなら、俺と一緒になら、行ってもいいぞ」


 どうしよう?

 ジュサが同行するとなると、迂闊な物言いはできない。だが、とにもかくにも、部屋に立ち入れるのは大きい。魔術の知識は奪い取れなくても、スキルを切り取る機会だけなら、残るからだ。


「本当ですか? ありがとうございます!」


 西側の廊下を進む。すぐ下は、トイレとゴミ捨て場だ。一応この収容所、夜間は階の移動を禁じているので、トイレは各階にある。どこの汚物も壁際の石の溝を通って、一階に落ちてくるようになっている。

 だが、ここに設置されている懲罰房はというと、部屋即ちトイレだ。


 まず、懲罰房の前には、重く大きい鉄の扉がある。これは、外側に閂のような、横に渡す鉄の棒がついており、これを扉側から壁側まで引き伸ばすことで、内側から開けられなくする。こちらから中に入る場合は、他の部屋の扉と同じく押すわけだから、中から外に出る場合は、引くわけだ。

 中は細長く、狭い。左右は分厚い石の壁に覆われている。そして、突き当たりの壁には、頑丈な鉄の輪が四つ。これが囚人の手足に繋がれた枷と、鎖で結ばれる。長さはあまりないから、これが外せないと、扉に触れることもできない。それどころか、その場で横たわるのも無理だ。

 ではどうするかというと、突き当たりの壁に設置された、粗末な洋式便器の上に座り込むしかない。寝ても起きても、そこが定位置だ。排泄物は、そこから垂れ流しの状態になる。まさしくトイレだ。ちなみに、この便器に蓋はない。

 こういう構造ゆえに、冬は下から冷たい空気が吹き込み、夏はジメジメと湿気がこもる。しかも、常に悪臭が漂っている。


「けど、こんなの、ガキが見るもんじゃねぇんだけどなぁ」


 連れて行くと言っておきながら、ジュサは往生際悪く、グズグズしていた。無理もないが、今更教育に悪いとか、そんなのは俺には無意味だ。拷問どころか、殺人までとっくに経験済みなのだが、それは彼の知るところではない。

 金属のこすれる、あの不愉快な音をたてて、扉が開く。


「お食事をお持ちしました」


 そう言いながら、俺はトレイを手に、おずおずと前に出る。部屋の中は暗い。一応、部屋の上のほうに、ごく小さな窓があるが、あれでは鳥になっても忍び込めそうにない。ジュサが後ろでランタンを持っていてくれなければ、何も見えないだろう。


「マジかよ、おい」


 そう喚いたのは、モータスだ。あの粗野な顔をした、乱暴者だ。


「こんなクセェところで、メシなんざ食えるかっての。ここから出せよ」

「ふざけるな」


 ジュサが短く鋭く言い放つ。


「態度がもう少しよければ、考えないでもなかったんだがな。子供をいきなり蹴飛ばすような奴を、外には出せん」

「けっ、このカエル野郎」


 俺はそっと近付いたが、こいつはまた、俺を蹴飛ばそうとした。今度はさすがに、身を引いて避ける。


「おい」


 ジュサが血相を変える。


「へっ」


 だが、モータスはせせら笑った。


「やれるもんならやってみろよ、おい。知ってるぜ? 俺を売り飛ばして、被害者ヅラした間抜けどもに、代金を払うんだろうが。俺に傷がついたら、値段が下がるぜ?」

「なんだと……?」


 この余裕。やはり……

 では、ダメ押しで確認だ。


「では、あの、モータスさん、この食事は……」

「いらねぇんだよ! クソガキ! さっさと出て行け!」


 俺は一礼すると、トレイを持って引き下がる。


「だから言ったろ?」


 最初の扉を出たところで、ジュサは俺に言い聞かせる。


「あんな奴ら、話なんてできやしねぇって」

「まだわかりませんよ、あと二人いますから」


 これでほぼ、俺の予想通りだったとわかった。

 モータスは、食事なんかいらないと言った。だが、ここにあと四日はいるのだ。さすがにずっと飲まず食わずでは、死んでしまう。本当に次から食事を持ってきてもらえなくなったら、どうするつもりなのか。確かにミルークには競売の義務があるが、それでも逃亡を許すくらいなら、殺害してもいいことになっている。

 ということは、近々、もしかすると今夜あたり、ここから逃げられると思っているのだ。


 二つ目の扉が、ギギッと軋みながら開く。


「お食事をお持ち……」

「そんなのいいからさ。それより酒はないのかい?」


 最後まで言う前に、女の声が遮った。


「あんたらいい趣味してるね? クソ垂れ流しのこんなところにあたしを突っ込んでさ? 見なよ、下着もつけてないんだから。大サービスだよ」


 そう言われて、俺もジュサも、さすがに目を逸らした。


「で? 今夜の相手はどっちだい? そっちのカエル? それとも、そっちのガキ? 突っ込ませてやるから、さっさとしな」

「食事を持ってきた、と言ったんだ」


 押し殺した声で、ジュサがやっと言った。


「はぁ? いらないよ、そんなしみったれた粥なんか! あたしの股の間から、ここの下水に流しちまいな、そんなもの」


 こいつもか。

 まぁ、確かにここの臭いのせいで食欲がない、というのも、理解できなくはないが……多分、それが理由ではないだろう。


「行くぞ、ノール」


 ジュサが背を向けたので、俺も後について、部屋を出た。

 三つ目の部屋の扉を押し開けると、か細い男がぐったりしていた。


「お食事をお持ちしました」

「食、事……? ああ、その辺に置いておいてくれ」


 そう言うと、具合が悪そうに、手をゆっくりと振った。


「あの、お加減が悪いんですか」

「あー……ずっと馬車に揺られてきて、それでここがこんな汚いところだから、気持ち悪い」


 イリクは、顔をしかめたまま、そうこぼした。


「最初のお前らの態度が悪すぎたんだ」

「ああ」


 ジュサの指摘に、彼は顔をしかめた。


「そういえば、その時の子供か」


 彼は初めて、俺をじっと見た。


「悪かった。ちょっと虫の居所が悪かったんだ」

「いいえ、気になさらず」


 初めて会話が成立している。ほんの上っ面のものでしかないが。

 これは、いけるかもしれない。


「あの、イリクさんって、もしかして、セリパシアの方ですか?」

「ん? あ、ああ、そうだよ、そうだとも」


 あまり上手とはいえないフォレス語で、互いになんとか意思疎通をする。


「僕、歴史が好きなんです。いつか、西の都にある食の聖地で、アルデン帝が好んだという、あの有名な麺料理を食べてみたいんです」

「あ、ああ、あれか、確かに有名だ」

「僕はここから出たことがなくて。よかったら、少しだけでいいので、セリパシアのお話を聞かせていただけませんか?」


 俺は目を輝かせつつ、そう頼み込んでみた。

 別の意味で輝いているとは、誰も思ってもいまいが。


「あ、あー……いいよ、いいとも。ただ……」


 イリクは、だるそうにしながら、かすれた声で言った。


「今日は疲れていてね。明日、明日だったら、いつでも話ができるよ。そうだな……僕は朝が弱いから、遅めにきてくれると嬉しいな」

「じゃあ、朝食の時にでも」

「そうだね、それがいいね」


 空約束、か。そのつもりなんだろうが、きっとそうはいかない。


「じゃあ、お疲れのようですし、あんまり長居してもよくないですね。今夜はこれで失礼させていただきます」

「あー……よくできた子供だね、本当にいい子だ。おやすみ、また明日おいで」


 鉄の扉を閉じると、俺は満面の笑みをジュサに向けた。


「話ができる人がいました!」

「あ……う、そうだな、まぁ」

「明日、朝食を届けにいっていい、ですよね?」

「うーん……まぁ、構わんが、近付くなよ?」


 これでよし。

 大丈夫、イリクは脱出できない。明日の朝が楽しみだ。

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