第四章 オークション

国軍の訪問

 春の日の静かな朝だった。みんな食事を済ませ、いつもの青空食堂でくつろいでいる。小さな子供達の中には、群れて遊んでいるのもいる。オークションを控えた年長組も、やることといえば午後の授業……礼儀作法の最終確認だけなので、今は暇だ。中庭には、暖かな日差しが差し込んでいた。

 その調和を乱す騒音が、突然、響き渡った。


 プォォ……


 割と近いところから聞こえる、低めのラッパの音だ。笑顔で駆け回っていた幼児達も、ぴたっと足を止める。こんなのは、誰の経験にもない。いや、ずっと前に、似たようなことがあったような気が……なんだったっけ。

 執務室付近から、バタバタとジュサが駆け下りてくる。慌てて閂を外しているのか、木材のぶつかる音が、正門の向こう側から聞こえる。やがて、内側からジルが門を開いた。そこでようやく、ミルークが姿を現し、その向こうの青銅製の門扉の前に立つ。

 門の脇に据え付けてある円形のハンドルのようなものをジュサが動かすと、少しずつ扉が外側に向かって開いていった。扉の間から光が差し込み、周囲を影で塗り潰す。それでようやく、大人達の慌てた理由がわかった。

 扉の向こうには、無数の男達の影が聳え立っていた。見えるだけでも何十人だ。


「聖林兵団第三軍! 指揮官のゼルコバと申す。ミルーク・ネッキャメル殿にお目にかかりたく」


 先頭に立っていたのは、筋骨隆々、やや背の高い、精悍な顔立ちの中年男だった。全身、金属の塊だった。いぶし銀の胸当てに、一部、細かい鎖からなるチェーンメイルを組み合わせた、いわゆるプレートメイルに分類できる装備だ。兜はかぶっていなかったが、それは挨拶のためだろう。脇に立つ従士が、それらしきものを抱えている。

 普段から前に立って仕事をする人なのだろう。フォレス人にしては肌の色が濃い。日焼けしているのだ。髪の毛はいわゆる七三分けで、これまたフォレス人にしては色が濃く、かなり暗い焦げ茶色だ。鼻の下に、太目のドジョウ髭がデンと居座って、存在感を主張している。全体に顔が大きく無骨な印象を受けるが、目つきには誠実さと知性を感じさせるものがあるし、顎鬚は丁寧に剃ってある。


 エスタ=フォレスティア王国の正規軍といえば、まず、首都防衛を主任務とし、国王の命令に迅速に応じる近衛兵団。それに南部から東部にかけての海沿いの地域を守る海竜兵団が挙げられる。他に、拠点防衛を主任務とし、優れた工兵隊と投石器などの大型兵器を抱える岳峰兵団、その機動力を生かして各部隊の連携にあたる疾風兵団がある。

 国内の犯罪組織を取り締まり、街道を監視する聖林兵団はというと、それらに比べて、どうにも地味な印象がある。とはいえ、建国時からの長い歴史を持つ軍団でもあり、決してその地位が低いわけではない。指揮官ともなれば普通はそれなりの家柄から選び出されるものだ。


「お役目ご苦労様です。私がミルークです」


 ミルークは、浅い角度に頭を下げた。口調は静かで、非常に丁寧だった。

 ゼルコバに比べると、ミルークはずっと細身だ。それに、鎧など見た目の幅を増すようなものを身につけていないので、余計にその差が目立ってしまう。


「お忙しいところ、お邪魔する。既に通知は届いているかと思われるが、犯罪奴隷の件で立ち寄らせていただいた」

「承知しております」


 よく通る声だ。これぞ武人、といった雰囲気に満ちている。

 ふと脇を見ると……ああ、やっぱり。コヴォルが目をキラキラさせている。


「遠路はるばるお越しくださいまして、ありがとうございます」


 ミルークは、あくまでも下手に出る。なんといっても、相手は公人で、しかも公務でここに立ち寄っている。犯罪奴隷の引き取りには愚痴をこぼしていた彼だが、そこはもう、きっちり割り切っているのだ。


「よろしければ、少し、私どものところでお休みくださいませんか。むさくるしいところではございますが、紅茶に菓子くらいはご用意できます」


 ……それに、ミルークは相手をよく見分ける。

 目の前のゼルコバは、無視できる人物ではない。


 第三軍の指揮官ということは、軍団長だろうか? 各兵団の定数は確か一万人ずつで、それぞれ五つの軍団に分割されている。ということは、ゼルコバは二千人もの兵士を指揮する立場だ。つまり、貴族としての爵位はともかく、軍人としての地位は、かなり高い。

 少々不自然な感じがする。こんな立場の人間が、犯罪奴隷の引渡しのためなどに、いちいち足を運ぶものだろうか?


「申し訳ないが、それは辞退させていただく」


 ゼルコバは、表情を変えずに言った。彼の返答に、ミルークは一礼する。


「ご覧の通り、今回は小部隊の移動ではない。別の任務中でもある。だが、挨拶だけはさせていただこうと思ってな」


 何か含むところのあるような言い方だ。

 門の向こう側には、大勢の兵士の姿が見える。まさか第三軍の全員がいるわけではないだろうが、それでもかなりの人数だ。恐らく、別の任務で移動するついでに立ち寄ったのだろう。でなければ、こんな小さな収容所にやってくる理由が、説明できない。

 まあ、挨拶にくるのは、わからないでもない。子供達のほとんどは認識していないが、ミルークは重要人物だ。先代族長の次男坊という、サラブレッドの血筋なのだ。一応、この国では奴隷商でしかないが、疎かにしていい人物ではない。実際、これまでも土地の名士のような連中が、何度か顔を見にきている。

 だが、ゼルコバには、友好的な雰囲気など微塵もなかった。


「先日まで、この地域の防衛は、第二軍の管轄だったが、これからは我々が担当することとなった」

「改めてお世話になります」


 ゼルコバがそう言うと、ミルークは重ねてお辞儀をした。


「こちらに居を構えてより、私どもは一度も盗賊どもの被害に悩まされておりません。聖林兵団の皆様がいらっしゃれば、安心というものです」

「それなのだがな」


 ミルークの丁寧な言葉を遮るかのようにして、ゼルコバが言った。


「今回、引き渡す犯罪奴隷は、つい先日、我が軍団が掃討した盗賊団の一味なのだ」

「左様でございますか」


 ゼルコバの目が、力強く見開かれる。


「首領はサハリア出身の逃亡奴隷だった。既に処刑されたが……ご存じないか」

「噂には聞いたことがございます」

「では、彼奴らの根城が、ここよりさほど遠くない森の中にあったのは、これはどうか」

「それは今、初めて聞き知ったことでございます」


 これは……なるほど、そういうわけか。


「百人以上もの盗賊が、森の中に砦を築いて、近隣の街道を荒らしまわっておったのだ。しかるに、つい最近、我ら第三軍が討伐するまで、野放し同然だった」


 そんな状態なのに、なぜ、こんな小さな収容所が襲撃を受けないのか? ゼルコバは、それを疑っている。

 そう考えれば、大勢の兵士を伴う理由もわかるというものだ。もちろん、他の任務のついでで立ち寄ったのは事実だろう。だが、それはそれとして、あわよくばミルークに圧力をかけてみようとしたのだ。後ろ暗いところがあれば、ボロを出すかもしれない。例えば、実家の権勢を笠に着る、とか。

 そう、ミルークの身分が高いのが問題なのだ。その点を考慮するのでなければ、普通に何人かの部下を派遣するだけで済ませたはずだ。


「そういえば、前任者とミルーク殿とは、面識がおありだとか」

「懇意にさせていただいておりました」


 稼ぎの悪い奴隷商人という立場を隠れ蓑にして、フォレスティアの平和を乱そうとする悪人、かもしれない?

 だが、それは邪推というものだ。


 確かに、ゼルコバには、ミルークを疑わなければならないだけの理由がある。海を挟んで対岸にあるサハリア人の国々とは、今でこそ戦争状態にないものの、信頼できる友好国というわけでもない。

 沿岸地域に大規模な盗賊団が跋扈する状況は、エスタ=フォレスティア王国への侵攻を企てる連中にとっては、好ましいものだ。地域を監視する軍団は、西へ東へと駆けずり回り、細かいところに目が行き届かなくなる。

 そして、そういう問題は、事実、発生している。例えばトック男爵領だって、正体不明の海賊どもに襲撃されて、大きな被害を受けた。あんな事件がたびたび起きては、たまらない。

 王国軍の将校なら、ネッキャメル氏族の存在は知っているはずだ。先代族長の息子が、こんな人里離れた一軒家で、少年奴隷と一緒に引き篭もっている。確かに不自然極まりない。


 では、凶悪な盗賊団がなぜ、ここを襲わなかったのか? ミルークが彼らと通じていたからではない。恐らく、ネッキャメル氏族の報復攻撃を恐れたのだ。首領がサハリア人だったのも大きい。

 もう一つ。ミルークは確かに、この地域の治安を守る軍団の関係者とは、親しくしていた。幹部はもちろん、近くの灯台を守る兵士達にも、事あるごとに付け届けをしてきた。癒着と言われればそれまでかもしれないが、これも我が身を守る知恵だ。おかげでこの一軒家は、兵士達によく見張られるようになった。


 仮にもし、ミルークが盗賊団と繋がりを持っていて、第二軍の動向を伝えるなどしていたとしたら……いや、いちいち考えるのもばかばかしい。なら、俺を執務室で働かせたりなどしないだろう。ふとしたきっかけで、いつかは売却される少年奴隷に、真実を知られる危険があるのだから。

 とはいえ、ゼルコバには、そんな内情はわからない。


「もしかすると、今後はしばしば、寄らせていただくことになるかもしれないが」

「それこそ私の望みとするところでございます」


 ミルークは一貫して、恭しい態度を崩さない。たびたびの訪問を歓迎するというのも、本心からの言葉だ。ただ、信用されるのは、きっとずっと先だろう。

 ゼルコバもそれ以上、この話題を続けたりはしなかった。頷き返すと、本題について切り出した。


「……それで、犯罪奴隷の件だが、既にご理解いただいているとは思うが、しっかりと監視していただきたい」

「弁えております」


 だが、その返事は彼を満足させなかったようだ。


「いや、だが……これは、申し上げにくいことなのだが、言わないわけにはいくまい。ミルーク殿、こちらの収容所の警備は万全か?」

「これまで、奴隷の逃亡を許したことはございません」


 この前は、危ないところだったが。

 たまに引き取る犯罪奴隷には気をつけていても、まさかドロルのような子供が、脱出方法を手にしていたとは、気付いていなかったのだから。


「それは結構。だが、それだけでは駄目なのだ」

「……と言いますと?」


 ゼルコバは、深い溜息をついた。


「実は今回の掃討戦に先立って、盗賊どもの一部を捕らえたことがある。だが、そやつらには一度、逃げられた」

「なぜですか?」

「はっきりしたことはわからないが、どうも連中の仲間に、とてつもない怪力の持ち主がいるらしい。襲撃された留置所にいた兵士の腕を、素手で引き千切っている。囚人を閉じ込めておいた牢屋の鉄格子も、ものの見事に捻じ曲げられていた」

「なんと……」


 腕を引き千切る。へし折るのでもなく、刃物で切り落とすのでもなく。なんだか、ものすごく痛そうだ。と同時に、犯人の残忍性が浮かび上がってくる。

 それにしても、鉄格子をひん曲げるって、どれだけ逞しいんだろう。


「奴らのアジトを突き止め、多数の兵士で取り囲み、一網打尽にしたのだが、その戦闘では、そんな怪力の持ち主は見つからなかった。逃げられたか、たまたまその時、留守にしていたか……」


 ミルークの表情が、初めて苦々しげなものに変わる。


「万が一のことも考え、首領は早々に処刑した。だが、これで終わったとも限らない。今日、引き取っていただくのも、特に悪質で狂暴な者どもゆえ、くれぐれもご注意いただきたい」

「……わかりました」


 ミルークの溜息が、聞こえてきそうだ。

 ゼルコバが後ろを向き、手振りで配下に合図する。すると、ガラガラと車輪の音がした。小ぶりの馬車が、門のほうへと近付いてくる。よく見ると、その馬車の屋根は幌ではなく、薄い鉄板に覆われている。窓もない。

 馬車が止まると、後部の出入り口が、開けられる。兵士に身振りで促されると、重い鎖の音を響かせつつ、中から三人の男女が姿を現した。


 犯罪奴隷というのは、俺達のような譲渡奴隷とは、いろいろと扱いが異なる。

 譲渡奴隷とは、金銭でやり取りされた結果、奴隷の身分になったものをいう。犯罪行為が原因ではないので、お金さえあれば、自分自身を買い戻すことも可能だし、所有者が解放を宣言すれば、すぐに自由民の身分に戻れる。中には、年数限定の譲渡奴隷、なんて契約もある。基本的に奴隷は主人の命令に従う義務があるが、だからといって、主人が何をしてもいいわけではない。まっとうな理由なしに譲渡奴隷を殺害すると、一応、罰を受ける。それから、国によって法律は異なるが、仮に譲渡奴隷が逃亡に成功し、数年間が経過すると、奴隷身分が時効になる。主人は、そうならないように、奴隷を正しく管理する必要があるのだ。

 ところが犯罪奴隷はとなると、まったく事情が違う。まず、彼らは自分を買い戻すことができない。所有者も、自由に売買はできない。また、所有者が勝手に解放することもできない。いったん所有したら、犯罪奴隷を所有している旨、役所に届け出なければならない。逃亡した場合には、必ず捕まえなければいけない。生きたままが難しいのなら、殺害しても構わない。なお、逃亡についても、譲渡奴隷に存在する時効は存在しない。但し、年数限定の犯罪奴隷なら存在する。年限の後には、期限指定なしの譲渡奴隷になる。

 要するに、刑務所で管理しきれない、あぶれた悪人どもが、犯罪奴隷となるのだ。ちょっとやそっとの悪事では、ここまで重い刑罰は下されない。普通は死刑スレスレの凶悪犯罪を繰り返してきた連中が、この身分に落ちる。


 下士官らしき人物が、手に命令書を持って読み上げる。


「モータス! ニトゥラ! イリク! 以上三名の犯罪奴隷を引き渡すものとする! 公認奴隷商ミルーク・ネッキャメルは、所定の手続きにより、処分と補償を請け負うこと!」

「承りました」


 引き渡しを確認して、ゼルコバは一礼した。


「では、後のことは」


 ミルークは、慎ましく応えた。


「お任せください」


 するとゼルコバは、歩調を速めて自分の馬に近付き、従士の手も借りて、さっさと跨ってしまう。号令をかけると、彼に従う多数の兵士と共に、立ち去っていった。その行列の末尾を目にする前に、門はまた、いつも通り閉じられた。

 そして中庭には、両手と両足を、鎖で繋がれた三人の犯罪奴隷が残された。


 多分、俺はボーッとしていたのだと思う。じっと彼ら三人を眺めていた。知らず知らずのうちに、一歩、また一歩と、近付きすぎていた。


「あんだぁ、てめぇは?」


 左端に立っていた若い男が、低い声を出した。逆立つ茶色い直毛に、サルそっくりのガラの悪い顔立ち。ジュサより一回り大きく、筋肉質だった。

 俺は右端の男を凝視していたので、気付くのが一瞬、遅れた。


「がはっ……!」


 犯罪奴隷だけあって。両手も両足も、短めの鎖で繋がれている。だから大丈夫だろうと、油断していた。ぎりぎり歩ける程度の歩幅しか与えられていないのにもかかわらず、その男は鋭く擦り寄って、俺の鳩尾に蹴りを入れたのだ。


「ノール!」


 門の近くに立っていたジュサが声を上げる。ミルークも血相を変えて振り返る。

 だが、この三人は、立場の悪化を感じていないようだった。地面に這いつくばり、悶え苦しむ俺の傍に立ち寄った女は、石畳をかきむしる右手をぐっと踏みにじった。


「いやらしい目をしたガキね? 教育がなってないんじゃない?」


 声のしたほうを見上げようと首を持ち上げると、視界が何かで遮られた。それが何なのか。すぐにわかった。右端の男が、俺の顔に向かって唾を吐いて、それが目に入ったのだ。


「てめぇら!」


 ジュサは後ろに回りこみ、三人を俺から引き剥がす。ジルもそれを手伝う。

 ミルークもまた、怒りの形相で、彼ら三人を見た。中庭にいる子供達も、犯罪奴隷の狼藉ぶりに、びっくりしている。


 だから誰も気付かなかった。

 苦しい息を吐きながら、俺は……ほくそ笑んでいたのだ。

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