少年探偵団、真夜中の冒険

「……さすがにもう、みんな寝てるね」


 ドナが呟く。

 冬の空に浮かぶ満月は、青く冷たい輝きで、中庭を満たしていた。もっとも、俺は絶対に夜空を見上げたりなんかしない。忘れもしないリンガ村の、あの虐殺の夜。このところ、ずっとあの悪夢は見ていないが、いつぶり返してもおかしくないと思っている。

 鎖をまたいで、出入口付近の宿直室の前を通り過ぎても、見咎められることはなかった。騒ぎの後でもあり、みんな疲れきって熟睡しているようだ。医務室には、タマリアと、彼女を見守るジュサとジルがいるはずだが、今は黒いカーテンに遮られていて、中の様子は窺えない。


「さ、みんな、あまり時間がない。さっき話した通りに」


 俺が促すと、ドナとディーは、倉庫の奥へと小走りに駆けていった。他の二人は、俺の後について、倉庫の真ん中にある支柱の前に立った。


「こいつかな」


 コヴォルが首を傾げる。倉庫には、東西一本ずつ、石の柱がある。その柱は高さ四メートル近くあり、中は空洞だ。どちらも南棟の排水管の役割を果たしているが、執務室に近いのはこちらなのだ。


「とりあえず、石畳を剥がしてみよう」


 俺が作業開始を宣言すると、ウィストが、こっそりくすねてきたバールで、近くの石の床をひっくり返そうとする。俺も駆け寄り、手を貸した。ほどなく、ボコッと音を立てて、石が持ち上がる。コヴォルが指を差し込むと、すぐに石はひっくり返った。


「おいおい、もっと丁寧にやってくれ。割れたらヤバいんだから」


 ウィストが慌てたように言う。コヴォルも、今のはまずかったと首をすくめる。ドナとディーが戻ってきた。ボロ布を持ち出してきて、それを近くの床に敷く。石床の破損を防ぐと共に、防音対策にもなる。


「よし、もう一枚」


 今度はあっさり剥がせた。暗い石の床の奥に、急な階段が見える。柱は中庭寄りにあるが、なかなか月明かりは届かない。足元はほとんど真っ暗だ。大人一人がかろうじて通れる程度のスペースを、俺達は慎重に下っていく。

 短い階段の一番下に、大人が体を縮めれば通れる程度の、鉄格子の扉が待ち構えていた。この鉄格子、横棒はないが、縦棒の間隔は狭く、子供でも通り抜けるのは不可能だ。当然、施錠されている。コヴォルは扉の外枠に手を添えて、ぐっと引っ張る。


「やっぱり開いてないな」

「そりゃそうだろ?」


 ウィストが呆れたように言う。


「鍵がかかってるんだろ? でも、どうやって開けるんだ?」

「違うって。お前、足元見ろよ。この扉は押すんだよ」


 あっ、という顔をして、コヴォルは力を込めて、扉を押す。だが、やはり、鉄格子の扉は鈍い衝突音を響かせるばかりだった。


「開かないぞ?」

「当たり前だろ? 鍵がかかってるんだから」


 言われて、コヴォルはカッとなり、手をあげかける。だが、すぐに状況を思い出し、振り上げた拳を下ろした。


「まずは、これをどう突破したか、なんだよな……」


 ウィストも、顎に手を当てて考え込んでいる。

 普通に考えて、この強固な鉄格子を、物理的に破壊するなんて、できっこない。道具を使えば可能かもしれないが、盛大な破壊音を響かせることになる。もし、ここを通り抜けたのなら、なんらかうまい手を使ったに違いない。

 そして、俺は鉄格子の外し方に、心当たりがあった。


「ドナ、ランプを」


 俺がそう言うと、彼女はおずおずと小さなランプを差し出した。さっき、様々な品物と一緒に、持ち出してきたものだ。暗がりの中に身を縮めて、俺は火打石を擦り合わせる。ほどなく、ほのかな灯りが生まれた。


「やっぱり……みんな、見えるか? この扉の、枠の部分だ」


 鉄格子、それも塗料で覆われていない代物だから、錆びるのは早い。だから、この鉄格子も、何年かに一度は交換されている。当然、どの鉄棒にも、若干の錆はこびりついているのだが……。

 その錆が、一際目立つのが、足元の、まさに鉄棒を固定する枠の部分なのだ。そして、一定間隔に並ぶ鉄棒を固定するために、短い木の棒が詰め込まれている。


「これ、取っちゃおう」


 俺がそう言うと、ウィストが前に出る。粗末な彫刻刀をうまく操って、そっと木片を掻き出す。


「あ、おい、待った。壊すなよ、なくしてもダメだ。あとで証拠になるんだからな」


 俺の指摘に、ウィストは黙って頷いた。

 ほどなく、枠組みの下の部分からは、木片が引き出された。俺達の視点は、枠の上の部分に注がれる。

 下から注意深く眺めると、やはりというか、既に金属部分の支えは錆びきっており、役割を果たしていなかった。その代わり、うまく落ちてこないように上手に木片を引っ掛けてある。大きな力を加えて揺さぶれば、取れてしまうかもしれないが、少し触ったくらいでは、気付けないだろう。

 ウィストは、もう一度頷くと、丁寧に一つずつ、木片を外していった。どこに嵌められていたか、間違えないように、順番に並べる。それを、ディーが広げる布の上に、置いていく。


「さて……」


 俺は、縦に並んだ、もう支えのない鉄の棒を、左右に押し広げる。多少の抵抗はあったものの、なんとか子供一人が通れる程度の隙間にはなった。


「鉄格子が錆びて、腐ってたのか」


 コヴォルが感心したように言う。それは、半ば正解で、半ば不正解だ。


「錆びた、というか、錆びさせたんだ、これは」

「どうやって?」

「時間をかければできるんだ。最初だけ大変だけど」


 鉄を錆びさせるのは、簡単なようで、意外と難しい。表面だけ錆びても、なかなか強度が落ちないからだ。

 だから、これをやった奴は、まず、枠と鉄棒の接合部分にヤスリがけをしたはずだ。その上で、何か、液体をぶちまける。それこそ、どこかの脱獄王のように、味噌汁でもいい。そんなものはここでは手に入らないが。小便でもなんとかなるだろう。そうして、乾いたらまたぶっかける。これを繰り返すだけだ。金属でも、木材でも、水に濡れたり乾いたりを繰り返すと、こんな風に脆くなる。

 説明を耳にして、コヴォルが目を丸くしていた。


「へぇ、そうすれば、鉄の棒が錆びるのか! でも、そんなに簡単なら、執務室の表の鉄格子だって壊せるだろ?」

「コヴォルはお馬鹿なのです」

「なんでだよ!」


 溜息をついたウィストが、ディーの思いを代弁する。


「そんな目立つところ、壊したらすぐ見つかるだろ? ここなら、年に一回くらいしか確認しないし、さっきの木片さえ大掃除前に片付けちまえば、壊れた理由が表に出ることもない。なにせ、ただ錆びただけなんだからな」


 そういうことだ。こんな石畳、そういつもいつも剥がしたりなんかしない。盲点になるわけだ。


「じゃ……入るか」


 俺が先に進もうと言い出すと、消極的な声が返ってきた。


「うん……」

「マジかよ」


 ドナも我慢して頷いた。ウィストが頭をポリポリかきながら、不満を口にする。

 無理もない。この先は汚水なのだ。とはいえ、ここはまだきれいなものだ。建物の東側には、炊事場や医務室がある。汚水の水源は、まずここからだ。またこの頭上からは、執務室の裏手の給湯室兼調理室から、いらない水が降ってくる。飲み残しの紅茶などもだ。

 だが、この下流に比べれば、まだずっとマシだ。建物の西側には、共用便所がある。また、南棟の西側にも、主人や来客用の便器がある。従って、西側の柱を登る場合、文字通り汚物にまみれることになる。それはしたくないから、東側から攻略しているわけなのだ。

 まぁ、気休めかもしれない。どうせこの二つの流れは、南西の角で合流している。ただ、下水は隅に向かうにつれ、傾斜しているので、ここまで西側の汚れが届いてはいない、と思いたい。


「行こう」


 俺が前に出ると、みんなしぶしぶついてきた。靴は脱いでいる。

 足元は、だいたい足首くらいまで水がある。もちろん、冬場だから冷たい。この汚れた水のついた状態で執務室にあがりこむわけにはいかないので、当然、拭うための布も用意してある。


「汚いのです」

「うおお! 冷てぇ! 早く上に行こうぜ!」


 ランプの灯りに、うっすらと頭上の鉄格子が見える。

 ここで、もう一つ、用意したものがある。


「はい、これ」


 長い布切れだ。これだけの量となると、こうして無断で持ち出すか、或いは使用許可を得ていなければ、手元には残るまい。さっきの木片程度なら、自室のベッドから削り取ったり、馬小屋の板をこっそりはがせば調達できるのだろうが。

 この布切れを、ところどころ拳骨結びにしている。その先端には、石がくるまれていて、これが重石として機能する。


「俺だ、俺に寄越せ!」


 ドナの手から奪い取るようにしてそれらをもぎ取ると、コヴォルは早速、投擲の体勢を取った。力いっぱい、頭上の鉄格子に向けて石を投げるが、コントロールが悪いのか、鈍い音を立てて、石と布が戻ってきてしまう。


「クソ!」

「っと、危ねぇ。おい、コヴォル、投げ損なうのはいいけどよ、いろいろ気ぃつけろよ? 今のでミルークが起きたら、全部水の泡だぜ?」


 それに、落下した布が汚水にまみれたら……この後が悲惨になる。


「じゃ、いっちょ、やったりますか」


 また前に出たウィストが、グルグルと肩を回す。

 不意に、彼はふっと石のついた布地の先端を放った。何気ない仕草なのに、先端は見事に鉄格子を潜り抜け、すっとこちら側に戻ってきた。


「よし、登れるぞ」

「今度こそ、俺にやらせろ!」


 コヴォルが俺達を押しのけるようにして布地のロープを引っつかむ。あちこち結び目を作ってあるので、そこが手がかりにはなるだろう。ただ……。


「コヴォル、先に行くのはいいけど、足をつけたらダメなのです」

「な、なに?」


 汚水にまみれた足が布地につくと、次に登る人が、掌に汚れをつけることになる。だが、そこは許容範囲と考えたい。

 だが、コヴォルはその挑戦を受けた。


「よぉし、やったらぁ!」

「おい、無理は」


 だが、俺が止める前に、コヴォルは手だけでロープにしがみついた。そして、本当に腕だけでスイスイ登っていく。どういう腕力をしているんだろう。


「足の裏から、水が滴って汚いのです」


 ロープから遠ざかりながら、ディーが文句をこぼす。だが、俺は緊張しながら上を見上げていた。もし布地の強度が足りなければ、コヴォルが落下することになる。最初のうちはいいが、終わりのほうで落ちたら、大怪我だ。

 だが、俺の不安を余所に、彼はあっさり鉄格子の前に張り付いた。鉄格子には腕一本を通せる程度の隙間ならある。そこから腕を出したコヴォルは、事前に渡された別の短めのロープを取り出す。それは、給湯室兼調理場に設置された、金属でできた簡易式の竈の足に引っ掛けられる。竈とコヴォルでは、竈のほうが重い。ここが一番危険なところだ。コヴォルは、最初のロープを放り出して、全体重をそちらの竈に預けた。頭上の鉄格子は、蓋のようにただ置かれているだけだ。コヴォルがその腕力で、短いロープを手繰り寄せるにつれて、彼と一緒に、給湯室の床へと転がった。


「っしゃぁ!」


 彼の雄叫びが、下水の底にいる俺達のところにまで響いてくる。


「あのバカ……」


 ウィストが顔を覆っている。ドナも、ディーも、困り顔だ。ただ、コヴォルのおかげで、執務室への侵入に成功したのも事実だ。あんな力任せのやり方で登り切るなんて、他の誰にも不可能だろう。

 ん? となると、ここを登った犯人は、どうやって楽をしたのだろう?


「よし、あがってこい!」


 コヴォルが、俺達にそう呼ばわる。静かにしろ、ロープを垂らせ、と俺達が小声で指示すると、コヴォルは、鉄格子から手早く長い布切れを引き抜いた。どうするつもりなのかと思ってみていると、なんと自分の手だけでそれを持って、下に向けてくる。


「いや、だからな……」

「引っ張りあげてやる! 早くしろ!」


 俺達は顔を見合わせた。だが、今は時間が惜しい。


「私が行く」


 ドナが一歩、前に進み出た。

 だが、ここは俺が行くべきだ。もともと、俺の問題なのだから、少しでも危ないと思ったら、俺が前に出なければいけない。


「絶対離すなよ!」


 俺がロープを掴むが早いか、コヴォルは巻き上げ機のように、ものすごい勢いで俺を持ち上げていった。気がつけば、俺は給湯室の床を踏んでいた。


「次!」


 全員を引き上げる頃には、さすがのコヴォルも肩で息をしていた。だが、その顔には笑みが浮かんでいる。


「すごいな、さすがに……」

「へへっ……だって、俺、言われたからな」

「何を?」

「まずは体を鍛えろって。ジュサにさ」


 そういうことか! あの言葉を真に受けて、コヴォルは日々、鍛錬を重ねていたのだ。

 それにしても、まだ七歳くらいの子供なのに、なんという規格外だろう。いや、もうこれは怪力といっていいレベルだ。このままの勢いで育ちきったら、きっと化け物になるに違いない。


「わぁい! きれいなお部屋なのです!」


 満面の笑みで、ディーはトタトタと執務室に転がり込む。


「お菓子は? お菓子はどこなのです?」

「……あっちの箱だよ」

「嬉しいのです!」


 無罪を勝ち取ろう、容疑を晴らそうと、あえて鍵なしでの執務室侵入を試みたというのに……ディーが参加を希望したのは、もしかして、このためだったのか? ちなみに俺自身はというと、まだまだ頬がひどく腫れあがっていて、お菓子なんて食べられそうにない。


「俺、もう、なんか疲れたよ」


 ウィストが目をパチクリさせながら、そう呟いた。


「こんなの、絶対無理だって思ってたのに、こんなにあっさり……いつでも逃げられたんだな」

「そう……だね」


 物理的な疲労というより、精神的なショックが、疲れの原因なのかもしれない。外に出たいのは誰しもそうだが、まさか出口が存在したとなれば。突然与えられた自由に、彼も戸惑ってしまったのだろう。

 もっとも、逃げても、行くところなんかない。実家にも戻れない。ここに侵入した犯人も、きっと同じことを考えたはずだ。


「ま、いっか。眠いし、寝るわ」

「ああ、でも……ほら」


 振り返ると、既にコヴォルがソファに横たわり、いびきをかいていた。


「しょうがねぇなぁ」


 向かいのソファに座ると、ウィストは座ったまま、目を閉じた。

 俺もその隣に座る。と、そこへ更に、ドナが座った。彼女は、その美しい顔に、うっすらと笑みを浮かべていた。


「……どうしたの?」

「ふふっ」


 彼女は、心から楽しそうに、俺の耳に手を当てて、小声で話しかけてきた。


「なんか、こういうのって、楽しいね」

「そうかな……そうだね、うん、わかる気がする」


 狭いソファの上で、ドナは俺に肩を寄せながら、呟いた。


「私、こんなに楽しいの、初めて。夜が明けなきゃいいのに」


 俺はハッとして、そっとドナの頭を撫でた。だが、彼女はすぐに俺の肩に顔を埋めて、言った。


「ううん、なんでもない」


 それきり、彼女は動かなくなった。

 気付けば、隣のウィストも、座ったまま熟睡している。なんて器用な奴だ。


「よし、と。あったのです」


 お菓子の入った箱を見つけてきたディーが、ちょこんと足元に座る。彼女がボリボリとお菓子を貪り食う音を耳にしながら、俺は目を閉じた。

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