不吉な手紙

 年が明けた。だが、収容所内には、晴れやかな雰囲気など、微塵もなかった。


 もともと収容所では、年末年始だからといって、何か祝ったり、プレゼントを貰えたりといったことはない。だが、そこは奴隷商人も人の子、夕食にちょっとだけ、お菓子がついていたりする。もちろん、目的なしにそうしているわけではない。そのお菓子にしても、もともとは日中、子供達に作らせたものだ。要するに、世間一般の年末のお祭りについて、何も知らせない状態で売り飛ばすのも都合が悪いから、教育のためにも、またちょっとした気晴らしのためにも、こうしたイベントを設けているわけだ。

 それが省略されたわけではない。だが、みんなの表情は暗かった。子供達だけでなく、大人達も。ミルークが、これまでに見たこともないほど、不機嫌だったからだ。


 ミルークは、感情を制御できる人物だ。客相手の愛想笑いを別とすれば、彼が感情を表現するなど、滅多にない。それだけに、たまに怒りを表面に出すと、それはもう、恐ろしいことになる。

 彼が感情的になるのを見たのは、過去に一度しかない。例のウィカクスの件だ。俺が虫になったせいで異常な状態になった時、彼は珍しく俺を本名で呼んだ。あのことについて、俺は特に触れずにいる。彼は、自分で決めたルールを破るほどに、俺を気にかけてくれていた。

 一方、加害者になったウィカクスについては、厳しい処分を下した。すぐさま収容所の外に出したのだ。あれから数日ほど、ミルークの不機嫌は持続した。

 ところが、今回のは、そんな程度のものじゃない。藍玉の市の後、二ヶ月も経つのに、まだミルークはカリカリしている。彼は怒りを溜め込むと、無口になる。物にあたったりはしないが、多少、仕草が乱暴になる。


 彼の不機嫌の原因は、どこにあるのだろうか? 一つ、思い当たるのは、藍玉の市のオークションだ。

 結論からいうと、まったく売れなかった。それはそうだ。オークションの開催自体が不可能になってしまったのだから。突然の不景気を回避しきれず、大商人や貴族が次々、参加を取りやめてしまった。結果、代表的な奴隷商人達も、出品を見合わせた。

 これについて、子供達も、それを管理する大人達も、自分達の仕事ぶりが悪いから、こういう結果を招いたのではないかとも感じて、落ち込んでいるわけだ。

 なるほど、腹立たしい事態ではある。だが、そこまで怒るほどのことだろうか? 第一、オークションが開催されなかったのは、ここにいる人間のせいではない。

 それに、今の立場になってから知ったのだが、彼の収入の大半は、サハリアの農園や、貿易船の権利などから得られている。正直、ミルークなら、もっと効率的なビジネスに時間を使ったほうがいいのではないかと思う。要するに、奴隷商は、サイドビジネスなのだ。例のナツメヤシの出荷についても、ギリギリで必要な数量を取り揃えることができたので、問題は起きていない。


 となれば、別の理由が考えられる。実は、それについても、俺には心当たりがある。

 ミルークの手元に、一通の手紙が届いた。この地を支配するエスタ=フォレスティア王国の裁判所からだ。中には、久しぶりのあの命令が書き込まれている。


「……以上、三名の犯罪奴隷の引き取り、及び売却を命ず」


 奴隷商といっても、ミルークは、やや特殊な業態をとっている。右から左へ、ただ人を流すだけの仕事はしていない。だから、ガラの悪い犯罪奴隷を引き取って売り飛ばす、なんて仕事は、特に嫌っている。

 まあ、一般的にいって、こんな裁判所からの依頼なんて、底辺の奴隷商でもなければ、誰も喜びはしない仕事だ。だからこそ、わざわざ命令という形になるのだが。どうあれ、奴隷商の免許を与えられている以上、拒否できるものではない。

 とはいえ、これも不機嫌の理由としては、弱すぎる。


 だから、俺としては納得がいかない。他の子供達はまだいい。でも俺は、こうして彼の執務室で、不機嫌な主人を横において、ずっと書類仕事をしなければいけないのだ。正直いって、針の筵だ。


「ノール」


 地の底から響いてくるような陰鬱な声に、ハッと我に返る。


「今日はもういい。私も休む。後片付けをしたら、部屋に戻れ」

「はい」


 やっと解放される。ほっと一息、つきそうになった。


「それと」


 そんな俺に、釘を刺すように、厳しい視線を向けてきた。


「お前なら察していると思うが……あまり子供達に優しくするな。ためにならん」

「は、はい」

「わかっているならいい」


 そう言いながら、ミルークはゆらりと立ち上がる。俺は、言われた通り、テーブルの上に散らばる書類を片付けようと、まずは手紙の束に手を伸ばした。


「それに触るな!」


 ビクッとして、手を引っ込める。え? なんで? 俺は肩をすくめたまま、そっとミルークを見上げる。

 怯えの混じった俺の視線に気付いて、彼はやっと固い表情を崩した。


「あ、ああ、なんでもない。やっぱり片付けはいい。そのままでいい」

「はい」


 なんだ? 明らかに挙動不審だが。

 とにかく、言われた通りにするだけだ。俺は机の上をそのままにして、立ち上がる。


「そうだ、ノール、些細なことだが」


 部屋の出口付近まで歩を進めつつ、振り返ったミルークが、思い出したように言う。


「確かに、この部屋にある紅茶や菓子を食べながら仕事をしてもいいとは言ったが、少しペースが速すぎるぞ? 物惜しみするわけではないが、このままではお前が虫歯になる。歯抜けの奴隷なんか売れないから、気をつけろ」


 はて?

 確かに俺も甘いものは好きだが、そんなに食べただろうか?


「えっと……はい」


 俺の返事を聞いて、ミルークは奥の部屋に引きこもった。


 中庭に出てみると、子供達が食堂のところに集まっていた。輪の中心にいるのはタマリアだ。彼女はいつも笑みを絶やさない。だが、その周辺にいる子供達はというと、どこか魂の抜けたような顔をしている。


「この前、先生に訊いてみたのよ。そうしたら、だいたい半分以上の子供は、十年以内にはたいてい、自由民の身分になれるんだって。解放してもらって、主人のための仕事をするわけね」


 子供達の輪の中には、ドナも、ディーも、コヴォルもいる。

 だが、彼らの表情も、どこかどんよりしたままだ。


「やっぱり商人になる人が多いらしいわ。奴隷のままだと、自分の名前で取引ができなかったり、いろいろ不便だから」


 ぶっちゃけ、見ていて痛々しい。完全にタマリアの一人相撲だ。彼女は意気消沈したみんなを支えようと必死なのだが、子供達はというと、完全に自信喪失している。


「騎士にはなれなくても、騎士の従者になるような子もいたらしいわよ?」


 一瞬、目を輝かせたコヴォルだが、また元に戻ってしまった。

 彼らも大人びているとはいえ、まだ六歳児。不景気、なんて理解できるわけもない。藍玉の市では、必ず売れてやるのだと覚悟を決めていたのに、肩透かしを食らってしまった。挙句の果てに、帰り道のミルークはというと、見たこともないほどカンカンに怒っていたという。身の置き所がないと感じているのだろう。

 とにかく、このままではタマリアも可哀想だから、ここは話の相方になってやろうかと足を向けた。その時、南側の倉庫の暗がりから、背の高い子供が姿を見せた。

 ドロルだ。男児の中では最年長にあたる。このところ、影が薄かったのだが、今は満面の笑みだ。


「よーぉ、売れ残りのみんな、こんにちは!」


 一度、コヴォルにぶちのめされてから、おとなしくしていたはずなのだが、今は元気いっぱいだ。心なしか、顔色もツヤツヤ、テカテカしているように見える。


「あんた、何しに来たのよ?」


 場の雰囲気を悪くしにきた。嫌味を言うためにきた。そんなのわかりきっている。


「別にぃ?」

「だったらとっとと失せなさいよ」

「なんでぇ?」


 こういうのは、相手にするだけ無駄だ。コヴォルが立ち上がる。実力行使をするつもりだ。普通で考えれば、これは正解だ。口で言ってわからない奴には、残念ながら、肉体言語に訴えるしかない。

 だが……


「あっれぇ? コヴォルくぅん、何をするつもりなんですかぁ? 暴れるようなお子ちゃまは、ますます売れ残っちゃいますねぇ?」


 この一言にコヴォルは、ぐっと拳を握って、その場に立ち尽くしてしまった。

 ドロルは、以前にも増して、本当に嫌な奴になった。ウィカクスよりずっと性質が悪い。


「いい加減にしろ」


 俺が割って入る。


「見苦しいんだよ。お前も売れ残りだろ?」

「あぁ? なんだ、ノールか」


 一瞬、顔をしかめたドロルだったが、すぐに笑顔に戻った。


「次で売れる自信のあるノール君が、負け犬のみんなを庇って、何か楽しいのかい?」

「馬鹿らしい。こんな狭い収容所の中で張り合って、何が面白いんだ? 人のことより、自分の心配をしろよ」


 俺の言葉に、ドロルは鼻で笑って、スキップで自室へと戻っていった。

 残念ながら、この口喧嘩はドロルの勝ちだ。彼には、俺やタマリアを言い負かす必要などない。子供達が傷つけば傷つくほど、彼には楽しく感じられるのだ。

 だが、ドロルが立ち去ると、タマリアは声を大にして言った。


「みんな、気にしなくていいよ! デーテルだって、八歳になる直前に、商人の家に貰われていったんだからね!」


 部屋に戻って、ベッドの上に寝転ぶ。なんだか最近、ストレスが多い。収容所の中がギスギスしている。


「ふーっ……」

「よぉ、お疲れか?」


 隣には、ウィストが同じように寝転がっている。


「そりゃね……事務室じゃミルークと二人きりだし、さっきもまた、ドロルがみんなに喧嘩吹っかけてたし」

「あー」


 ウィストは、天井を見たまま、こちらを向きもせずに喋り続ける。


「なんでかねー、やっぱあの日からだよなー」

「藍玉の市?」

「そうそう。俺達が売れ残った時、ミルークが舌打ちしててさ。あ、これはヤバいかな、と思ったんだ。でもまぁ、何もなかったんだけど……」

「その時には、そこまで不機嫌じゃなかった?」

「そうなんだよ」


 そういえばそうだ。

 俺達は、あれこれ推測はしているが、実際のところ、どうしてそこまでミルークが腹を立てているのか、本当の原因を、まだ調べていない。


「それが、帰る間際になって、なんか商人っぽい見た目の奴がやってきてさ。ミルークも作り笑いして、一緒にテントの中で話をしてたんだ。それがさ」

「何かあった?」

「急に怒鳴り声が聞こえたんだ。バカにするな、だったかな? ミルークの。あんな怒鳴り声、聞いたことない」


 口にしながら、ウィストは顔を強張らせている。

 そんなことがあったのか。


「んで、一緒にテントに入った商人は、なんとか宥めようとしてたみたいだけど、どうしようもなかったみたいで。最後には、ミルークに叩き出されてた。いや、もう、本当にそのまんま。ジルが間に入らなかったら、そのまま絞め殺してたね。ミルークは、カンカンにブチ切れながら、なんか、紙切れをグチャグチャに握り潰していたっけ」

「紙切れ、か」


 まだ夕方に差し掛かったくらいだ。灯りをつけなくても、文字は読めるだろう。ミルークも今は休んでいるかもしれない。

 そして実は、俺には合鍵が与えられている。このことは、誰にも教えていない。悪用されたら大変だし、他の子供のやっかみもあるだろうからだ。そういうわけで、とにかく、俺はいつでも執務室に入れるのだ。


「ん、どうした?」


 起き上がった俺を見て、ウィストが声をあげる。


「ちょっと、気になることがあって。すぐ戻る」

「おう」


 興味なさそうに、彼はひらひらと手を振った。


 俺は足音を殺して、執務室に戻った。ミルークに見咎められたくなかったからだ。さっきのウィストの話。それと、今日の仕事の終わりに、俺が片付けようとした手紙。どう考えても繋がりがある。

 野次馬根性かもしれないが、もちろんそれだけではない。できれば、それとなくミルークの手助けができれば、とも思っていた。

 果たして、デスクの上には、さっき放置したままの手紙の束が残っていた。もう、薄暗くなり始めているが、灯火なしでも、かろうじて字を読める。俺は、特にグチャグチャに握り潰された形跡のある一通を探し出して、抜き取った。

 ざっと目を通すと……


『前略 ヨコーナー殿


 暑さはまだ残るものの、日に日に昼が短くなる今日この頃、君はいかがお過ごしか。

 私も、この時期特有の、あの寂しさにとりつかれている。

 この、胸を締め付けるような物悲しさは、どこからくるのだろうか?


 さて、王都の再建設工事も、一部中断されることになり、君も手元不如意なことだろう。

 だが、こんな時期だからこそ、私は君の力になれると思うのだ。

 それはまた、私の心を通り抜けていく、この悲しみを埋め合わせることにもなる。


 半年前に譲ってもらったあの美しい少年、金色の髪と、白い肌のデーテルのことだ。

 彼は本当に素敵な少年だった。

 私の望みのためとあれば、どんな犠牲も惜しまなかった。


 そうだとも!

 君には想像できるだろうか?

 私の狩場にある泉……あの、夏でも冷え冷えとした、澄んだ水を湛える、あの美しい泉だ。

 その中に一本の美しい枯れ木が立っている。

 ああ!

 そこに一人の少年が縛り付けられている……余計な衣服などはつけていない。

 それにもちろん、荒縄なんて、そんな無粋な道具は使わない。

 やはり蔦だ。自然のままがいい。

 ところどころ擦り切れて、血が滲んでいる様子もまた、美しい。

 そんな状況なのに、本当にデーテルはいい子だった。

 どこかのバカな子供のように、助けてくれとか、そんな風に喚きたてたりはしなかった!

 ただ黙って、苦痛に耐えているのだよ。

 まるで何か、素晴らしい物語の一幕のようで、私は興奮を抑えられなかった。

 最初はもう、衝動のままに自分の手で、その後は例の少年達の介添えで、合計三度も埒をあけてしまった。


 彼の初めてを堪能した夜のことは、忘れようがない。

 蒸し暑い、寝苦しい夜だった。

 だが、頭上には美しい星々が瞬いていた。

 私はテラスに備え付けたベッドの上に、全裸の彼を横たえ、両足の間に手を伸ばした。

 何をされても、彼は何も言わなかった。

 顔に浮かぶ苦悶の表情、なのに、ああ、なんて慎み深いんだろう!

 それはもう、君に通じるように言うとすれば慎み深い淑女のような……

 いいや! そんな下卑たものと比べては、彼に失礼だ。

 君も彼のことならわかるだろう? そうは思わないか?

 いよいよという時になって、私は彼をひっくり返して、その部分を私自身に近づけた。

 彼は何が起きるかを悟って、恐れ、真っ白なシーツに爪をつきたてた。

 その仕草! だが、変わらず彼は従順だった。

 いよいよ私を受け入れる段になって、はじめて彼は、呻き声をあげた。

 その可憐なことといったら!

 あれほどの快楽を得られる機会など、そうはあるまい。


 実に可愛らしい彼だったが、運命は残酷だ。

 美しさを長引かせるための、あの手術に、彼は耐えられなかった。

 医者が失敗を告げた時の私の失望がわかるだろうか?

 まだ息がある、だが時間の問題だと告げられて、私は部屋へと急いだ。

 そこには、血を流して悶え苦しむ彼の姿が……

 私は迷わず圧し掛かり、まずいつものほうを、それから、たった今、血を流しているところに……

 そのままでは入らなかったから、刃物で切り開いてからだが……私のありったけの熱情を捧げた。


 ここまで私に愛されて、彼もきっと本望だったろう。

 醜く生きるよりは、美しく去るほうがいい。

 彼は私にひと夏の恋をもたらしてくれた。

 そうだ! きっと彼は恋の妖精だったのだ。

 そして、愛と美のための、尊い犠牲となった。

 そう考えることにした。


 というわけで、もうおわかりだろう。

 この前、君は私に大変よくしてくれた。

 私の我儘を聞き入れ、この素敵な妖精との時間を与えてくれたのだ。

 だが、このままでは、次の冬が終わるまでに、私は寂しさで凍え死んでしまう。

 そこで君には、冷え切った私の心を暖めるような、熱い恋の相手を、また紹介して欲しいのだ。


 君がデーテルを譲ってもらったという、サハリア人の奴隷商とやらは、どうやら、ものをよく弁えた男らしい。

 そうでなければ、あんな素晴らしい少年を用意するなど、できっこないだろう。

 君は彼とも懇意だと聞いている。

 ぜひ、一度、話をしてみてくれないか。


 最後に。

 殿下が年末のパーティーを開催するにあたって、信用できる商人を何人か求めていることも伝えておこう。

 私も、未来の国王に仕える立場として、よりよい人材を探し出し、これを紹介する責務を負っている。

 その点、君と私の間には、確かな信頼関係がある。

 あとは目に見える実績を残すだけだ。

 そうすれば、私も胸を張って、堂々と君を紹介できるというものだ。


 では、色よい返事を待っている。


 君の親友 ゴーファト』


 最初、何が書いてあるか、さっぱり理解できなかった。

 だが、次第に胸の奥から、吐き気がこみあげてきた。

 これは、つまり……


「誰だ」


 バタンとドアの開く音がした。

 俺の背中は、冷や汗でびっしょりになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る