男爵領壊滅の裏事情

 世界が平和になったのは、およそ今から一千年前。不世出の英雄、ギシアン・チーレムが、各地の魔王を討滅し、人類のすべての国家を支配下においた時だ。では、その平和が失われたのは? 三百年後、諸国戦争が起きた時だ。

 ギシアン・チーレムは、六大国すべての王位を兼任すると同時に、皇帝を名乗った。それまでもこの称号を用いる国家や人物はいたが、彼以後、その意味は変わってしまう。皇帝とは、全人類の支持と承認を受けて就任するもの、とされたのだ。たとえ広大な地域を支配し、絶大な権力を手にしても、それは変わらない。力尽くでは、皇帝とは呼べないのだ。

 七百年前の大乱は、いろいろな原因の積み重ねから起きたわけだが、直接のきっかけはといえば、とある愚か者が、自ら皇帝の地位に就こうと画策したところに端を発している。おかげで、皇帝という言葉に、また新たな意味が付け加えられた。今日、「皇帝になりたがる」とは、身の程を弁えない野心家を指す諺にまでなったのだ。


 さて、この大乱は、実に百年近くにわたって続いた。結果、当時存在していた六大国は、一つを除き、何れも崩壊してしまった。ここフォレスティアにしても、フォレスティス=チーレムの嫡流は途絶え、今はその傍系が、二つの王国を築いている。

 だが、その悪影響は、何も国境線だけに及んだわけではない。要するに、土地もまた、激しく荒廃したのだ。しかも、小国家が乱立したことで緩衝地帯が増え、それが復興の足枷にもなった。

 また、フォレスティア南部のように、海沿いの地域は、平和な時代には存在しなかった脅威にも悩まされた。つまり、海賊だ。現在でも、フォレスティア南部からサハリア北部までを結ぶ海を囲む形で、五つの国家が存在する。この隙間が、犯罪者にとっては理想的な住処となった。


 そういうわけで、未開発地が増え、物流も寸断されたのだから、経済的にも文化的にも、停滞が長く続いた。現在でも、十分に立ち直ったとは言えないくらいだ。

 各国政府としても、そのままでいいと考えていたわけでなく、むしろ荒廃した領域の開発こそ急務だった。それで、ここエスタ=フォレスティア王国でも、開拓事業には国家の後押しがついてくる。先に計画を提出し、その通りに一定の範囲の開拓を成し遂げた人物には、貴族の称号と、その地の統治権を与える定めとなっているのだ。

 そして、国家の南東部の、とある地域に開拓団が入植したのが、およそ五十年ほど前。その地は、トック男爵領となった。


「……私のおじいちゃんが、その開拓団に混ざっていたんだよね」

「セリパシアから、わざわざ?」

「だから、なんだよ。あっちはもっと貧しかったからね。ほら、アルディニアの貧乏農家の三男だったから。何か仕事になればとフォレスティアにまで出てきて、でもろくに言葉もできなくて、路頭に迷って。それで、危険もあるけど見返りもある開拓団に参加したみたい」


 タマリアは、その開拓団に参加した人達の孫にあたる。だから、その歴史を知っていた。

 本に書いてなかったのかって? その通り。ここは二十一世紀の日本じゃない。なんでもかんでも出版されたりなんかしないし、もし記録があっても、それがこんな収容所にまで届くわけがない。だいたい、うまくいかなかった開拓地なんて、いくらでもあるのだから。


「でも、今、その地域は確か」

「そ! フォレスティス王家の直轄地になってるよね」


 ウォー家のトック男爵なるものは、今は存在しない。今から十四年ほど前、つまりタマリアが生まれる少し前に、滅び去ったからだ。詳しい事情は知られていないが、最後は海賊の襲来によって、男爵家の人々が皆殺しにされたと言われている。


「考えてみれば、そのせいなんだよねー、私がここにいるのも」

「税率が変わるんだっけ?」

「うん。開拓地は、状況にもよるけど、確か人口だったかな? 街の規模だったかな? ちゃんと覚えてないけど、貧乏なうちは税金が普通の半分くらいなんだよね。でも、直轄領になったから」

「貧しいままで、普通並みの税金を取られるのか……」


 現在、旧トック男爵領に住まう人々は、貧窮に喘いでいる。タマリアの実家も、その一つだった。


「だから、変なのよ。なんでジルがウォー・トックの名前を持ってるのよ。おかしいじゃない」

「おかしいと言われても」

「なんで? ノール、どこでジルの名前を知ったの?」


 しまった。困った。まさかこんなところで、ピアシング・ハンドの能力をばらすわけにもいかないし。


「しょ、書類で見た覚えがあるんだ、なんとなくだけど」

「本当に?」

「うん」

「うーん……」


 タマリアは考え込んでしまった。なんとかごまかせたようだが、俺の中の疑問も消えてはいない。


「ウォー家の人達って、サハリア系だったっけ?」

「まさか。全然違うよ。普通のフォレス人。南部ならありふれた名前でしょ? もともとは、そこそこ金のある商人だったって」

「じゃあ、ウォー・トックって姓が、あちこちにあるとか」

「そんなわけないでしょ? 後ろにトックってついてるでしょ、これ、貴族にしかつかないものだから……ってノールが自分で授業で喋ってたじゃない、称号のこと」


 タマリアの言う通りだ。ウォーという姓は、フォレス人なら珍しくない。しかし、その後ろに称号がつくのは貴族だけで、それも封じられた土地にちなんで命名されるものだ。そして、その後に陞爵したりして、支配地が鞍替えになっても、基本的に変更されない。だから、同じ名前の別の一族、なんてことは考えられない。

 だが、では、なぜジルはそんな名前を持っているのか。


「……あの噂、本当なのかな」

「噂って?」

「トック男爵領を攻撃したのって、今、海賊だって説明したけど……本当は、違うらしいって」


 そう説明するタマリアの顔色は、やや青ざめていた。


「海賊じゃない? じゃあ、誰が?」

「ミルークが、私と弟を買いに来たでしょ? あの時、村の大人達がものすっごく嫌そうな顔をしていたの。誰かが言ってた。八年前、この土地を襲ったのは、海賊なんかじゃなくて、サハリア人だって」

「そんな!? 海賊の中にサハリア人がいただけじゃないの?」


 サハリア人中心の海賊団が男爵領を略奪した、というのなら、少々規模が大きいとは思うものの、そこまで異常とも感じない。だが、ワディラム王国の海軍とか、或いはそうでなくても、地方豪族の私兵が組織的に攻撃を加えた、となれば、話は違ってくる。

 現在、フォレスティアとサハリアを結ぶ内海の国々の間では、停戦状態が維持されている。中には長年にわたって敵対してきた国同士もあるのだが、今は小康状態を保っているのだ。そんな中で、どこか公的権力を有した集団が、エスタ=フォレスティア王国の支配地域に組織的な戦闘を仕掛けたとなったら。大事件だし、戦争になってもおかしくない。


「私も、そうは思うけど……でもね、おかしいのよ」

「おかしいって、何が?」

「海賊なら、見境なしでしょ? 金目のものなら何でも奪うし、襲う相手は誰でもいい、ううん、むしろ弱い人から狙うはず。でもね、トック男爵領が攻撃された夜に、被害にあったのは、ほぼ男爵の居館とその周りだけ。さすがに衛兵は殺されたりしてたらしいけど、近くの民家とかには被害がなかったらしいの。そこそこお金持ちの商人の倉庫だって、あったらしいのによ?」

「えっ……じゃあ……」


 もしそれが事実なら。たまたま、リサーチ不足の海賊が、領主の館しか襲撃しなかったとかでもなければ。これは、サハリア人特有の「報復攻撃」の可能性がある。


 この世界で、もっとも攻撃的な人種を挙げろと言われたら、トップかその次にくるのが、サハリア人だ。これと競るのがハンファン人で、両者には似ているところがたくさんある。学問の水準の高さとか、なんとなく共通する点がいくつかあるのだが、何よりどちらもプライドが高く、殺すという行為に躊躇がない。

 サハリア人の復讐は苛烈だ。自分達の一族が侮辱されたと感じると、話し合いの前に曲刀を振るう。身内の一人が殺されたら、彼らは加害者の家族を皆殺しにする。どこまで逃げても、どんなに時間が経っても、どんな経緯でそうなったかも、一切関係ない。彼らは決して忘れない。手段も選ばない。しかも、基本的に彼らの復讐における選択肢には、殺害しかない。目には目を、なんて甘い考えはない。つまり、彼らの身内を殺しても、殴っても、或いはただ悪口を言っただけでも、その報復は死と決まっている。せいぜいのところ、普通に殺すか、苦しめて殺すかくらいの違いがあるだけだ。また、報復する機会があるのに、それをしないサハリア人は、身内から裏切り者とみなされる。


 一方で、彼らは仲間や家族を非常に大切にする。復讐の場合と同様、友人はどんなに遠くに離れても友人だ。何十年経っても、子供の頃と同じように、気兼ねなく付き合うのが美徳、いや常識とされる。友人や家族への援助は、やって当然のことで、それを惜しむのは恥とされている。また、身内同士の結束を重んじるためか、彼らには近親婚の習慣がある。必ずしも親族と結婚するわけではないが、従兄妹同士のカップルなど、珍しくもない。

 そういう常識を思い返してみると、やはりミルークは異常だ。血族との連絡がないでもないのだが、それはすべて仕事絡みだ。里帰りもしないし、故郷から訪ねてくるのもいない。ネッキャメルは東部サハリアの有力氏族だから、身内は少なくないはずなのに。


 ともあれ、理由はわからないが、ウォー家が、サハリア人の有力者の恨みをかっていたとしたら。なるほど、地上から抹殺されるわけだ。とすると……


「……王家は、事実を知らなかったか、もしくは、あえて海賊のせいだとした……?」


 ぽつりと推測を口にする。

 考えが、次から次へとこぼれ出てくる。


「これが海賊のせいでなかったら、フォレスティス王家として、相手国に抗議をしないわけにはいかない。だけど、表立っての謝罪を要求されたとしても、他の理由ならともかく、報復攻撃をしたサハリア人の豪族が、素直に頭を下げるはずがない。ということは……」


 裏取引。

 エスタ=フォレスティア側は、犯人探しをしない。その代わり、水面下では相手国に何らか代償を支払わせる。一方、トック男爵領は、黙って王領に組み込む。うまみがあるわけだ。サハリア側としても、一応の報復は遂げたわけだから、ここで拳を下ろすことができる。こうして互いの利益にならない無駄な戦争を回避したのだ。


「ちょっと……」


 タマリアが、冷や汗を滲ませている。


「話が大きすぎるよ」

「僕らが知るべきことじゃない、かな?」

「でも、ねえ」


 タマリアは、不安げに目を見開いた。


「じゃあ、ミルークって何者なの? ジルはどこから来たの? ウォー家の人ってことは、奴隷なの?」


 仮にウォー家ともめたのがネッキャメル氏族だったとして。だとすると、ミルークは復讐の一環として、相手の一族の子女を奴隷にして、日々辱めていることになる。殺すしかしないサハリア人の報復としては、かなり変則的だ。

 いや、それはおかしい。


「あり得ない。だってジルは、武器を持ってるし、ミルークの護衛なんだから」


 そうだ。ジルはいつでもミルークを殺せる。ネッキャメル氏族の復讐を恐れて手出しができないというのなら、それはそれとして、逃げ出すくらいはできそうだ。今の彼女には、もう外の世界で生きていけるだけの能力が備わっている。馬の一頭に、路銀のいくらかでもくすねて飛び出せば、追いかけるのは難しい。

 それにさっきの二人の様子からしても、どうにも辻褄が合わない。あまり想像したくないが、実はミルークが変態で、望んでぶたれているとか……いや、そんな理由では、この状況全体を説明するには足りない。


「なら、ミルークがジルを庇ってるとか? でも、なんで?」

「その可能性はあるけど……もしそうだとしたら、命がない。トック領を襲ったのがネッキャメル氏族だったら、一族の裏切り者になる。違ったとしても、危険は同じ。ウォー家と対立した氏族から見れば、ミルークは敵になる。そこまでして、庇う理由があるのかな」


 タマリアは、顎に手をおいて少し考え、意見を口にした。


「うーん、やっぱり、愛、かなぁ? ほら、好きな人のためには、命だってかけるものじゃない?」

「四十過ぎのミルークと、二十歳前のジルが恋愛?」

「年は関係ないよ!」

「いやいやいや、それ、おかしいから。じゃあ、二人はいつ、どこで出会ったのか……タマリアがここに入所した時点で、もうジルはいたんだっけ?」


 眉を寄せながら、タマリアも悩んでいる。


「いた……ね……ちょうど、今の私の一つ上くらいだったはず……」

「じゃあ、ミルークは、当時十三、四歳の少女相手に、既に恋をしていた? 死んでも惜しくないくらいに?」

「うーん……」


 タマリアも悩んでいるが、俺も頭を抱えている。


「そもそも、ウォー家の娘が、なんでサハリア人みたいな外見をしているかも、わからないし……」


 タマリアがくるっと向き直る。


「やっぱり、ミルークの娘とか!」

「それだったら、なんであんなこと」

「あんなこと、じゃわからないよ? もっとわかりやすく言って?」

「自分の指でもしゃぶっててください」


 やれやれ。げんなりする。

 真面目に考えているようで、頭の中は下ネタばっかりか、こいつは。


「よし!」


 タマリアは、何かを決心したように、声を張り上げた。


「考えるのをやめよう!」

「これだけあれこれ話をしておいて」


 面倒になっただけじゃないか?

 だが、彼女の意見は正しいかもしれない。


「いや、でも、そのほうがいいかも」

「ノール、これ、ヤバいよ。知らないほうがいいって」

「そう……そうだ、ね、うん。僕もそう思えてきた」


 俺はすっとベッドから立ち上がった。ドアを開ける。既に日差しは黄色くなりかけていた。

 中庭を見下ろす。ガタン、と大きな音を立てて、いつも閉じている門が開く。カポカポ、と音がして、馬車が戻ってきた。


「そろそろ行くよ」

「うん、今度は裸で待ってるね」


 精一杯のジト目をその言葉の返事に代えて、俺はその場を去った。

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