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「……いたいた。ホント、こいつらには、いつも世話になるなぁ……」


 今はチャンスだ。子供達の大半は、先生から算数の授業を受けている。ごく簡単な足し算と引き算だ。幼すぎる子供は免除されているが、そいつらはたいてい、部屋でお昼寝タイムだ。俺はといえば、この肉体の年齢のせいもあるが、そもそも数学的能力では、教師を含め、収容所ではトップだ。今更、算数を教わる意味がない。

 そういうわけで、俺には目立たずに中庭をうろつく余裕があった。しかも、今、俺がいるのは一番人気のない場所、つまりゴミの集積場だ。

 ゴミの中には、当然生ゴミも含まれる。生ゴミがあるということは、あいつら……かつて俺の命の糧になってくれた、黒いダイヤ達がいる、ということでもある。


 ピアシング・ハンドの能力がどれほど強力かは、一度しか試していないとはいえ、身をもって思い知っている。だが、俺はこの能力について、あまりにも無知だ。

 なぜ、プノスの肉体は奪えたのに、アネロスの場合はダメだったのか。可能性はいくらでも考えられる。だが、その中でも最有力なのが、空き枠の有無だ。あの時、俺は二歳だった。枠は全部で三つしかなく、そのうち一つが自分自身の肉体に、もう一つがピアシング・ハンド自体に、そして最後の一つがプノスの肉体に割り当てられてしまっていた。これ以上、何も受け入れられない状態で、能力を行使しようとして、失敗した……こういうことではなかろうか。

 で、俺としては能力の実験をしたかったのだが、ひとまずは後回しにせざるを得なかった。フォレス語くらい、話せるようになっておきたかったからだ。捨てたプノスの肉体の代わりに、今ではレベル2にまで育った言語スキルが身についている。これは失いたくない。

 だから、三歳の誕生日を心待ちにしていたのだ。しかし、すぐに能力を試すには、ここはいかにも狭かった。人の目も光っている。だから、今日まで待ったのだ。


 昨年、俺はプノスから肉体を奪ったが、この能力は、人間以外にも行使できるのか? 俺はできると思う。なぜなら……


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 <ゴキブリ> (36)


・マテリアル インセクト・フォーム

 (ランク6、オス、1歳)

・スキル 病原菌耐性 5レベル

・スキル 高速交尾 4レベル


 空き(34)

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 ……俺のピアシング・ハンドの能力は、名もなき虫けらの情報すら、認識するからだ。認識できるということは、すなわち、奪取の対象だと考えられる。

 にしても、高速交尾ってなんだよ? 病原菌耐性は、まだわかるけど。

 いや、俺が今、目にしているこのゴキブリは、きっと優秀な部類なんだろう。そこそこ立派な、黒光りする体を持っているし、その六本の足はギザギザしていて、俊敏そうだ。あの足で、素早くメスに飛び掛かるんだろう。そして、一瞬ですべてを終えてきたに違いない。

 なんでも、前世で目にしたものの本によれば、種類にもよるらしいが、ゴキブリのメスは一生のうち、一度しか交尾しないという。だから、オス達による処女メスの争奪戦には、熱く激しいものがあるのだとか。このオスの個体は、そんな競争の中でも、それなりの結果を出してきたのだろう。まぁ、高速交尾なんてスキルは、人類の男としては、まず習得したくなるようなものではないのだが。

 だが、悪いが、そんな楽しいゴキライフも、今日からは平穏とは言えなくなるかもしれない。


『我が糧となれ、ゴキブリよっ!』


 と、日本語で叫びつつ、能力を行使してみた。たまにこうやって口にしないと、忘れてしまいそうだ。

 ちなみに、日本語はスキルとしてカウントアップされていない。この世界にないものだからなのだろう。


 何かがグルグルと激しく回転するイメージが脳内にちらつき、そして俺はまた、気持ち悪さと、理由のない恐怖を感じた。だが、済んでしまえば、どうということはない。

 俺の能力を浴びたゴキブリだが、見たところ、何の変化もなく、元気そのものだ。

 だが。


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 <ゴキブリ> (36)


・マテリアル インセクト・フォーム

 (ランク6、オス、1歳)

・スキル 高速交尾 4レベル


 空き(35)

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 悪いことをしたかもしれない。これのせいで、不潔な環境に耐えられなくなり、早死にするかもしれない。まあ、仕方がない。直接フォームを奪わなかったんだし、せいぜい今のうちに、頑張って交尾にでも励んでいてくれ。

 そして、俺自身は、というと……。


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 (自分自身) (3)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、3歳)

・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・スキル フォレス語 2レベル

・スキル 病原菌耐性 5レベル


 空き(0)

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 やった! ちゃんとスキルがついている。ゴキブリまでの距離は、三メートル以上離れていた。これも要検討だ。どれくらい遠くの相手になら、届くのか。

 一番の懸念事項だった例の推測……能力奪取は、一度しか使えないのではないかという……あれは、杞憂だったとわかった。それだけでも嬉しい。

 さて、この病原菌に強くなれるスキルというのは、ちゃんと人間の肉体でも機能するんだろうか? もしそうなら、実にありがたい特性ではあるが、これはサクッと削除してしまおう。ゴキブリなら、他にもこれをもってる奴がいくらでもいる。だが、その前に……


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 <ゴキブリ> (34)


・マテリアル インセクト・フォーム

 (ランク4、メス、1歳)

・スキル 病原菌耐性 3レベル


 空き(33)

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 スキルにスキルを重ねて奪ったら、どうなるか。5+3で8レベル、なんてことはないだろうが、ちょっと試してみたい。

 俺は右手を突き出した。よし。


『汝の魂を差し出せ、ゴキブリよっ!』


 メスのゴキブリは、身動ぎもしなかった。

 だが。


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 <ゴキブリ> (34)


・マテリアル インセクト・フォーム

 (ランク4、メス、1歳)

・スキル 病原菌耐性 3レベル


 空き(33)

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 ……能力にも、何の変化もなかったのだ。

 あれ?

 なんでだろう?


 可能性をいくつか列挙してみよう。

 一つ。俺の能力の枠が埋まっているから。同じスキルでも、能力が重ならず、別々の枠を消費する。

 二つ。性別が違う相手からは、能力を奪えない。

 三つ。もしかしたら、ピアシング・ハンドは、連続使用ができない。


 どれだろうか。

 まず、性別なら、チェックするのは簡単だ。

 目の前の別のオスゴキブリから、病原菌耐性のスキルを奪う……が、できなかった。

 メスでもオスでもダメなんだから、これで、二番目の可能性は消えた。


 ならば、枠をあければ。

 少しもったいない気もしたが、俺は病原菌耐性のスキルを削除した。


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 (自分自身) (3)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、3歳)

・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・スキル フォレス語 2レベル


 空き(1)

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 よし、今度こそ……あれ?

 やっぱり能力を奪えない。これは……まさか、そもそも連続使用ができない?

 ということは、アネロス・ククバンの肉体を奪えなかったのも、それが理由なのか?


 なんてことだ。

 こうなると、インターバルが気になる。十分とか、一時間とか、そんな短時間でないのは間違いない。俺がプノスの肉体を奪ったのは真夜中、そしてアネロスに斬り殺されたのが夜明けだ。最低でも数時間は使用できない計算になる。


 それなら……俺は、そっと手を伸ばす。昔取った杵柄だ。その気になれば、ゴキブリくらい、いくらでも手づかみできる。そして、かわいそうだが、足は全部もぎ取る。逃げられたら困るからな。

 今の時間は覚えておく。たぶん、あと何時間かは、試しても無駄だろう。夜中に小刻みに起きて、いつ能力が発動するか、試してみるとしよう。だが、これが数時間とか、数日といった程度ならいいが、数週間とか数ヶ月とかに一度しか使えないとしたら……いやいや、考えるのはよそう。それでも、いや、そうであればなおさら、今こそ確認しなければならないのだ。


 そういうわけで、俺は衣服の裾に、そっと哀れなゴキブリを潜ませて、自室に戻った。

 夜中に何度も起きて、能力奪取を念じてみた。

 夜が明けても、まだゴキブリはそのままだった。

 ようやく、このゴキブリが虹色の靄になったのは、丸一日経った昼下がりのことだった。

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