イジメ後、説教

 よく晴れた日の真昼間。少し早めの昼食を済ませた大人達が、馬を引き出してきた。

 普段、馬の管理は、ジュサの仕事だ。たまに南側の門から、馬を引き出して運動させているらしい。だが、内側の門を開けて馬を通した後、いったんそこを閉めてから、外側の門を開けるため、奴隷の子供達に外を見る機会はなかった。逃亡を防ぐという意味もあるが、ミルークの方針として、なるべく外を見せないようにしているからでもある。

 だが、この日は門が広々と開け放たれた。馬車を外に出すためだ。


 馬車が引き出される、ということは、ミルークが奴隷の買い付けに出かけるのを意味する。そして、その旅に同行するのは、いつもジュサとジルだ。二人の守衛と先生は留守番となる。

 この前のオークションで、年長組の一部がいなくなったから、空き部屋が増えていた。その補充のためだろう。とはいえ、商品が商品だから、売ってくれと言われて手放す人も、そう多くはない。ミルークが狙い撃ちするのは、貧しい地域だ。夏を前に、蓄えを食い尽くしそうな人々のいる辺りを巡る。


 その意味では、実はリンガ村を含むティンティナブリア地方は、まさに穴場なのだとか。今の領主はどうしようもない奴で、金遣いも荒く、領民に重税を課すばかりという。もともと、あの地方は俺自身が知る通り土地も肥沃で、またティンティナブラム城も、フォレスティア北部とセリパシアを繋ぐ重要な通商路の上に位置しているので、何もしなくても実入りは悪くないはずなのだが。その辺の事情を、ジュサがポツリと教えてくれた。

 なるほど、あれこれ知恵の回る子供相手には、はっきりとは言いにくいと思ったのかもしれない。貴族が領民をいじめた結果、奴隷の身分に落とされる子供が出てくる。なのにその奴隷の買い手はというと、やはり貴族なのだから。そして、そんな貴族相手に尻尾を振っているのが、彼ら奴隷商というわけだ。


 今回の旅程は、近場を巡るものになるらしい。一週間ほどで帰ってくる予定だ。残された二十数人の子供に対して、大人がたった三人。かなり手薄になるが、人は増やせない。信用できる人間でなければ、大事な商品は任せられないからだ。

 ミルークが毎年育成して売り出す子供の数は、十人程度だ。これ以上増やそうとすると教育の密度と質を維持できないから、ここが上限だ。そして、子供一人の売却金額だが、最低限の値段しかつかなかった場合、金貨五百枚程度になる。となると、年間の収入は、金貨五千枚にしかならないことになる。最近、教わり始めた商人としての知識から考えると、従業員の給料に、ここの維持費だけで、全部消えてしまう計算だ。うまく売れなかった場合まで考えると、無闇に人を雇い入れるわけにもいかない。

 もちろん、旨みはちゃんとある。子供によっては、値が跳ね上がるのだ。特に美しい子供とか、賢い子供というのは、最低価格の十倍以上で売れたりもする。そこまでいかなくても、オークションで値が釣りあがってくれれば、その分が利益になる。子供のうち、半分が最低価格の倍で売れれば、ミルークは一般人の数倍の所得を手にできる。


「あまり時間はかからないはずだ」


 いつものように、ミルークは無表情だった。話し相手は、先生だ。


「何も起こらないとは思うが、いざとなったら、詰所に連絡しろ。最近は、この辺りに海賊が来ることもなくなったし、ネッキャメル氏族を敵に回そうという馬鹿もそうはいないだろうが……絶対というわけでもない。特に夜は気をつけろ」

「畏まりました」

「任せたぞ」


 先生が腰を折ると、ミルークは身を翻して馬車に向かう。視線を受けて、ジュサが御者の席に座る。鞭の音を受けて、馬車が走り出す。俺達子供は、それを門の内側から見送るが、すぐに二人の守衛が出てきて、内側の門から閉じていく。みんな、息をするのも忘れて外に目を向けていた。


 さて、三人の大人がいなくなったことで、子供達の態度にも、変化が出る。

 まず、ありがちな反応は、「これでサボれる」というものだ。相部屋のウィストなどが典型例といえる。

 この収容所で一番怖い先生は、ミルークだ。決して怒鳴ったり叩いたりはしないのだが、その雰囲気だけで、子供達は威圧されてしまう。加えて、彼が担当するのは、主として礼儀作法や言葉遣いについての訓練だ。売り時の近い六歳前後の子供には、特に厳しい。

 女の子にとっては、ジルが同じような立場の教師となる。加えて、戦闘技術についても、やはり彼女から手ほどきを受ける。ジルはいつも必要以上に話をしないし、決して笑わない。だから、ミルークと同じくらい、怖がられている。

 この二人が出て行ってしまうのだから、自然、子供達はこの一週間を休暇とみなした。


 俺は? ジュサがまた何冊か教科書を置いていってくれた。何も変わらない。そろそろ復習しないと忘れることも出てくるし、日中は、仕事をするか、ずっと本を読むか、だ。

 が、それは表向きの予定だ。年長の子供達がオークションで金持ちどもに引き取られ、ミルーク達が新たな奴隷を購入しに出かけた今こそ、この収容所の人口密度がもっとも低いタイミングなのだ。つまり、俺の能力が人目に触れにくい、という状況でもある。

 まだ、俺はこの能力を一度しか使っていない。今日からはバンバン使って、その性質を見極めてやるのだ……


「っ!?」


 足元に人の足先が見えた。咄嗟に飛びのいて、転倒するのを防いだ。振り返り、周囲を見回す。


「気付きやがったよ、このクソガキ」

「いっつもボーっとしてやがんのにな」


 悪意の詰まった汚らしい言葉をぶつけてくるのは、売れ残った年長組の子供達だ。十歳の奴隷頭であるウィカクス、それに今年七歳になるドロル、デーテル。俺は、後ろの二人を交互に見つめながら、心中で溜息をついた。

 この中で、いわゆる「脱落組」に相当するのは、今のところ、ウィカクスだけだ。七歳の時点でもオークションで売れず、今は木工職人としての訓練を受けている。目鼻立ちはすっきり通っているのだが、顔はそばかすだらけだ。それにたぶん、頭もよくない。先々のことを考えるより、今のこの収容所内での地位が、一番の関心事らしい。なるほど、これでは高くは売れまい。ミルークは、どこかの時点で彼のことを諦め、割り切って「イジメ担当」に据えたのだ。

 後ろに控えるドロルには、まだ可能性がある。この辺ではありがちな茶色の髪に、かわいらしいと言えなくもない顔立ち。正直、こんなところでウィカクスなんかとつるんでいる暇があったら、勉強の一つでもして、買ってくれる貴族を探したほうがいいのだろうに。あと一度か、二度しか、金持ち向けのオークションには、かけてもらえないのだ。

 だが彼は、どうにも性根が曲がっている。この三人組、リーダーは一見するとウィカクスだが、実は彼にあることないこと吹き込んで、うまい具合に操っているのが、このドロルなのだ。端正な造りの顔に浮かぶその目には、既にして、何かいやらしい感情が宿っている。

 更にその後ろにいるのが、デーテルだ。髪の毛が金色だが、聞いた限りでは、ルイン人との混血らしい。つまり、この国の北西にある、セリパシア地方の人々の血を引いているのだ。今のところ、この収容所では彼ともう一人だけが金髪なので、珍しいのかと思ったが、そうでもない。むしろ俺のように、黒髪なのに肌が白い……つまり、サハリア人でもない、恐らく東方の人々との混血児のほうが、遥かに珍しいそうだ。

 内気そうな彼は、さっきから何も言わず、ずっと伏し目がちだ。思うに、同じ立場なんだからとか何とか言われて、先の二人に連れられてきたんだろう。そして、はっきり拒否もできず、ただ突っ立っている。その選択肢は、いいとは言えないが、悪いとも言えない。下手に逆らえば、イジメの対象になるのは、彼自身だ。

 イジメ? そう、これは恐らく、イジメだ。


「お前さ、なんか勘違いしてんじゃねぇ?」

「はい?」

「ミルークさんが、お前を気に入ってるらしいっていうけど、そんなこたぁねぇからな?」


 ああ。アホだ。本当にアホがいる。

 ミルークは、俺達を商品とみなしている。商品には、どれだけの値段がつくか、売れるかどうかしかない。どうも見る限り、彼は意図的に、そのような割り切りを保とうとしている。だから、彼には依怙贔屓なんてものはない。俺に頻繁に教科書を貸し出したり、商人としての知識を学ばせてくれるのも、俺が次々学習内容を覚えていこうとしているからだ。彼は、努力にはちゃんと報いてくれる。

 だが、そのすべては、俺達を売るためなのだ。


「調子乗ってんじゃねぇぞ、おい」


 ウィカクスが体を折り曲げ、顔を近づけながら、そう脅しつけてきた。


 さて、どうしたものか。

 ここであえて、わざと殴られてみるのもいいかもしれない。そのことを早速、先生あたりに報告すれば、ウィカクスは懲罰房送りだ。だが、奴隷頭の地位から下ろされたりはしないだろう。なにせ、彼はここでイジメ担当を務める、いわば自覚なき影の職員だからだ。この収容所の居心地がよすぎては、売られた先で里心がつきかねない。このバカは、とっくに見捨てられ、利用されているだけだと気付いてもいないのだ。

 となると、そこから出てきた後が面倒だ。最悪の場合は、ミルークに泣きつくことにもなろうが、ここはスルーしておこう。


「はい、済みませんでした」


 頭だけ下げて、通り過ぎようとした。だが、それをウィカクスは押しとどめた。


「お前、ちょっとこっち来いよ」


 肩を掴まれた。相手は十歳、こちらは三歳。この年齢差は、馬鹿にならない。しかも、ドロルまで俺の腕を掴んでいる。抵抗は無駄らしい。


「これから俺達、馬小屋の掃除なんだ。お前も手伝えよ」


 本当に掃除の手伝いだけであれば、協力するのもやぶさかではない。だが、そんなわけはないだろう。

 いっそ、このクソガキでテストしてやろうか? なんであれ、まずは何か、スキルかマテリアルを奪ってやらないと……

 両腕を引っ張られ、中庭の隅へと引きずられていく。その時、怒鳴り声が響いた。


「デーテル! あんた達、何やってるのよ!」


 飛び出てきたのは、デーテルの姉、タマリアだった。金色の髪を、三つ編みにしている。顔立ち自体は弟とそっくりなのだが、どこか勝気そうに見える。年齢は九歳。女の子達のまとめ役だ。言うまでもなく、売れ残りである。

 但し、ウィカクスとは違って、こちらはいじめっ子ではない。そんなに付き合いがあるわけでもないのだが、見る限りでは、これといった特技はないものの、面倒見もよく、何事にも真面目な少女だ。もちろん、目鼻立ちも整っている。それがどうしてここまで居残ってしまったのか、不思議で仕方がない。なんでも、聞くところによると、オークションで毎回、ドジをやらかしたそうなのだが……。

 ちなみに、デーテルも、タマリアも、ミルークがつけた名前だ。それぞれ、互いの本名は知っているのだが、使用は禁じられている。あとで告げ口されても困るので、こう呼ぶわけだ。


「あ、あの、僕……」


 何かを言いかけて、デーテルは俯いてしまった。本当に気弱な少年だ。こんなか弱さで生きていけるのだろうか。


「きやがったよ、クソビッチが」


 ウィカクスが、忌々しそうな表情を見せる。


「てめぇは部屋に戻って、くわえこむ練習でもしてろよ」

「馬鹿ね。部屋に戻ったって、相手がいないじゃない」


 ウィカクスは、タマリアを売春婦呼ばわりした。売れ残りなのは自分も一緒だが、彼は一応、木工職人になる予定だ。それに引き換え、これといった技能を身につけられないタマリアの行く先となれば、これはもう、娼館しかない。

 だが、彼女も負けてはいなかった。


「なんならあんたをこの場で幸せにしてやってもいいわ」

「ほーっ? 勝手にそんなこと、していいのかよ?」


 十歳前後の子供がやり取りするには、あまりに過激で露骨な内容だ。現代日本では、少なくとも考えられない。だが、この世界の、奴隷という底辺の身分では……そういう苛酷な状況においては、むしろこちらのほうが、普通なのかもしれない。


「いいわよ。食いちぎってやるから」

「なっ、ばっかじゃね? どこが幸せなんだよ?」

「親切がわかんない? 一生、奴隷のままのあんたじゃあ、どうせそれの使い道なんてないでしょ? 余計な悩みを、今からなくしてあげようって言ってんのよ」


 なるほど。どうせ売春婦になるんだろう? という侮辱に対して、やり返してやったわけだ。あんたには、やる相手なんて一生いないでしょ? 奴隷の身分から抜け出すのは、もう無理なんでしょ? ってことは、売春婦すら抱けないんでしょ? と。


「そんな真似して、傷でも残ったら、ミルークさんが怒るぜ?」

「あんた達こそ、まだ三歳の子供を囲んでいじめて、さすがにあとでどうなっても知らないからね?」


 彼女は、ウィカクスの前で腕を組み、仁王立ちした。どうあっても引き下がらないという態度だ。


「ちっ……」


 分が悪いと察したウィカクスは、視線で二人の舎弟についてくるよう促すと、黙って立ち去ろうとした。ドロルも、タマリアをにらみつけ、後についていく。デーテルはというと、左右を見回して、どうしようかとオロオロしている。


「デーテル! あんたはこっち! ちょっと来なさい!」


 姉の叱責に、彼はビクッと肩を震わせた。勢いよく踏み込むと、ぐっと力任せに弟の腕を引っ張った。そのまま立ち去ろうとして、思いとどまる。そしてすぐに向き直って、こちらに迫ってきた。


「ノール君、だっけ?」

「あ、はい」


 彼女は、大人びた笑みを浮かべて言った。


「大丈夫だった? 弟が悪かったわね」

「いいえ、助けていただきありがとうございます」


 俺は頭を下げた。すると彼女は頷いた。


「ノール君は、しっかりしてるのね。そのまま頑張ってね。私達みたいにはなっちゃダメだよ?」


 はい、と答えていいのかどうか、迷っているうちに、彼女は弟を連れて、建物の影へと消えた。


 さて、どうしたものだろう?

 とりあえずは、手に抱えた教科書を部屋に置いてしまおう。それからやっと、念願の実験タイムだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る