三歳の誕生日

 閉じられた木の窓の隙間から、橙色の光が滲んで見える。近頃、世界がやけに明るく見える。

 最後に悪夢にうなされた日から、およそ三ヶ月ほど。今日という日は、俺にとって、特別な意味を持つ。誰に起こされるわけでもなく、自然と目が覚めた。意識が戻ってすぐ、俺は予想通りの結果に、興奮を隠しきれなかった。隣のウィストは相変わらず夢の中だが、俺はベッドの上で半身を起こしながら、一人、ガッツポーズをとった。


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 (自分自身) (3)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、3歳)

・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・スキル フォレス語 2レベル


 空き(1)

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 スキルに空きができている!

 俺はこの日の朝、三歳になった。どうやら、自分の年齢に1を加えた数だけ、スキルやら、マテリアルやらの枠が増えるらしい。

 これは重要だ。俺がピアシング・ハンドの能力を行使しようにも、空きがないと、奪った能力や肉体を取っておく場所がない。だからこそ、ここに来てから、今まで一度もこの能力を発動させてこなかったのだ。だが、やっとこの力の性質を調べる余地ができた。

 まあ、地味にフォレス語のレベルが上がっていたり、ヒューマン・フォームのランクが上がっていたりするのも嬉しい。語学については、この半年間、猛勉強したからだが、体のほうはというと、これはミルークの徹底した健康管理のおかげという他ない。

 前々から疑問だった点だが、このヒューマン・フォームの「ランク」という奴は、どうもスキルのように、単純に数字が増えていくようなものではないらしい。だいたいからして、俺よりずっとたくましいはずのジュサが、ランク4しかない。最初は納得がいかなかったが、あれこれ見比べるうち、一定の傾向があることに気付いた。

 まず、外見が美しいものは、ランクが高くなりやすい。また、よく鍛えられた肉体も、ランクが高い。逆に醜悪な見た目とか、病弱な体だったりすると、ランクが下がる。俺の場合、ここに来た時点では、そもそも栄養失調状態だった。ところが、ここで規則正しい生活を送り、日々食事を摂り、運動もして、ちゃんと休息するようにした。結果、ランクアップを果たした、というわけなのだ。

 最近、気付いたのだが、どうやらこの世界の俺は、かなりのイケメンに属するようだ。あの紫色の世界から飛び降りる時、俺は必死で「人間」のイメージを維持しようとした。だが、よくよく考えれば、俺が最後に見た人間の姿はというと、俺自身ではなく、俺と言葉を交わした黒髪の男だった。今の俺の見た目は、心なしか、奴に似ている。

 まあ、そこそこイケメンで、健康的というなら、この上ない。引き続き努力を重ねていくだけだ。


 外から、カン、カンと鍋の裏を叩くような音が聞こえてくる。起床の時刻だ。

 俺はベッドから降りて、隣で寝そべるウィストを揺り起こす。


「んあ……もう、朝かよ……」


 腹を出したまま、彼はうんざりした声で、そう呻いた。


 朝食の後、ミルークに呼び出された。普段は足を踏み入れることのない、南側の応接室だ。足元には、南方にあるミルークの故郷、サハリア地方の絨毯が敷き詰められている。更に南方の国から仕入れた黒檀のテーブルを前に、セリパシア北西部特産の獣の皮を素材としたソファの上に座る。これは異常なことだ。いつもはここに座るのは、彼の客だけなのだから。

 それにしても、豪勢な部屋だ。数ある調度品の中でも、ひときわ目立つのが、壁際に置かれた、大きな黄金の振り子時計だ。その素材の大部分が金、または銀で、しかも時計のあちこちに宝石が嵌めこまれている。とりわけ文字盤の上、一時から十二時までを示す場所に、それぞれ大粒の宝石が輝いている。これ一つとっても、かなりの貴重品だ。

 詳しくは知らないが、どうやら、昔のミルークは、富裕層相手の宝石商だったらしい。そのせいか、こうした品々が当たり前のように置かれている。今でも客層は変わらないが、商う品物は子供の奴隷になった。どういう心境の変化があって、こんな選択をしたのだろうか。


「お前でも、物珍しいか」


 それはそうだ。これだけの宝飾品、前世でもそうそうは見かけなかった。とはいえ、どんなに立派にせよ、あくまで飾りに過ぎない代物だ。前世の俺の腕時計のほうが、ずっと正確で、高性能だったろう。……では、あの、死の直前に取り落とした懐中時計と比べてなら、どうだったろうか?

 それに、宝石よりもっと魅力的なものが、その反対側に輝いている。外だ。

 南側に、春の明るい日差しが注いでいる。そして、前世を知る俺にとっては見慣れていても、この世界では滅多に見なかったものが、俺達と外の世界とを区切っていた。なんと、ガラスの壁だ。小さなガラス片はそこまで高価でもないらしいが、壁一面を覆うほどの、それも高品質で透明度の高いものとなると、やはり特別なのだ。

 この商談室は、中庭より、外に近い。ガラスの壁を越えても、石の渡り廊下がある。だが、そこから身を乗り出せば、もう建物の外だ。

 こんなに宝物がたくさんあるのに、あまりに無用心に見えるかもしれない。だが普段は、ガラスの窓の上に、分厚い鉄の扉がかぶさっている。


「そちらはあまり見るな」


 ミルークが短く、感情を込めずに言った。

 窓の外、少し離れた場所には、防風林がある。その向こう側は、海だ。この建物の周囲、他の方角には、開拓されていない荒地があるだけなので、いやでも目が吸い寄せられる。


「あの向こうにある風景は、言ってみればご褒美だ。先にもらうと、頑張れなくなる」


 なるほど。

 子供達の大部分、自分も含めてだが、実は誰もが外に出ることを切望している。自室の窓を開けても、見えるのは殺風景な原野のみ。いい奴隷に育たなければ、世界を目にする機会さえ得られないのだ。そう思えばこそ、努力もできる。


「普段はここに、お前達を入れることはないんだがな」


 向かいの椅子に背中を預けながら、ミルークが説明を始めた。


「いつもいつもオークションで売れるとは限らない。場合によっては、ここで直接取引をする場合もある。そんな時、はじめてこの部屋に呼んだはいいが、いろんな宝飾品に目がくらんでもらっても困る。お前達にとっても、大事な商談の場だからな、慣れさせるためにも、こうして座らせている」

「は、はい」


 まだ、周囲の様子や、窓の外の景色に気を取られていたが、ここで無理やり、注意をミルークに戻した。


「誕生日だからな。お前は今日、三歳になったが、普通は、三歳から四歳くらいの子供を引き取る。一度か二度、ここに呼んで、話をすることにしているわけだ。一つには、お前達の将来を占うため、もう一つには……そうだな、未来を思い描かせるため、とでも言おうか」

「はい」


 なんとなく、言わんとするところはわかる。

 ここに連れて来られる子供は、貧しい家庭の出身だ。その中でも一番のみそっかすが、奴隷の世界に放り込まれる。当然、その心の中には、絶望しかない。

 だが、絶望に染まった子供が、売り物になるだろうか? いつ死んでもいいや、どうせ奴隷の身分だ、と自暴自棄になった人間が、仕事で役立つだろうか? ましてや、彼らを購入するのは、大商人や貴族だ。必然、その屋敷で働くようにでもなれば、そこで目にするのは、絶対的な格差だ。

 ミルークが、ここで子供達に伝えようとしているものは、普段のそれとは異なる。九割方は、諦念と服従だ。しかし、ここでは希望を刻み込む。そう、ご主人様に気に入られれば、或いは自分も……この椅子に座る主人に侍るのではなく、まさしくここに座れる人間になり得るのだと。反骨精神は邪魔になるが、向上心は残しておきたいのだ。

 だから、目の前にはティーカップが置かれている。お茶だ。主人自ら、奴隷に対して、来客用のもてなしをしているのだ。


「……どうやら、お前には必要なさそうだがな」

「そうですか?」

「そうだ。お前はまったく奴隷らしくない。ついでに言うと、子供らしくもないな」


 黒い顎鬚に指を添えつつ、彼は俺を見据えた。


「私が子供の奴隷を商うには、いくつもの理由がある。そのうちの一つが、まさにその子供らしさにある。子供は、教えられれば何でも学ぶ。そこが、大人の奴隷と違うところだ」

「僕だって、何でも勉強します。なんでしたら今以上に」

「お前にこれ以上の知識が必要か、疑わしいな? むしろ、何も教え込まないほうが、高く売れるかも知れん。普通の子供はな、奴隷という身分をすんなり受け入れる」

「僕もです、ご主人様」


 ミルークは、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「はっ……まあ、演技でも、そういう態度は崩さないほうがいい。さもないと、罰を与えなければいけないからな。だが、お前が内心では、誰も恐れていないのは、とっくにわかっている」


 そう言いながら、彼は自分のお茶を一口飲んだ。


「普通なら……いつもは私から、世界中の楽しい話をしてやっている。南方の大陸に広がる大森林や、私の故郷の砂漠地帯、セリパシアの北に広がる氷の世界……大都会の賑わいや、食べ物に酒、娯楽……どうだ? 興味のあるものは?」

「何もかもが珍しく、興味深いです」


 ミルークは、薄く笑みを浮かべたまま、溜息をついてみせた。


「たまには本音を言え」

「本音です」

「じゃあ、私に口答えしてみろ」

「これはまたご無体な」


 だが、彼は顎で意思を示した。いいから、ケチをつけてみろ、というわけだ。


「では……まずは、南の大森林ですか? なんかそれ、虫ケラだらけなんでしょうね。蚊柱とか、怖くありませんかね? 想像するだけで体中が痒くなってきます。お次は砂漠ですか? 見晴らしはよさそうですけど、すぐに飽きそうです。だいたい、昼は暑いし、夜は寒いし。風が吹いただけで、口の中が砂だらけになって、ジャリジャリしそうですよ。あと、氷の世界とか、論外です。そんな話を聞いて、どうして行ってみたいだなんて思う奴がいるんでしょう? ああ、でも、都会も好きじゃないですね。だいたい、ゴミゴミしてて、窮屈で、しかもどうせ道端とかだって、ものすごく汚いんでしょう? あちこちに汚物が転がっているのが目に浮かびますね。臭い物乞い辺りが、毎晩橋の下で寝起きとかしてそうですし、うかうかしてると僕までそいつらの仲間入りです。ぶっちゃけ、都会で買えるもので、多少なりともありがたみのあるものは、せいぜい売春宿の女、女、女くらいですが、何なら僕に一人、あてがってくれませんか? ただ、病気持ちは勘弁してくださいね。あとは土地の名物といわれるものですが、さてはて、鮮度の落ちた食材を適当にかき回してみせただけのまがい物の料理モドキに、子供騙しの劇とか、そんなモノ目当てに都会暮らしをする人がいるのなら、いやぁ、実に実に哀れで仕方ないですね。うん、やっぱりここ、我が家が一番です……こんなところでしょうか?」


 ミルークはというと、膝を打って、声を殺しながらも大笑いしていた。いつもは無表情なのに、珍しい。


「お前は、お前は! 本当にジュサの言う通り、中身は魔物かも知れんな!」


 引き攣る顔と腹を押さえ込んで、ようやく彼は尋ねた。


「なら、お前のやってみたいことはなんだ?」

「魔法を見たいです」


 存在するとだけは知っているが、実物を目にしたことはない。あの時、アネロス・ククバンあたりが俺に火の玉でもぶっぱなしてくれればよかったのに。


「見るだけか?」

「できれば勉強もしてみたいです」

「それは無理だな」

「ですよね」


 ミルークは、膝に肘をつき、身を乗り出している。これはあれだ、俺の希望を聞いてくれようとしているのだ。もちろん、可能な範囲で、だが。


「それ以外で、何かやりたいことは?」

「それなら、そうですね……強くなりたいです。ほら、その、僕も剣術には、ちょっとは興味があります」


 ジュサやジルが、子供達に武術を教えていることがある。だが、どういうわけか、生徒はいつも女の子だけだ。


「ふむ……いかにも男の子らしい要求だが、それも難しいな」

「どうしてですか?」

「いつもなら、考えておこう、といってごまかすんだが、お前には、はっきり言っておく。売れにくくなるから、だめだ」


 ミルークの表情は、真剣そのものだった。


「売れなくなる? でも、女の子には」

「女の奴隷には、そういう需要がある。特に、警護を必要とする貴族の女性の傍仕えとかな。男が立ち入れない場所でも、主人を守るのが仕事になる。自由民の身分で、武術の心得のある女性は、少ない。だから、護衛として役立つ少女、戦うことに抵抗のない、素質に恵まれた女児は、売れる。だが男となると、どうだ? 戦える男など珍しくない。なのに武器を持って逆らう可能性のある奴隷なんか……最悪だろう?」

「なるほど、確かにそうですね」


 言われてみれば納得だ。

 ミルークが課すカリキュラムは、そうしてリスクや無駄を省いていった結果、できあがったものなのだろう。一応、俺の希望を訊いてはくれるが、実現できる範囲は、決して広くない。


「他には?」

「……できれば、旅をしてみたいですね」


 この回答に、彼は吹き出した。


「さっき、散々けなしておいてか!」

「いや、違うんですよ」


 これには、ちゃんと理由がある。あるが、ミルークに説明するわけにはいかない。


「景色とか、食べ物じゃなくて、いろんな人に会ってみたいんです……ほら、ここで読み書きを教えてもらっても、商売の知識を仕込んでもらっても、実際に使ってみないと、身につかないじゃないですか」

「なるほどな、それはそうだ」


 笑い声を収めて、ミルークは納得した。もちろん、俺の本音は、別のところにあるのだが。


「あ、でも、今すぐってわけでもないですけど」


 今すぐ外に出してくれても、まだ旨味はあまりない。なにせ、「空き枠」が一つしかないのだから。

 この収容所内で「食い荒らす」のも手だが、残念ながら、周囲は子供だらけだ。たいしてスキルを持っているわけでもない。加えて、ここで急に能力を失う人間が出ると、確実にミルークに気付かれる。そうなれば、もともと挙動不審な子供だった俺に疑いがかかる可能性もある。


「ふむ、まあ、わかった」


 彼は、背筋を伸ばした。彼は穏やかな笑みを浮かべつつ、明るい声で言ってくれた。


「何れにせよ、お前には、私としてできるだけの教育を施そう。まだまだ、お前のフォレス語は不完全だ。それだけでも改善の余地がある。それと、もう少しいろいろ覚えたら、書類の整理から、商売のコツも叩き込んでやる。だが、ここは本来、完成した奴隷を育てる場所ではない。客の都合を考えれば、あまり私の色に染めすぎるわけにもいかない。それに、たった三年で商売の何もかもを教えるのも無理だ」


 ここで彼は、急に表情を引き締めた。


「私は、身の程を知っているつもりだ。お前が何者でも構わない。三年後のオークションで高く売れてくれれば十分だ。売れた後、一年くらいは真面目に過ごして欲しいが、そこから先は好きにしていい。……お前にも、今はまだ、ここで暮らすことの利益があるはずだ。違うか?」


 ミルークは、俺を侮っていない。いや、もしかしたら彼は、案外、いつも真面目に子供達と向き合っているのかもしれない。少なくとも今、彼は俺と『取引』するつもりだ。力で支配するのでなく、話し合って互いの利益を引き出そうとしている。俺としては、自分の秘密を話すわけにはいかない。話さなくてもいい。協力さえしてくれれば。彼はそう言っている。


「……違いません」

「いいだろう」


 ミルークは立ち上がった。俺も席を立つ。


「そろそろ、中庭に戻る時間だな」

「はい」

「昼食後には、ジュサが課題を持っていく。今日もしっかり学べ」

「はい。ありがとうございました」


 俺は奴隷の顔を作って一礼した。そのまま背を向けて、中庭へと歩き出す。

 だが、今の俺の興味は、ジュサの持ち込んできてくれる教科書にはなかった。もちろん、部屋の中の調度品にも。俺は一刻も早く、空き枠を使って試したいことがあったのだ。

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