歴史と常識のお勉強

「……よし、じゃあそろそろ前回の復習だ。大戦において、存続が許された六つの王家の名前を挙げてみろ」

「はい。フォレスティス、セリパシス、ワディラム、ポロルカ、チャナ、ワノノマです」


 人がいなくなった青空食堂で、俺はジュサと向かい合って座っている。周囲に人気はなく、静かな雰囲気だ。ただ、もう少しすると、木工の訓練のために、年長の子供達がやってくる予定だが。ちなみに、俺の座っている椅子も、ノートを広げるテーブルも、ここにいた子供達の作品だ。

 さて、ジュサによる教育は、当初、普通の子供向けのものだった。だが、俺の理解度のいびつさにすぐ気付いた彼は、方針を転換した。幼児を教育するというより、外国人奴隷を訓練するやり方に切り替えたのだ。確かに俺は中身が大人だから、言葉が不自由な一方で、ある程度複雑な概念であっても、そのまま受け入れることができる。普通の幼児みたいに、気が散ったりもしない。だが、この世界の常識は何一つ知らなかった。そういうわけでジュサは、歴史と地理を中心に、カリキュラムを組み立ててくれている。


「これら各国を征服し、それぞれの王家に自分の血筋を残した人物の名前は?」


 ああ、覚えているけど、答えたくない質問がきた。日本語で考えると、やけに恥ずかしい意味になるからだ。


「ファルス・ギシアン・チーレムです」


 千年も前の英雄らしい。この時代、今とは名前のつけ方のルールも違った。かつては、普段の呼び名と、基本的には目上の人など限られた人が呼んでいい正式な名前、それに一族の名称がついてきた。今は、一般人は、名と姓の二つがあるだけだ。ただ、奴隷には、名前しかない。これが貴族だと、名と姓の後に、初めて封じられた領地の名称がついてくる。まあ、フォレスティアやセリパシアでは、ということで、別の地域ではまた、ルールが少し違うのだが。


 それにしても、チーレムでギシアンか。いろいろとひどすぎる名前だ。

 これは現代日本の、それも一部でしか通用しないスラングだ。ギシアンとは、つまり性行為のことを擬音で表現したもの。チーレムとはチート、つまりイカサマと、ハーレム……文字通り女性を大勢侍らせること……を掛け合わせた造語だ。


 もっとも、彼の人生はこれを地でいく。女神の加護を受けた彼は、当時の六大王国を次々味方につけ、或いは敵対した相手は滅ぼしてから臣従させた。そして全世界の征服が済んだ後、各王家から一人ずつ姫をあてがわれ、その全員と結婚。その後、ギシアン自身は女神の招きを受けて女神の棲家とされる『天幻仙境』に昇ったとされるが、地上では、六大王国すべてで彼の子孫が王位を継承した。

 俺が今、暮らしているのも、旧フォレスティア王国のあった場所だ。今では三つの国に分裂しているが、そのうち二ヶ国が、このフォレスティス=チーレムの家系であると自称している。それほどまでに、彼は英雄視されている。俺の名前だった「ファルス」も、このギシアン・チーレムにちなんだもののようだ。


「ちゃんと覚えているようだな。よし、じゃあ、今の単語をそれぞれ、この紙に書いてみろ」


 そういって、灰色がかった紙を差し出してくる。俺はそれを受け取り、言われた通りに書き取ってみせる。書き終わると、ジュサはそれを受け取り、誤字がないか、目を紙にくっつけるようにして調べ始める。


「うん、よし、これでいい」


 このところ、文字も正確に書けるようになってきた。言葉もスムーズに出てくる。それはそうだ。俺は、じっと自分の手を見つめた。


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 (自分自身) (2)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、2歳)

・スキル フォレス語 1レベル


 空き(0)

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 フォレス語のスキルがついた。

 どうやら、努力して学んだり、鍛えたりすることで、普通にスキルは習得できるもののようだ。言ってみれば、魂に紐付けられた力の結晶のようなもの、ということか。一人の人が一年学んで習得できる程度が、1レベルなのだろう。

 ただ、そうすると、例えば5レベルとか、7レベルというのは、どれくらい修行を積めば到達できる水準なのだろうか。あの熟練の奴隷商人であるミルークが、たった七年しか業務経験がないとは考えにくい。むしろ、この世界のシステムからすれば、十代半ばには実務にかかわるようになるわけで、そうなると彼には三十年近いキャリアがある計算になる。

 ちなみに、前世で学んだ技術は、ここには反映されていない。日本語も、英語も、料理も、プログラミングも、全部。他はともかく、料理くらいはスキルが残っていてもよさそうなものだが……

 しかし、こうなると「空き」がないのが不安になる。空きがない、ということは、これ以上、スキルを習得できない、という意味だろうか? ただ、周囲の大人を見る限り、みんな、この空きの部分に大きな数字が入っている。加齢に伴って、枠も増えると考えていいかもしれない。

 その確認は、もうすぐできる。ここに来て三ヶ月半。あと三ヶ月あまりで、三歳の誕生日だ。


「じゃあ、復習の復習だ。ギシアン・チーレムに征服されたセリパシア帝国だが、指導者と、建国者の名前は?」

「指導者は、セリパス教の教祖であるリント・ロリノ・セリパス、建国者はその弟のヴェイグ・ウホート・セリパスです。聖女リントは生涯結婚せず、子供もいませんでした。また、ヴェイグには妻がいましたが、息子は生まれませんでした。それで、ヴェイグの娘婿となった貴族、トーリ家のハリ・サースが、セリパシスの姓を名乗って、共同体を引き継ぎました」

「完璧だな」


 セリパシアは、フォレスティアの西に広がる地方だ。非常に広大で、北は雪原、南は沼地と、非常に厳しい自然環境を抱えている。南北に挟まれた間の平地はそこそこ栄えているが、それでもフォレスティアよりずっと寒冷で、乾燥した地域だ。

 セリパス教は、この厳しい大地に適した宗教だったのだろう。創世の女神と同一視されることもある純潔と正義の神、モーン・ナーに仕え、自身も生涯未婚を貫き、自分の下に集めた少女達にも「清くあれ」と教えた聖女リントは、死後千五百年経っても、まだ一部の地域に信者を抱え続けている。


「じゃ、これはどうだ? セリパス教の最初の聖戦で、ヴェイグが立てこもった拠点の名前、こいつはどうだ」

「ディノブルーム城です」

「マジかよ……チラッと喋っただけなのに、なんで覚えてるんだ、お前は」


 興味関心が大きいから。一日中、他の仕事をしているジュサと違って、俺にはこれしか刺激がない。なんなら、授業の時間を倍にしてくれてもいいくらいだ。

 もっともこれについては、実は補講を受けている。借りた教科書を片手に、セリパシアの歴史を学んでいたところへ、ミルークが通りかかった。俺はちょうど、ヴェイグの挙兵についてのくだりを読んでいたのだが、それを見て、ミルークが改めて説明してくれたのだ。

 俺のいたリンガ村近辺は、ティンティナブリア領に属する。今、俺の暮らすエキセー地方の北だ。そして伯爵の居城であるティンティナブラム城は、もともとはギシアン・チーレムが、セリパシア軍の攻撃に備えて建造した要塞らしい。戦線が西方へと推移すると、この拠点は、彼の幕僚だったロージスの手によって、物資供給の中継地点とされた。もっとも、今では当時の建造物は、城の基礎部分以外残されておらず、あるのはほぼゼロから再建された城砦だけなのだが。

 この城の名前の由来は、はっきり判明しているわけではないが、一説には、セリパス教の聖地だったディノブルーム、つまり古ルイン語で「力強い狼」を意味する言葉に、古サハリア語で「大きい、偉大」を意味するタインをつけたもの、とも考えられているそうだ。タイン・ディノブルーム、それが訛って今の形になったというわけだ。

 まったく別の言語を繋ぎ合わせるなんておかしな話だが、当時、サハリア諸部族とセリパシア帝国は対立関係にあり、しかもサハリア人は公然とギシアン・チーレムの支持にまわっていた。この命名には、敵対するセリパシア帝国への挑発が含まれているというのだ。なるほど、多くの国々の言葉に通じたミルークならではの見解である。

 自分に関わる部分のある歴史だったから、自然と覚えてしまったのだ。


「学ぶのは楽しいですから」

「かーっ、お前、本当に二歳児かよ? なんかこう、皮をかぶった魔物かなんかじゃないのか?」


 当たらずとも遠からず、か。幼児の皮をかぶった中年だから。

 だが、魔物というキーワードには、気になるところがある。前から知りたかったことが、いくつかあるのだ。


「あの、魔物って、本当にいるんですか?」

「んあ? ああ、いるよ」

「見たことはありますか?」

「あるよ?」


 なんと。そんなに当たり前に存在するものなのだろうか。

 だが、リンガ村では見たことがないし、そういう噂も聞いたことがない。まあ、聞いていたとしても、理解できなかっただろうが。


「俺はもともと、いわゆる傭兵、冒険者だったからな」


 初耳だ。だが、そう言われてみれば、しっくりくるものがある。彼が剣を抜くところはあまり見たことがないが、木刀を構えて子供達にお手本を見せていたのは覚えている。素人目にも、あれはたいしたものだった。あそこまでできて、剣術のレベルが4しかないのか、と思った。となれば、最初に俺を斬り殺したアネロス・ククバンという男は、どれほどの手練れだったのか。


「そうだったんですか」

「あれ、こいつは言ってなかったかな? これでも一応、ジェードまでいったんだぜ?」


 ジェード、つまり翡翠だ。

 この世界でも、一年は十二ヶ月だ。ただ、呼び名は日本語や英語とは違い、宝石の名前を使う。この十二の宝石にはランキングのようなものがある。とはいえ、その宝石の実際の値打ちと、この格付けが、まったくイコールということはないが。これが生活のあちこちで当たり前のように使われる。

 この場合、ジェードということは、下から六番目、いわゆる中級冒険者の上のほう、と理解できる。


「じゃあ、かなりの腕前だったんですね」

「いや、正直に言うと、身の丈を超えていたな。少し欲張りすぎたよ」


 そういいながら彼は、椅子にふんぞり返り、ボリボリと左手で頭を掻く。少しは照れる気持ちもあるのかもしれない。


「トパーズへの昇格試験でな……まあ、依頼は達成したんだが、この通り、左腕がやられちまってな、一応、剣は振れるんだが、盾を使うとなるとな」

「すごいじゃないですか。依頼を達成したのなら、合格だったんじゃないですか」


 トパーズ、ということは、上級者の仲間入りと判断できる。一目置かれていいレベルだ。


「ああ、けど、仲間を魔物にやられちまってな。そんなんじゃ、昇格したいですとは言えねぇよ」

「そうだったんですか……」


 おっと。訊きたいことはもう一つ。うっかり忘れるところだった。


「では、あの、そういえば、魔法、というものは、実在するんですか?」


 アネロス・ククバンのスキルには、火魔術というのがあった。ならば、奴は魔法を使えたのだ。ゆえに、魔法は実在する。

 ただ、問題なのは、この世界における魔法の地位だ。中世末期のヨーロッパみたいに魔女狩りの対象にされてはたまらない。その辺りも含めての質問だ。


「おう。もちろん、あるぞ?」

「そうなんですか? でも、ここでは一度も見たことがないんですけど」


 そうなのだ。ミルークも、ジルも、ジュサも、他二人の守衛も、教師も。誰も魔法のスキルを持っていない。


「まあ、なあ。魔法の勉強なんて、そうそう誰にでもできるもんじゃねぇしな」

「そんなに難しいものなんですか?」

「難しいには難しいんだが、それより、金がかかってしょうがねぇんだよ」

「お金?」


 ジュサの説明によると、魔法というのは、学ぶにも使うにも、とにかくお金がかかるものなのだという。まず、学ぶためには、魔術書を手に入れなければいけない。だが、これがまた、高額なのだ。


 もともと、この世界には、魔法は存在しなかったそうだ。一種の超能力なら、あったとか。病気を治したり、空を飛んだり、いろいろできたらしい。だが、いつしか女神達の恩恵たる超能力は、ほとんど失われてしまった。今では、一部地域を除き、そうした神通力をもった人が生まれるのは、非常に稀だ。

 それがギシアン・チーレムが天上に昇ってからしばらく、女神達が『幸産み』をした結果、中央陸塊……現在はチーレム島と呼ばれているが……に石版が雨霰と降ってきた。その石版には、魔法の使い方が書かれていた。それは誰でも自由に読むことができた。

 ところが、その三百年後、国々の間で戦争が起き、中央陸塊も争乱に巻き込まれる。そのせいで、石版のいくつかは引っこ抜かれてどこかに運び去られ、いくつかは破壊され、またいくつかは、海の底に沈められた。魔法は強力な武器になり得たから、これは当然の結果だった。

 そうして生き残った魔法のいくつかは、書籍の形で生き残った。しかしながら、その中にはまがい物も少なくなかった。しかも、それを見分けるのは困難だったのだ。なぜか?


 実際に魔法を使える人間が少なかったからだ。これは魔術の知識があるかどうかだけでなく、それ以上に能力の問題も含めてのことだ。もともと、人間には、ほとんど魔力がない。呪文を唱えれば火の玉が大爆発……なんて、そんなに簡単にはいかないのだ。

 だから、魔術を行使する際には、手続きを踏む必要がある。いかにして不足する魔力を稼ぐか? 自分自身の技量を高めれば、低いレベルの魔術なら、少ない魔力で行使できる。術者の数を増やし、長時間かけて儀式を行えば、高度な魔法でも発動する。特別な道具や薬品を用いることで、魔力を一時的に高めることもできる。

 そうしたやり方についても、女神の授けた石版には、余さず書かれていたのだが、その大半が失われた。で、誰かが「こうすれば魔力を得られますよ」と書いたところで、それが本当かどうか、検証するなど、ろくにできやしない。結果が得られなかったとして、その原因が、術者の実力不足にあるのか、手続きの誤りにあるのか、判断できないからだ。

 なので、既に確立されたやり方でやるしかないのだが、そうなると必然、正確な情報には高い値段がつけられる。魔法薬の材料などについても同様だ。また、ものによっては、いくら金を積んでも、手に入らないものもある。既に失伝した術を別としても、本当に強力な魔法の中には、どこかの貴族の門外不出の技術になっていたりする。軍事機密といっていいものだから、まず教えてもらえない。


 もっとも、日常生活に役立つとか、仕事に使えるといった魔法は、低ランクのものであれば、存在自体は一般人にもそこそこ知られてはいる。だが、その程度だ。

 ゆえに、魔法を好きなだけ勉強できるのは、貴族の子弟か富裕な商人、またはその従者達に限られるといって、まず間違いない。夢のない話だが。しかし、ものによっては、低レベルの魔法で、生活に役立つものであれば、庶民であっても学ぶ機会が得られる場合がある。


「……そういうことなんですね」

「なんだよ、お前、魔法に興味があるのか」

「え、あ、はい。一度は使ってみたいと思ってしまいますが」

「やめとけやめとけ。それより、せっかくそんだけ頭いいんだから、普通に商人とかにでもなっとけよ。金を貯めりゃ、自分を買い戻すのだって、できるかもしんねぇぞ?」


 手をひらひらさせながら、ジュサはそう言った。

 確かに、奴隷の身分のままでは、魔法なんて、夢のまた夢か。まずは何より、自分の立場の向上を目指すべき。それはそうに違いない。


「おーい、ジュサ」


 守衛の一人がやってきて、手招きをした。ジュサは途端に起き上がる。


「そろそろ、ほれ、馬の……」

「ああ、時間か」


 ジュサは、いつも馬の散歩を担当している。運動させないと、健康にもよくないし、ストレスにもなる。第一、いざという時、役に立たないからだ。

 授業のあとの、僅かな雑談タイムも、これで終わりか。


「よし、ノール。それとその教科書、持ち込み許可は取っておいてやった。次はさっきちょっと話した、諸国戦争のところだぞ? 予習しとけよ! じゃあな」


 気付けば結構な時間が過ぎていた。建物の上をかすめる太陽の光も、やや翳ってきている。

 借りた本を片手に、俺も席を立った。

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