少年奴隷の序列

 木箱を引きずってきて、水場の前に置く。そこで台の上に乗って、俺は自分の食器を右側の水槽に沈める。さて、と腕まくり。食事は楽しみだが、その後片付けは憂鬱極まりない。特に冬場はそうだ。前世と違って、温かいお湯がどこでも手に入るわけではない。冷え切った水の中に手を入れて、汚れを落とすのだ。洗い終わったものは、右側の水槽に入れる。あとはざっと洗剤らしきものを流して、おしまいだ。

 ここで食事をするのは奴隷だけで、その後始末も奴隷がする。今、この収容所にいる奴隷は、俺を含めて三十一人。その全員の食器を俺が洗っている。

 冷える手に痛みを感じはするが、つらそうな仕草は、あえて見せない。思えば前世でも散々味わったことでもあるし、我慢しなければ、余計にいやな思いをするだけだからだ。


「ノール」


 後ろから声がかかる。聞き覚えのある、低い声色。


「はい、旦那様」


 俺は作業の手を止めて、振り返ろうとして、一瞬、硬直した。顔だけ向けるのはよくない。今、洗っている最中の皿を水槽に戻し、目の前のタオルで手早く手を拭いてから、注意して木箱から降り、それから振り返った。オマケにお辞儀までしてやった。

 目の前には、ミルークが立っていた。


「ここだったのか」

「はい」


 彼は訝しげな表情を浮かべている。左右を見回し、周囲に他の人がいないか、探しているかのような素振りをした。


「何か仕事を割り振られているとは思ったが……お前が洗いものを片付けるのか」

「はい、そう決めていただきました」


 奴隷の所有権は、今のところ、すべてミルークにある。だが、命令権はというと、部分的にはその部下達に委譲されている。ジュサやジルの他にも、二人の守衛と、一人の教師がここにいるのだ。彼らは職能に応じて、それぞれ必要に応じて、奴隷達に指示をする。だが、本当に細かい部分はというと、奴隷達の自治に任せている。だが、これが曲者なのだ。

 一応のガイドラインならある。あまり小さな子供には刃物を持たせないとか、火に近付けないとか。だが、だいたいのところは年長の奴隷が決めてしまい、幼い子供達はそれに従う他ない。結果、危険は少ないが、苦労の大きい作業がまわってきたりする。


「毎日、か?」

「はい」

「お前にその作業を割り振ったのは」


 俺はわざと言葉を濁した。


「先輩方、です」


 本当は、先輩方、などではない。

 ウィカクスは、現在、九歳の少年だ。顔中そばかすだらけの、鼻持ちならないガキ大将なのだが、こいつが男の子達のリーダーに任命されている。

 どういうわけか、俺が入所してからというもの、いつも目の敵にされてきた。そのせいもあってか、俺は北側の小部屋に移されている。大部屋ではこいつと一緒に寝ないといけなくなるから、とてもじゃないが、眠れやしないのだ。


「……なるほどな」


 ミルークは、溜息をつきながら、こめかみに手をあてた。


 ミルークは奴隷商人だが、その主要な取り扱い商品は、子供だ。これは様々な経験から、彼が決めた方針によるらしい。

 子供には、メリットとデメリットがある。まず、メリットとしては、力が弱く、大人に逆らえないところだ。突然の脱走や反乱を恐れなくていい点は、非常に大きい。また、仕入価格が安いのも、無視できない。これが何かの特殊技能を持った大人が奴隷となった場合、仕入価格と販売価格の差額は、決して大きくならない。だが、子供であれば。この前のシュガ村のように、あぶれた末っ子を厄介払いしたい家なら、いくらでもある。それを教育して付加価値をつけて売るとなれば、利幅は大きい。

 デメリットも、少なからずある。まず子供は、簡単に死ぬ。見た目もよく、丈夫な子供を仕入れないと、食費ばかりかかって、ろくに育たなかったりする。

 教育にも手を抜けない。ミルークが仕入れる子供は、たいてい三歳から四歳だ。そこから二、三年の訓練期間を経て、まだ幼いうちに売り払わねばならない。お得意様は、貴族や大商人だ。見目良く、しっかり躾けられた、頭のいい子供……もちろん、労働力としては半人前だが、それで構わない。こうした富裕層は、売られてきた子供達に、再教育を施す。そうして幼い奴隷達は、そこの家に忠誠を尽くす執事やメイド、番頭になっていく。

 金貨五枚で買われた俺だが、三、四年後にオークションにかけられる時には、少なくとも金貨五百枚以上で売られるはずだ。またそれをミルークも期待している。この、金貨五百枚という数字は、都市部の中産層の年収に匹敵する。


 だが、この年齢を超えても、実は余程のことがない限り、奴隷の値段が跳ね上がることはない。それは、買い手が変わるからでもある。

 幼い子供は、所有者が自分色に染めることができるのもあり、能力に比較して高い価格が設定される。だが、七歳を超えるとなると、そろそろ職業訓練を始めなければならない。農民として、商人として、鍛冶師として、その他なんでも、需要のありそうな技能を選んで修行を始めさせる。そうでもしなければ、大人になった時点で、使い物にならないからだ。

 そうなると、次の買い手は、富裕層の一段下、実際に作業を監督する立場にある人達になる。会社で言えば、社長とか会長ではなくて、それこそ部長とか課長とかに相当する人間が、人員補充のために一定のスキルを持つ奴隷を購入したい、と上層部に陳情するわけだ。或いは、そこそこ金のある開拓農民あたりが、奮発して手を出す。

 将来への期待もあって高く買われる子供達とは異なり、十歳前後の子供は、仕事を覚え始めた奴隷として扱われる。この段階でも、うまくすればその家とか、組織の中で、重要な立ち位置を与えられる場合もあるが、その可能性はぐっと下がる。ある程度の技能があるのなら、転売だって容易だ。そうしてあちこちの家を渡り歩いた奴隷に、誰が大事な仕事を任せるだろうか。生え抜きの奴隷とは、違った目で見られるのが普通なのだ。

 これが十五歳を超える奴隷となると、それはもう悲惨なものだ。そこまで一度も売れなかったとしたら……そんなことはまずないだろうが、これといった技能もないなら、もはや力仕事くらいしかない。鉱山労働などに送り込まれて、劣悪な環境下で、早々に死んでいく。もちろん、奴隷としては安値で、ほとんど犯罪奴隷並みの価格でしか取引されないから、自分のところの子供がそんな風になったら、ミルークとしても大赤字だ。

 もっとも、これが女であれば、少しは違ってくる。見た目さえそこそこよければ、娼館あたりに売れるからだ。もっとも、これも高級なところには買い取ってもらえない。本当に上等な美人で、躾けもしっかりしているなら、少女の段階で金持ちに囲われるだろうからだ。まあ、男の奴隷よりは安定して売れる、という程度だろう。


 そういうわけで、ミルークの奴隷収容所にも、何人か、売れ残りがいたりする。今のところ、最年長で十歳だ。自分が売れ残っている自覚があるだけに、内心は荒れている。それでいて、ここでの生活経験は長いし、年長者ということで力も立場も強いから、子供達の取りまとめも任されている。実際のところ、彼らが人に指図できるのは、長い人生でも今のうちだけだ。たとえそれなりの職業能力を身につけても、余程の幸運がなければ、現場から現場へと渡り歩くばかり。その仕事ができるうちは使ってもらえるが、そうでなくなれば鉱山送りという、夢も希望もない未来が待っている。自然、態度は横暴で、理不尽な命令を下すようになる。

 そして恐らくだが、ミルークはそれを黙認している。半ば意図している、といってもいいだろう。そもそもどこに買われていこうと、奴隷に対する主人の要求は、理不尽なものなのだ。だから早々に慣れてもらわねばならない。しかし、これだけたくさんの子供がいると、いちいち傍について、そんな教育もしていられない。だから、お山の大将の陰湿なイジメも、訓練の一環と考えて、あえて放任しているのだ。

 ただ、それも程度問題ではある。過酷すぎる作業に幼い子供を投入して、傷でもつけられたら、たまったものではない。


「字は書けるようになったのか」

「はい、おかげさまで、今、教科書の八割くらいが終わりました」

「計算は……できるんだったな」

「はい」

「読み書きに問題がなくなれば、また別の仕事を割り振るつもりだ」

「ありがとうございます」


 あと三ヶ月ほどで三歳になる俺だが、ミルークからすれば、規格外の子供に見えるらしい。言葉こそ、たどたどしかったものの、他は問題ない。問題ないどころか、とんでもなかった。

 それはそうだろう。大人の思考力を持ち、前世で基本的な数学を学んでいて、しかも五年くらいはプログラマーとしても働いた経験がある。一方、こちらの世界の人間の標準的な計算能力となると、せいぜいが足し算と引き算くらい、それも自然数の計算程度しかこなせない。小数点や分数、負の数、関数といった概念を使いこなせるのは、ごく一部だ。

 だから、ミルークからすれば、俺は期待できる商品だ。それが、出来損ないどもの手によって壊されてしまっては、あまりにもったいない。ある程度は、頭を抑えつけるためにも、周りから依怙贔屓されていると見られないためにも、きつい扱いをしてもいいのだが、限度がある。

 だから、俺の読み書きが完璧になったら、きっと事務作業にまわしてもらえるようになる。まあ、少々やり過ぎたかもしれない。自分に値打ちがあるのだとアピールしておかないと、扱いが悪くなるかもしれないと思ったのだ。


「もうすぐジュサがくる。しっかり学べ」

「はい! では、先に洗い物を片付けさせていただければと」


 ミルークは手を振りながら、一歩下がった。作業に戻ってよい、という意味だ。俺は一礼して、また木の箱の上に立った。

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