箱庭の中の商品

 陽光の差し込む中庭で、俺はぼんやりと空を眺めていた。青空に、ちぎれた綿飴みたいな雲が途切れ途切れに飛んでいる。きっと上空では、ものすごい速さで風が吹いているのだろう。だが、この中庭は、外界から遮断されている。外からの冷たい風が流れ込んだりはしない。


 周囲をロの字型に囲まれたこの建物。それこそ二十一世紀の日本に戻ったのではないかと錯覚させられるような、真四角の建造物だ。窓も真四角。中庭から見える範囲では、そのすべてが開け放たれている。しかし、そのような窓があるのは、二階以上だ。

 ふと、視線を地面の高さに戻す。そこに広がる中庭の風景は、ひどく殺風景なものに思えた。というのも、すべての領域が必要に応じて切り分けられていて、そこに余裕のようなものが一切見られないからだ。この中庭は作業場であり、訓練場でもある。


 この建物で、一番恵まれた場所は、南側だ。理由は簡単で、日差しが入るからだ。そういうわけで、南側の三階は、主人とそれに近い立場の人間が起居するスペースになっている。二階は、商談スペースだ。そして一階はというと、今、俺の手前に見える大きな門があって、その左右は物置になっている。この門の扉だが、実は二重になっている。目の前にあるのは分厚い木の扉だが、その向こうには、別に青銅製の扉が控えている。ちなみに、木の扉の閂は、中庭側ではなく、向こう側にある。


 この建物に出入りする方法は二つある。一つは目の前の二重の扉を通り抜けること。主人が馬車に乗って遠出する場合には、ここを通る。大きな四頭立ての馬車が通り抜けられるほどの大きな門だ。幅も高さもある。二階といっても、実際には普通の建物の三階くらいの高さだろう。

 もう一つは、主人の部屋に入ることだ。或いは商談用の部屋でもいい。建物の南側には、別途、階段が設けられており、そこからならすぐ、商談用の部屋に入ることができる。その廊下を通れば、三階の主人の部屋にも辿り着ける。また、一階の門の閂を外しに行くにも、ここを通らねばらない。それらの領域と、二階、三階の中庭側の渡り廊下を繋ぐのは、間に設けられた一つの部屋で、そこに出入りするには、やはり頑丈な鉄格子と二重扉を通り抜けなければいけない。普段は厳重に施錠されている。


 いや、強いて言えば、もう一つだけ、ここから出入りする道はある。下水を辿るのだ。ここの主人が、俺達と一緒に食事を摂ることはない。だが、彼も人間だから、水も飲むし、用を足しもする。だから、そのための煮炊きは、別途、南側の主人のスペースで行うことになる。

 下水が建物の外に出ているのは、南西の角、地下からだが、これは内部に石で仕切りがあるため幅が絞られていて、子供一人すら通り抜けられない。だが、建物南側の二階、三階からの下水については、それぞれ東側、西側の真ん中辺りに一本ずつ、石の柱が物置の間に据えられていて、そこを通って、地下の下水に繋がっている。つまり、柱付近の敷石を剥がして、下水スペースに入れば、主人の部屋の真下に出られる計算だ。但し、敷石の向こう側には、簡単ながら鍵のついた鉄格子の扉があり、そこを超えても一階と二階の間には、出入りを妨げる鉄格子の床がある。年に一度の大掃除とやらで、たまたま中を見たのだが、特に頭上の鉄格子を仰ぎ見る石の柱の中には足がかりもなく、どうあれそのままでは登れそうにない。


 一階の東側は炊事場と青空食堂、洗濯場になっている。北側には、馬などの家畜小屋が設置されている。西側はトイレと、ゴミ置き場だ。だから西側の二階は、一番、人気のないスペースだ。幸い、俺の部屋は別の場所だが。


 で、中庭はというと、それぞれ用途に応じて、区分けがされている。中庭の外周部分は、馬車や人の通る道だ。そこを渡ると、様々な作業スペースが真四角に区切られている。例えばすぐ目の前、北側には、小さな畑と、花々、果樹が植えてある。別に食料の自給自足が目的ではない。庭に彩りを添えるためでもない。単にこれらの手入れの方法を学ぶためだ。だから、いつ剪定されてもいいような、丈夫な低木が植えてあったりする。

 その向こうには、何もないスペースが広がっているが、ここにももちろん、目的がある。一部の選ばれた人が、ここで木剣を使って戦闘訓練を積むのだ。他にも、木工場や鍛冶場なども、小さなものではあるが、設置されている。

 そういうわけで、とにかく用途のみ、目的のみの空間なので、なんとも味気ない。それでも、日差しのぬくもりを味わうなら、ここに陣取るしかない。北側の二階に自室があるのだが、中庭との間に渡り廊下があるせいで、あまり日光が届かないのだ。それに、あそこには寝床しかない。殺風景なのは、ここと一緒だ。なおかつ、出入りをするには許可が必要になる。


 そう、出入りするだけなのに許可が必要で、ボディチェックも受けなければいけない。中には、様々な道具がある。本物の剣や槍は置かれていないが、鍛冶に使うハンマーや、木工に使う小刀などならある。ロープや火打石といった実用品もあるから、勝手にそれらを持ち出せないようになっているのだ。だから、建物の二階にあるそれぞれの寝室に向かうには、北側の二階、階段の上で武装して待ち受ける二人の男の間を通り抜けなければいけない。

 もっとも、この二人の見張りが立っているのは、あくまで日中のことだ。夜間はというと、階段のすぐ隣にある宿直室に、老人が居座っている。


 俺は今、その階段に腰を下ろして、日光浴を楽しんでいるわけだ。さすがに二歳児には、仕事の予定も、教育の計画も、みっちり詰められていたりはしない。まあ、その分、退屈ではある。話し相手でもいてくれればいいのだが、みんな忙しい。第一、俺自身、まだフォレス語をうまく話せない。昼飯の後に、ジュサが俺に読み書きを教えてくれることになっているので、今からそれが楽しみだ。

 なんだかんだいって、ここの暮らしは、そこまで悪くはない。ちゃんと一日三度の食事も与えられるし、教育もしてもらえる。理不尽な暴力にさらされることもない。気に入らないのは、実のところ、一つだけだ。つまり、俺の両手両足に嵌められた、金属の輪っか……手錠と足枷だ。


 馬車での旅の最終日、俺は遠目からこの建物を見た。そして、ジルが俺に手錠を嵌めようとするのを見て、無駄な抵抗と知りつつ、暴れてみた。力で彼らを振り切れると思ったわけではない。自分には、手錠を嵌められたり、刑務所に閉じ込められたりするような罪状などない、という意思表示だ。

 俺を取り押さえながら、ジュサは複雑な表情を浮かべた。そうだ、お前は何も悪くない、とまで言ってくれた。なら、どうして、という問いに彼はこう言った。


「お前は○○になったんだ」


 その言葉の意味がわからなくて、問い返すと、ジュサは少し考えてから、別の言葉で表現した。


「だから、その、お前は売られたんだ。ティック家から、金貨五枚で」


 売られた? 金貨五枚? ティック家?

 俺が目を丸くしていると、ジュサは横に腰を下ろして、ゆっくりと説明してくれた。


 俺が兵士達に殺されて川に捨てられた日。元の肉体に入れ替わってからも、結局は川の水の冷たさに力尽きた。あれから俺を乗せた木の板ごと、どこかの川べりに投げ出された。そのまま死んでいくはずのところを、たまたま通りかかった人間がいた。それがまだ六歳のティック家の息子と、四歳の娘だ。

 ティック家、とはいったが、別に由緒ある貴族とか、そういうわけではない。どこにでもいる、普通の農民だ。ついでにいえば、ティックという姓は、この地域ではまったく珍しくもない。彼らは、俺のいたリンガ村の住人ではないし、特に交流もなかった。

 最初、ティック家の両親は、息子が拾ってきた幼児を見て、捨ててくるように言ったそうだ。凶作の影響はこの辺り一帯に広がっていて、ティック家の人々にとっても、それは深刻だった。見知らぬ子供を助けるだけの余裕など、なかったのだ。

 だがそこで、俺にとっても、ティック家にとっても、幸運が舞い込んできた。噂が流れてきたのだ。つまり、近くに奴隷商人が来ているという。

 貧農にとって、奴隷商人というのは、憎たらしい相手でもあると同時に、ありがたい人でもある。つまり、家族を売りに出す相手だからだ。そうしなければ一家は飢え死にするが、喜んで我が子を差し出す親もいない。だが、この時のティック家にとっては、まさに天の恵みだった。

 果たして、そこへミルークとその一行が通りかかった。ティック家の両親は、自分達の子供だといって、俺を売り飛ばそうとした。だが、そこはやり手のミルークだ。俺の容姿を見て、彼らの実子ではない点を指摘した。返答に困った彼らは、親戚の子供を預かったのだと言い出した。だが、そうなると、両親の許可を得ずに俺を売ろうとしていることになる。それは違法だから、とミルークは引き下がろうとした。

 それでは困る。ティック家としては、どこの馬の骨とも知れない無駄飯喰らいを育てるつもりなどない。ほんの二日前に拾ったばかりの子供を、その場で売り飛ばせるなら、と思って、家に置いておいたのだ。困り果てた彼らに、ミルークは、養子縁組の提案をした。かくして俺は、シュガ村のチョコスと名付けられ、ティック家の一員となった。ちゃんと養子縁組申請書には、家長であるナイススの署名もされている。そして、その場で売買が成立した。結局、ティック夫妻は、かなり買い叩かれたことに不満を抱いてはいたが、それでも臨時収入にホクホク顔だったという。一方、俺を拾ったという少年とその妹は、悲しそうにしていたとか。


「だから、遅かれ早かれ、お前は売られるしかなかった。さもなければ、死んでいたはずなんだ」


 ジュサは、いかつい顔に沈痛な表情を浮かべて、そう説明した。

 それでようやく納得がいった。俺が目覚めてから、ミルークは早速話しかけてきた。意識がないままの俺を買い取ったのだから、彼としてもいろいろな不安要素があったはずだ。それでも、金貨五枚程度なら、博打に使ってしまってもいいと思ったのかもしれない。この辺りでは滅多に見かけない黒髪、しかも肌は白いから、サハリア人でもない。これだけでも十分、異様な存在なのだ。もしかすると、とんでもない拾い物かもしれない。並みの子供だったとしても、外見は悪くないから、高値で売れる可能性もある。一方、状態が状態だから、すぐに死んでしまうことも考えられた。

 果たして、俺の反応は、ミルークをそこそこ喜ばせはした。彼は俺について、利発な子供、という印象を抱いたに違いない。一方、面倒な反抗心も既に持ち合わせていた。これはうまく取り除いていかないと、困ったことになる。

 なんといっても、あの時点で、俺の身分は既に「奴隷」だったのだから。


 そう、奴隷だ。金銭でやり取りされた時点で、俺は自由民としての資格を失っている。こうなってしまってから、いくら抗議しても無駄だ。

 死んだも同然という顔をした俺に、ジュサはなおも根気強く説明をしてくれた。奴隷といってもいろんな種類がある、お前の場合は譲渡奴隷だから、そこまでひどい扱いにはならない、ちゃんと食事も与えられるし、教育だって受けられる、将来的には解放される可能性もある、と元気付けてくれた。彼は、顔こそ凶悪だが、根はいい人なのかもしれない。

 ともあれ、俺は諦めて、手を差し出した。ピアシング・ハンドの能力を使えば、ジュサやジル、ミルークを一瞬で殺害して、金品を奪って逃げ出すのも難しくはないかもしれない。だがそれでは、村から逃げ出したのと、さして変わらなくなる。俺には、この世界についての知識がない。言葉すら自由に話せない。立場は最低といえど、もう少し辛抱したほうがいい。それに、俺はまだ、自分の特殊能力について、十分に理解できていない。頼り切るには、不安があった。

 さっきから表情をまったく変えないジルは、黙って俺の手足に、黒い手錠と足枷を嵌めていった。普通の鉄でできた代物で、鎖を通すための輪っかはついているものの、実際にはそれ以上、拘束されることはなかった。

 そうして俺と他の子供達は、ジュサの指示に従って、開かれた門を通り、この収容所に入った。以来、まだ一度も外を拝んでいない。


 日も高くなってきた。気がつけば、炊事場のほうから、おいしそうな匂いが漂ってくる。そろそろ昼か。

 俺は立ち上がって、並べられた木のテーブルに向かって歩き出した。

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