第二章 収容所にて

馬車の旅

 ……ここはどこだろう?

 見えているのは、青空ではなかった。あまり日の差さない建物の、木の天井。周囲には、藁の匂いが充満している。

 窓はないから、外が見えないが、ひっきりなしに天井を叩く雨音、立ち込める湿気で、周囲の状況をそれと知る。

 意識にうっすらと靄がかかったような状態だ。起き上がろうとして、全身がずっしりと重いのがわかる。腕も足も、みしみしと悲鳴をあげている。


 ……あれ? 確か、川の上で溺れかけていたんじゃ……

 ここは不安定な木の板の上ではない。俺の体も濡れてない。安っぽいボロ布で覆われているが、そのおかげで温もりさえ感じている。


 ……夢? もしかして、さっきまでのことは……?

 安心感からか、また圧し掛かるような疲労感が押し寄せてきて、俺の意識を断ち切った。


 次に目覚めたのは、痛みと振動からだった。それに、騒音もある。

 一応、床には毛布が敷いてある。だが、時折、木の床ごとひどく振動するので、横たえている体に痛みさえ感じる。これはどういうことだろう?

 目を開ける。頭に毛布がかぶさっているようだ。それをそっと取り除けながら、周囲を見回す。

 見えたのは、足だった。いわゆる体育座りという奴か。子供達が膝を抱え込んで腰を下ろしていた。表情は見えない。それにしても、この振動の中、そんな風に座っていたのでは、かなり尻が痛いだろうに。

 起き上がってみた。先に目覚めた時より、ずっと調子がいい。筋肉痛のようなものは残っているが、それも微かだ。空腹感はあるが、睡眠はたっぷり取れた。

 だが、問題はこの状況だ。俺が起き上がっても、周囲の子供達は表情を変えない。俺に興味がないかのようだ。奇妙に思って、声をかけようとしたところで、足元が一際激しく揺れた。

 自分の背中のほう、揺れる布の隙間から光が差すのに気付いて、そちらを注視する。風景が流れていた。曇り空の下、小石だらけの路面がどんどん遠ざかっていく。ということは、今、俺は……馬車の中にいる?

 だが、なぜ? 俺は最後に、何をした? 記憶が正しいなら、確か、俺は水面に浮かぶ木の板に掴まって、川の下流に流されていったはずだ。そこで意識が途切れた。秋の終わりの寒々しい空気の中に、濡れた体をさらしていたのだ。幼児の貧弱な体力では、あのまま死んでいても不思議はなかった。

 ということは、誰かが俺を発見し、拾って保護してくれたのだ。それはいい。だが、どうしてこんな馬車の中に? 他にも子供達が大勢いるのは、どうしてだ? 気になるのは、彼らの表情だ。この年齢の子供にありがちなものが、何一つない。遊んだり、騒いだり、はしゃいだりという行動がまるでなく、代わりにただ黙って座っている。これは異常だ。

 一つの危難を抜け出した安心感が、徐々に薄れていった。新たな問題が浮上しつつあると気付いてしまったからだ。


 振動が徐々に小さくなる。そうして完全に馬車が止まった。

 砂利を踏みしめる音が聞こえる。勢いよく、馬車の後ろの幌を跳ね上げる。光を背にした男の顔は、よく見えなかった。


「出ろ。飯だ」


 低い、しゃがれた声だった。

 この一言に反応して、子供達は、よろよろと立ち上がった。そして、順番に外に出て行く。俺もこうして、意識を取り戻したのだから、従うべきだろう。まして、食べ物をくれるというのなら、尚更だ。

 幌を潜り抜けて足元を見ると、青みがかった灰色の小石がたくさん散らばっていた。それにしても、馬車の車高が思った以上に高い。大人なら簡単に飛び降りられるのだろうが、この二歳児の体で、いけるだろうか? だが、助けおろしてもらえそうな雰囲気でもない。意を決して飛び降りた。


「いっ……」


 案の定、すっ転んだ。どうやら、思った以上に衰弱しているようだ。確かに、リンガ村から抜け出してから、どれくらい時間が過ぎたかはわからないが、俺が最後に食べたのは、あの痺れ薬入りの麦粥だ。なるほど、力が出るわけもない。


「何してぇんだ、てめぇは」


 俺の様子を見ていた大人の男が、声を荒げて、近寄ってきた。背こそ高くはないが、いかつい感じの男だ。よく鍛えられているに違いない。年齢は四十前後、しみやそばかすだらけで、つぶれたカエルを思わせる顔立ちをしていた。髪の毛の色はこげ茶色で、まぁ、この辺りにいそうな感じだ。

 黒っぽい皮の上着に、同じく皮のズボンをはいている。足元はブーツだ。そして、腰には幅広の剣を下げていた。武器を携帯している……それだけで俺は即座に恐怖を感じた。


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 ジュサ・トリコロマ (39)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク4、男性、39歳)

・スキル フォレス語 6レベル

・スキル サハリア語 2レベル

・スキル 商取引 5レベル

・スキル 剣術  4レベル

・スキル 盾術  3レベル

・スキル 料理  1レベル

・スキル 裁縫  1レベル

・スキル 農業  4レベル


 空き(31)

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 この前、俺を殺そうとした男と比べれば、数段、弱そうに見える。だが、油断は禁物だ。手を伸ばして肉体を奪ってしまえば……いや、この場合、剣術の能力を奪ってしまえば、安全なのか?

 だが、俺があれこれ考えているうちに、男は俺のシャツを掴んで、引き起こした。


「どこにも怪我はねぇな? おい、どこか痛ぇところがあったら、言え」


 あれ? 心配されている?

 これは邪推しすぎたな。考えてみれば、俺を殺す気であれば、寝ているうちにでも斬ってしまえばいい。そもそも、俺がこうやって相手の肉体を奪ったりできるということも、こいつが知るはずはない。彼にとっての俺はただの二歳児、痛めつけようと思えば、いつでもできる。


 しかし、だ。それにしては、周囲の子供達の様子に納得がいかないのだ。もしこいつが、顔に似合わず、恵まれない子供達を守るいい人だったなら、もっと子供達も彼に懐くはずだ。しかし、そんな様子は微塵もない。

 子供達は、飯だと言われて外に出てきた。見たところ、年の若い、それこそ三歳くらいの子は、その場で突っ立っているだけだ。しかし、五歳くらいとなると、もう働いている。ほどよいサイズの小石を拾い集めてきたり、近くの木々から乾いた落ち葉や木切れを拾ってきたり。この手際のよさは、なんだろう?


「てめぇはまだ、ろくに動けそうにねぇな……よし、いいか、あっちだ。あっちで、他のガキどもとおとなしくしてろ。いいな?」


 命令に従っている限り、彼が俺を傷つけることはあるまい。おとなしく、俺は指し示された場所に行き、そこで座った。

 そこでやっと周囲を見回す。辺りは森の中だった。小川の近くに砂利道があり、そこに馬車が止まっていた。俺は今、馬車を背に、日向に座っているが、少し先には、大きな石がごろごろしていた。大雨が降れば、この辺りまで川が広がるのだろうか。

 天気は薄曇り。足元の小石そっくりに、いまいちぱっとしない空模様だった。


 俺の様子を見届けるとその男、ジュサは、周囲を忙しく見回す。子供が何人もいるのだから、目が離せないのもわかる。と、その時、馬車の先頭のほうから、二人の男が姿を見せた。鋭い目つきの中年男と、やはり眼光の鋭い若者。いや、髪の毛は短めだが、よく見ると、あれは若い女だ。俺は、そいつらを見て、息を呑んだ。

 二人は、黒髪で、浅黒い肌をしていた。俺を斬り殺したあのアネロス・ククバンという奴と同じ人種なのだろうか?

 彼らは、何事か話しながら近寄ってくる。まず、若い女のほうだが、俺が一瞬、男と見間違えたのも無理はない。髪の毛はベリーショート程度の長さだったし、軽装とはいえ、皮の胸当てを装着している。すらっと伸びた手足にも、獣のような精悍さがあった。そして背中には矢筒を背負っていて、左手に弓を携えている。短めの曲刀も下げているから、普通に戦える人なのだろう。

 いきなり襲ってきたりはしないだろうが、中身を把握しておく必要はありそうだ。


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 ジル・ウォー・トック (15)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、女性、15歳)

・スキル サハリア語 5レベル

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル 商取引   3レベル

・スキル 剣術    4レベル

・スキル 格闘術   3レベル

・スキル 弓術    5レベル

・スキル 隠密    3レベル

・スキル 房中術   1レベル


 空き(7)

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 レベルの基準がいまいちわからないから、なんとも判断しがたいが、たぶん、年の割には、かなりできる人に違いない。

 だが、もう一人の年長の男が、見た目通り、命令する立場にあるようだ。彼は、白いローブをかぶっており、その上にゆったりとした、真っ赤な外套を羽織っている。そして、頭には太く短い円筒形の帽子を載せている。

 顔は目鼻立ちが整っており、黒い顎鬚がほっそりと伸びている。一見して、上品そうな風貌だ。その様子は知性を感じさせると共に、威厳も兼ね備えている。だが、その視線の冷たさが、どうしても気になった。

 俺は、再び意識を集中した。


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 ミルーク・ネッキャメル (42)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、42歳)

・スキル サハリア語 6レベル

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル シュライ語 4レベル

・スキル ルイン語  4レベル

・スキル 政治    3レベル

・スキル 商取引   7レベル

・スキル 格闘術   4レベル

・スキル 弓術    6レベル

・スキル 騎乗    6レベル

・スキル 隠密    3レベル

・スキル 房中術   2レベル


 空き(31)

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 どうやら、この男は商人らしい。いったいどこの世界の言葉かは知らないが、いろいろな地方の言語に通じているようでもある。

 となると、連れ歩いている女は、彼の娘だろうか。だが、姓が違う。ならば、親戚筋の娘を預かって修行させている? 顔立ちも似通っているところがあるし、いちいち確認するまでもなく、そんなところだろう。どうせ俺の目で見極めたところで、名前と年齢、能力しかわからない。


 火にかけられた大鍋の中で、野菜と、僅かな肉が煮えていく。やった。かなりまともな食事だ。こんなの、リンガ村にいた頃には、何度も食べられなかった。

 たぶん、目の前の食事は、特別贅沢なものでもないのだろう。なにせ旅の途上だ。リンガ村はかなり貧しいところだったし、その中でも、うちは格段に貧乏だった。その上、生活費の大部分が酒に費やされ、両親とも息子に関心がなかったから、俺が今まで口にしていたのは、本当に命をつなぐぎりぎりのものだった。

 最初に見かけた中年男、ジュサが大鍋からお椀に盛っていく。中身は肉と野菜入りの麦粥だ。子供達が並んでいる。俺も一番後ろにまわった。差し出されたお椀を両手で包むようにして持つ。温かい。木の匙も突っ込まれている。俺は、他の子供がそうしているように、馬車の横、日差しを浴びているほうの地べたにしゃがみこんで、与えられた分を食べ始めた。

 薄過ぎる味付けだった。塩を節約しているのだろうか。あと、温度が高すぎる。舌が火傷するかと思った。それから、スープを作るのに、あんなに盛大に沸騰させてしまってはいけない。同じ素材でも、もうちょっと工夫すれば、ずっとおいしくなるはずなのに。

 だが、そんな問題点の数々は、頭で認識できても、不満にならなかった。食べるのに夢中だったからだ。思えばこの一ヶ月もの間、俺の主食はゴキブリだったのだ。

 食べ終わった。じっくり味わったつもりだったが、一瞬で終わってしまった気もする。久しぶりに、腹が温かい。吐き出す心配もいらない。ごちそうさまでした。


 満ち足りた顔をしていたと思う。食べ終わって一息ついた瞬間、頭上に影が差した。

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