第4話 甘い悪夢でおやすみ

 真っ暗な視界の中、頬に触れた柔らかい感覚に瞼を開くが、相変わらず、真っ暗で何も見えなかった。


「悪い。少し手間取った」

「……ハコビヤさん?」


 その声は、とても懐かしくて、好きな声だった。


「今日はね、パンケーキ作ったんだ。お姉ちゃんが持ってるから、鳥さんが食べ尽くしちゃう前に急がないと」

「……お前が作ったんじゃないなら、いらないよ」


 前と変わらない優しい声色。


「じゃあ、何か作ろっか」


 お菓子を作るのは好きだ。


「うん。でも、その状態で作れる?」

「大丈夫! 手はあるもん」

「そっか。キャンディはすごいね」


 なにより、ふたりは私が作ったお菓子をうれしそうに食べてくれるから、もっと楽しくなる。


「でも、その前に、場所を変えようか」

「……」

「イヤ?」


 バカな私でもハコビヤさんの言っている言葉の意味は分かる。

 この言葉に頷いたなら、お姉ちゃんとはお別れになる。


 それはきっと、お姉ちゃんの命が無くなるのと、ほぼ同じ意味だ。


「お姉ちゃん、そんなに大事?」


 瞼を優しく撫でる指に、小さく頷いた。


「お姉ちゃんがいなかったら、私はずっと昔に、今みたいになって、きっと死んでたもん」


 理性を奪う甘い香りに誘われ、シュガーウィッチを貪る人間の姿を何度も見た。

 ここにいるのも、自分とお姉ちゃんの命を守るため。


 ここにいるのが、お姉ちゃんにとって、一番安全だから。


「なら、今までの分は、十分返したと思うよ。今度は、キャンディの行きたい場所に行って、好きなことをしよう」


 今度は、俺とアイツも一緒だ。


 優しく撫でられる手に触れようとして、包まれた温かさに導かれ、触れた体を抱きしめた。


「うん。そうやって離さないで。俺はハコビヤだから、君をどこにだって運ぶよ」


 耳元でそっと囁かれた言葉と共に、温かさが体を包み込んだ。


*****


「キャンディ! 思った以上に早く売り切れちゃったから、追加で――」


 勢いよく、重い扉を開けたカンタリラの目に入ったのは、離れているにもはっきりと血生臭い香りが漂ってくる黒い男と、男に抱えられた両足と両目を失った妹キャンディの姿。


 妹の表情はわからない。

 だって、自分であの美しく輝く目を取ってしまったから。


 だが、男の表情はよくわかった。

 ひどく冷めきった目でカンタリラを見つめていた。


 これまで散々見てきた欲に溺れ、甘い香りに誘われた人間の目ではない。憎悪と蔑みの目だ。

 そんな目を向けられたことはなかったが、それでも、これから起こるであろうことは、簡単に想像がついてしまった。




 テーブルに腰掛けながら、黄金色のシャンパンの入ったグラスを煽っていた金髪の男は、その足音に目をやっては、心底嫌そうな表情を向けた。


「んげェ……お前、なにその恰好。俺が血が苦手だって忘れたのかよ」

「知るか。悪魔だろ。血ぐらいでギャーギャー騒ぐな」


 足元に散らばっている人間を、邪魔そうに避けながら近づけば、キャンディもその声に顔を向けた。


「鳥さん?」

「おっ! キャンディ! ひさしぶり! って、うっわ……足と目取られたの? 最悪じゃん。取った張本人は?」

「アリにでも食われてんじゃないか?」

「ふーん……ま、それならいっか」


 グラスに残ったシャンパンを、最後の一滴まで飲み干すと、グラスを捨て、キャンディを抱えようと伸ばされた”鳥”と呼ばれた金髪の男の手は、空を切った。


「?」

「……」


 不思議そうに首を傾げるキャンディに、見えないことを良いことに何も言わず、明後日の方向へ顔を向けるハコビヤへ、中指を立てておいた。


「……喧嘩してる?」

「そんなことネーって。ただハコビヤの奴が大人げなくて、俺が大人ってだけ」

「どこが大人だ」

「ハァ~~? お前よりは大人です~~!」


 暴れる物音はしていないが、以前のキッチンで行われていたやり取りを見ていたから、何をしているかはなんとなく想像がついた。


「あんまり暴れないでね」


 仲が良いことはいいが、それだけは伝えておいた。


「それで、ハコビヤさん。どこいくの?」


 ふたりの声と、体温だけしか感じない。

 今が、昼か夜か、屋内なのか屋外なのか、それすらもわからない。

 頼りは、鼓膜を揺らすふたりの声と、手に触れる感覚だけ。


「キッチン。何か作ってくれるんだろ?」

「ハ!? ずっる!! 俺も! 俺の分も!!」


 だけど、心地よいその声と温かさだけで、十分だった。

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シュガーウィッチの餌付け 廿楽 亜久 @tudura

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