第156話:枠の外へ

 魂というものがなにで構成されているのかを理解し、僕自身の魂の書式を読み解き、『言葉』がどのように個人を構築しているのかを解読した。


 いまの時点でも、ある程度どんな術式を使えば、肉体や魂に影響を及ぼすのかもわかっている。ライカンスロープを作る真似事くらいなら、出来る自信もある。


 しかしこれは、相手が自分自身だから、自分の裡に潜って、自分の『魂』に接触することが出来ただけだ。現にいま、僕の視界には、いままで通りの物理的な光景だけが映っている。ウリエラやマズルカたちの魂なんて、ちっとも見えやしない。


 見えないものに手を加えることは出来ない。


 では魂を観測するにはどうすればいいか。もうそれもわかっている。エレメンツィアという前例がいる。つまり、ゴーストになることだ。


 正確には、肉体の魔力密度を極度に薄めた霊体状態になることで、視覚が物理的な光を捉えるのではなく、世界の根幹である『言葉』の層を認識するのだろう。


 ともあれ、僕がゴーストになれば、死者たちの魂に直接干渉できるということだ。


「もう魂に術式は書き込んであるんだ。それを起動すれば、僕はゴーストに」


「ダ、ダメですそんなこと!」


 なれる、と言い切る前に、ウリエラに腕を掴まれて止められてしまった。


「え、ダメ?」


「ダメに決まってるでしょ! なに考えてるのマイロくん!」


 サーリャまでものすごい剣幕で食って掛かってくる。


「でもいまのところ、他に手がないし……」


「だからって! それじゃあ、わ、私たちはどうなるんですか!」


「え?」


 どうなるって、別にどうにもならないけれど。


「ひどいよマイロくん! 私たちのことは絶対見放さないなんて言っておいて!」


「ま、待って待って! なんの話!? 二人ともなに言ってるの!?」


 ウリエラもサーリャも、どうして突然取り乱し始めちゃったの!?


 訳も分からず混乱していると、右肩を静かに叩かれた。マズルカだ。


「マイロ、お前、死ぬつもりなのか?」


「え、死ぬ? なんで?」


 いったいどこから、そんな話が出てきたって言うんだ。


「ゴーストになる、と言ったのはお前だぞ」


「言ったけど、それが……」


 あ、まさか。


「いや、違うよ!? 死んでゴーストになるなんてつもり、毛頭ないからね!?」


「違うのですか……?」


 違うに決まってる!


「で、ですが、死なずにゴーストになる方法が……?」


「あるよ! あるっていうか、厳密には違うけど、とにかくみんなのことを放り出して死んだりするはずないでしょ!」


 僕が死んでしまえば、僕に紐づいている死霊術の術式は、すべて解除されてしまう。つまりウリエラたちは、またただの死体に逆戻りだ。そんなことするはずない。


 途端に、力が抜けたウリエラが、その場にへたり込んでしまった。


「お、驚かさないでください、本当に……」


「びっくりし過ぎだよ。僕、そんなに死にたがってるように見えるかな」


「マイロ様は、ときどき怖くなるほど、生と死の境界があいまいです……」


「自分も死者になろう、って言い出さないのが不思議なくらいだよね」


 どうやら僕は、全然信用がなかったらしい。


 いくら生者に辟易している僕でも、死んだら出来ないことの区別くらいはついている。まだ僕は、生者でいなければいけないんだ。


「ということは、マイロ先輩は、生きたままゴーストになるつもりですか?」


 にやにやと笑いながら聞いてくるアンナは、絶対に面白がって成り行きを見ていたに決まっている。恨めしさを籠めて睨みながら、結論はその通りなので頷いて返す。


「別に、死んで『空白』と繋がろうってワケじゃないから、厳密にはアンデッドとしてのゴーストになるわけじゃないんだけど。ようは、肉体の状態を書き換えて、霊体になるつもりなんだ」


 僕自身の魂を読み解く限り、魂とは、ある個人が見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、触れたもの、食したもの。それぞれに対して抱いた、悲喜や好悪の反応。そうした記憶情報の集合体だ。記憶が感情を作り、人格を形成している。


 個人を定義する記憶情報……つまり『言葉』が魂であるが、肉体は肉体で、物質としての形を『言葉』によって定義されている。両者は独立しているのだ。だから死霊術で魂を別の肉体に入れても、魂によって肉体が作り替わるようなことはない。


 いままで、ここが問題だったのだ。


 生きたまま霊体化しようという試みは、記録にも残されていた。だが、ひとたび肉体を物体として構築する『言葉』に手を加えた途端、肉体はそのまま霧散して消失してしまっていた。


 例えるなら、肉体をはじめとした物体は、『言葉』という枠の中に満たされた水だ。その枠を外しても形を保てず、散らばってしまうのは想像に難くない。


 ではどうすれば水を、つまり魔力を魔力のまま霊体として維持できるのか。


「魂が『言葉』だって理解したうえで、エレメンツィアを観察したらわかったよ。魂には、どんな肉体で生きていたかって記憶も残されている。その情報が、内側から魔力を引き留めて、霊体を構築していたんだ」


 逆に、改変した魂の情報を、肉体を構築する『言葉』に上書きしていたのが、ライカンスロープということなのだろう。


 いずれにしても、参照元さえわかってしまえば、これまで不可能だったゴーストのリビングデッドを作ることだってできるはずだ。


 ともかく、あとは術式を走らせるだけだ。そうすれば僕は、肉体を失った魂たちを見ることが出来る。


 けれど、そんな僕の腕を、冷たい手が掴んだ。


「理屈はわかりました。ですが、マイロ様。もしそれが成功したら、私たちはもう、マイロ様に触れることは出来なくなってしまいます」


「安心して、ずっと霊体でいるつもりはないよ。あくまで霊体になるのは、死者の魂を観測するためだ。術式は、肉体と霊体を切り替えられるようにしてるからさ」


 少しほっとしたように、ウリエラの表情が緩んだ。一方で、険しい、あるいはすがるような顔をしているのは、マズルカだった。


「マイロ、成功したなら、その」


「わかってる。まずはポラッカの魂を探す。きっと近くにいるはずだよ」


「……頼む」


 さあ、いよいよだ。僕は次のステージへ踏み出すことになる。


 練り上げた魔力を、僕の内側に刻んだ術式に通していく。魔力が駆け巡って、僕の中と外を繋いでいく。裡へ裡へと作用していく。


「マイロ先輩。あなたはいま、生きながら生者としての規範からはみ出そうとしています。どうか見届けさせてくださいね。境界にたつあなたの姿を」


 感極まったようなアンナの声を聞きながら、術式を起動させる。


 その瞬間、僕が


 あ、まず   こ


 ぼくが


 消    え


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