第155話:目覚め

 最初に戻ったのは、目が覚めたな、とぼんやり考える意識だった。


 寝ぼけた頭が、自分の状態を再認識していく。どこかに横たわっていて、身体には毛布が掛かっている。周囲に誰かの気配。たぶんだけれど、僕自身の精神世界とかではない。現実的な気配。


「マイロ様……?」


 耳馴染んだ声に、まだ少し重たい瞼を開ける。視界は滲んでいたけれど、目の前にいるのが誰かくらいは、すぐに分かった。


 少し恐れていた、『言葉』で構築された世界は、幸い見えなかった。


「おはよう、ウリエラ」


 少し前にもこんなことがあったな、なんて考えながら挨拶すると、胸元に重みが飛び込んできて、僕の身体は寝床に押さえつけられた。少し前にはなかったことだ。


 視線を降ろすと、ぼんやりとした視界を染め上げるのは、輝く黒。ウリエラの黒銀の髪が、僕の胸にめり込まんばかりに押し付けられている。


 目を瞬かせ見つめていると、黒髪が勢いよく持ち上がり、ウリエラの顔が現れた。


「マイロ様!」


 赤い目は吊り上がって、目じりに涙を浮かべながら、怒っていた。


「は、はい」


「本当に、本当に心配したんですからね!」


「う、うん。ごめんね……?」


「何日も何日も、休みもせずに、憑りつかれたように禁書に読みふけって、かと思えば、突然頭を抱えてもだえ苦しみ始めて、意識を失ったんですから!」


 僕、そんなことになっていたのか。想像するに、アンナに聞いていたよりだいぶ重症に思えてくる。そりゃあ、心配もかけようというものだ。


「それに、アンナさんに聞きました。マイロ様の中にいた私たちは、みんな自分の力を高めることに躍起になっていたって」


「ええっと、まあ、あれは僕自身の気持ちの反映だって言われたけど……」


「どうしてそうなるんですか!」


「ぅえふっ!」


 拳で胸を叩かれた。普通に苦しい。


「いや、だって、みんなを強くしてあげられないのは、僕の未熟だからで」


「あのな、マイロ」


 ウリエラの後ろで腕を組み、マズルカが不機嫌そうな目を僕に向ける。サーリャもその隣で、頬を膨らませている。さらにその後ろでは、兄さんが面白そうな顔をしながら、頭の後ろで手を組んでいた。


「お前が倒れてから、ウリエラはずっと休まず看病をしていた。こうして寝床を拵えて、お前が少しでも身体を休められるように心づかっていたのは、サーリャだ」


「うん……」


「それにアタシは。確かに、力が欲しい。ニノンをこの手で縊り殺してやりたい。聖騎士団とやらを、全員引き裂いてやりたいと思っている。けれどお前が倒れて、少し頭が冷えた」


「その、ごめん」


「いいから聞け。ポラッカを奪われたことは、今でもはらわたが煮えくり返っている。だがポラッカも、そしてアタシも、もうとっくの昔に死んでいた身だ。アタシたちを繋ぎ止めていたのは、お前なんだ」


 それは、そうだ。僕が死霊術でゾンビにしていたのだから。


「だからマイロ、もう一度ポラッカを取り戻すために、アタシはお前を守る。お前はいつ死ぬかわからない、生きた人間なんだからな」


 言い切るとマズルカは、大きく息を吐いてそっぽを向いてしまった。


「そうでなくても、これ以上家族を失うなんて、ごめんだ」


 家族。


 そうだった。僕らは家族なんだった。忘れていたわけではないが、どこか僕から一方的にそう思っているような、責任を感じているような気になっていた。


 これまであまり、誰かに家族として身を案じてもらう経験がなかったものだから。


 呆気に取られていると、頬をつねられた。痛い。


「なにするのサーリャ」


「私はショックだよマイロくん。私たちが自分のこと優先で、マイロくんのこと気にかけてない風に思われてたなんて」


「別に、そんなことは考えてないけど」


「一番ショックなのは、マイロくんがマイロくんのことを、全然考えてないこと」


 あなたは、どうしたいの。


 自分がない人は、誰の主にもなれない。


 まったくもって返す言葉がない。


「うん。反省してる。ごめんね」


「……わかってくれたなら、いいんだけど」


 僕はみんなに想ってもらっている。そのことを、もう少し素直に受け止めよう。でなければ、僕の行きつく先は、あのなにもない暗い地下室なのだから。


「マイロは女心がわかってないね」


 そう言って兄さんは笑うけれど、それだけはこの先も、理解できない気がした。



 みんなの心配を素直に受け止める、とは言うものの、あまりのんびりしているわけにもいかないのが実情だ。


 申し訳ないとは思いながら、もう少し安めというみんなを押し切って、僕は寝床を起き上がって書庫に出る。


 アンナは待ち構えていたように、僕を出迎えた。傍らにいるエレメンツィアは、僕の想像していた通り、およそ覇気というものの感じられない、虚ろな目で立ち尽くしている。


「なにか掴めましたか、マイロ先輩」


 いつも通り、アンナの紫の目が細まり、唇が吊り上がる。


「おかげさまで。魂をどんな『言葉』が構築しているのかは、だいたい掴めた」


 個人を定義する情報の集合体。それが魂だ。この世界のあらゆる物質と同じように、それもまた『言葉』によって構成されている。


 僕は魔術師だ。『言葉』の構成さえわかれば、どこに手を加えられるかも見えてくる。僕がいま望む力を手にするために、なにを書き込めばいいのかも。


「さすがですね。それで、マイロ先輩はその知識を、どう使いますか?」


 もちろん、もう決めている。


「僕は、ゴーストになる」

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