第154話:扉を開けて

 魂という『言葉』を認識し、書き換え、死者の力を得る。死者たちの王になるために、そのためにまず自分の魂を読み解こうとして。


 出てきたのが、こんなちっぽけな僕自身だなんて。


 人の気持ちなんて、さっぱりわからないと思っていたけれど、どうやら僕は、僕自身の気持ちすら理解できていなかったらしい。


 暗がりが忍び寄ってくる。僕を取り囲んで、暗い地下室に繋ぎ止めようとする。


 怖い。当然だ。これは、僕自身の恐怖だ。目の当たりにすると、よく理解が出来てしまう。足がすくんでくる。僕も膝を抱えて、丸くなってしまいたい。


 自分自身なんて、誰より信用ならない。誰かを踏みつけて嘲笑って、平気で他人から奪っていく”生きた人間”になんて、僕はなりたくない。善や悪なんて知らないけれど、僕は、僕の線引きだけ守っていたい。誰かを踏みにじって喜ぶ連中と同じ存在にだけは、絶対になりたくない。


 だから怖かったんだ。


 死者たちの王にならないかと、最初にアンナに持ち掛けられたときから、ずっとそうだ。あれだけ忌み嫌っていた奪う側の人間になることが、あんまりに怖くて。答えを先延ばしにして、書庫に引きこもっていた。


 いまもそう。


 これから触れようとしている大きな力と、それを扱おうとする自分に怯えて。


「冗談じゃない」


 それで今度は、三日も自分の中に引きこもってたって? いつこの階層まで地上の奴らが来るか、教会の奴らが来るかわからない、このときに?


 こんな悠長なことをしていられるほど、僕たちに余裕なんか残されちゃいない。それが分かっていなかったから、ポラッカを失ったっていうのに。


「いいご身分だよね。手に入れてもいない力の使い道に悩むなんて。だいたい、魂を書き換えて相手の感情まで操るなんて、出来るかどうかもわからないことに怯えていられる立場なの?」


 自分でも身勝手だと思うけれど、見せつけられた恐怖への怖れよりも、情けない自分の姿に腹が立った。客観視させられると、卑屈な心根というものは、こうも苛立たせられるものだったとは。


 兄さんも、幽閉されていた僕に、よくもまあ根気強く話しかけてくれたものだ。


 そりゃあ僕だって、例えば心を閉ざしているエレメンツィアを見捨てたりしようとは思わないけれど、これが自分だって言うなら話は別だ。


「僕らは外に出る必要があるんだ。もうこれ以上、僕らは僕らだけで完結はできない。教会はすぐにでも攻め入ってくるよ。連中にとっては、邪悪を成敗して、権威を拡大する絶好の機会なんだから。対抗するには、数と質を揃えるしかない」


 このまま引きこもっていたって、早晩擦りつぶされて終わるだけだ。


 踵を返し、地下室の扉へ向かう。僕が求めるものは、あの先にある。


「っ!?」


 足が止まる。なにかに、固く引き留められている。見下ろすと、人形たちが僕の足首にしがみついて、地下のより暗い方へと僕を引きずろうとしている。


「また強要するんですか。私たちの気持ちを無視して、都合のいい人形にして」


「お前は自分の言いなりが欲しいだけだ。アタシたちみたいな」


「甘えさせてくれる人が欲しいだけだもんね。力や責任なんて、邪魔なだけ」


「こ、の……離して……!」


 進めない。小さな人形たちがしがみついているだけのはずなのに、両脚が地面に縛り付けられたみたいに、ちっとも動こうとしない。


 僕はこんなところに留まっていられない。


 なのに、動けない。人形たちだけじゃない。暗い影が。地下室の影そのものが。僕自身が僕に絡まりついて、僕を恐怖の中に繋ぎ止めようとする。


 やめろ。


 離せ。


 いやだ。


 僕は力なんていらない。ただみんなといられればそれでいいんだ。責任なんて負いたくない。王になんてなりたくない。ただ、僕を受け入れてくれる人と、一緒に過ごしていられればそれでいいのに。どうして戦わないといけないの。


 ああもう。


 冗談じゃない。


「冗談じゃない!」


 振り払う。絡みついてくる僕自身を振りほどこうと、手も足も、めちゃくちゃに振り回す。いやだ。離せ。行きたくない。力が必要なんだ。力なんていらない。


「いい加減にしてよ!」


 大声を出すと、少しだけ身体が軽くなった。


「みんなとはいたいけど、力は欲しくない? ただ自分を受け入れてほしいだけ? そんなの恐怖ですらないじゃないか。ただの自分勝手なわがままだ! 甘えるのもいい加減にしてよ!」


 怒りを声に出すと、身体が自由になる。ますます声を大きくすると、人形たちも、影に染まった僕も、狼狽えたように地下室の隅へ下がっていく。


「生きてる人間みたいに、他人から奪うのも嫌だって? 誰かを踏みつけるのが嫌なら、地上の連中や教会のもとに下るか、連中の食い物にされるしかない。でもそれも嫌だから、ここにいるんだろ!」


 僕は生きているんだ。生きている以上、誰かから奪わないと、生きてはいられない。それがこの世界の摂理だ。腹立たしいけど、それは変えられない。


 だからって死を選ぶことは出来ない。みんなを投げ出すことになる。ここまで一緒に来てくれたみんなを、それこそ裏切ることになる。


 それに、なにより。


「みんなを人形のように扱うのも嫌だなんて。だったらいまはどうなんだ! 外で僕を待ってくれているみんなの気持ちも無視して、自分の都合のいい操り人形にしてるのは、そっちじゃないか!」


 人の心なんて、誰のものも信じられない。みんなが隠している本音があったとして、それを見てしまった自分がどうするのか、確かに信じられない。


「でも僕は、信じるしかないんだ! 僕と一緒に来てくれたみんなを! 僕がいいって言ってくれたウリエラや、マズルカや、サーリャを。それにポラッカを! 信じて報いるために、この先に行くんだ!」


 認める。


 僕はただ、僕を受け入れてくれる人に甘えていたい、それだけだ。でもいまのままじゃ、それすら許されない。


 だから、先に進むんだ。どんな手を使ってでも、どんな力を使ってでも、どんな責任を負ってでも、地上の人間たちに対抗する力を手に入れる。


 僕は僕のための、安住の地を作る。僕のための国だ。そして、生前は居場所を作れなかった、ウリエラたちのための場所。


 僕は卑屈で、わがままで、自分勝手だ。そんな人間でも安寧に過ごせる地を作る。誰からも奪わなくていい、誰も踏みにじらなくてもいい場所。生者には成しえない世界。死者たちの国だ。


 僕は、死者たちの王になる。


 もう影は、地下室の隅に固まった、煤汚れのような有様だ。それも僕だ。情けない、名前も生き方も借りものの、何者でもない僕。


 いまはもう違う。ウリエラたちがいる。それだけじゃない。


 僕はマイロだ。


 幽閉され、踏みにじられ、名も命も奪われ続けた、たくさんのマイロたち。彼らのためにも、もうここを出て行かなくては。


 地下室に背を向け、扉に手をかける。辿り着くのにあんなに苦労した扉は、呆気ないほど目の前にあって、拍子抜けするほど簡単に開いた。


 その先に、僕は見た。


 僕という魂を構築する『言葉』たちを。

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