第153話:心の檻

 暗い。


 最初に抱いた率直な感想が、それだった。目を焼かれるような強烈な情報量を覚悟していたのだが、真っ先に飛び込んできたのは、指の先さえ覚束ない、陰鬱な暗がりの景色だ。


 どこか覚えのある暗がりだった。僕は、この暗さを知っている。


 だんだん目が暗さに慣れてくると、周囲の様子がぼんやりと浮かんでくる。どうやら屋内のようだ。石造りの壁に囲まれた、狭い室内。戸は固く閉ざされ、床の片隅に申し訳程度の毛布が敷かれてる以外は、家具のひとつも見当たらない。


 地下だ。すぐに思い至った。ここは地下室だ。ガストニアの墓地の、墓守の家の。


 部屋の隅に、小さな影が蹲っている。膝を抱え、背を丸め、顔を伏せた子供。その周りにはいくつか、見覚えのある姿をした人形たちが転がっている。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。ひとつ、足りない。もうひとつあるはずだった。


 失くしたのか。いや。


「奪われたんだね」


 これは、僕だ。前髪の隙間からわずかに覗く目は、エレメンツィアのそれと同じ、光を灯さない空虚な球だった。


「また、奪われたんだ」


 蹲ったままの僕は答えない。きっと、そんな気力もない。


「名前も、名誉も奪われて、次は家族を」


 なにもない。


 この暗くて、なにもない地下室が、僕そのものだ。自分が本当は、どこの誰だったかもわからないまま、死者たちに囲まれていた。


 名前は借り物で、地下を出たあとも、惰性で冒険者を続けていた。なんの目標もなかった。ただ生きているから、生きていただけだ。


 それすらも嫌になって、ひとりきりでダンジョンに引きこもろうなんて、バカなことを言いだして。


 だけど。


「なにしてるのさ。大事な家族を奪われたのに、膝を抱えて蹲ってるだけなの?」


 このまま黙っていたって、奪われたものは戻ってこない。立ち上がって、前に進んで、もっと大きな力を手に入れなければ。


 なのに僕は、どうしてこんな暗い部屋に引きこもっているのか。


「……寂しい」


 初めて、うずくまっている僕が口を開く。小さくてか細い、幼い声。


 少し恥ずかしいな。


 僕ってこんなに子供だったんだ。


「知ってるよ。でも今は、みんながいるでしょ」


 だからウリエラについてきてもらった。マズルカたちと仲間になって、サーリャまでやってきて、僕らは家族になった。


 僕の望みは、ここにいていいよって、ただそう言ってもらうことだった。


 ウリエラが、マズルカたちが、僕の家族になって、叶えてくれた。


 でも。


「無理やり従わせていただけだ」


 蹲った僕が、虚ろな声で言う。


 妹を、命を人質にして、言うことを聞かせているだけよ。


 いつか言われた言葉だ。マズルカにも同じことを心配していた。ただ死体を人形にして、遊んでいるだけなんじゃないかって。


「ふざけないでよ、そんなこと、」


「ないって、言い切れますか?」


 黒髪の人形の顔が、僕を見ていた。


「死体に無理やり閉じ込めた魂に、もう一度死にたくなければ言うことを聞け、って少しも思っていないって言い切れるんですか?」


「ウリエラ……」


「私があなたに、恐怖で従っているだけじゃないって、言い切れるんですか?」


 青灰色の髪で、獣の耳をつけた人形が僕を見る。


「アタシは妹のために従っていた。妹を守ることも出来ないお前に、これ以上従う理由がどこにある」


 金髪の人形が僕を見る。


「私は行くところがなかったから来ただけ。他に居場所があれば、こんなところに来なかった」


「僕は、独りだ」


 蹲ったままの僕が、ますます強く膝を抱きしめて、顔をうずめる。


 やっとわかってきた。


 これは、恐怖だ。僕の恐怖。なにも持たない自分。家族になったと思っていたみんなは、ただの操り人形。そんなみんなから見放されて、独り膝を抱えている。


 それが僕なのか。


 みんなの声に怯え、なにも持たない自分に怯え、膝を抱えて小さくなっている。


「違う」


 僕たちは家族だ。誰がなんと言おうと、家族になった。みんなを人形になんかしてないって、そんなこと思わせないように責任を負うって決めた。


 なのになんでいまさら、みんなに怯えたりしてるんだ。


「だって、誰の心も信じられない」


 僕の声がする。


 ああ、もう。


 聖騎士フレイナ。君の遺した傷跡は、僕自身が思っていたよりも、ずっと大きかったみたいだ。


 死者にだって心がある。だから、僕を殺そうとする死者だっている。僕を裏切る死者だっている。死体は正直で、魂の求めるところに素直で。だから魂が求めなければ、僕のもとに下ったりはしない。


 僕は死霊術師だ。


 死体を縛ることは出来ても、魂を操ることは出来ない。


 できなかった。これまでは。


「そっか、そういうこと」


 僕はいま、魂を読み解こうとしている。理解して、書き換える術を手に入れようとしている。新たな力とは、そういうことだ。生者たちに対抗できるだけの、死者たちの力を得るための方法。死者たちに力を与える方法。


 死霊術師として、肉体を超え、魂を統べる術を開拓しようとしている。


 もしもそれで、みんなの魂を読み解いたとして。


 僕への気持ちを知ってしまったら。表には出していなかった、本当の心を知ってしまったとしたら。僕はそれを、書き換えずにいられるだろうか。


 ダンジョンに現れるモンスターたちが、行動原理を書き換えられているように。


 つまり、そうか。


 僕がなにより信じられない、なにより恐れている相手は。


「僕自身か」


 笑ってしまう。


 生きた人間は信用できないって、常々思っていた。


 生きた人間は、生きるために奪う。他者を糧として生きていく。そういう風に出来ている。他の生き物のの血と肉を喰らい、他の人間の財産を喰らい、生きていく。


 やがてそれだけでは飽き足らず、死者の尊厳すら奪っていく。


 他でもない僕自身が、その生きた人間だというのに。


 だから僕は、恐れているんだ。僕の後ろにあるこの扉を開いて、魂の『言葉』を読み解くことを。


 三日も寝込んでいるらしい、それが理由ってわけか。


 ほんと、笑える。

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