第151話:違和感

 なにか、妙な気がする。


 魂。その人の本質を定めるもの。記憶を持ち、人格を定義するもの。肉体を動かす動力源。触れえぬもの。


 ずっとそれを、不可侵の領域のように扱ってきたが、死者たちの上に立とうとする以上、肉体を持たない魂たちに接触するために、それがなんなのか知る必要がある。


 だから、グラストンの荘園での決定的な敗北からこちら、躍起になってイルムガルトの書庫を駆け回り、新たな知識と力を得ようとしてきた。


 ライカンスロープの話から、ようやくそれがなんなのか、見え始めてきた。


 調べてみるとライカンスロープは、遥か古代の魔術師が、人間に獣の能力を付与しようとしてできた、失敗作なのだという。そしてその魔術師は、肉体ではなく、対象の本質にアプローチしていたそうだ。


 本質。魂だ。


 生き物は肉体を持って生まれたとき、同時に魂が発生する。魂は、肉体が営みを繰り返す中で経験を蓄積し、その生き物の核を定めていく。記憶であり、記録であり、本質となる。


 それが魂。


 つまり魂は、情報なのだ。だから書き換えができる。


 いや、もっとふさわしい言葉があるはずだ。魂とは……。


「あ、あの、マイロ様。大丈夫ですか? あまり、根を詰めすぎない方が……」


 なにか妙な気がする。


 僕はもう、それがなんなのか、知っている気がする。なのにどうして、ライカンスロープの成り立ちを調べるなんて、遠回りをしているのだろう。


 僕は死者たちの王になると決めた。奪われたものを取り戻すために。これ以上、僕らからなにも奪わせないために。


 もっと他に、やるべきことがある気がする。とっくに跳び越えた道を、わざわざ辿り直しているような、そんな気持ち悪さがある。落ち込んでいるみんなを励まして、疑問を一個ずつひも解いていって。


 必要なことかもしれないが、いまはそんな悠長なことを言っている場合か?


 なにがなんでも力を手に入れて、死者たちを統べるべきでは? そして、僕らからすべてを奪ったあいつらを。


「マイロ様?」


「え、あ、ごめん。なにか言った?」


「いえ、その……どうか、ご自分を見失わないでください」


 やけに物憂げにそう言って、ウリエラは顔を伏せる。どうしたのだろう。僕は、僕だ。いままでずっと、変わらずにここまでやってきたつもりだ。


 でも、いつまでも変わらずに、のんびりなんてしていられない。


「マイロ」


 いつからそこにいたのだろう。後ろには、亡霊が立っていた。生気なく透けた身体。光のない目。エレメンツィア。


「エレメンツィア。どうしたの?」


「私は、もう行く」


 本当に、突然だった。


「行くって、どこに」


「どこでもいい。もうここにいる意味がない」


「待って、ダメだよそんなの!」


 ひとりでここを出て行ったところで、そりゃあ、滅多なことでは危険な目に遭うこともないだろうけど。でも、ゴーストだって無敵じゃない。魔術師や、ましてや教会の人間にでも遭遇してしまったら。


「もう、終わりにしたい」


 エレメンツィア自身が、それを望んでいるのだとしても。


「ダメだって! もう少し時間をくれって言ったでしょ。僕はきっと、君のことも」


「そう言ってもう、何日経つの」


「何日って、まだ……」


 何日、経ったんだろう。


 ダンジョンの中は昼夜の変化もないし、アンナが用意してくれる食事だけが、唯一時間の経過を感じられる。エレメンツィアと話してからは、アンナとは……。


 あれ?


 本当にそうだっただろうか。もうずっと、アンナの顔を見ていない。食事を摂った記憶もない。書庫に戻ってきて、どれくらい経っている?


 いや、いまはそんなこと、どうでもいい。


「聞いてエレメンツィア。僕は君のこと、見捨てるつもりはないよ。君は拠り所を失くして、自暴自棄になってる。でも君も居場所をみつけられるように、僕は死者たちの王になる。だから」


「自分がどうしたいかも、わからないのに?」


 水をかけるような声だった。


「僕が、どうしたいか?」


「あなたは、なにがしたいの」


「だから、僕はっ」


「死者たちの居場所を作って、あなたは、なにをするの」


 僕は。


 僕には、なにもなかった。夢も、望みも、自分の名前すらもなかった。僕はこの世界に、生まれてすらいなかった。


 唯一、そんな僕のそばにいてくれたのが、死者たちだった。僕が僕で在ることを赦してくれた、唯一の存在。


 だから僕は、彼らの、彼女たちの居場所になりたい。


 死者たちのために。


 でも。


「自分がない人は、誰の主にもなれない」


「ま、待って!」


 エレメンツィアは踵を返し、立ち去ろうとする。


 立ち上がって、駆け寄って、手を伸ばした。ほとんど何も考えていなかった。腕を掴むことも出来ないなんて、わかりきっていたのに。


「エレメンツィア、あっ」


 伸ばした手は、当然のようにエレメンツィアの霊体をすり抜け。


 勢い余った僕は、身体ごと霊体の中に飛び込んで。


「 、 ッ」


 世界が、『言葉』に変わった。


 削り出された木材から為る書棚。羊皮紙、インク、革、金具からなる書物たち。床も壁も天井も幽閉されているイルムガルト自身の魔力によって稼働する魔術式によって構築され破壊すること能わず変更すること能わず再編すること能わず迷宮そのものがイルムガルトの牢獄であると同時に枷として機能し彼のものの保有する魔力量によって内部を灰を祓うものの試練の場として


「あ、か……ぁァ……ッ!」


 なんだこれ。マズい、ダメだ。


 見るな見るな見るな見るな見るな。


 頭が割れる。目が焼き付く。許容量を遥かに超える、見るべきではない情報が網膜に焼き付けられる。


 世界の形が見えてしまう。


 世界を規定する『言葉』が。


「か、は……ッ!」


 痛い。頭が酷く痛い。気付いたときには霊体を抜け出し、床に倒れて身悶えていたが、頭は内側から破裂しそうなままだった。ものを詰め込み過ぎた袋が、引き裂ける寸前まで膨らんでいるかのようだ。


 でもそれで、わかった。思い出した。


 僕らはそれを、ずっと扱ってきた。


 魔力はあらゆる物質の根源的な構成要素であり、『言葉』はその在り方を定めるものだ。魔術師は『言葉』を読み解き、再編した魔術式を使って魔術を使う。


 つまり、生き物の本質を定める魂とは。


 ああもう、頭が痛い。顔じゅうの穴という穴から、出てはいけないものが溢れ出しているみたいだ。


 ウリエラ、マズルカ、サーリャ、どこに。


 いるわけがない。だってここは。

 

「やっと思い出しましたか、マイロ先輩」


 目の前に、手が差し伸べられている。白くて細い手。幾人もの魔力で、常人の何百倍もの密度で編み上げられた、血に塗れた手。いまならそれが、どんな『言葉』で構築されているのかも読み取れてしまう。


「あまり凝視しないでください。まだ頭が慣れていませんから、見過ぎると壊れてしまいますよ」


 その手で目を塞がれる。少しだけ、頭痛が和らいだ。


「アンナ」


「はい、アンナですよ。マイロ先輩」


「ずいぶん時間がかかっちゃったみたいだけど、やっと思い出したよ」


 死者たちの王になるためにって、僕がなにをしたのか。怒りと喪失感と焦りと、マズルカやエレメンツィアの絶望に押され、死者たちを統べる力を得ようと、なにに手をつけたのか。


「僕は、読んだんだね。イルムガルトの禁書を」


「ええ。そのまま倒れて、もう三日目です」


 どうやら僕は、ずいぶん情けないことになっていたらしい。


◆---◆


大掃除とかしてました。


そしてPV数が100K達成しました。ありがとうございます。


よいお年を!

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