第150話:本質を定めるもの
「僕、前に本で読んだことがあるよ! ライカンスロープって、狼の姿に変身できるんだよね!」
「兄さん、どこ行ってたの?」
書庫の中で気になる本でも漁っていたのだろうか。なにかの魔導書を手にしている兄さんは、興奮気味に捲し立てる。
確かに兄さんの言う通り、ライカンスロープは狼の形質を持つ亜人ではあるが、マズルカたちルーパスのような獣人とは全く異なる性質を持っている。
彼らは、普段は僕ら人間と変わらない姿をしているが、満月の夜に限って、二本足で立って歩き、目にしたものを見境なく襲う狼に変状するのだ。
凶暴性にかけては、他の亜人の中でも群を抜いていると言われ、力と戦闘スタイルという点に限って言えば、確かにマズルカの身体としては理想形ではある。
あるのだが、いくつか問題がある。
「ラ、ライカンスロープは、危険すぎます。それに、ダンジョンでは確認されていません、よね」
「さすがに僕も、あれは手を出したくないな。純粋な力だけなら、マズルカにはピッタリかもしれないけど」
「なんだっていい。敵を引き裂く力になるのだったら、えり好みはしない、が」
言いながら、表情は明らかに乗り気ではない。
「あれはアタシたち獣人とはまるで違う、呪われた獣だ。ただ暴れ回るだけでは、なんの意味もない。アタシはアタシとして、ポラッカの仇が討ちたいんだ」
そう。
ライカンスロープは、人間の姿でいる間は、本当に普通の人間と変わらずに過ごしている。だが、ひとたび狼に姿を変えると、一切の理性を失くした、形を持った暴虐に成り果ててしまう。
そもそもライカンスロープは、便宜的に亜人と呼んでいるものの、生殖によって子孫を残していくような、真っ当な種族ではない。
ライカンスロープは、血を介して増えていく。為るものなのだ。それまで普通の人間だったものが、なにかのきっかけでライカンスロープの血に触れ、自身もライカンスロープに変わってしまう。病のようなものだ。
ひとたび人間の街に紛れ込めば、気付けば街中にライカンスロープがあふれている、なんてことにもなりかねない危険な存在。
それ故、ライカンスロープはどの国でも、優先的な討伐対象とされている。
「そうだね。もしもライカンの血が混じってしまえば、もうマズルカには誰も触れられなくなっちゃう」
「はい……ライカンスロープだけは、絶対に手を出してはいけないと思います。あれこそ、『空白』なんかよりも魂を穢す存在ですから」
「そっかあ。狼に変身できるマズルカおねえさん、カッコいいと思ったんだけどな」
兄さんは残念そうにしているが、ウリエラの言う通りだ。ライカンスロープは、魂を穢す……ん?
あれ?
「振り出しだな。だが狼の身体を、アタシの身体に繋ぎ合わせることは出来ないのか? ダイアウルフの後ろ脚だけでも……マイロ?」
なにか見落としている。
ライカンスロープの血は肉体を変貌させ、本人の理性まで失わせてしまう。けれど、どうやって肉体を変質させているんだ?
呪われた血が、魔力で形質を書き換えて、肉体を変貌させている、というのなら理解はできる。白魔術が対象の生命力や身体能力に働きかけているように、肉体の組成を変質させるような働きがあるのだろう。
けれど、それで変貌するのは、肉体までだ。
肉体が変わったからといって、魂の性質までは変化しない。ダイアウルフの死体に子犬の魂を入れても、気質は子犬のままだったように。ルーパスの首に人間の死体を繋いでも、人間にはないはずの発情期を迎えていたように。
当人の性格や行動、物の好き嫌い、あるいは理性と呼ばれるものを司るのは、魂だと言われている。魂がその人物の在り方を決定している、というのが魔術師の原則的な考え方だ。
僕らは魂そのものには干渉することができない。どんな魔術もだ。死霊術だって、魂ではなく、肉体側に残っている繋がりを手繰り寄せているに過ぎない。
翻ってライカンスロープは、獣に姿を変えると、一切の見境なく、手当たり次第に周囲の生き物を襲うという。意志の弱い人間が誘惑に負けるように、獣としての肉体の食欲に振り回される、というのならわかる。しかし、ライカンスロープは食べるためにではなく、襲うために襲う。
もしも、もしもの話。ライカンスロープの血が干渉しているのが、肉体ではなく魂の方だったとしたら?
魂の性質が歪められるがために、肉体の方が変貌しているのだとしたら。
ライカンスロープの血は、魂を書き換えていることになる。
いや、いや、単なる強力な催眠のようなものかもしれない。それか、思考能力が低下しているのか。
それにまだ、もうひとつ。
僕はこれに似た事象を、もうひとつ知っている気がするのだ。
「マイロ、どうしたんだ? マイロ?」
「マイロ様、もしかしてなにか、わかったのですか?」
「まだわからない! でも取っ掛かりになるかもしれないんだ。ウリエラ、手伝って! 書庫の中からライカンスロープに関する文献を集めてほしいんだ!」
「は、はい!」
もしかすれば、だ。
魂に関する理解が進むかもしれない。
「マズルカごめん、君の新しい身体は、少し後に回してもいい?」
「……それは、ポラッカを救うためか?」
「もちろん」
魂について知ることは、ポラッカを救う手立てを見つけることに繋がる。
「わかった。なら、行け。アタシはもうしばらく、サーリャをいじめることにする」
「え!? ちょっと待って、私は白魔術の勉強を、あっ、あ~~~~~っ!」
僕は書架に向かって駆け出そうとして、足を止めた。
ちゃんとお礼、言わないと。
「兄さん」
「ん? どしたの?」
「ありがとね、兄さんのおかげで、次に進めるかもしれない」
「へへっ、やめてよ照れるなあ。僕はカッコいいマズルカおねえさんが見たかっただけだよ」
兄さんはそう言って、いつものように楽しそうに笑った。
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