第148話:戦士に必要なもの
腕が折れちゃったの、なんてサーリャは言っていたが、マズルカたちのもとに行ってみると、折れちゃったどころの話ではなかった。
「マズルカ、これ、骨が砕けちゃってるじゃないか!」
「ひ、ひどいですね……」
傍で覗き込んでいたウリエラも、思わず眉を顰める惨状だ。
触っただけでわかる。二の腕の大部分で、骨がへし折れ、砕け、指で押してもまるで芯の抵抗がない。割れた骨が筋肉を傷つけているのか、ひどい出血も見られる。これ、直すのだいぶ手間だ。
だというのに。
「そうか、どうりで上手く動かせないはずだ」
マズルカはまるで興味がない様子で、腕をぶらぶらと揺らしている。
「この腕、どういう状況でこうなったの?」
「どうもなにもない。サーリャとの戦闘訓練で、全力で切りかかったら、突然折れたんだ」
攻撃を防いだのではなく、攻撃をしたらこうなったっていうのか。
「筋肉の出力に骨が耐えられなかった、ってことか……」
実のところ、いまのマズルカの腕の筋肉は、彼女自身のものではない。
外観こそ変わっていないが、腕や脚の筋肉は、上の階層で倒したサハギンのものを移植している。体型が変わってしまうと、これまでの戦闘経験を活かせない。ということで、身体全体を置き換えるのではなく、中身だけを交換することにしたのだ。
水中でも素早く動き、強靭な力で槍を振うサハギンの筋肉は、マズルカにこれまで以上の速度と、攻撃力をもたらしてくれた。はずだった。
少なくとも、移植したあとの動作確認では、なにも問題なかったはずだ。
だとすると。
よく見れば彼女の身体は、折れていない方の腕も、脚も、どこもかしこも内出血で真っ黒に染まっている。
「強化術式も使ったんだね」
「ああ、常にな」
「すごかったよ、マズルカちゃん。目にも止まらぬ速さで動くし、攻撃を防いでも、枝ごと持っていかれちゃったもん」
サーリャが指さす方を見ると、確かに彼女の身体の一部である木片が散らばっている。こっちも後で修復してあげなければ。
ともかくマズルカは、サハギンの筋肉と、限界以上の出力で動かした結果、マズルカ自身の骨が限界を迎えてしまった、ということらしい。
やっぱり、違う身体を混ぜ合わせるなんて、サーリャのようにはいかないか。土台彼女の場合は、肉体そのものはほとんどトレントで形成されている。身体を構築する繊維を自在に動かせるトレントに、サーリャ自身の形を覚えさせただけだ。
強度の違う身体をただ繋ぎ合わせても、弱い方が負けてしまうのだ。
「いくらなんでも無茶し過ぎだよ、マズルカ。このままの勢いで続けてたら、身体中の骨が砕けちゃう」
「ダメだ」
「ダメ、って」
「まだ足りない。もっと強くならなければ」
理由は、わかりきっている。
復讐のためだ。ニノンを殺すために、マズルカは力を欲している。
マズルカは書庫に戻ってきてから、怒りのぶつけ所を探すように、ひたすら暴れていた。やがて落ち着いた彼女が求めたのは、なによりも力だった。サハギンの筋肉も、その一環だ。
それでも、まだ足りないという。
「マイロ、この身体じゃダメだ。もっと強い身体がいる」
「もっと強い身体、か……」
死者は、身体を鍛えることは出来ない。強くなろうとすれば、強い身体を手に入れるしかない。当然の帰結だ。
「でもマズルカ。そうなったら、君のいままでの身体を、一部を除いて本当に捨てることになる。それは、いいの?」
「なにを構う必要がある」
背筋が、泡立った。マズルカの耳と、しっぽと、手足の毛が逆立っている。
「この身体が弱かったから、アタシはまたあの子を失う羽目になった!」
激情が、迸る。マズルカはこぶしを握る。爪が、手のひらを引き裂いている。
「ポラッカを守ることも出来ない身体になんて、なんの意味もない」
マズルカは、怒っている。ニノンや、教会にばかりじゃない。自分自身に、焼き尽くしてしまいそうなほどの怒りを抱いている。
でもそれが、どうしようもなく居た堪れない。ポラッカは、守られるだけの少女じゃなかった。戦士として戦って果てた。そう言ったのはマズルカだったのに。
「アタシがもっと強ければ、あの子がもう一度死んだりする必要はなかった! ニノンを先に殺しておけば、こんなことには! こんな脆い身体に、なんの意味が!」
無事な腕が、折れて砕けた腕を掴む。そのまま引き千切ってしまうのではないかと、本気で思った。このままじゃ、自分を壊してしまう。
僕も怒られるかな、と思いながら、マズルカの身体に腕を回し、そっと抱き寄せる。というよりも、背の高い彼女の胸に、顔をうずめる形になってしまった。けれど抵抗は、なかった。
「なんのつもりだ、マイロ」
「ううん。少し寂しいなと思っただけ。僕は君のいまの身体も、好きだったから。しなやかで、力強くて」
僕はさほど、肉の身体というものに執着があるわけではない。
でも僕は、この身体のマズルカと繋がった。ポラッカも一緒だった。この身体と過ごしていた記憶は、決して少ないものじゃない。
エレメンツィアには言ってあげられなかったけど、マズルカになら、言える。
「意味がないなんて言わないで。僕には、君に意味がある。家族なんだから」
頭に手が置かれる。マズルカのしっぽが、ゆっくりと伏せていくのが見える。
引きはがされるかと思いきや、その手は存外優しく、僕の頭を撫でてくれた。
「マイロ。アタシは戦士だ。戦士の身体は、敵に勝てる身体でなければ、ダメだ」
「うん。それもわかってる」
「強くなければ、ポラッカが守ろうとしたお前のことも、守れない」
マズルカの決意は、固い。でも少しだけ、安心した。投げやりにはなっていない。なら僕が言えることはなにもない。
「よかった。ポラッカがいなければ、もう僕らのところにいる意味もない、とか言われるかと思った」
「馬鹿を言うな。お前はポラッカを取り戻そうとしているのだろう」
もちろんだ。
「なら、それだけでも意味はある。それに、お前自身にもな」
思わず顔を上げると、マズルカは真っ直ぐに僕を見ている。それから、少し視線を下げ、自分の身体を眺めた。
「新しい身体にも、せめて胸くらいは残しておいてもらうか。お前やポラッカが甘えられるようにな」
冗談めかす口ぶりは、まだ痛々しい。でも、先へ進もうとしている。僕も必ず、それに応えなければ。
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