第145話:決心

 それから、何回の移動と転移を繰り返したのかは覚えていないけれど、気が付いたら僕らは、ダンジョンの中、イルムガルトの書庫に戻ってきた。


 誰ひとり、言葉を発さないまま。


 僕と、ウリエラと、マズルカと、サーリャと、兄さん。サーリャに拘束されたままのエレメンツィア。


 ポラッカは、いない。


 暗闇の中で僕をかばおうとして、壊された。術式が維持できなくなるほどに。その最期の瞬間の苦痛を味わわせたくなくて、術式を解いた。


 もう僕らの手元に、ポラッカの身体はひとつも残っていない。彼女の魂を再び呼び出す手段が、僕にはない。


 ポラッカは、もういない。


「おかえりなさい。マイロ先輩」


 アンナは、ただ静かに、僕らを出迎えた。いつもの口の端を釣り上げた笑みも、今は姿を見せていない。きっと、地上でなにがあったのか、もう知っているのだろう。


「ポラッカさんのことは、残念でしたね」


 途端に、サーリャがその場でくずおれた。床にへたり込み、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔を、両手で覆っている。


「ごめ……ごめん、なさい……わたしが、わたしが暗闇にしたせいで」


 おそらくニノンは、ずっとあの瞬間を狙っていた。『ウリエラの夜』によって、庭園が闇に包まれる瞬間を、今か今かと待ち構えていた。


 サーリャの焦りが、引き金を引いたのは確かだ。でも。


「やめよう、サーリャ。君のミスじゃない」


 あるいはウリエラが、転移門をもっと早く開けば。あるいはマズルカが、もっと速く動けていれば。あるいはエレメンツィアが、もっと早く悲鳴を上げていれば。


「結局なにもかも、僕のミスだ」


「マイロ」


「ぐっ……!」


 マズルカの手が、僕の襟首を掴み上げ、かかとが床からわずかに浮く。


「マイロ様!」


 咄嗟に駆け寄ろうとしたウリエラを、目で制する。いいんだ。彼女にはその権利がある。


「ごめ、ん、マズルカ、僕は」


「やめろ!」


 怒りが、そこにあった。


 獣性を剥き出しにしたような、苛烈な怒り。しかしそれが、誰に向けられた怒りなのか、僕にはわからなかった。


「ポラッカは戦士として、お前を守って斃れた。戦場で斃れるのは、戦士自身の意志だ。あの子の最期を、貶めるな!」


 慟哭するマズルカの瞳は、濡れて、歪んでいた。


「わかってるよ!」


 ポラッカは僕を守って壊された。僕はいま、ポラッカに生かされている。彼女のおかげで僕らは、こうしてダンジョンに戻って来られた。


「でも最初から全部、僕の考えが甘かったせいだ! 地上にのこのこ戻ったりしなければ、あんな戦い、する必要もなかった!」


 そもそも、人間たちの前に姿を現したのが、すべて間違いだったのだ。


 バルバラ商会を相手に、人間のずる賢さなんて、わかっていたはずなのに。生前のエレメンツィアが仕えていた相手ならばと、あっさりその線引きを崩してしまった。


 人と人の絆、なんてものを、うっかり信じてしまったのだ。


「僕はバカだ! いまだに少しでも、生きた人間に期待してたなんて! ポラッカは確かに立派に戦って斃れた! でもそれは、名誉ある戦いの中での終わりなんかじゃない! 僕の失敗の尻拭いをさせただけだ!」


「マイロ、お前は……!」


「やめてください!」


 小さくて、細くて、白い手が、僕からマズルカを引きはがした。


「ウリエラ……」


「マズルカさんも、マイロ様も、やめてください……お願いします、どうか」


 か細く、けれどはっきりとした声音だった。


「だが、だが。アタシはどうすればいい。あの子はアタシが、ここにいる理由だ! なのにもうアタシは、あの子の笑顔を見ることも、あの子を抱きしめることも出来ない! あの子の終わりを讃えることすら、しちゃいけないのか!」


「わかりません! わ、私だって、わからないんです! どうすればいいのか。悲しめばいいのか、怒ればいいのか!」


 ああ、そうか。


 わからないんだ。


 僕らはいま、自分たちの大切な一部を失った。居場所を奪われ、心の拠り所のひとつを奪われたんだ。


 だからこれから、どうすればいいのか、わからなくなっている。


 もしかすると、いままでもずっとそうだったのかもしれない。


 それに、わからないのは、僕らだけじゃない。


「どう、して」


 サーリャが脱力して、拘束が解かれても、エレメンツィアは暴れだすことはなかった。彼女の目に灯った青白い炎は消えていたが、光は決して、戻ってはいなかった。


「どうして、お嬢様……どうして」


 エレメンツィアは、僕ら以上にすべてを失った。それも、最悪の形で。


 彼女にはなにひとつとして、拠り所がない。彼女の居場所は、どこにもない。生きた人間たちが、彼女を裏切って、切り捨てたから。


「マイロ」


 兄さんが、僕を見上げていた。


「あいつら、お父さんとお母さんと一緒だ。死んだヤツのこと、好き勝手に玩具にして、踏みにじるんだ。奪い返そうよ、マイロ。なにもかも、奪い返そう」


 兄さんの、どうしてか楽しそうな声。兄さんはいつもこうして、物事を前向きに考えていた。玩具にされたなら、玩具にしてやろう。奪われたなら奪い返そう。


 同じだ。


 いままでやってきたことと、変わらない。


 僕らに居場所がないのなら、作るしかない。


「ウリエラ、マズルカ、サーリャ、兄さん」


 皆の視線が集まる。まだみんながいる。僕は悲しみに暮れている場合じゃない。


「それに、エレメンツィアも」


 彼女のことも、救ってあげたい。こうして絶望に喘ぐ死者の姿なんて、僕はもう、これ以上見たくない。


「僕は死霊術師だ。死を終わりにするつもりなんてない。ポラッカのことは、絶対に取り戻す。なにがなんでも、その方法を見つけ出す」


「マイロ……だが、出来るのか……?」


「やってやる。どんな手段を使ってでも。でも、それだけじゃだめだ」


「マイロくん?」


 サーリャのように、僕やウリエラのように、エレメンツィアのように、そこにいることすら赦されないなんて、もうごめんだ。


 僕が、赦そう。


「僕は、居場所を作る。もう僕らの、だけじゃ足りない。死者たちの居場所を作るんだ。そうじゃなきゃ、僕らはいつまでも追い詰められるばかりだ。そのために、力を貸してほしい」


「マイロ様、それは」


「うん」


 僕は振り返る。アンナは、ずっと黙って話を聞いていた。


「なるよ、アンナ。僕は、死者たちの王に」


 そしていま、口の端を釣り上げ、心の底から嬉しそうに笑っていた。


「その言葉をずっと待ってたんですよ、マイロ先輩」


 こうして僕は、ただの死霊術師であることを、やめた。


◆---◆


今回で第四章完となります。

あ、メリークリスマス!


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