第144話:敗走

 くそ、くそくそくそくそ。


「あああああぁあぁぁぁぁ!」


 雄たけびを上げながら、ニノンに躍りかかったマズルカの身体が、くるりとひっくり返り、ニノンに組み敷かれている。


 くそったれ。


「躾のなっていない犬ですね」


「よくも、よくも……ポラッカを……!」


「ただの死体ですよ。それも、半分以上は他人の」


「黙れ!」


 どこで間違えた。いや、そんなことより。


「そんな、嘘、ポラッカちゃん……」


「さ、次は月の銀の髪よ。あれは我々にもたらされた、豊穣と祝福の象徴。『空白』に汚染させたまま、お前たちの好きにはさせないわ」


 そりゃあね。僕らだって、フレイナの死体を好きに使わせてもらっていた身だ。


 けどあいつは。


 髪も、身体も、そもそもフレイナのものだとすら思っていなかった。自分でフレイナを見捨てておいて、彼女が僕の暗殺に失敗したら、今度はその死体を返せと騒ぎ始めるのか。


 どこまで身勝手なんだ。


「そうまでして……そうまでして、支配者でいたいのかよ」


「支配? まさか。我々はただ、世界のあるべき姿を教え広めているだけよ」


 あるべき姿? 幼い少女の首を落として、踏みつぶすのが?


「この家の人間も理解していたでしょう。お前たちは、存在してはならないのよ。摂理を乱し、世界の秩序を乱す、お前たちのような穢れた存在は」


 僕らが摂理と秩序を乱す?


 よく言うよ。自分たちの権威を揺らがされるのが、我慢ならないだけのくせに。


 それに僕らは。


「僕らは、僕らの居場所を守りたいだけだ」


 マリーアンは、嗤った。


「まだわからないの。お前たちの居場所など、どこにもありはしないのよ。この地上の、いいえ、天上から地の底まで、どこに行こうと、決して存在しないわ」


 ふざけるな。ふざけるな。


 奪ったんだ。


 お前たちが奪ったんだ。


「絶対に、許さない」


「マイロ、殺そう。あいつら全員、殺しちゃおうよ」


 兄さんに言われるまでもなく、僕だってそうしてやりたい。けど。


「好きに吠えればいいわ。どの道お前たちは、ここで終わりよ」


 対抗手段が、どこにもない。ウリエラの転移門も、まだ準備できないし、マズルカは拘束されている。サーリャが暴れても、今度は祝福がウリエラとエレメンツィアを焼いてしまう。


 あとはあのおばさんの号令ひとつで、僕は殺される。みんなは死体に戻される。


 穢れた死体として、死んでもなお凌辱され続ける。


 そんなこと、絶対に許さない。


「やりなさい」


「さようなら、エル。あなたにお別れを言えて、よかった……エル?」


 マルグリットの戸惑いの声。エレメンツィアは。


「あ、ぁ……ぁぁぁ……!」


 震えていた。眼の光が消え、眼孔に火が灯る。


 青白く、狂気に支配された炎が。


 あれは。


「サーリャ! 壁と天井で僕らを守って! 僕らの周りだけでいい!」


「え、え!? わ、わかった!」


 マズルカは距離があって届かない。ごめん。心中で謝る。


「無駄なあがきを。とどめを刺しなさい!」


 聖騎士たちが殺到しようとする。サーリャが即席のドームで僕らを覆う。エレメンツィアが、口を開く。僕は念のために、術式に集中しているウリエラの耳を塞ぐ。


 すんでのところで、僕らの方が早かった。


-キィァアアアアァァアァァァアアアアァアアアアァァアァァアア!


「…………!?」「…………!!」「……ッッ!」


「ぐ……ッ!」


「うわわわわなにこれなにこれ!?」


 サーリャのドームの中にいて、なおも脳が揺さぶられそうになる。


 すっかり忘れていたが、エレメンツィアはバンシーだ。彼女の金切り声は、銀の守りとか、聖典の祝福とか、そんなものをすべて無視して、聞いたものの耳を貫き、脳を引っ掻き回す。


 エレメンツィアの悲鳴に交じって、重たいものが倒れる音がいくつか。


「出来ました、マイロ様!」


「ひぃぃぃ……も、もう無理……!」


 ウリエラが転移門を開くのと、サーリャが限界を迎えドームが解かれるのと、エレメンツィアの悲鳴が止むのは同時だった。


 庭園は酷い有様だ。聖騎士たちはみな、倒れているか、頭を抱えて朦朧としている。ニノンやマリーアンも、立ってこそいるが足下がおぼつかない。


 いまこの瞬間なら。


 右手に呪霊を捕まえる。いまここで、マリーアンを殺しておけば。


「マイロ様!」


 ウリエラの言葉に、はっと周りを見る。耳を塞ぐのが間に合ったのか、比較的無事な聖騎士が数人、剣や聖典を手にしている。


「ころせ、にが、すな……!」


 マリーアンのろれつの回らない声。


 ダメだ、こっちもこいつらを相手にしている余裕はない。


「サーリャごめん、もうひと働きして! マズルカとエレメンツィアを回収して!」


「よ、よゆう……!」


 ふらふらのサーリャが腕を伸ばし、絶叫に昏倒しているマズルカと、また悲鳴を上げようとするエレメンツィアを巻き取り、転移門に放り投げる。


 僕も兄さんを、それからサーリャにも手を貸して転移門を潜らせ、最後にウリエラの手を引いて、門に飛び込む。


 すぐ後ろに、銀の剣を振り上げる聖騎士がいた。


 転移門が閉じる。


 銀の剣の切っ先だけが、閉じた門に寸断され、地面に転がった。

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