第141話:夜襲

「マイロ、起きろマイロ」


 んん……? あれ、寝てた? どこだろう、ここ。ああ、マルグリットの屋敷だ。


 名前を呼ばれ、身体を揺さぶられ、かすかな混乱とともに意識が浮上してくる。目が暗闇に慣れてくると、月明かりがわずかに差し込むばかりの客間に、僕を覗き込むマズルカの顔が浮かんでくる。


 グラストン卿の屋敷に一晩世話になることにした僕らは、豪勢な夕食に舌鼓を打ち、案内された客間で身体を休め、顔を出してくれたエレメンツィアと、霊体について話し込んだ。


 エレメンツィアはバルバラ商会の中庭で、冒険者たちを剣で切って回っていたらしい。実際に切り傷はできなかったが、口付けと同じように、それで生命力を断ち切っていたのだろう。ゴーストの攻撃の形は、生前の記憶に依存するようだ。


 聖騎士たちにエレメンツィアの攻撃が通じなかったのは、おそらく彼らが、銀の鎧で身を守っていたからだ。高い魔力を有する銀は、ゴーストを攻撃できる数少ない物質でもある。つまり逆に、エレメンツィアの剣も防げたということだろう。


 なんて話をしているうちに、すっかり夜も更け切り、日暮れからの大立ち回りで疲れ切っていた僕は、あくびを噛み殺しきれなくなっていた。


 で、寝ることにしたわけだけど。


「あれ、マズルカ……どうしたの?」


 確かマズルカとポラッカは、久しぶりの外だからと、客間から面している屋敷の庭園で、星空の下に寝ころんで夜を明かすことにしていたはず。


「なにか、妙だ」


「妙?」


「ウリエラおねえちゃん、サーリャちゃん、起きて」


 部屋の中を見回すと、ポラッカがウリエラたちを起こしている。いったい、何事だろう。


「なにがあったの?」


「まだなにも。だが、屋敷に誰か入ってきた気配がする。それも複数」


 屋敷に人が入ってきた? こんな真夜中に?


「姿は見えた?」


「いや、だが鎧の音が聞こえた」


 まさか。まさかとは思うけれど。


「ウリエラ、すぐに転移門の準備を」


 最後まで言い切ることは出来なかった。


「マイロ!」


 いくつかの音。マズルカの声。衝撃。視界が横に飛んでいく。肩が痛い。マズルカの顔がすぐ目の前にある。


「マイロ様!」「マイロくん!」


「ちっ……!」


 マズルカによって床に押し倒された僕の頭が、ようやく状況を理解していく。ついさっきまで僕が横になっていたベッドに、誰かがいる。客間の扉から飛び込んできて、目にも止まらぬ速さで枕に短剣を突き立てた、誰かが。


 暗闇の中に浮かぶシルエットに、見覚えがあった。


「お前、ニノン……!?」


 マズルカの声。そうだ、ニノン。ロドムの秘書だった女。


「生きてたの?」


「あいにくでしたね、死霊術師マイロ。けれど、ここで終わりにしましょう」


 嘘でしょ。


「下がれマイロ!」


「おにいちゃんこっち!」


 風のように躍りかかってくるニノンに、マズルカがバグ・ナウを抜いて応戦する。僕はポラッカに抱え起こされ、ウリエラとサーリャとともに部屋の隅に退避する。


「ご、ご無事ですか、マイロ様」


「僕はなんともない、けど」


 ルーパス特有の身体能力を、強化術式で加速させてなお、マズルカの攻撃はニノンに届いていない。わかっていたけれど彼女、とんでもない手練れの暗殺者だ。


「なぜお前がここにいる、ニノン!」


「喋っている余裕がおありですか?」


 このままじゃマズい。マズルカひとりじゃ、ニノンは倒せない。


「サーリャ、弱体魔術を!」


「う、うん! って、あれ!?」


 僕も死者の手袋を取り出そう、そう思った瞬間には、ニノンの姿はどこにも見えなくなっていた。


「マズルカ、ニノンは!?」


「廊下に退いていった! いったいどうなってる」


 わからない。ニノンが生きていて、僕の命を狙ってきたのは、まだいい。でもどうして彼女がここにいるんだ。いくら転移の跡を追跡したって、そんなに早く突き止められるはずがない。


 だとしたら、考えられるのは。


「マイロ、無事?」


「エレメンツィア!?」


 ああもう! 考えをまとめる暇もなく、次から次へと状況が襲ってくる!


 次に現れたのは、天井をすり抜けてきたらしいエレメンツィアだった。ひどく焦った様子で、僕たちの前に降り立った。


「逃げて、たぶんお嬢様が」


「そんな気はしてたけど……!」


「来るぞ、マイロ!」


 マズルカの声とどちらが先だったか、ニノンが姿を消した廊下から、がちゃがちゃとやかましい音を立てる足音が近づいてくる。


 聖騎士だ。もう、間違いない。


「や、ヤバいよマイロくん、逃げよう!」


 でも廊下は無理だ。転移門も間に合わない。


「マイロ様、こっちです!」


 いち早く掃き出し窓を指したウリエラに続いて、僕らは客間から庭園へと飛び出す。逃げられるか? あるいは、返り討ちに出来るか?


 そして、どうするかを決める暇はなかった。


「ッ!?」


 灯りが、僕らを取り囲んでいる。


 庭園をぐるりと包囲するように、松明を掲げた聖騎士たちが立っていた。聖騎士たちの後ろから歩み出てきたのは、もちろん。


「逃がさない、といったはずでしょう」


「マリーアン……」


 確かそんな名前の、あの威圧的な高司祭のおばさんだ。


「よくここが分かったね」


 どうする。どうするどうする。とにかく、少しでも考える時間を作らないと。聖騎士たちは手ごわい。相手がひとりなら、サーリャでも力押しで倒せるかもしれないが、数が多い。なにより問題は祝福の光だ。


「おかしなことを言うわね。この地上で、お前たちに逃げ場なんてあるはずがないというのに。誰が穢れた死霊術師を匿うというの」


「ってことは、僕らの居場所を教えたのは」


「ええ、わたくしが伝えました」


 返事は、後ろから聞こえてきた。


 屋敷の二階。テラスに立つ、淑女の姿。


「どうして」


 震えるエレメンツィアの声。


「ごめんなさい、エル。でもあなたは、帰ってくるべきではなかったのよ」


 エレメンツィアの主人、マルグリットが、悲しげに僕らを見下ろしていた。

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