第140話:勇者たちと別れて

 再び戻ってきた丘の上に、アンナの姿はなかった。僕らがクルトたちを連れてくるのを察して、身を隠しているのか、あるいはガストニアのどこかで、僕らの戦いぶりを見物していたのかもしれない。


 まあ、話をややこしくしても仕方がないので、いま姿が見えないのはありがたい。


「これで晴れて、お尋ね者仲間ってわけだ」


 転移門を潜りぬけるなり、腰を下ろして消沈しているクルトたちを見下ろす。


「クソ……なんで、教会は俺たちのことまで……」


「なんでもなにも」


 理由なんてひとつしかない。クルトが不思議そうに顔を上げる。本当に分からないのか。


「君が灰祓いの勇者の血を引いてるからでしょ」


 教会は二百年前の戦いで、灰色王の直接討伐に関わることが出来なかった。灰祓いの勇者に名を連ねることはなく、結果として王国への発言力を大幅に削がれたのだ。


 灰色王という怨敵に対して優位を示せなかった教会は、宮廷からその正統性自体が疑問視されるようになってしまった。彼らにとって灰祓いの勇者は、魔術師と同様か、それ以上に恨みを抱いている相手なのだ。


 ましてや、教会が復活阻止に失敗したアンナを、その勇者の末裔が追っているとなれば。そして万が一討伐に成功してしまえば。教会はますます立場をなくすだろう。


「関係ないだろ、そんなの! アンナターリエはみんなにとって脅威なのに、どうして力を合わせて立ち向かおうとしないんだよ!」


 決まってる。


 みんなにとって脅威ということは、名声を獲得する一世一代のチャンスだからだ。人間たちの頭にあるのは、脅威を排除したあとに手にする利権のことばかり。外敵が現れればみんなが一致団結するなんて、都合のいい空想話でしかない。


「申し訳ありません、クルト様……」


 唐突に頭を下げたのは、セルマだった。


「どうしてセルマが謝るんだ」


「こんなことになったのは、わたくしがクルト様のことを教会に報告したせいです。勇者の血筋のことを言わなければ、クルト様が狙われるようなことには」


「よせって、こうなるってわかってたわけじゃないだろ」


「それは、そうですが……」


「なんでもいいんだけどさ」


 反省会でも責任の被りあいでも、なんでもいいけれど、そんな悠長なことをしている場合ではないって、わかってるだろうか。


「僕らはもう行くよ。ここもいつ追手が来るかわからないし。君らがどうするかは任せるけど、のんびりしない方がいいとは思うよ」


 既にウリエラは次の転移門を準備している。あとはもう、エレメンツィアをグラストン卿の荘園に送り届けて、またダンジョンへ帰るだけだ。


「兄さんのことは感謝してる。おかげでこうして、無事に連れ出せたからね」


 引き換えに、彼らも追われる身になってしまったけれど、それはクルトたち自身の選択なので、自分たちでどうにかしてもらおう。


「マイロ様、準備できました」


「うん、行こうか」


 転移門が開く。クルトが立ち上がった。


「待ってくれ、マイロ」


「なに?」


「……俺はもう、なにが正しいのかわからない。マイロが大勢を傷つけた。けれど俺たちも、その大勢に殺されそうになった。なにが正義で、なにが悪なのか、もうわからなくなってきた」


「知らないよ、そんなの」


 正義とか悪とか、知ったこっちゃない。存在するのだろうか、そんなもの。


「僕は僕らの居場所を作ろうとしてるだけだ。クルトも早く、自分のやりたいことが見つかればいいね」


 正しいこと、間違ってること。善、悪。僕には理解できない線引きだ。


 ただ、次にまたクルトたちと会うことがあれば。そのときには、僕らの間には、決定的な線引きがされているんだろうな。


 そんな予感を覚えながら、僕らは転移門を潜った。



「よくぞご無事で戻られましたわ、マイロ様! エルも、おかえりなさい。何事もなかったようで安心しましたわ」


「死んでるけど」


 グラストン卿の屋敷に戻ると、マルグリットはこれまた盛大に、僕らを出迎えてくれた。食卓に通されると、テーブルには見たこともないようなご馳走が、所狭しと並んで待ち構え、空腹をそそる香りに、ポラッカなんかよだれを垂らしている。


「いや、僕ら、すぐに帰るつもりなんだけど」


「まあ! そんなことを仰らないでくださいまし! エルという家族の一員を送り届けてくれたマイロ様を、もてなすこともせずに帰してしまえば、我が家の沽券にかかわりますもの!」


「そうだよおにいちゃん、こんなにお料理用意してくれたのに、食べないなんてもったいないよ!」


「そういえば僕、ずっとなにも食べてなかったかも。久しぶりにごはん食べたいなあ、マイロ」


 相変わらず食い意地のはっているポラッカや兄さんは、速攻で陥落している。ウリエラやマズルカは悩んでいるようだが、サーリャの目も料理に釘付けだ。


「けど、僕らが長居しても迷惑かかるだろうし」


「一晩くらい、平気ではございませんか? エルも、まだ話したりないこともあるのではなくて?」


「うん。ちゃんとお礼、したい」


 エレメンツィアは僕の前に進み出ると、少し気まずそうに視線を逸らす。


「それに、研究のことも」


「ああ」


 確かに、ゴーストとして、魂を視認できるエレメンツィアは、貴重な研究対象だ。だがこうして、無事に生前の主のもとに帰って来られた以上、エレメンツィアは僕らのもとを去る。


 魂とゴーストの研究は切り上げだ。残念だけど、それは仕方ない。


「気にしないで。君は、君のいるべき場所に帰れたんだ。僕もそれで満足だよ」


 僕らには居場所がない。自分たちで作るしかない。でも、居場所があるなら、そこにいる方が絶対にいい。


「……うん。じゃあ、泊っていって」


「なんでそうなるのかなあ」


「少しでも協力する。恩返しさせて」


 つまり、一晩ここにいる間だけでも、研究に協力させてくれってことか。そこまで言われてしまうと、無碍に断るのも悪い気がしてくる。


「はあ……仕方ないか。一晩だけ、お世話になるよ」


「やったあ! 久しぶりにおなかいっぱい食べられる!」


「えっ、ダンジョンの中って、そんなに食べるものないの?」


 騒ぐポラッカや兄さんに苦笑いしながら、僕らもテーブルに、サーリャだけは身体が大きすぎるので、床に座って食卓に着く。


 こうして僕らは、なし崩し的にマルグリットの屋敷に世話になるのだった。


「ええ、ふふ。どうぞごゆっくり、羽根を伸ばしてくださいな。ごゆっくり」

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