第138話:横槍
呪霊を放つ。セルマが両手を掲げて張った光の壁にぶつかり、呪霊は霧散していった。さほど呪いを籠めずに放った呪霊は、僕に呪詛を返すこともなく霧散するが、それが開戦の合図だ。
マズルカが真っ先に飛び出し、セルマに狙いを定めて疾駆する。ダグバが立ちふさがるが、マズルカは軽やかに戦斧の一撃を躱し、バグ・ナウを振りかぶる。
一手遅れて動き出したクルトが、鋼鉄の爪を盾で受け止めた。
「マズルカ、やめろ! このままじゃ、本当にマイロは殺されちまう!」
「気遣いはありがたいが、あいつはアタシたちを見捨てられないやつでな!」
剣と爪が火花を散らしながら結び合う。強化術式を用いたマズルカの方が、若干早い。だが敵はひとりじゃない、長剣を躱した隙を、ダグバの戦斧が再び狙う。
「サーリャ!」
「任せて!」
重たい両手斧が振るわれる、その瞬間、ダグバの動きが鈍る。鈍重な斧頭を、マズルカは見もせずに回避してみせた。
「弱体魔術!? でしたら……」
「させないよ!」
サーリャが腕を振るう。長く鞭打つ木の根と化した腕は、強化魔術を放とうとしたヘレッタを狙ったが、
「ヘレッタ!」
「きゃあッ!」
すんでのところでダグバが庇い、腕は空を切った。
「まだまだァ!」
サーリャの立て続けの攻撃が、ヘレッタとダグバを釘付けにする。
「廻れ、廻れ、廻れ、廻れ……天を引き裂き、地を割って、走れ」
中庭の上空に、暗雲が立ち込め始める。ウリエラの杖が、空を掻きまわすようにくるくると回る。黒くよどんだ雲の中から、稲光と轟音が漏れてくる。
「マズいです、止めないと!」
「わかってる! けど!」
ウリエラに向かって飛来した矢が、別の矢に射落とされた。風のように中庭を駆け回る二つの影が、互いから放たれる矢を打ち落としている。
「あーもう! ダナは絶対こうなると思ってたよ! こんな形でポラッカちゃんの腕前を見たくなかったなあ!」
「わたしは結構楽しいよ、ダナちゃん! 負けないからね!」
ポラッカはうきうきと、同じ獣人のダナと、弓の腕を競い合っている。その戦いの行方を見守りたくもあるが、僕は僕の仕事をしなければ。
「『言葉』のもとに、汝らの魂を……くッ!」
「させないって!」
聖典に記された祝福を唱えようとするセルマに、呪霊をぶつけていく。セルマの力ならすぐにかき消せる程度の呪いだが、祝福の発動を封じるには十分だ。
渡り合えている。いや、サハギンたちを相手に戦える僕らと、こうして渡り合っているクルトたちの成長速度が、ちょっとおかしいくらいだ。
それでも、まだだ。まだ僕らの方が強い。
それぞれが、それぞれの相手の動きを封じている中で、唯一ウリエラだけが、フリーのまま術式を走らせている。
このままいけば、ウリエラの魔術で決着がつく。クルトたちを破り、僕らは兄さんを取り返して、またダンジョンの中で息を潜める。
このままいけば。
だけど。
「いけない、避けて」
耳元で、囁き声がする。
「マイロくん!」
「うわっ!」
「きゃっ!」
僕とウリエラの身体が、サーリャの根に掴まれ、引き寄せられる。
空高く突き上げられたサーリャの両腕が、ざわざわと蠢き、枝別れし、緑繁る枝葉の天蓋を作り出す。即席で出来た木立の盾に、なにかが突き刺さった。いくつも、いくつも。
「くっ!」
「危ない!」
「うわうわ!」
僕らにだけじゃない。広場中に、クルトたちをも巻き込んで、無数の矢が降り注いでいる。
マズルカやポラッカは、避けている。クルトたちはどうでもいい。兄さんは!?
「なにを……どういうつもりだ! マリーアン!」
兄さんは、無事だ。クルトが掲げた盾の下に、庇われている。それより。
「どういうつもりか、ですって? こちらの台詞よ。穢れた死霊術師を相手に、いつまで生ぬるい戦いをしているつもり?」
「おやめください、高司祭様! 彼らとの決着は、わたくしたちがつけるとお約束したはずです! それを、こんな!」
ああ、ようやく出てきたか。
間違いない、あのおばさんだ。あれが、教会の高司祭。聖騎士団を連れて来たっていう、ここの親玉だ。
広場の周囲には、完全に僕らを包囲する形で、聖騎士や、冒険者たちが剣呑な表情で各々の武器を構えている。
やっと出てきたか。あれで隠れているつもりだったなら、たいしたものだ。
「決着? 笑わせないで、セルマ。あなたたちは、彼らに致命的な魔術を使わせる寸前だったのよ。さしずめ、混乱に乗じて彼らを逃がすつもりだったのでしょう」
「まさか、違います!」
「ほら、面白いことになってきたでしょ」
「お前は黙ってろ!」
クルトが兄さんに怒鳴っているが、いまのはまあ、兄さんが悪いので仕方ない。
にしても、笑える話だ。
あのおばさん、適当な理由をつけて、クルトたちのことまでも殺そうとしている。教会的にはクルトの存在は、邪魔で仕方なかったんだろう。クルトたちに僕らの相手をさせたのも、僕らの間に親交があるって冒険者たちにアピールするためか。
「久しぶりね、死霊術師マイロ」
「……ん?」
とか考えてたら、なんかおばさんに話しかけられた。
「まったく、お前の忌々しい顔を、こうしてまた見ることになるとは思わなかったわ。けれどこれで最後だと思えば、まあいいでしょう。私たちから奪ったものを返しなさい。そうすれば、苦しめずに摂理の輪に返してあげるわ」
すごい因縁をつけられている、んだけど。
「誰だっけ。あんたからなにか取っていった覚えはないんだけど」
「……ふざけてるの」
いや、ごめんなさい、本当に思い出せないんだ。どっかで見た顔な気もしないでもないんだけど
「マ、マイロさま。たぶん、フレイナさんのときに出てきた、高司祭だと思います」
「フレイナのとき……? あ、あーあーあー! あのときの!」
なんかえらそうなおばさんが出てきたのは覚えていたけど、顔は完全に忘れてた。マリーアン高司祭。そう言えばそんな名前だったっけ。
「礼儀知らずの、蒙昧で、穢れた魔術師風情が……『言葉』は決して、お前たちの存在を許さないわ」
マリーアンとかいう高司祭は、不愉快そうな顔で肩を震わせている。
でも、やっと姿を見せてくれたんだ。兄さんへの仕打ちに、精いっぱいのお礼をさせてもらおう。それにこっちもそろそろ、大人しく追われるばかりの子羊じゃないって、思い知らせたかったんだ。
「『言葉』はじゃなくて、教会は、の間違いでしょ」
「やりなさい」
聖騎士たちが聖句を唱える。聖典に記された祝福がもたらされ、広場に光が溢れ出そうとしている。
させるもんか!
「サーリャ、エレメンツィア、お願い!」
「任せて!」「うん」
「祝福よ!」
聖句が完成する、そのすんでのところで。
広場が、闇に包まれた。
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