第131話:実りの園へ

 マルグリットの魂が、生家に戻っているかもしれない。というのは、確証もなにもない、もはや半分願望のようなものなのだが、僕らはその願望に賭けることにした。


 幸いにも、エレメンツィアの家系が仕えていた富豪は、ガストニア郊外に拓いた荘園に邸宅を構えていたそうだ。それならば、ガストニアの市街地をうろつくような羽目にはならず、人目にも付きにくい。


 僕らはさっそく、いくつかの中継地点を経由しながらガストニア近郊の農村、つまりはウリエラの生まれ故郷に転移門を開き、久しぶりに地上にやってきた。


 どうやらここは、捜索の手も入っていないようだ。警戒しつつ周囲を窺っても、昼日中にも関わらず誰の気配もしない。


 まあ、ギルドと学園の記録上、そして実際のところでも、ウリエラはとっくの昔に死亡している。ギルドや学園への出入り、納品も、すべて僕の名義で行われている。捜索の目からこの農場が漏れていても、不思議ではない。


 それどころか、焼け落ちた家もそのままに放置されている。ただ、家畜たちの気配だけがきれいさっぱりなくなり、鼻をつく死臭だけが漂っていた。


「誰も、手をつけなかったんですね……」


「みたいだね。村にも人手がないのかな」


「いえ……」


 ウリエラは農場を冷たい目で見ながら、首を横に振る。


「疎まれていたんだと思います」


 そして、ただ淡々と、そう呟いた。


 逆に感慨を覚えているらしいのは、エレメンツィアの方だった。


「なんだか、妙な気分」


「妙って?」


「ずっとダンジョンに潜って、出てもアナグマ亭か学院に行ってたから」


 こうして、死んだあとで外に踏み出したのが、不思議な気分らしい。


「ああ、それは少しわかるな」


「わたしたち、ずっと奴隷として生きていくんだと思ってたもんね」


「へえ」


 興味があるのかないのか、エレメンツィアはマズルカたちの話を聞きながら相槌を打っている。


 でも、そう言われてみると。


 マズルカやポラッカは、死によって自由を手に入れている。僕の仲間になってもらってはいるものの、一応は彼女たち自身の選択だ。


 一方でエレメンツィアは、死後も生前の未練に縛られ、かつての主を求めて彷徨っていた。それを束縛と言うべきか、彼女自身の選択と言うべきかは、悩むところだ。


 以前にも、同じように生前の枷に縛られている死者がいた。死を迎えたからといって、あらゆる束縛がなくなるわけではない。肉体ではなく、意志にかけられた枷ならばなおのこと。


 いまならそれが分かる。もっと早く気付いていたら、フレイナとも、違う結末を迎えることが出来ていただろうか。


「マイロくん、なんか難しい顔してる」


「え、そう?」


「ほら、いつまでものんびりしないでください、マイロ先輩」


 サーリャに頬をつつかれ、なぜか当たり前のようについてきているアンナに急かされながら農場を出発する。移動は歩きだ。


 農場の家畜は、傀儡ゾンビにして騎乗するには腐敗が進み過ぎていたし、そうでなくても、魔術師に見られればすぐにゾンビだと見破られてしまう。


 自在に形を変えるアルラウネの身体を活かし、サーリャが馬車を作ってくれようとしたのだが、残念ながら独立して回転する車輪が作れなかったし、四つ足で動く荷車というのも目立ちすぎるので却下となった。


 なにより僕たちは、街道を堂々と進める身分ではないので、道を外れて平野を突っ切り雑木林の中をかき分けていく必要があった。


 すると、次に問題になるのは、体力だ。当然、僕の。


 他のみんなはゾンビだったり、ゴーストだったり、吸血鬼だったりで、およそ疲れとは無縁の身体をしている。生身の肉体で、身体を鍛えたこともない僕は、どうしてもこういうときの行動力でみんなの足を引っ張ってしまう。


「だからって、これはないと思うんだけど」


「えー? いいじゃん、マイロくん赤ちゃんみたいでかわいいよ」


 目の前に、豊かな胸と、サーリャの顔。


 心底情けないことに、僕はサーリャに抱きかかえられて移動しているのだ。


「一日歩いて、マイロくん疲れちゃったでしょ? 今日はこのまま寝ちゃってもいいからね。私の胸の中で」


「さすがにそれは……」


 もう陽も沈み切って、辺りは真っ暗だ。けれどリビングデッドやアンデッドのみんなは、気にせず歩き続けられる。


 そんな中で、やわらかなサーリャの身体に抱かれて揺られていると、だんだん意識がぼんやりとしてきてしまう。


「ふあ……だめ、本当に寝ちゃいそうになる」


「ふふ、気持ちよさそうだな。次はアタシがおぶってやろうか?」


「ず、ずるいです、二人とも……」


「ねー、わたしたち、さすがにおにいちゃんを抱っこする力はないもん」


 こんな形で僕を取り合わないでほしい。


「……変な人たち」


「死者に好かれるんですよ、マイロ先輩は。生きているのにも関わらず」


「やっぱり、休憩にして……みんなで……」


 ざくざくと下草を踏みしめる音を聞きながら、抵抗もむなしく、意識は僕の身体を離れていった。



 ささやかな僕の尊厳とかを犠牲にしながら二晩ばかり歩き通した末、僕らはようやく、エレメンツィアの故郷でもある荘園に辿り着いた。


 見渡す限りのブドウ畑で、あちこちで農民たちがブドウの木の世話をしている。ブドウ畑の向こうに見えるひと際大きな館が、マルグリットの生家だ。


 顔を見せないよう、みんなフードを目深に被り、エレメンツィアは姿を消して畑の間を進んで行く。サーリャだけは、どうしても目立ってしまうので、申し訳ないけれど荘園の外側で待機してもらっている。


 それにしても、立派な荘園だ。農民たちも精力に満ち、畑仕事に打ち込んでいる。商人上がりの富豪だと聞いていたが、ここまで来ればほとんど貴族と大差ない。


「変わってない」


 エレメンツィアの感極まったような囁きだけが聞こえてくる。


 ここまで来ればあとはもう、エレメンツィアが館に忍び込んで、マルグリットの魂を探すばかりだ。見つけた魂をどうするのかは、まだわからないけれど。


 不意に、ブドウ畑にいた農民たちが騒がしくなったのは、そんなことを考えていたときだった。


 僕らの後方から、二頭立ての立派な馬車が近づいてきている。乗っているのは、立派な身なりの壮年の男女。農民たちが馬車に大きく手を振ると、男女の方も親しげに振り返す。


 きっとあれが、この荘園の主なのだろう。農民たちからも慕われているようだ。


 馬車にはまだ、誰か乗っていた。幼い男の子と、その隣に、若い女性。


「お嬢、様……?」


 エレメンツィアの震える声が聞こえる。いつの間にか姿を現していたエレメンツィアが、馬車の後ろに乗る若い女性を食い入るように見つめている。


 探しに行くまでもなかった。あれが、エレメンツィアの未練。彼女が守れなかったお嬢様、マルグリットか。


 ん? あれ、でも。


 彼女のこと、僕も見えてるぞ?

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