第126話:彼女を縛るもの
「どうです? 私の催眠術も、ちょっとしたものでしょう」
どこか得意げな顔をして拘束台の上から降りるアンナに、僕はどんな顔をすればいいのかさっぱりわからない。なにがちょっとしたもの、だ。その催眠術が、使い方次第で恐ろしい効果を発揮することは、身をもって理解させられている。
けれど、バンシーの激情を鎮めてしまえるとは。魔術なのか技術なのかわからないが、相手に話を聞かせる、という一点において、すさまじい能力だ。
そして、そのバンシーはと言えば。
鬼火を宿したように青白く光るばかりだった目は、人としての理性の光を取り戻し、しかし今は、その瞳を潤ませ、静かに涙を流し続けている。
泣いている、と言っていいのだろうか。目からは涙が零れているように見えるが、目じりから耳を伝って落ちる雫は、台に染み込むでもなく、ただきらきらと光になって、どこかへと消えていってしまう。
「い、一応、鎮まりはした、みたいですけど……」
「暴れなくても、
もう襲い掛かろうとする様子はなさそうだが、理性を失わせるほどの悲しみは、むしろ落ち着いた今こそ、彼女を飲み込もうとしているのかもしれない。
「えっと、どうするのマイロくん?」
「そうだね……とりあえず、口を塞いでるのは取ってみようか。身体はまだ押さえておいて」
「えー、もう縛らなくてもいいんじゃないの?」
「念のためだって」
ゴーストを拘束し続けるのが気持ち悪いらしいサーリャは、渋々とバンシーの口元だけを解放する。さて、どうなるかな、と思ったものの、バンシーはただただ、目を瞠ったまま、涙を流し続けるばかりだった。
「ええと……こんにちは。いまの状況、わかる?」
なんて声をかけたらいいかわからなくて、素晴らしく間の抜けた質問になってしまった。しかし、無視されるかな、くらいには思っていたのだが、意外にもバンシーは、ひとつはっきりと頷いて見せた。
「守れなかった」
「え?」
唐突に、思っていた以上にはっきりとした言葉が返ってきて、一瞬その意図が汲み取れなかった。どういう意味、と聞き返そうとして、ギリギリで踏みとどまった。
バンシーの目から、いっそう涙が溢れてきている。つまり、それが。
「それが君の悲しみの理由、なんだね」
バンシーはまたひとつ頷いた。泣いているからか、元からそういう性格なのか、岩山で聞いた絶叫が嘘のように、静かな雰囲気を纏っている。
ただその瞳からはらはらと流れる涙だけが、余計に悲しみを誘った。
「僕は死霊術師のマイロ。君はダンジョンの中で、ゴーストになって僕たちに襲い掛かってきた。だから捕まえて、話を聞こうと思ったんだけど……覚えてる?」
「……わから、ない」
「わからない?」
覚えているでも、覚えていないでもなく、わからないとは? 思わずみんなと顔を見合わせるが、揃って首を傾げている。アンナだけが、面白そうに肩を竦めていた。
「えっと、どういう意味?」
「ずっと探していた、気がする」
「なにを?」
「お嬢、様」
バンシーはひとつ鼻を鳴らし、目じりから涙をこぼす。
「それは、君が守れなかった人?」
じわりと目を潤ませ、バンシーは頷いた。
やっぱりもともとの性格なのか、言葉数が少なく、もうひとつ読み取りにくいけれど、統合するとこういうことだろうか。
「つまり君は、守れなかった人を探して彷徨っていた、気がするけど、詳しくは思い出せない、ってことでいいのかな」
目線が少しだけ、言葉を探すように中空をさまよってから、頷く。どうやらバンシーとして暴れていた間の記憶は、ひどく曖昧なようだ。
ふうむ。
この分だと、自分の身体についてどれくらい理解しているかも、少し怪しくなってくる。いや、自発的にゴーストになっていたわけではないのだから、理解なんて、ほとんどしていないかもしれない。
ただ少なくとも、ゴーストと意思疎通ができるようになったというのは、大きな前進だ。これならとりあえず、いきなり襲われることはもうないだろう。
「このままじゃちょっと話しにくいね。拘束を解いてあげて、サーリャ」
「やっと? もー、ずっとぞわぞわして気持ち悪かったんだからねー」
「サーリャちゃん、そういうところ、治したほうがいいと思うなあ」
「え、なんで?」
素直といえば素直なサーリャの言葉を気にした様子もなく、身体を縛っていた木の根を解かれたバンシーは、のろのろと起き上がり、台のふちに腰かけた。
目に光は戻ったし、襲い掛かってくることもない。けれど、表情はぼんやりとして、生気は感じられない。もちろん死んでいるのでそんなものはないのだが、確固たる意志や、活力が見られないのだ。
しかしまずは、彼女のことを知らなくては。ゴーストを知るための第一歩だ。
「ええっと、それでまずは、いくつか聞きたいことが……って、ちょっと?」
「おい、なんだ」
「マ、マイロ様、下がってください!」
質問し始めようとした矢先、バンシーは立ち上がり、ふらふらと歩き始めてしまう。誰かに襲い掛かるつもりか、とみんなが警戒するが、バンシーはただ、僕らの間をすり抜けて、書庫の出入り口へと向かおうとする。
「ちょ、ちょっと待って待って、どこに行くの?」
追いかけて止めようとするものの、相手はゴーストだ。腕を掴むわけにも、前に立ちふさがるわけにもいかない。
「探しに行く」
「探しにって、さっき言ってたお嬢様を?」
「そう」
短く答え、バンシーはずんずんと歩を進める。
守れなかった、と言っていた相手だ。死者が死者を探しに行こうとしているのか。どうしよう、またサーリャに捕まえてもらうか? いや、でも。
「ずいぶんとご執心みたいですねー。そりゃ、アンデッドになるくらいですから、当然かもしれませんけれど」
アンナは面白そうに傍観している。ええい、茶々を入れないでくれ。
「待ってってば! どうやって探すつもりなのさ」
「……歩いて」
地道だった。なにか相手の居場所を察知する感覚がある、とかでもないのか。
「ここ、さっきまでいたところよりも、ずっと下の階なんだ。戻り方わかるの?」
足が止まった。バンシーの目が、僕を見る。表情はあまり変わらないが、たぶん、睨まれている。
「どうして、連れて来たの」
ここに来て彼女は、ようやく、初めて、僕を見て、聞いてくれた。穏当な空気とは言えないけれど、どこも見ていなかったさっきまでよりは、だいぶマシだ。
「さっきも言ったけど、いろいろと君に聞きたいことがあるんだ。ゴーストである君に。話を聞かせてくれれば、もう引き止めないし、それに……」
少し、考える。僕らはいま、追われる身だ。おそらくは指名手配されているだろう。ダンジョンの中にいることが露見しているかはわからないが、いずれにせよ、下手に出歩いたりはできない。
けれど、死者に一方的に要求するのも、筋が通らない。
「君のお嬢様を探す手立ても、一緒に考える。それでどうかな」
はあ。
後ろから、いくつかのため息が聞こえた気がするが、あえて聞かなかったことにする。わかってるよ、そんな呑気なことしていられる立場じゃないことくらい。
「……わかった」
「よかった、ありがとう」
ようし、了承してくれた。これでやっと、彼女とコミュニケーションが取れる。
でも、その前に。
「君の名前を教えてもらってもいい? いつまでも君なんて、呼びにくいし」
「……エレメンツィア」
エレメンツィア。亡霊と化した女騎士は、物静かにそう名乗った。
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