第124話:死霊と死霊術師

 僕の前にいま、ゴーストが横たわっている。


 これまで、ただダンジョンで出会う脅威でしかなかったゴースト。死霊術師として興味はあったものの、相対するのが危険すぎて、手を出すことのできなかった相手。


 そのゴーストが、身動きを封じられ、目の前に縛り付けられているのだ。


 岩山で遭遇したバンシーの捕獲に成功した僕たちは、大急ぎで、ただしまたあっちこっち回り道をしながら、イルムガルトの書庫へと戻ってきた。狩った獲物の処理をマズルカとポラッカにお願いし、僕とウリエラ、そしてサーリャの魔術師組は、捕獲したバンシーを囲んで見下ろしている。


 囲まれているバンシーは、サーリャが身体の一部を変形させて作ったテーブルの上で、手足と胴を拘束され、口を塞がれて横たえられている。


 いよいよ、本格的なゴーストの研究にとりかかろう、としているのだが。


「……ど、どこからどう手をつければいいんでしょうか」


「ちっともわかんない」


 僕もウリエラも、完全に手を出しあぐねいていた。


「もー、早く調べてよー! なんかむずむずして気持ち悪いんだから!」


 身体の大きなサーリャが踏み鳴らす足に揺らされながら、バンシーもどうにかもがいて逃れようとしている。だがやはり、魔力を通した物体は透過できないようだ。


「ええと……とりあえず、見た目は女の人だね。歳は、マズルカと同じくらいかな」


「そ、そうですね。恰好からすると、生前は騎士だったのでしょうか」


「でも攻撃には剣も盾も使ってなかったね。バンシーらしく、泣き叫ぶのがそのまま武器になっていたというか」


 亡霊騎士、なんて呼ばれるゴーストもいるが、彼女はそうはならなかったようだ。


「深い悲しみの中で死ぬと、バンシーになると言われています。悲しみに囚われ続けて、もう生前の記憶も残っていないのでは……」


 ウリエラの言う通り、いまもバンシーの目にあるのは、渦巻くような激情ばかりだ。それが悲しみなのか殺意なのかはわからないが、ほとんど獣のような形相をしている。


「どうにか感情を落ち着かせられないかも、あとで考えてみよう。ところで、この鎧って脱がせられるのかな」


「えっ……マイロくん、なに考えてるの……?」


 なぜかサーリャが引いている。なんでだ。いや、ちょっと。


「サーリャこそなに考えてるの!? ゴーストにとって、どこまでが肉体なのかって話してるの!」


「ほんとにー? っていうか肉体って、ゴーストなんだから身体はないんじゃないの?」


「違うよ、あるよ。この話、学院の共通講座でもやってるはずなんだけど、ほんとに座学さっぱりなんだね……」


「い、いまそんなこと言わなくてもいいじゃん! 教えてよお、どういうこと?」


「わかったわかった。えっと、まず、僕たちが生きるこの世界では、肉体がなければ活動できない。これはいいよね?」


「う、うん」


 僕たちの世界を形成しているのは、物体だ。土、水、火、風、木、鉄、そして血と肉。あらゆるものが、物理的な構成要素の様々な配合によって成り立っている。


 そして、物体には物体でなければ干渉できない。だから、この世界で生きていくためには、物理的な肉体が必要になる。


 それが、この世界の大前提。『言葉』の定めるルール、摂理だ。


 ちなみに魔術師は、物体の根源要素である魔力を、『言葉』の定めた摂理を読み解き、編成する『術式』を用いることで、魔術を行使している。


「逆に、この世界で唯一物体を持たない存在が、魂だと言われてるんだ。生命の誕生と同時に宿り、死とともに離れていく、生き物の本質。核となる部分。肉体を持たない魂となった死者は、もう世界に干渉することは出来ない。普通は僕たちから観測することも出来ないし、接触することも出来ない」


「でも、ゴーストは透けてるけど見えるし、襲われたら死んじゃうよ?」


 その通りだ。


「だから、ゴーストには肉体があるってことなんだ。霊体って呼ばれてるけど、魔力で構成された肉体」


 魔力は、組み合わさって構築されることで、物体の元素となる。構築されていない魔力は通常目には見えないが、物体の根源として存在している。いわば、水と氷のような関係だ。


 一方で、ゴーストは魔力を、水のまま肉体として使っているようなものなのだ。


「だからいま、同じように構築されていない魔力を使うことで、このバンシーを拘束できてるってこと」


「ふーん、わかったようなわかんないような……あれ? なんか、なんにもわからないって言ってたわりには、結構わかってるんだね」


「ここまではね。わからないのは、どうやって魔力と魂を結び付け、霊体を形作ってるのか、なんだけど」


「なにがって、ゴーストはアンデッドなんだから、『空白』じゃないの?」


「そこなんだよ問題はー」


 最大の謎を突き付けられ、思わず項垂れてしまう。


「結局、『空白』って得体の知れない力が間に入っちゃうから、魂がどうやって未形成の魔力と結びついてるのか、なにが基準になって霊体を構築してるのか、全然わからないんだ」


 つまりゴーストを理解するということは、『空白』や、そもそもの核になっている魂について理解しようと試みるに近い。世界の根幹にかかわる部分だ。


 正直、個人でどうにかなるレベルの問題ではない。


「ウリエラには、どう見える?」


 現在進行形で『空白』と繋がっているウリエラなら、なにかわかるかもしれない。と思ったのだけれど。


「い、いえ……霊体の核になる部分を見ると、『空白』が干渉しているのはわかるんですが、それ以上は」


「さすがにそう簡単にはいかないか……」


「申し訳ありません……それにやっぱり、鎧だけじゃなくて、剣や盾も、取り外したりは出来なさそうですね」


 ウリエラは魔力を通した杖で、バンシーの装備をぐいぐいと弄っているが、剣も盾もぴくりとも動かない。ということは、装備まで含めて肉体の一部なのだろうか。


 興味深いことに、ウリエラが杖で弄るたびに、バンシーがもぞもぞと身悶えする。単に抵抗しようとしているだけなのか、あるいは装備にも感覚が通っているのだろうか。そもそも感覚があるのかわからないけれど。


 どうしたものだろうか。どこから手をつけたものか、さっぱりだ。


 せめてバンシーと意思疎通ができたならば、なにか変わるかもしれないのに。でも、そんなことが出来る人物なんて。


「おや、なんだかおもしろいことしてますね、マイロ先輩」


 できるかもしれない、と思わせる人物が、帰ってきてしまった。

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