第122話:岩山にて

 第25階層に狩りに行こう。


 そう決めた僕たちはまず、うっかりモンスターと遭遇しないよう、細心の注意を払って書庫を離れた。ある程度距離を置いたところで、ウリエラの転移門を使って、相変わらず見通しの悪い第29階層へ飛ぶ。またそこから距離を開け、今度は地上の、ウリエラの故郷であった、焼け落ちた農場へ。焼け跡から納屋へ場所を移して、今度こそ第25階層へと転移した。


 それもこれも、転移の痕跡を辿られないようにするための手間だ。一直線に目的地に飛ぶと、アンナと家出したウリエラを追いかけたときのように、すぐに居場所がバレてしまう恐れがある。


 おかげで、やたらめったら時間がかかってしまったが、帰りも同じ手順を取らないと意味がない。気が滅入る話だ。


 追われる身に安息の時間はないのだなと、ほとほと痛感させられる。


 さて、その手間をかけた末の、岩山での狩りの成果はと言えば。


「思っていたほどの強さでもなかったな」


「ねー、結構あっさり倒せちゃったね」


 拍子抜け、といった風情のマズルカとサーリャの前には、尾から蛇が生えた大柄な鶏のようなコカトリスが三羽に、猛禽類にも似た巨大なロック鳥が並んでいる。


 動きが素早く、石化の邪眼を持つコカトリスに、鋭利な鉤爪で上空から襲ってくるロック鳥、というモンスターを相手にした狩りだったが、今回はマズルカとポラッカの独壇場であった。


 持ち前の素早さを強化術式で底上げしたマズルカは、コカトリスを翻弄する速さで駆けまわり、空から狙ってくるロック鳥には、ポラッカの弓が猛威を振るった。


 おかげで、僕たちはほとんど見ているだけだったほどだ。


「それに、思わぬ獲物にも出会えたしね」


 並べられた鳥たちの隣には、凶悪な巻き角を持つ、山のような体躯の山羊……バタリングラムが横たわっている。


 名前の通り、城門をも破れそうな恐ろしい角でを振りかざして襲ってくる、岩山の暴れ大山羊だ。数が少なく、時折急に現れては、猪もかくやという突進で冒険者たちを蹴散らしてしまう嫌われものでもある。


 幸いうちのパーティの力自慢であるサーリャは、大山羊よりもずっと怪力だった。バタリングラムの突進を受け止めると、変幻自在な蔦でがんじがらめにして動きを封じてしまえば、それで決着である。


「こ、これでしばらくは食べられそうですね」


「うん。ヤギ肉だから臭みがあるかもしれないけど、贅沢言えないしね」


「わたしはヤギ肉けっこう好きだよ!」


 ポラッカもほくほくなので、大戦果と言えるだろう。歩いていればモンスターに遭遇できる、というダンジョンの恩恵様様だ。


 これでいったんは、食糧問題も先延ばしに出来る。数日は書庫に籠って、研究に没頭できるだろう。


 もっとも、また調達に来ないといけないとなると、人に遭遇してしまう危険性は必然的に上がるわけで。いつまでも同じことは続けられない、か。


「ま、いま考えても仕方ないか。とりあえず、戻ろうか。どこで解体や血抜きするかだけど……」


 しかし、思いがけない遭遇というのは、立て続けに起こるものだったりもする。


「待て、誰か来る」


 マズルカの低い声音が、僕らに緊張を走らせる。マズい、冒険者だろうか。


「人数は?」


 ぴくぴくと獣耳を動かしながら、マズルカが気配を探る。


「……おそらく、ひとり。だが、妙な気配だ」


「なんか、女の人が泣いてるみたいだね」


 同じように耳をそばだてるポラッカの言葉に、僕とウリエラは顔を見合わせた。


 こんなところをひとりで歩き回る冒険者なんて、いない。だが、泣いている女性の声がするとなると、話が変わってくる。


「近づいてくるぞ、どうする」


 逃げるべきか。でも、考えている通りの相手だとしたら、またとないチャンスだ。


「隠れて様子を見よう。みんな、岩陰に入って!」


 気配が近づいてくるのとは反対に走り、山道の先の角に駆け込む。サーリャは身を縮めるのに苦心していたが、半ば寝そべるようにして、どうにか身を隠した。


 獲物は置いてきてしまったが、あとで回収できるだろうか。


 緊張を紛らわすように、どうでもいい(よくはないが)ことを考えていると、道の先の岩の向こうから、それは姿を現した。


 見た目は、二十歳そこそこ程の女に見えた。金属鎧を身に纏い、腰には長剣を差して、大きな盾を背負っている。女騎士だ。聖印は入っていないので、聖職者ではなく、パーティの防衛役としての騎士だろう。


 それ以前に、聖職者だとしたらかなり問題だ。


 小手をはめた手で顔を覆い、すすり泣く声を響かせながら近づいてくる女騎士は、肌の色も、鎧も、剣も盾も、すべてが青白く、かすかに向こうの景色が透けて見えている。


 間違っても、生きた人間ではない。


「やっぱり、ゴースト……泣き女バンシーだ」


「で、でも、どうしてここにバンシーがいるんでしょう。アンデッドが出るのは、もっと上の階層のはずなのに」


 ダンジョン内では通常、モンスターが出現する階層を跨いで移動することは、ありえない。以前のグールのように、誰かの手引きでもない限りは。


 ただし、あれがダンジョンの機能として出現したものでないのなら、話は別だ。


「モンスターとしてじゃなく、単にダンジョンの中で死んだ誰かが、強い未練を抱いてアンデッドになったのかもしれない」


「もしかすると、アタシもああなっていたのかもしれないな……しかし、どうするつもりだ」


 どうするもこうするもない。ゴーストは、喉から手が出るほど欲しい研究対象だ。


「理性が残ってるなら、話を聞いてみたい。あるいは、捕まえたい」


 懐から死者の手袋を取り出し、右手にはめる。ゴーストに触れることは出来ない。でも、魔力を伴う攻撃か、あるいはこの手袋なら。


「え、ぇぇ、おにいちゃん本気……?」


「僕だって、こんな状況でもなかったら、関わりたくない相手だよ。でも彼女はもしかしたら、僕らの現状を打破するきっかけになるかも」


 ゴーストの力を借りることが出来たなら、このダンジョンの中で活動するのに、大きなアドバンテージになる。壁をすり抜けられ、物理攻撃は効かず、姿を消すことさえできる。


 なにより、その原理が解明できれば、肉体に依存せずに、死者をリビングデッドにすることさえ可能かもしれないのだ。


「だから……」


「待て、様子が」


 バンシーの動きが、止まっていた。ちょうど、僕らが獲物を置いたままにしてある場所だ。彼女はじっと、身じろぎもせず、立ち尽くしている。


 いや。


 見ている。


 顔を覆う手の、指の間から、白く光る目が。


 こちらを、見ている。


「いけない、耳を……!」


-キィャァアアアァアァァアァアアァァァァアァァァァアア!


 悲鳴が、襲い掛かってきた。

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