第121話:タイムリミット

 生命の発生、気象の操作、地形変動、空間湾曲、亜人と獣人の起源、魔物大全、『言葉』から発生した原初の魔術、魔力と物体。


 この書庫には、学院の図書館を鼻で笑うような、貴重な、あるいは禁じられた書物が数多く収められている。中には、開いて読んだだけで、自分を構成する核となるものが崩れていきそうな、一級品の呪物まで。


 したがって、参照できるのは比較的無害そうな学術書や、研究論文になるのだが。


「なんにもわからん」


 一朝一夕でどうにかなる、なんて思っていなかったけれど、あんまりにもとっかかりがなさ過ぎた。


「わー……マイロくん、目が死体みたいになってる」


 ゾンビに言われるのだから、相当なものだろう。


 サーリャ製のテーブルに突っ伏した僕の頬を、そのサーリャがつついてくる。くすぐったいけど、反応してあげる気力もない。


「あ、ありませんね、ゴーストに繋がる研究……」


 テーブルの向かいで、一緒に書物をめくっていたウリエラも、やっぱり成果はあげられていないようだ。


 ゴーストに関して調べてみよう、と思い立ってから僕らは、書庫の中にある文献をひたすら調べてみた。


 僕とウリエラで、目ぼしい本を引っ張り出して目を通しては、また新しい本を探しに行く。そのうちテーブルに溜まっていく本は、マズルカとポラッカに戻してきてもらう。ひたすらその繰り返しだ。


 ちなみに、マズルカとポラッカは、字の読み書きが出来なかった。さすがに学習教材はなかったが、挿絵の入った百科事典があったので、僕らが文献を調べている間、それを使ってサーリャから読み方を教わっている。


 しかしいくら探してみても、ゴーストがいったいどんな理屈で存在しているのか、言及しているものはさっぱり見つからなかった。


「なんで? ないってことはないでしょ。いままで誰も調べようとしなかった、なんてことはあり得ないはず。やっぱり向こうの禁書の中? 開いて見るしかないか? でも僕のメンタルもつかな」


 ぼんやりとした頭で、ぼんやりと禁書の棚を見る。もう、あそこに手をつけるしかないような……。


「だ、だ、ダメですからね……! あんなもの読んだら、本当にマイロ様がマイロ様ではなくなってしまうかも……!」


「わ、わかってる。読まないよ、いまはまだ、手を出さない」


 煮詰まった頭を、ウリエラの悲鳴のような声が冷やしてくれる。


 このイルムガルトの蔵書の中でも、本当に危険なシロモノは、別の棚で、術式を織り込んだ鎖に縛られ、厳重に保管されている。


 並んでいるのは、『空白』についてや、世界の外側について記されている、らしい書物たち。


 中でも、人の皮で装丁された、題名のない書。僕ら死霊術師の使う魔導書にも似ているが、あれは比較にもならないほど、危険だ。


 でも、たぶん、一番求めている情報が書かれている本でもある。


「まだ、じゃないです。ずっとダメです」


「はい」


 釘を刺されてしまった。ちょっと怒ってる。ので、素直に引き下がる。


「でもこのままじゃ、なにも進まないよ。ゴーストにこだわらないにしても、みんなを守れるだけの力が必要なのは、確かだっていうのに」


 僕らはもう、追われる身だ。きっとこれから、何度も地上の人間たちと矛を交えることになる。


 例えばみんなが、サハギンやスワンプトードのような力で戦える肉体を得たとして、一時はそれで凌げるかもしれない。しかしその次には、より大勢の、より強力な敵がやってくる。


 もう、個々人の強さだけでは、いたちごっこにしかならないのだ。


 考えれば考えるほど、アンナの言っていた、死者の国という言葉に乗るしかない気がしてくる。乗ったところで、どうやって死者たちを集めるって話になるのだが。


「やっぱりもう、ゴーストを捕まえて調べてみるしかないかなあ」


「え、幽霊って捕まえられるの?」


「たぶん……」


 もちろん、手で捕まえることは出来ない。けれど、魔術による攻撃は通じるのだ。ならばいくつか、考えはある。


 とんでもなく危険な挑戦になる、という但し書きが付いてくるが。


「だがマイロ、あまりのんびりもしていられないぞ。もう食料が心許ない」


「わたしたちはおなか空かないからいいけど、おにいちゃんは……」


 ぐぬぬ。


 ルーパス姉妹の言う通り、僕はタイムリミットが近い。食べなければ、戦えもしないし、いずれ死ぬ。またしても、唯一生きた人間である僕の身体が足を引っ張る。


 ゴーストを捕まえて調べるにしても、研究をつづけるためには、生活基盤が必要になる。まだ僕たちは、それを整えられてはいない。


「ダメだ! これ以上ここで考えてても埒が明かない!」


 本を置いて、席を立つ。


「ど、どうするんですか?」


「いったん違うこと考えよう。まずは食べ物! どうにか食料を調達しよう。もう地上に買い物しに行くわけにもいかないから、ダンジョンの中で狩らないとね」


「じゃあ、また第13階層あたりに戻るの? 危なくない?」


 確かにサーリャの言う通り、樹海ゾーンなら食料になり得るモンスターが豊富だが、階層が浅すぎて、冒険者たちに出会う確率が上がってしまう。


「ううん、今回はもうちょっと下、第25階層に行こう。あそこは岩山みたいな景観なんだけれど、ロック鳥やコカトリスが出現するから、狩れば食べられると思う。それに冒険者の数も、アンデッドが出現するエリアでだいぶ減るしね」


「そこって、わたしたちでも戦える? この間みたいには……」


 ポラッカがいつになく不安げに、気の進まない様子を見せる。沼地でマズルカが、スワンプトードに飲み込まれたときのことを思い出しているのだろう。


「敵は沼地よりも強くないし、ロックジャイアントは少し厄介かもしれないけど、強化の術式を使えば十分勝てる範囲だと思う。スワンプトードみたいに、丸のみにしてくるような大きさの敵はいないしね」


「そっか、うん、わかった!」


 代わりにロックジャイアントは、岩のような手でぺしゃんこにしてこようとするわけだが。それでも、純粋な力比べなら、サーリャに分があるはずだ。


「よーし、狩るぞ。みんなで食べても余るくらいに!」


 休憩や、食事や。生きるには必要なものが多すぎる。


 そんな面倒くささを吹き飛ばすように、僕はわざとらしく大声を出した。

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